「なに?恋愛相談?」 「ああ」 次の日約束通りに事務所で仕事を終わらせ帰ろうとしていると、シズちゃんも外から戻って来た。チラリとこっちを見た後に、簡単にデスクを片づけてすぐさま、行くぞと言われた。 どうやら覚えてくれていたらしいことに驚き、上機嫌に店を選んだ。どこがいい、と尋ねたがたまには俺が連れて行ってやると駅とは反対方向に歩き始めた。 俺は知っていた。シズちゃんの自宅から、連れて来られた居酒屋が近いことを。 「ちょっと待ってよ。まだ乾杯したばかりなのに、いきなりそれって……」 「知ってるだろうが。俺が他の奴に相談できねえことぐらい」 「まあ、そうだけど」 昨日は女の子から告白されていたが、それは部署が違う社員だったからだ。普段仕事をしている事務所内の女性からは、遠巻きに見られているだけだった。誰一人としてまともに声を掛けない。 それは男からも同様だった。原因はシズちゃん自身の素っ気なさと、見た目からしておかしいことも関係しているだろう。 きっと昔に何か騒ぎを起こしてしまい、会社に迷惑を掛けたことがあるのだろう。まるでそこにシズちゃんが存在していないみたいに、誰も気遣っていなかった。 異様ではあったが、力のこととかすべての事情を知っている俺にはどうってことはない。可哀そうだなあ、と哀れに思うぐらいだ。 「頼む、手前にしか相談できねえんだ」 「嫌だなあ。折角の週末だしもっと楽しく飲みたいんだけど」 あからさまに嫌悪を表情に現したが、全く聞いてはくれない。仕方がないのでため息をついて尋ねる。 「なにを聞きたいの?」 「実は俺、好きな奴がいてよお。そいつに……その」 「どうやって告白したらいいって?まあありがちな相談だよね」 ある程度想定はしていたが、あまりにそのままで呆れてしまう。多分告白された女子社員のことではないだろう、というのはすぐに察することができた。 だって朝一番にもう一度会って、きっぱりとお断りしたらしいとその子が所属している部署の女性社員が騒いでいたから。そういうことかと少し納得する。 「ねえそれぐらいわからないの?」 「わかんねえから聞いてんだろうが」 ビールをぐいっと煽り、中身を半分ほど飲み干す。どうやら相当困っているのだろう。 その時俺は、どうしてか苛々していた。シズちゃんに好きな相手がいようがどうでもいい筈なのに、なぜか胸の辺りがもやもやするのだ。 多分今まで女の子とまともにつきあった経験が無いのだろう。だから相談しているのだ。信頼している、同い年の会社仲間に。 「好きだ、って言うだけじゃないか」 「そんな簡単だったら相談してねえ」 「言えない事情があるってこと?」 「相手は男なんだよ」 「え?」 聞き間違いかと重い目を瞬かせてシズちゃんをじっと見つめるが、黙り込んだままだ。 「……男だって?!」 「声がでけえだろ。いくら個室でも聞こえんだろうが」 「ああ、うん……ごめん」 もやもやしていた気持ちが、一気に離散してなぜか心臓がバクバク鳴り響いていた。動悸が激しくなるぐらいびっくりしたのは久しぶりだ。 情報屋という職業柄、大抵のアングラなことは慣れている。だけどこういう話ははじめて聞いたのだ。 「男が好き、なんだ?」 「勘違いすんな。俺が気になってるのは、そいつだけだ」 「そ、そうなんだ。へえ、男が」 はっきりとその相手が好きで、男好きなわけじゃないと言われて安堵する。だってシズちゃんが女の子よりも男に興味があり、そういう目で俺も見られていたらとドキドキしたのだ。 気持ち悪いとは思わなくて、なぜか酷く驚いた。同時に他の男のことを変な目で見ていなくても良かったとも思う。 「さすがに男から告白されたら、引くよな」 「そうだねえ。びっくりするんじゃないかな」 「気持ち悪い、って言われたらショックで立ち直れねえな」 やはり好きな相手から否定的な言葉を告げられたら、傷つくだろう。特にシズちゃんは、女性ともまともにつきあっているようには見えない。恋愛ごとには疎いだろうし、誤解させることもありえそうだ。 説明ベタだから、相手によっては言い訳すらもできないかもしれない。