モノツキ | ナノ


「申し訳ありませんでした!!」

「ちょ、ちょっと昼さん!」


裏口のガレージから、階段を登ろうとしたまさにその時であった。

バイト用のつなぎに着替えたヨリコとばっちり出くわしてしまった昼行灯は、
数拍の沈黙ののち、政治家もびっくりするようなダイナッミクかつ華麗な土下座を披露してみせた。

後から車を戻した薄紅が何事かと駆けつけてみれば、そこには女子高生に土下座をかます相方の姿があり、彼の顔が引きつったのは言うまでもない。だが、昼行灯は至って本気である。

今までどんな権力者にも、裏の重鎮にも、強大なツキゴロシにも膝をついたことのない昼行灯が、こうして床に頭をつけて詫びているのだ。無明の迎え火と恐れられ、血肉を浴びていた男が、だ。


「先日のヨリコさんの思いを踏み躙るような言動…並び、その非礼への謝罪を先延ばしにし、今更こうして頭を下げる無礼……。本当に、申し訳ありません!」

「や、やめてください昼さん!あの時は昼さんが言ってたことが正しかったですし、私だって…」


しかし、当然そんな謝罪をヨリコがそのまま受け入れるはずもなく。
行き過ぎた誠意に戸惑うヨリコは、慌てて屈み、昼行灯を立たせようとあたふたとしている。

薄紅は思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、この情けない社長のフォローでもしてやろうかと彼の肩をぽんと叩いた。


「馬鹿。やり過ぎだ、昼行灯。ヨリコさん、寧ろ困っているだろう」

「しかし…この位しないと、私の気の方が治まらないのです……」

「お前の気持ちは十分伝わっただろう。もうそこら辺にしておけ。なぁ、ヨリコさん」


薄紅が離れると、昼行灯は恐る恐ると顔を上げた。

その先にヨリコの心配そうな顔があると知るや、ほわああっと蝋燭の火を灯していく姿は、まるで神の信託を待っていた信徒のようである。
神、というより天使に見えているのだろうが。


「謝らなくちゃいけないのは、私の方です…。あの日、わがままを言って昼さん達を困らせて…この三日間も気まずくって、昼さんのお見舞いにも行ってあげられなくって……ごめんなさい!」


ヨリコはそう言って、昼行灯に深く頭を下げた。
同時にぴょこん、と彼女のポニーテールが揺れ、その動作が昼行灯の心をじんわりと解きほぐす。

あのまま問題を凍結し続けるよりも余程よかっただろう、と薄紅が視線を送ると、
昼行灯は歯痒そうにしながらもヨリコから差し出された手を取っていた。


「えっと…これで、仲直りでいいです…よねっ。あれ、でもケンカって訳でもないから……」

「いえ、あの…それで、いいと思います」


昼行灯は恥ずかしそうに笑うヨリコに釣られ、三日振りに蝋燭の炎を高鳴らせた。



「おっかえりなさーい、社長!」


オフィスの扉を開けると、パァンパァン、とクラッカーの音が盛大に鳴り響いた。

ランプに盛大に紙テープを食らい、何事かと(恐らく)眉を顰める昼行灯に、実に楽しそうな足取りでサカナが寄ってきた。
オフィスを見渡せばクラッカーは茶々子も修治も、火縄ガンまでもが持っているが、それは一度置いておこう。


「…元気そうでよかったです、サカナ」

「アハハ、その台詞そっくりそのままお返ししますよー。三日も病院から出ないから心配しましたってー」


あの日盛大に頭を打っていたサカナだが、もう水槽のひびも無く、ほぼいつもの調子で笑っていた。

壁や窓は修復処置が施され、机は所々凹んだりしているが、業務に差支えはないだろう。
昼行灯は紙テープを払い、随分久しぶりな自分のデスクについて、あぁ戻ってきたんだなぁ…と低く息を吐いた。

サカナは散ったゴミを茶々子に任せ、頭の熱帯魚をピンクや黄色にしながら、
昼行灯の近くにそれとなーく寄って行った。
その時点で昼行灯には、彼が何を聞いてくるかは手に取るように分かった。


