RESET11 | ナノ

「またこんな形で来るとはね…」

次の日俺はシズちゃんの家にやって来た。それは前に忘れていった携帯とコートを取りに来る為だ。一月二十八日で誕生日当日だったけれど、今晩はここに誰も帰ってくることはない。
思い出すのは前にシズちゃんが居なくなってこの世界に来る直前に訪れたことだ。あの時は絶望した気持ちでいたけれど、今も似たようなものだろう。
せっかく俺も追いかけてやって来たというのに、また一人きりの場所に戻りたいと思っているのだから。二人で過ごした時間が長いので辛さは大きく感じてしまう。

「俺がいなくなったら、どんな顔するのかな。少しは心配してくれたり…」

呟いてみたけれど虚しいだけだった。きっと優しいから心配したり俺の事を探してくれるかもしれない。だけど一番ではない。
しかもただの友達としてだから、望んだものとは異なっている。強引にキスされて襲われそうになって悲しい気持ちになるぐらいなら、そんな関係いらなかった。

「どうしようかな」

ポケットから取り出したのは簡単に包装された箱だ。中身はライターでシズちゃんへの誕生日プレゼントとしてここに来る前に用意した。でも置いていくかどうか迷っている。
こんなもの残していても未練がましいだけだが、二人で楽しく過ごしたことに感謝していないわけではない。確かに嬉しいと感じることだってたくさんあった。

「まあいいか」

結局ポケットの中に戻してしまう。きっと彼女に見られたら誰からの贈り物だと指摘されるかもしれない。不用意なことはしない方がいいだろうと。
プレゼントなんて柄じゃないし、自分を変えようと努力してきたけどやっぱり違うと思う。無理をしていたことだけは間違いない。

「じゃあね、シズちゃん」

コートと携帯を抱えると部屋の中を一度見まわして、それから外に出る。きちんと鍵を閉めてこれで本当に終わりだ、とため息をついた。
しかし感慨深く考えている暇は無かった。次の瞬間鋭い殺気を階段の下から感じたのだ。ハッとして眺めるとそこには知らない男が立っていた。

「お前が平和島静雄だな?」
「えっ…?」

すぐには何を言われているのかわからなくて首を傾げたが、すぐにコートのポケットを探る。しかし本調子を取り戻していなかった俺はあろうことかナイフを忘れていたのだ。
慌てて手に持っている方のコートを探ろうとしたが、それよりも先に相手がナイフを取り出して構えた。

「答えろよ、平和島」
「そうだよ…俺が平和島静雄だ」

なるべく刺激しないように淡々と言葉を吐いて、近くの手すりを勢いよく飛び越える。そのまま一階まで飛び降りて逃げようと思ったのだ。しかし着地点には予想外にも何台か自転車が止めてあり、勢いよく足から突っ込んでしまう。

「…っ、痛」

体の至る所を打ちつけて痛みが走るがそんなことには構っていられない。こんなことならナイフなんて恐れずに真正面から飛び越した方がよかったと思いながら立ちあがり顔を顰める。
どうやら変に足首を捻って捻挫してしまったらしい。ついていないと舌打ちをしながら平気な顔をして歩き出す。激痛が走るが構ってなんていられないし、こんなのは慣れている。

「待ちやがれ!ぶっ殺してやる!!」
「あははっ、そう…じゃあ捕まえてみれば?」

こんな奴に捕まる気なんてないし、これぐらいの相手躱せると信じていた。足早にアパートの前を通り過ぎてすぐ横の細い路地に入ろうとする。しかしその男の何が癇に障ったのか知らないが、いきなり全速力で追いかけてきたのだ。
一般人でもいざという時に自分の器以上に力を発揮して切れることぐらいよく知っている。背後を窺いながら勢いよく角を曲がって痛む足を前へと進ませる。

「死ねッ!平和島!!」

怒鳴り声が聞こえた瞬間も、俺はそんなつもりなんて全くなかった。だけどここで男から完全に逃げ切ったら次に狙われるのはシズちゃんだろうか、と勝手に頭で考えてしまって次の行動に移すのが遅れてしまう。
その僅かな隙を相手が見逃す筈もなく、勢いのままに突進するように近づいてきてヤバイと察する。避けようと思えばできたし、痛みを伴うけど反撃だって可能だった。
でも体は思ったように動かなかった。心の中に暗い感情が浮かんで、今までのことが走馬灯に駆け巡って最後には。
なにもかも面倒だな、と思ってしまったのだ。

「…っ!?」
「ははっ…やった、やったぞ!」

すぐ傍で男の喜ぶ声が聞こえて左わき腹に激痛が走る。慌てて手で遮ろうとしたが、相手はナイフを引き抜いて狂気じみた表情で笑っていた。そしてあろうことか、もう一度勢いよく大袈裟に突き刺したのだ。
逆らう間もなく少しずれた箇所を貫かれて、ぶわっと汗が噴き出す。痛みに全身の力が抜けて前のめりに倒れそうになったが、そんな俺を支えてまたナイフを抜き刺し、という同じ動作を何度か繰り返した。

「ぐっ、あ!あ…っ、う…!!」

声は出さないようにと堪えていたのに、みっともなく漏れてしまって悔しくなる。お腹の辺りに熱い痛みが広がっていたが目の前が痛みの涙で歪んで見えなくなった。
そして勢いよく背中を傍の壁に叩きつけらるように刺された後に、男はゆっくりとナイフを引き抜いたのでそのままずるずると座りこむ。すぐさま男は凶器を自分の持っていた袋に隠して叫んだ。