落ちこむ姿が容易に想像できた。 「まあ一応相手の男はどんな奴か教えてよ。なんとか作戦立てれば……」 「教える?いや、そりゃあダメだ。手前にだけは教えられねえ」 「え」 とりあえず相談をもちかけられているのだから、できるだけのアドバイスはしようと気を取り直し、相手の特徴を尋ねた。だがきっぱりと断られてしまう。 しかも俺にだけは教えられない、と言っているのでびっくりした。一瞬だけ、俺が何者か知っているのかと思ったのだが。 「もしかして俺の知ってる人?」 「……ああ」 「言うのが嫌なのに、どうして俺なんかに相談してるんだよ。バカなの?」 「バカとか言うんじゃねえ!!」 わざとらしくバカにすると、個室内にシズちゃんの怒鳴り声が響いた。バカにバカと言ってなにが悪いのだろうか。 「そんなのどうやってアドバイスすればいいかわからないよ」 「名前ぐらい言わなくてもなんとかできるだろ。なあもし手前だったらどうする?」 「はあ、もうしょうがないな。そうだね、俺ならあらかじめ相手が逃げられないようにして、罠に嵌めて脅すね。つきあわなければ、家族が酷い目に遭うとか」 「なんだそりゃあ。考える気ねえだろ」 「これも一つの告白方法じゃない?しかも絶対に断られないだろ?」 俺が知っているのなら、尚更教えてくれれば細かくアドバイスもできるだろうにどうやらその気はないらしい。その態度が少し気に入らなくて、一番最低な告白方法を提案した。当然呆れられてしまう。 シズちゃんが嫌っている、卑劣な方法を薦めるのはわざとだ。なにより、恋愛に関してほぼ経験のない相手が異性を好きだなんてどうしようもない。成功するわけがない。 失敗してしまえばいいのに、と少しだけ嫌な感情が浮かぶ。真意は、気づいていなかった。 「ねえ男が好きってさ、セックスとかしたいとか思ってるの」 「あ?」 「強引に押し倒して、好きだって言っちゃえば?シズちゃんなら、男らしくてかっこいいかもね」 「それはかっこいい、のか?」 * * * 「大丈夫、じゃねえな。おい着いたぞ奈倉」 「う〜ん、気持ち悪い。水、欲しい」 「ったくしょうがねえ奴だな」 俺からお願いする前に、シズちゃんが家近いから寄って行けと言ってくれたので素直に頷いた。高層マンションの最上階だなんて、過去に彼が警察に厄介になったことがあるにしては随分と羽振りがいい。 今の仕事が相当合っているか、必要とされているということなのだろう。何をしているのか、好奇心が疼く。しかし十日以上時間を費やして社内の人間も使ったが、全くわからなかった。 玄関から歩いてすぐのリビングに通され、大きなソファの上に降ろされた。気持ち悪いと呟きながら室内を見回すと、ほとんど家具は無く生活感が無いように見える。不思議に思っていると、シズちゃんは水の入ったグラスを持って戻って来た。 すぐさま上半身を優しく抱き起こされて手渡されたので飲む。酒のせいで喉が渇いていたのは本当だったので、一気に冷え切った中身を飲み干した。 「落ち着いたか?」 「少しは……でも今日はまともに歩けそうにないな。ねえ泊まって行ってもいい?」 「いいぞ。じゃあなんか着るもん貸してやるから待ってろ」 「別にこのままでいいよ。はぁ、熱かったんだよね」 大袈裟にため息をつきながらスーツの上着を脱いで床に放り、次はベルトも外して邪魔なズボンをあっさりと剥ぎ取って下着と白いシャツだけになる。そこで急に、鋭く低い声が聞こえてきた。 「おいなにやってんだ!!」 「男同士だから別にいいだろ?皺の寄ったスーツを着て帰るのも嫌だし、これぐらい大目に見てよ。じゃあおやすみ、シズちゃん」 「って、待て勝手にこんなところで寝るな!」 相当酒は回っているので、早くすべてを忘れて眠ってしまいたくて目を閉じた。だが次の瞬間大きく体が揺らいで、腰と背中を掴まれる。 「うわっ!?なに……!」 「面倒かけさせやがって」 ブツブツと文句を言いながら、シズちゃんは胸の前で俺を抱いてリビングを出るとすぐ横の寝室の扉を開けた。そして予想以上に大きなベッドの上に寝かせられる。 やけにスプリングが効いていて、体が深く沈み込む。