「と・こ・ろ・でー。ヨリコちゃんなんですけどー」

「ヨリコさんとなら、先程お話しましたよ」

「え」


昼行灯はきょとん、と熱帯魚を透明にするサカナを横目に、どこか得意げに笑った。
その言葉を聞いてちりとりと箒をせっせと動かしていた茶々子も、その様子を眺めていた火縄ガンも、ここ数日の疲れにやられていた修治も、揃ってサカナと同じような面持ちを、恐らくしている。


「一階でお会いしまして…先日の件をお詫びし、お許しをいただきました。
ヨリコさんの口から仲直りと言っていただけましたので、もう問題はありませんよ」


表情は分からないくせに上機嫌であることは分かる昼行灯の口ぶりに、一同は顔を見合わせ、「ハハ…」と笑った。

彼らとしては、これ以上業務に差支えが出ることもなく、
昼行灯とヨリコが上手く元の鞘に収まったことも喜ばしいことではあるが、もうちょっとぎくしゃくしてても面白かったのになぁ、という気持ちがある。

尤も、そんなことを口にすれば、復活した昼行灯の体の鈍りを解きほぐす実験台第一号になってしまうのは言うまでもないが。


「そういや、そのヨリちゃんはどこですかぁ?」

「ヨリコさんはまず二階から掃除するそうです。いつもは三階からなのでたまには…ということだそうで。
あぁ、ちなみに薄紅はそのまま外回りに行きましたよ」


と、昼行灯が溜まった書類に眼を通しながら話した時だった。

すっかり拍子抜けしていた面々が、やはり同時に食いつくように彼の方を見やった。
そのまま茶化されるなりなんなりされるだろうと思っていた昼行灯だったが、
一同の意外なリアクションに、何故かたじろいでしまっている。


「な…何ですかその反応は…」


その場の全員からじぃっと似たような視線をもらい、作業の手を止めている昼行灯に、
サカナはわざとらしく大きな溜め息を吐いた。

何故上手くいったと報告したのに呆れられた挙句溜め息まで食らわなければならないのか。
昼行灯が物申したげにしたところで、サカナはずばっと言い放った。


「社長。それ、まだ気まずいって思われてるんじゃないですか」

「……………」


先程までこの先十年は燃え続けていけそうな勢いだった昼行灯の蝋燭が、消えた。
がくっと椅子の背凭れに倒れるようにして脱力する昼行灯に、フォローのつもりか、はたまた追い討ちのつもりか。サカナはさらなる追撃を掛ける。


「確かに仲直りにはなったんでしょうけど、やっぱりヨリコちゃんとしてはまだ気まずいんですよ。
あの時のことは僕、後から聞いたんですけど、ヨリコちゃんの立場で考えてみたらまだ蟠りありますって。
年上に楯突いちゃったおまけに、原因が百%ヨリコちゃんにある訳でもなく…。
かといって社長が悪いってことでもないあやふやなものじゃ、納得のいかないモヤモヤと、自責で割り切れませんって」

「……………」


まさに目から鱗状態で茫然とする昼行灯。更にあの場を最も近くで見ていた茶々子も、
つい先刻まで有頂天だった昼行灯を突き落すように真実を告げる。


「昼さんは仲直り出来たことではしゃいじゃってますけど、ヨリちゃん的にはまだ問題は解決しきってないですってぇ。
多分、下で時間潰しながら心の準備整えてるんですよぅ」

「そ、そんな…まさか」


昼行灯とヨリコの仲を取り持とうとしているいつもの三人からすれば、ある意味これは危険な賭けではある。

鬱然としていたところを掬い上げられ、そこをまた突き落されては、今度こそ昼行灯は立ち直れないのではないかと思われる。
しかし、これをそのまま放置して、一方的にズレた関係のままにしておくのはもっと危険ではないか。

その判断から思い切って真実を突き付けてみたサカナと茶々子だったが、そこで終わらないのが彼らの強かさである。


「ここは思い切って、もう一度ヨリコちゃんに謝った方がいいですって」

「んー、でもぉ、ただ謝っただけじゃヨリちゃん重く感じて逆効果じゃない?」

「そ…それなら私はどうしたらいいのですか!!?」


掛かった。サカナと茶々子は心の中でガッツポーズを決め込んだ。

上手いこと食いついてくれた昼行灯を逃すまい、とそのバトンは後ろで我関せずを気取っていた修治へと託された。
ここでサカナや茶々子が何か提案するよりも、部下であれど年上である修治が、何かぼろっと言ってみせる方が昼行灯には効果的である、と見越した上でのこの急拵え作戦だが、二人の目配せをどうやったのか上手く受け取った修治は、それとなく昼行灯にこう言った。


