「…っ、うぅ……痛ッ…」 幸い男達はもう既に去っており俺のことには気がつかなかったので、ほっと胸を撫で下ろした。こんなみっともないところを見られるわけにはいかなかったからだ。 倒れ込んだ先にあったのは、さっき男が割ったガラス破片で当然それらはコートやズボンを切り裂いた。 体に突き刺さったわけではないので痛みはあまりなかったが、素手で手をついてしまったので両手から赤い血が流れてきた。血まみれというほどではないが、それなりに量はある。 こんな怪我なんてシズちゃんとの喧嘩ではよくあることだったので、そこまで動揺はしなかった。けれども最悪なのは、とりあえず起き上がろうとして右足首が酷く痛んだことだった。 転倒の際にどうやら捻ってしまったらしい。さすがにこれには口元が緩んでしまった。 最悪どころの話ではなくて、笑いがこみあげてきた。 「こんな無様な恰好見せれるわけがないだろ」 微笑みを浮かべながら痛む足と手を無視して立ちあがった。そこで改めて周りを見回すと、そこにはもう誰も居なかった。 さっきの男達に怖くて逃げだしたのかと思ったが、血にぬるつく手で携帯を取り出して時刻を確認するともう零時を過ぎていた。二人っきりでクリスマスを迎える筈だったのに、結局一人きりだ。 当然のようにここにはもう居られなかったので、足を引きずりながらとりあえず移動をすることにした。本当は朝まで待つつもりだった。 このままシズちゃんが来なくても、それでも待つつもりだった。けれども万が一来てくれた時に、こんな恰好になっているのが恥ずかしくて、それでここから離れることにした。 決して、もう来ないと諦めたわけではない、と自分自身に言い聞かせた。 そうでもしないと、自分が許せなかったからだ。 とりあえず待ち合わせ場所から数百メートル離れたところに広場があり、そこに椅子があったので座った。ここからはもう待ち合わせ場所は見えない。 呆然としながら両手を眺めて、だらだらと血が流れてズボンに染み込んでいくのを見つめ続けた。 手から流れる血が、まるで涙の変わりだと思った。 悔しいとか、悲しいとか、痛いとか、いろんな感情が混ざり合ってそうしてもう考えるのをやめた。すべてがどうでもよくなったのだ。 クリスマスとか、恋人とか、シズちゃんとか、それらもどうでもいいと。 「はあ……なにやってんだろ」 眺めるのにも飽きたので思いっきり背もたれに体を預けて、空を見あげた。するといつのまにか白いものが空から降ってきていて、驚いた。 急に寒くなったなとは感じていたが、どうやらホワイトクリスマスらしい。俺にはもう関係ないが。 その瞬間、鼻の奥が痛み目の奥からあたたかい涙がぶわっと溢れ出してきて、こぼれ落ちていった。泣き声は無くて、ただ目尻から涙を零すだけだ。 後から後から静かに頬を伝い、そうして白い雪の塊も、真っ暗な空も全部歪んで見えなくなったので目を閉じた。 実は昨日の夜から待ち切れなくて一睡もしていなかったので、すぐに睡魔が襲ってきた。 怪我のせいで体力も低下しているし、手が寒いのか痛いのかわからないぐらい麻痺してきたので、何にも遮られることなく眠りに落ちた。 目を覚ませば、目の前にシズちゃんがいたらいいのにと願いながら意識を手放した。 「ん……っ」 突然唇にあたたかい感触が伝わってきて、あまりの違和感にゆっくりと目を覚ました。吐息を漏らしながら薄目を 開けると、顔が少しだけ離れて行ってそこでようやく誰がいたのかわかった。 でもすぐには信じられなくて、夢だと思ってしまった。おかしいなと首を傾げていると、すぐさま心配そうな表情のまま優しげな声が掛けられた。 「大丈夫か臨也。手は痛くねえか?」 「えっ?あれ、えっと…?」 「俺の家まで連れ帰って来たんだよ。血だらけで倒れてたから、すぐ新羅に診せに行ってそれから…」 そんな説明よりも、シズちゃんが目の前に居ること自体が信じられなくて、何度も瞬きしながら見つめた。