クローゼットとベッドだけの室内に入った瞬間、新築の部屋のような独特の匂いがした。最近ここに引っ越して来たのだろうか。 「なんかすっごい気持ちいいね。あー枕からシズちゃんの匂いがするよ」 「俺の匂いってなんだよ!臭いって言いたいのか」 「違うよ。いい匂いだよ。あっそうだ、ねえネクタイ外してくれない?なんかうまく手に力が入らなくてさ」 「酔っぱらいすぎだろ。俺につきあわなくてもよかったのによお」 「あははっ、シズちゃん凄い勢いで呑んでたよね!本当に強いんだ。なんか悔しくて、俺もついつい乗っかっちゃったよ」 お願いするとすぐさま言う通りにネクタイを外してくれたので、首元が緩くなる。そして気を遣ってくれたのか、シャツのボタンも外してくれた。意外に面倒見がいいんだな、と思いシズちゃんの方を見た。 そこで急に、違和感を覚えた。さっき二人で呑んでいる時に見せた、どこか怪しい雰囲気の漂う表情をしていたからだ。 「あちいから、俺も脱ぐな」 「……うん?」 シズちゃん自身はとっくの昔に熱いと言い、スーツの上着は脱いでリビングに置いていた。だから何を脱ぐのだろうと見つめていたら、俺と同じようにズボンを脱ぎ捨てる。そして上のシャツのボタンもすべて外し、乱雑に前を肌蹴させた。 瞬間胸がドキン、と跳ねた。あれっ、と声が出てしまいそうなのをかろうじて留める。胸騒ぎがした。 「シズちゃん?」 「なあ俺は言ったよな。男が好きだって。そんな奴の家に、よく平気で入ったよな。呆れるぜ」 「男が好き?ああ、そんな話してたよね。すっかり忘れてたよ。でもあんなに情熱的に好きな相手のことを言われて、ちょっと妬いちゃうぐらいに本気だなって……」 ベッドがギシリと軋む音がして、シズちゃんもベッドの上に乗ったのがわかる。そのまま寝転がっている俺の上に覆いかぶさるように、近づいて来た。近すぎる。 男が好きという話は確かに聞いていたが、他の男は興味ない。想っている相手だけだと熱心に語られたので、信じきっていた。 俺も同姓だけど、まさか手を出すわけがないと思い込んでいた。 「まだ気づいてねえのか?」 「いや、えっと……」 「っつうか、自分から脱いで誘ったのは手前の方だよな?」 「ははっ、なんのこと?」 ここまではっきりと言われて、気づかないほど愚かではない。やられた、と頭を鈍器で殴られたような衝撃は受けたけれど。 いやまさかシズちゃんが、とまだ心のどこかで思っていた。油断した、どころの話ではない。ここ数日間親密に接していて、彼の嘘のつけない純粋な性格をわかりきっていたつもりだったのだ。 「わざとはぐらしてるのか?それとも本当はすげえ鈍いのか?」 「鈍いつもりはないんだけど……酔っぱらってるからかなあ。ちょっとよくわからないなあ」 何の話をしているのか、俺には見当もつかなかった。微かに苦笑してみせたが、真剣な表情でぴくりとも動かない。 酔った振りをしてやんわりと尋ねると、ようやく核心を口にした。今まで生きてきた人生で、一番衝撃を受ける。 「俺が好きなのは、手前だ」 「……なッ!?」 「本当に気づいてなかったみてえだな」 「えっ、え、ええっ!?ちょ、ちょっと待ってよ……どうして、俺を」 一瞬でパニックになる。こんな押し倒されているような状況で言われたら、なんとなくそんな気はしたけれど信じられない。 今日二人っきりで呑み始めてから聞いた様々なことが頭をよぎるが、うまくまとまらない。酔っているせいだ。 「好きなんだよ」 「お……驚いたなあ、ははっ」 「冗談じゃねえ」 「うん、わかってる。君の言ってることちゃんと理解してるんだけど」 好きなんだと告白されて、真っ先に気づいたことがあった。まいったな、とため息をついた後に困惑した表情のまま告げる。 「あのさあ、俺もシズちゃんのこと好きみたい」 「え?」 今度は向こうが目を丸くする番だった。それもそうだ。本人だってびっくりしている。 好意を示されてから自分の気持ちが発覚するなんて、鈍感にもほどがあった。だけど真実だ。 「君に好きだって言われて、ようやく気づいた。好きだった……みたい、なんだけど、えっと」 「どういうことだッ!?」 