「デートにでも誘ったらどうよ?」

「………はい?!」

「だからデートだよデート。お前さんだって若い頃は経験済みだろ?」


修治は新聞を捲りながら、今自分が最高にニタニタしているのが目に見えなくてよかったと変な感謝をしながら、サカナと茶々子に視線で「俺に任せとけ」と告げた。頼るべきは近くのオッサンである。


「一応お詫びって形でよ。ただ謝罪するよか若い子にはよっぽどいいだろ。
飯とかおごって適当に話しでもしてりゃ、もやもやも取れるとオッサンは思うがなぁ」

「し、しかしですね…」

「いいじゃないですかぁそれー!僕もそれがいいと思いますー!」


修治が立てた波に乗るしかない、とサカナが彼の提案を担ぎ上げ、茶々子もその勢いを上げようと続いた。


「それが良いですよ昼さん!二人きりで気まずいと思うかもしれませんけどー、それもおいしい物とかが解決してくれますって!」

「そうは言いますが!そもそもこんな頭の私が、ヨリコさんをどこに連れて行くというのですか!!」


しかし昼行灯も負けてはいなかった。決してヨリコとデートがしたくない訳ではない。
寧ろこれ以上とない名目が転がっていることに戸惑っている位だ。

だが、それを実践するに辺り、問題が多すぎるのもまた事実なのだ。
第一にまず、彼がモノツキであることが問題である。


「水族館や遊園地どころか、駅前のショッピングモールすらこの姿じゃ出歩けないんですよ?!私が堂々出歩ける場所にある娯楽施設など、裏町の賭博場か風俗街、闇市くらいでしょう!そんなとこ連れて行ったが最後、絶交されてしまうに決まってるじゃないですか!!」

「…そりゃ、まぁ…そうだな」


ここに来て最もどうしようもならない問題に、流石の三人もしまったと項垂れた。

確かに彼のランプ頭は、髑髏路のようにマスクでどうにかなるものでもない。
帽子を被って縦襟コートでも着込めば多少ごまかせるかもしれないが、その格好では入口でお断わりされるか、警察を呼ばれるかだ。

昼行灯は自分で言っていて切なくなってきたが、これが現実である以上どうしようもない。と、思っていた時だった。


「ウライチならどうネ?」


ぶらぶら、デスクの上に腰かけてレボルバーを弄っていた火縄ガンが口を開いた。


「あそこならまだ、表の人間が入っても大丈夫ヨ。奥まで行かなきゃわりとフツーの出店(マーケット)しかないし、ヨリコでも問題ない思うヨ」

「そういやヨリコちゃん、前ウライチに興味持ってたなぁ。皆さんがどんなとこで買い物してるか見てみたいって」

「それよ火縄!えらい!!」


茶々子は思わぬ名案を齎した火縄ガンの頭をよしよしと撫でてやった。
火縄はどこか得意げに銃口を光らせているが、昼行灯はそれでも気が進まないようであった。


「し、しかし…誘ったところでヨリコさんが同行してくれるとは思えません。
相手が私で、しかも場所がウライチだなんて…。興味があったとしても気が進むとは到底思えないのですが」

「それなら私がヨリちゃんに話しますよー。
買い出しに行かなきゃならないんだけど、仕事が忙しいから昼さんのお手伝いしてあげて!と言えば、ヨリちゃんならきっと!」

「そんなヨリコさんの善意に付けこむような真似…!」

「社長!!」


何を言われようとも断る精神の昼行灯に、サカナがペチィっとビンタを食らわせた。
思い切り殴るなどでは反射的に蝋燭でも投げられると思った故の軽めのビンタであったが、どうやら効果はあったようで、昼行灯はきょとん、と黙ってしまった。


「今更やり方なんて気にしてる場合じゃないでしょう!
それでもヨリコちゃんの善意に付けこむような真似をしたくないなら、自分から堂々と誘わなきゃ駄目ですって!!」

「い、いや…サカナ、貴方何を言って…」

「男なら!ここで一発でかい勝負に出るべきですって!栄光は踏み出した者にしか訪れませんよ!!さぁ!!」

「ちょ、ちょっとサカナ?!」


prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -