モノツキ | ナノ
「……………」
バチッと、電流に触れたかのように、眼が覚める。
同時に、光を放った赤と青のランプに映ったのは、打ちっぱなしのコンクリートの時化た灰色と、此方を覗き込むプロレスマスクだった。
「……シグ、気が付いた?」
「……髑髏路、かぁ」
勢いよく目覚めたつもりだったのだが、頭は未だぼぉっとしていた。
随分長く眠っていたのだろうか。覚醒までのローディングが長い。
からからに枯れた喉から出る声の擦れっぷりも気になる。
自分が気にするべきはそんなことではなく、また呆けている場合でもないのも分かるのだが、
強く打ちつけた頭のせいか、状況が呑み込み切れていないせいか。
シグナルはきしきし痛む体を、文字通り古臭いベッドから起こす気力すら湧かなかった。
まず、どうしてこうなっているのか分からない。
いや、体を苛む痛みについては、覚えがあるのだが。そこからどうして、見知らぬ場所で髑髏路と共にいるのか。
それがシグナルにはさっぱり分からなかった。
「……俺、は」
「…昨日から今まで、ずっと寝てた。副社長から受けたダメージが、かなり深かったみたい……」
そう。シグナルは、薄紅に攻撃を仕掛け、返り討ちにあっていた。
かの人斬りシザークロスを相手に、五体満足で生還したと言えば、それはそれは大層なことだが、彼は、負けたのだ。
部下からの突然の攻撃に戸惑い、訳も分からぬまま手持ちの刃物類で戦った薄紅に、負けて、逃げた。
刀も持っていない彼に武器を弾き飛ばされ、ダメージを受けて、更に愛車まで破壊されて。
それでも、薄紅に一撃を浴びせて、シグナルはどうにか逃げた。
逃げて、それから、何処かの路地裏に倒れ込んで。
そこで彼の記憶はぶつりと途絶えていたのだが、その先は、髑髏路が知っているようだった。
「…此処は、”逃がし屋”に紹介してもらった建物。
本当は、病院に連れていきたかったんだけど…社長の眼についたらアレだから……ケガは、私が出来る限り処置しておいた」
「……お前、」
その先を問われる前に、髑髏路は口を開いた。
聞きたいことは分かっているからという名目で、口にしたくないものを問われないようにと。
無口な彼女らしくもなく、髑髏路は、捲し立てるように言葉を並べていく。
「シグ……社長は、すごく怒ってる…。シグがターゲットを庇って、副社長が足止めを食らって…その間にターゲットに逃げられたから……。
シグを探し出して、情報を吐かせるって…必死に探そうとしてるかも。
……でも、会社のネット回線めちゃくちゃにしたから、LANはしばらく使えないし、
すすぎあらいもターゲットの方の捜査に当たってるから、こっちには来ないかもしれない……」
髑髏路はそう言うと、ガラスのない窓の外を眺めて、ふっと顔を此方に戻すと、とんと椅子から下りた。
これ以上、追及すべきことはないだろうと、彼を急かすように。
「けど、シグが早めに起きてよかった……まだ間に合うから、見付かる前に早く」
「……待てよ、髑髏路」
だが、当然それをシグナルは許してはくれず。
今にも逃げ出しそうな髑髏路は瞬く間に手首を引っ掴まれ、抵抗する間もなく、視界がぐるりと回った。
ぎしり。不穏を掻き立てるようにベッドが沈み、赤いライトが上から此方を睨んだ。
「お前……なんで俺に協力してんだ。俺と共犯になって、会社裏切って……お前に、なんの意味があんだ?」
答え次第では、細っこい髑髏路の手首など、へし折られてしまうだろう。
そして痛みに叫ぶ間もなく、馬乗りになったシグナルから追撃を喰らうことなど、考えずとも、固く握られた手首の感覚で理解出来る。
やはり、こうなってしまうのだなと、髑髏路はマスクの下の眼を伏せた。
激情に身を任せて暴れ、神の怒りを買って奪われた顔には、目蓋などないのだが。
それでも、嘆きと覚悟を宥める為に、髑髏路はゆっくりと眼を閉じて。
もう一度開いた瞳に映る強烈な赤を真っ直ぐに見据えながら、髑髏路は隠そうとした言葉を、心を紡いだ。
「……シグのいるところが、私の居場所だから…」
それを口にすれば、全てが壊れてしまうような気がした。
かつて全てが崩壊しかけていた彼女の世界が、今度はより手酷く無くなってしまいそうで。
髑髏路は、言い逃れならぬ、言わず逃れが出来るのなら、そうしたかった。
しかし、世界はそう、甘くはなかった。
いつだって苛烈で、厳しく、暴力的で。故に、彼女は今、此処にいて、彼に手を伸ばしているのだ。
「シグがいれば、私は何処にだっていいの。でも、シグがいないなら……私は、どんな場所でも息が出来ない」
不信に思うのも当然、疑いに掛かるのも仕方がない。
それに対し、多少の不満も切なさもあるが、全て信頼に足らない自分に責任がある。
だから、言わないままに彼を失望させることだけはやめようと、髑髏路は立ち向かうことを決意した。
彼が私の世界である限り、何とだって戦えるのだ。
どんな理不尽でも、どんな絶望でも、彼の光があれば、何も怖くないのだと。
髑髏路は、逃げることを止めた。
「……私、何処だってついていくよ。シグが、許してくれるなら」
数秒。やたらと長く感じる沈黙が流れた。
今にも天井が落ちてきそうな重い空気の中で、髑髏路を力で縫い付けていたシグナルは――。
「………ハッ、ハハハ」
ガラガラ、乾いたままの喉を鳴らして笑うと、背骨を中心に痛みが広がる。
それも、生きているからこその感覚かと丸めて笑いながら、シグナルはここにきて怯えたように肩を竦めた髑髏路に、ぬっと手を伸ばした。
そのまま、鶏のように細い首を絞めてしまうことは、とても容易い。
だが、シグナルの手は彼女の頭へと滑り、ぐしゃりと一度だけ、マスクの上からしゃれこうべを撫でた。
「何処だって、なぁ。ハハハ、そうか…そうだな。お前は、そういう奴だったなぁ」
青く点滅するライトと共に、ふっと髑髏路の手首を握っていた手から力が抜けた。
そのままシグナルは体を引いて、恐る恐る起き上がった髑髏路に、ゆっくりと囁いた。
「いいぜ。許してやるよ、髑髏路ぃ」
自分を追い、ツキカゲにまで来た彼女が、青い光の中でちらつく。
あの時も今も、自分が似たようなことを言っていたことを、シグナルはまるで覚えていない。
それでも、彼女は構わなかった。
再び彼に許された。それだけで、今の髑髏路は十分だった。