「落ち着いてよ。なんかこう、ずっともやもやしていたんだ。今日話を聞いててシズちゃんが羨ましいとか、手に入れたいとか、これからも傍に居たいなとか……」 なにもかも思い返すと、すべて一つに繋がる。今の会社からシズちゃんを引き抜いて自分のところいおいておきたいとか、普通の会話が心地いいとか。もっと前からそうだったに違いない。 俺が本気ですれば一日で終わるような仕事を、ダラダラと数日続けていたのが証拠だ。きちんと関係を築いて、彼の懐に入る為だけに動いていた。 「待てよ、好きな奴がいるんじゃなかったのか?」 「あれは嘘だ」 「嘘だと?」 「だってシズちゃんが、好きな相手がいるって語り始めたから悔しくなってさ。俺もそうだ、って言ったらもっと心を許すかなと思って」 あまりに混乱しすぎて、言わなくていいこともしゃべってしまう。心を許して秘密を暴くのが仕事だからそうしていたのに、実は自分が好きでもっと近づきたいと思って動いたなんて。 少しだけ不機嫌そうに顔を歪めて、ぶっきらぼうに言った。まるで確認するように。 「本当なのか?」 「まだ自分でもびっくりしてるけど、好きだよ。今頃気づくなんて鈍感すぎて……恥ずかしい」 慌てて下を向いて俯く。耳まで熱くなっていて、酒のせいだけではなかった。 好きだった。好かれていた。嬉しい。という純粋な気持ちだけが胸を占める。まさか自分がこんなにも恋愛に関して鈍かったなんて意外な発見だ。 情報屋として動いている時より、ゆったりとした時間を過ごすことが多かったのでそのせいかもしれない。きちんと仕事はしていたが、それなりに今の生活を楽しんでいた。 しかしすぐさま気になったことがあったので、尋ねるかどうか迷う。結局は口を開いて。 「あのさあ……シズちゃんは、したいの?」 「あっ……ああ、そうだ。っつうか、煽ったの手前だし無理矢理にでもしてやるって思ってた」 「そっか。うん、無理矢理はやめてくれると嬉しいな。普通にしたい」 言いながらシズちゃんの肩に手を置いて、首の後ろに回す。好きだと気づいてすぐさまこんなことを、と思う気持ちがあるが自分が認めなかっただけだ。 ここ数日ずっと彼のことを考えていて、手に入れたいと思った。そこまで誰かに執着したのははじめで、本来なら絶対に気は合わないのに、こっちを見て欲しいと懸命に近づいた。 充分だった。セックスをする理由としては。 なによりこれからのことを考えると気が重いので、体だけでも繋がっておきたいと考えるのは自然だ。 俺はシズちゃんに嘘をついている。本名も、職業も、隠していることだらけだ。きっと知られたら驚かれるし、不信感も持たれるだろう。すべてを明かすなら慎重にしなければいけない。 だけどもしここで体だけの関係を築いていれば、マイナスの値は減るはずだ。人とふれあい、ぬくもりを感じて安心するのが人間だと知っている。 これまで情報屋の仕事をしていて、変な連中に狙われかけたり、襲われそうになった。言う通りにしてやるから、と取引の材料にされたこともある。しかし俺はそんな奴らは力で追い返すことができたし、体なんか使わなくても仕事ぐらいできた。 でも彼は、シズちゃんだけはどうしても欲しい。好かれているのなら尚のこと、欲しくてたまらない。こういう時の決断だけは早かった。 「そう言うと思ってた」 「んっ……う」 直後に唇を塞がれて、全身がビクンと跳ねた。覚悟はしていたが、いざ始まると緊張する。大体いつもは何かをする前には入念に調べ、どう動くか考えた上で何個も逃げみつを用意して逃れてきた。 突発的に行動するなら無理はせず、すぐさま自分のペースに持ち込むのが信条だ。でも今日ばかりは、シズちゃんに任せたい。 俺はなにもわからないし、同姓とするのははじめてだから。キスでさえも。 「はぁ、っ……シズちゃん酒臭い」 「そりゃあ手前もだろうが。ちょっと待ってろ、ローション取ってくるから」 「ローションって、まさか、準備してるの?あれ、もしかして俺……」 「ああ、はじめっから酔わせて連れ込む気で誘ったんだぜ」 「まいったな。