確か待ち合わせ場所には居なかったはずなのに、どうして見つけられたのだろうか。 しかも抱き合っていた女の人はどうしたのだろうかと、呆然としながら考えていた。 「おい聞いてんのか?大丈夫か?」 「あぁ、うん…ちょっと混乱しちゃっててごめん」 「ごめん……じゃねえよ」 おもわず口から出た俺の言葉に、突然不機嫌を現しながら睨みつけるようにじっと眺めてきた。何かやばいことをしてしまったのだろうかと怖くなって、体が硬くなってしまう。 怒鳴られたりするのだろうかと身構えていたのだが、しかし予想とは違うものだった。 「びっくりさせるんじゃねえよ!待ち合わせ場所に行ったら血が滴ってて手前はいねえし、すぐ見つけたからよかったもののあんなところで寝ちまって…」 けれどもそこで言葉は不自然に途切れた。どうしたのだろうと見あげると、バツが悪そうな表情をしながらボソボソとしゃべり始めた。 「まぁ元はといやあ、俺が待ち合わせ時間に行けなくて遅れたから全部悪いんだけどな。先に謝るのはこっちの方だ、すまなかった」 「忘れてなかったんだ?」 「当たり前じゃねえか!もしかしてそっちを疑ってたのかよ!!」 謝られたことより、俺とのクリスマスの約束を覚えていて悪いと思っていてくれていたことに驚いた。てっきりもう忘れられてるのかと諦めていたからだ。 じゃあどうして遅れるという電話すらもしてこなかったのかと問い詰めようとし、開きかけた口を閉じた。ドタチンの言葉が頭に浮かんだのだ。 実は女の人と抱き合っていて、なんて言われてしまった日には泣いてしまいそうな自信だけはあった。だから何も聞かない方がいいと考えたのだ。それなのに。 「言い訳はしねえ。いくら仕事とはいえ、こんなにも遅くなってしまって、電話も一本も入れられなかった俺が悪いんだ。許してくれないか、臨也」 「許すもなにも、別に俺は怒ってなんかないよ」 「はあ、何だと?」 「来てくれただけでも充分だよ。しかも新羅の所まで連れて行って怪我の手当までしてくれて、ありがとう」 ここまではっきり謝られているのに、怒れるはずがない。確かに待っている間は苛立ちはしていたが、今は全くそんな感情は残ってはいなかった。 せっかく二人きりでいるのに怒ったりして喧嘩をしたくない、というのが本音だった。それに随分と派手な怪我をしていたので、それを手当てしてくれたことには感謝をしたかったのだ。 にっこりと笑いながらそう告げたのだが、次の瞬間いきなり背中に手を回されてそのまま抱きつかれて、何事かと驚いた。 「ちょ、っと!シズちゃん…?」 「なんで怒らねえんだよ!俺はもっと覚悟してたのに、ここは怒るのが普通だろ!それともやっぱりもう怒る価値もない奴だって思ったのか?確かにこんだけ酷い仕打ちをすりゃ、思われてもしょうがねえ」 「はあ?それ誤解だって。こっちこそ待ち合わせの場所で待てなくて…」 必死に何かを訴えようと背中を掴む手に力が込められて、シズちゃんの本気を知った。けれど怒って欲しいだなんてあまりにおかしい言い分で、眉を潜めた。 どうやら聞いていると、とんでもない勘違いをしていたようだったのではっきりと言った。 「あのさ、俺は嫌いになんてならない。シズちゃんに何が起きようとも、絶対に嫌いになるなんてことはない、ずっと好きなんだ。許すとか怒るとか、そういう次元の話じゃないんだ、俺にとっては」 「あぁくそっ、なんだよ!なんでそんなに心広えんだよ!こっちは手前に男が近づいただけでも嫉妬するってのに」 「え?嫉妬なんてしてたの?」 驚嘆の声をあげながら尋ねると、少しだけ言葉に詰まりながらそれでもこくこくと頷いて暴露してくれた。なんだかそのことに胸が熱くなるのを感じていると、今度は向こうが尋ねてきた。 text top |