「あんた体すげえ強いんだろ?でもこれだけ刺されればもう大丈夫だよな!あばよ」
「…ぅ、く」

なるほどそういうことかと理解した時にはそいつの足は遠ざかっていた。シズちゃんと間違われたせいで、執拗に何度も刺されたらしい。一般人に見えたのに手袋をして目立たないような黒い服装をしていたことから、実は装っていただけなのかもしれないと思った。
普通は人を刺して、その後も同じように繰り返す度胸はないのだから。相手を見くびりすぎていた、と後悔したがすぐに違うなと頭を振る。
避けれるのに避けなかったのは、俺自身の判断だ。
諦めたのだ。生きることを。
一度刺されるぐらいならまあいいか、とよくわからないことを考えたのが原因で。だから全部自業自得だった。

「は…っ、ぅ」

左半身は痛みで動けなかったけど必死に右手でポケットを探り携帯を取り出す。アドレス帳からある相手を押そうとしたが、すぐにメール画面に切り替える。そして震える手で文字を打ち始めた。
助けを呼んでも無理だろうことはわかっていたし、動くうちに残しておかなければいけない大事なことがあったから。きっと気づいてくれるだろうと俺は信じていた。
画面が霞んでよく見えなかったけれど時間をかければ文字を打ちこむのは可能だ。肩で息をしながら懸命に指を動かす。たった数十文字の言葉だったが入力し終わり送信ボタンを押すまでに随分と時間を要した。
送り終わると力が抜けて携帯が地面に転がる。もうその時には目の前が暗くなっていた。

「はぁ、は…」

不思議と死ぬという実感はあまりなかった。怖くないのは多分今の俺には何もないからだと思う。やり残した未練も、会いたい相手も浮かばない。
すごく大事な相手は一人だけいたけれど、絶対に会いたくなんてなかった。惨めだから。
そういえば天使がもう一度人生をやり直すかどうか尋ねに来る、なんて言っていたけれど死にかけているというのに目の前に現れることはなかった。あれは嘘だったのかと笑う。
その時携帯のメールの着信音が聞こえた。出ることはできないので放置するが、さっき送った相手からのものだろう。多分この言葉の意味はどういうことかと尋ねる内容だ。見る必要はなかった。
息苦しさと痛みでぼろぼろと滝のように涙を流していたが、何の感情も沸いていない。名前を叫びながら苦しくて泣いたこともあったのに、まるで遠い昔のように思えた。
いつかはこんな風に危険に晒されることはあるだろうと覚悟していたけれど、多分今日じゃなくても近いうちに似たようなことが起きていたかもしれない。ナイフを持った相手に対峙してシズちゃんのことを考えるぐらい集中していなかったのだから。
もうどうでもいいし目の前から居なくなると決めても、本当に割り切ることなんてできなかったのだ。人間とはそういう弱い生き物で自分もそれにあてはまる。

「っ、はは…」

こんな時にくだらないことを考えるのはやめようと声を出して笑った。でもすぐに激しく咳き込んで喉の奥から掠れた息しか出なくなる。だからゆっくりと瞳を閉じて考えた。
俺が一番幸せだと感じた時の事だ。

『俺はシズちゃんが好きだ!友達なんかじゃなくて、今すぐつきあって欲しい!!』

思い出したのはみっともない告白の瞬間で、でも確かに直前まではその先のことをあれこれ考えて心躍らせていた。だからそこに、起こることのなかった続きを考えて。

『なあよく聞けよ。俺は手前のことが好きだ』

それは始まりの時にシズちゃんから告白された言葉だった。一度も忘れたことはないし、あの時だって同じものが返ってくると信じていたのだ。
本当は違ったけれど、最後なんだから自分の中で嘘の思い出を作りあげても咎められることはないだろう。頭の中でその一言を反芻していると閉じた目の端からこぼれる涙の量が増えたような気がした。
耳元で今度は携帯の電話の方の着信音が響き渡っていたが、徐々に遠くなっていく。思考もうまく働かなくなり必死にシズちゃんの姿だけを考えた。すると痛みが消えるような気がしたから。
だけど最後の最後で俺は一番思い浮かべてはいけない場面を思い出して、体ではなく胸が痛んでしまう。それは、女と会っていた時の後姿だ。俺にとっては本当の最後の姿でもあった。
自然と浮かんだのはどうして好きになってしまったのだろう、という根本的な気持ちだ。好きにならなければ苦しむこともなかった。
シズちゃんに関わってからは俺の人生は劇的に変わっていったけれど、それは本当によかったのだろうかと疑問が沸く。ここまでする必要があったのか、とか余計なことしか考えられなくなる。
結局は綺麗な感情を抱いたまま死ぬなんて俺にはできなかったのだ。人間だから誰かを憎むことはあるし、嫉妬して悔やむ。そして今更になってプレゼントを置いてこなかったことを悲しく思ってしまう。
何かを残せればよかったのに、俺のコートも携帯もプレゼントもここにある。全部届かないんだろうなと自分がやったことなのに寂しく思った。
そこから急速に思考能力が低下して、シズちゃんの姿だけを想像した。優しく笑いかけてくれたのを思い出しながら最後の時を過ごして。
満足しながらこと切れた。

※続きは拍手で連載しています
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