騙されたなんて思わなかったよ」 すぐに体が離れて、シズちゃんがクローゼットを開き中をゴソゴソ探し始める。暫くしてボトルを手にして戻ってきたので、数回目を瞬かせた。 あまりにも用意周到だったので尋ねたら、最初からその気だったらしい。油断していたにしても、ここまで鮮やかに騙されたのは久しぶりでぐうの音も出ない。情報屋も腑抜けたもんだな、と自嘲気味に笑った。 本気で好意を抱いているのだから、仕方がないのだが。 「脱がしてやろうか?」 「そんなこといいから、っ……そっちも脱げば?」 わざと脱がしてやるかと尋ねられたので、キツく睨みつけて潔く下着を脱ぎ捨てる。すると向こうも脱いで、ボトルからローションを垂らし左手であたためた。 どうしたらいいかわからなかったが、さすがに自分で足を開いて目の前で眺めるのだけは嫌だったので、うつぶせの体勢でシズちゃんに背中を向けた。見えないのは恐怖だが、恥ずかしい行為なのだから仕方ないと思っていて。 「どっち向いてんだ」 「うわっ!?なんで、っ……やだ、どうして!」 「するんじゃねえのか?」 「……っ!?」 結局あっさりと腰を掴まれて体勢を戻されて、シズちゃんの体が俺の足の間に割り入ってきた。慌てて暴れたが、酔っているので大した抵抗ではない。 嫌だ、と言い続けるつもりだったのだがそこで真剣に問われる。する気はあるのかと。そんなことを言われたら、逆らえなかった。 「っ、あ!冷たっ……ぬるぬる、する」 「当たり前だろローションだからな。いいかそのまま足開いてろよ」 「えっ、あ、ちょっと……なにこれ、ドロドロで」 「そうか、これってこのまま先っぽ入れたらいいのか?」 * * * 頭がガンガンして、不快な何かを感じて目を覚ましたがそのまま固まってしまう。一瞬で覚醒したが、暫く声をだすことができなかった。 目の前の光景は、悪夢ではないかと唇が震えてしまう。呆然としていると、携帯を持っていた相手と目が合った。 「いいタイミングで起きたな」 「……っ!?」 しゃべりながら画面を覗きこんで、シャッターを押す音が室内に響き渡った。すぐさまアングルを変えて、真上や横から何枚も写真を撮り続ける。俺はそれを見ていることしかできない。 動こうにも、体がぴくりとも反応しないのだ。泥酔しているのとは違う。まるでいかがわしい薬を使われているみたいだ。 虚ろな状態の俺には目もくれず、さっきまで繋がっていた箇所をアップで撮影する為にレンズを近づけた。そして撮られた画像には、多分呆けた顔もはっきり映っているだろう。 「これは……なに?どうし、て……俺の名前」 意識を失う直前に呼びかけられたことをようやく思い出して、真っ先に指摘する。自分の身に起こっている惨状よりも、気になったからだ。 しかし全く違うことを答えられる。笑いながら。 「これ全部俺が出したんじゃないぜ。白いローションってのがあってよお、それをぶちまけたんだ。まるで手前が複数に強姦されたみたいに見えるだろ?」 「騙されてたんだね、ははっ、そうか」 シズちゃんの言う通り、身に着けていたシャツは乱暴に引き裂かれ、肌の上は精液かローションかわからないぐらい白く汚れきっている。足は左右に大きく投げ出されていて、きっと携帯の中の画像はいいアングルで取られているのだろう。 このまま目を覚まさない方がよかった、と心底思った。騙されていたなんて、気づきたくなかったから。 「手前の名前は折原臨也。新宿の情報屋なんだろ?」 「よく調べたね」 「騙してたのは、手前の方じゃねえか。なあ、そうだろッ!!」 そこで急に怒鳴られて、肩が微かに震えた。シズちゃんの言うことに、間違いはない。始めから騙していたのは俺の方だ。 依頼人に頼まれて、会社に潜入して情報を集めていた。あと少しで終わるところだったのに、最後の最後で失敗したらしい。こんなのはじめてだ。 「ここまで酷い仕打ちを受けたのは、はじめてだよ。シズちゃん」 「裏切られたのは、こっちが先だ!」 正直に感想を伝えて、賞賛したというのに向こうは表情を歪めた。憎しみのこもった瞳で俺を睨みつけている。 多分ここでいくら言っても、何も信じて貰えないのだろうなと笑う。一番最悪な形で、言い訳できないぐらいとっくの昔に知られていたなんて。俺はバカだと思った。 彼を、平和島静雄を欲しいと望んだ。好きだと告白され、好きだと気づいて嬉しいと本気で感じたのに。 一瞬ですべてを失った。むしろ手に入れる前から、踊らされていただけだったのだ。何をしていたんだろう、というショックが大きすぎる。 「俺は本気で、手前のことが好きだった。今だって、好きだ」 「……え?」 「本当はここまでするか迷ってた。でも思った通りに、告白したら手前は俺を受け入れた。だから傷つけてやろうと思ったんだよ」 驚愕の表情で見つめていると、シズちゃんは視線を逸らした。まだ迷っているかのように、苦しそうに唇を噛んでいる。 確かにまだ、好きだと言っていた。だから悩み、迷ったんだと告げられて胸が締め付けられる。しかし何かを誤解しているような気がした。 「ねえ、俺の話を聞いて……」 「好きだって言ったのは、俺にいい顔して情報を手に入れる為だったんだろ?そうやって、他の奴らからも全部聞き出したんだろ?」 はっきりと否定することは、できなかった。言いたいのに、声が出ることはない。完全なる勘違いなのだが、言い訳をしても信じて貰えるとは思えなかった。 日頃の行いが悪い、とはこのことだ。俺にしてみれば依頼をこなしているだけなのだが、一般人から見れば卑劣な行為に他ならない。平気な顔をして騙し、人を操ったり自分が動いて情報だけを奪っていくのだから。 本心からシズちゃんに好きだと言い、性行為をしようと思ったのに、彼からしてみれば体を使ってまで探りたかったのかと呆れているのだろう。 違うんだ、と主張しても信じて貰えるような関係を築いてはいない。これから作ろうとしていたところだったから。 「いつ気づいたの?」 「手前と顔を合わせた次の日には、知ってた」 「なんだって?」 あまりにも早すぎる、と驚いてしまう。どんな情報網を使って折原臨也だとつきとめたのだろうか。 「俺の友人が、手前のことを見たことがあるって教えてくれたんだ。まあそいつも真っ当な仕事はしてないからな」 「そうか……運が悪かったんだね」 「おかげで全部見てたぜ。会社の奴らに近づいて、いろいろ探ってるところをな」 これではもう言い訳どころか、まともな話すらも通じないだろうなと悟った。はじめからすべてを知られていたのなら、俺の何気ない行動も全部疑っていたのだろう。 一つ一つを説明されれば、逃れようがない。突発的に好きだと俺が告げたことすらも、嘘だと責められるだろう。 シズちゃんからの信頼は、一生得ることができない。憎しみや怒りという感情でしか見られないだろう。残念だった。 今回は失敗しただけだから、とそこで割り切れれば良かったのかもしれないが、まだ動揺は抜けない。俺にとっては、はじめて本気で自分のものにしたいと思った相手だったからだろう。 楽しかった。依頼された仕事だったけれど、腑抜けて罠に嵌るぐらい嬉しかったし、途中までは幸せな気分でいられた。 これからどうやって彼に近づいて、信じさせて二人で過ごすか一瞬でも未来を思い描いたのだ。それを跡形も無く打ち砕かれて、冷静に対処できるわけがない。 もしもっと早くシズちゃんが疑っているのを知っていれば、いくらでも回避できた。しかし好きだという想いを知ったのが遅すぎて、それが理由で敗北したようなものだ。立ち直る術なんて、思いつかない。 頭痛も酷いし、さっきから息も荒い。思考が働かなくて、何も考えられなかった。 これまで順調になにもかもをこなしていただけに、はじめて大きな失敗をして、どうやったら元に戻れるかなんて浮かぶわけがない。他人に負けたという屈辱もあるが、心を許しかけた相手に裏切られたという驚きは大きかった。 「ショックか?でも俺はもっと苦しかった。そのうち話してくれるんじゃねえかって、信じてたのに」 「シズちゃん?」 「いや、俺が話して貰いたかっただけかもしれねえ。嘘をついてる、ってバラされるのを待っていただけだ。今日だって、誘いに乗ってこなけりゃ……セックスさえ、しなければ」 top |