名前を呼ばれたらすべて思い出した。だけど俺の頭の中はぐちゃぐちゃだった。 自分で言っていることも、シズちゃんが俺にしたことも、なにもかもわからない。こんなにも感情を乱すのははじめてだった。 だけど記憶を取り戻したら、言わなければいけないことがあった。そしてそれが未練をすべて断ち切り終わらせることだとわかったから、さっきされたみたいに俺も顔を近づけて。 「臨也」 「…っ、好きだよ俺はシズちゃんのこと、好き…」 ようやく告げる。自分の気持ちを。 言った直後にキスをしてやろう、と思っていた。だけどそこで予想外のことが起きてしまう。 「えっ…んぅ!?」 こっちが動く前にシズちゃんから噛みつくようなキスをされてしまう。しまったと気づいた時には既に遅くて、口内に舌が入れられて慌てて肩を掴んで腕から逃れる。 予想外のことをされたから、じゃない。いきなり体の感触がなくなっていき、全身が薄く透けて見えたからだ。 どうして突然こんなことになったのか。そんなの簡単だ。 もう一度シズちゃんに会って、好きと言う。 死ぬ寸前の未練が叶えられたからだ。とっくにそれ以上のものを貰っていたので、俺は充分に満足していたけれど。 「おい手前!なにし…て…?」 「こっから先はお預けにしておくよ」 苛ついた表情で俺を睨みつけたシズちゃんの顔が、一瞬で変わる。こんなに動揺している姿は見たことが無い、と思うぐらい焦っていた。それも当然だろう。 口ではまた次に会った時の為に、と言ったけれどそんなことはないだろうとわかっている。これは残されたシズちゃんに対する、意地悪だ。 銃で撃たれて間違いなく俺は死んでいる。戻らない。 消えたら体に戻って生き返るなんて、そんな都合のいい事が起きるわけがないのだ。 「どういうことだ?なんでだ…っ」 「俺の未練が叶っちゃったからかな。もう一度シズちゃんに好きって言いたかった…から」 一度は離れたのにシズちゃんはまた俺にしがみつき、詰め寄られた。だから仕方なく、本音を告げる。 これまで長いこと一人きりで片想いをしていたけれど、最後に残った淡い願いを。それはもう叶ったから、いいんだと。 「待てよ、おいまだ話終わってねえだろ…」 「幽霊にまで襲っちゃうなんてびっくりしたけど、楽しかった」 こっちだってまだ伝えきれてないことは多い。だけど無情にも姿は薄れていく。これでいいのかもしれない。 わかっていた。シズちゃんが本気で俺のことなんて好きじゃないことぐらい。 いくら今まで恋心に気づかなかったから、と言われても信じれるわけがないのだ。そんな簡単に頷けるほど、バカじゃない。 もうとっくに心は壊れていた。はじめに嘘をつかれた時から。バカみたいに半年以上も待ち続けて自分を見失うぐらい、俺自身もおかしくなっている。 これ以上一緒に過ごしても、こっちが傷つくだけだ。わかっていたから、嘘をついた。 嘘をつくのが得意でよかったと心から思う。 「だから、なんで消えようとしてんだよ!」 「あれ?俺は生き返るって言ったのはシズちゃんだけど、信じないの?」 本当は何も、誰も、信じていなくて心の中で絶望したまま消えようとしているのを黙っていた。言ったところで、間に合うわけもない。諦めるしかなかった。 目の前のシズちゃんは今にも泣きそうな表情をしていて、目の端に涙を溜めている。そうやって感情を揺さぶって悲しんでくれている姿が見れただけでも、幽霊になった甲斐があったなと思った。 もう少しこんな姿を早く見られたら何かが変わったかもしれないが、遅い。現実は残酷なんだと、俺が居なくなってから後悔するだろう。 そしていつか忘れる。 シズちゃんは俺のことを忘れる。 だから俺も忘れる。 幽霊になった時に記憶がなかったのは、将来の事がわかっていたからかもしれない。 本気で好かれていないのだから、すぐに忘れられる。俺が死んで幽霊になったのを知って好きだと言うなんて、同情以外のなにものでもない。 これはただの、茶番だ。俺にとっては最高の思い出だったけれど、シズちゃんはいつか悔やむ日が来る。そして最低の記憶として、折原臨也を忘れようとするだろう。 そうしてくれると、嬉しい。 「臨也っ…」 「シズちゃん泣いてる」 最後くらいは、と思い笑いながら、瞳から涙をこぼすシズちゃんに指先を伸ばした。 生きているのが感じられる、あたたかい雫だ。それを拭いたかったのに、その前に目の前が真っ白になって意識も何もかも吹き飛んだ。 『臨也が目を覚ましたよ』 そうメールを貰ったので、トムさんに言って仕事を早退して新羅の自宅に向かった。最後に言葉を交わしてから、一週間が過ぎていた。その間随分と悩んだし、不安になったり期待をしたり、色んな感情に独りで振り回されていたのだがそれもようやく終わる。 何もかもぶちまけて、もう一度やり直せると思った。どんなことが起きても、そのつもりだったのだが。 「記憶喪失?」 「そうなんだよ、だから刺激しないで欲しい。それができないなら…って、静雄!?」 玄関先で事情を聞いて、慌てて新羅を押しのけて臨也が眠っている部屋へと向かう。そんなバカなこと、あるわけがないだろうと。 あいつと約束したのだ。二度と俺のことは忘れない、と。ちゃんと戻って来ると。 「臨也ッ!!」 名前を叫びながら扉を開くすると、柔らかい声がした。 「シズちゃん?」 「え…?」 あっさりと俺自身の名前が呼ばれて、驚いてしまうが慌ててベッドの傍に駆け寄った。まだ怪我のせいで動けないみたいだが、血色も良くなっていて安堵する。 記憶喪失なんて嘘だった。もしかして新羅が俺をびっくりさせてやろうよう、と臨也と作戦を立てたのかもしれない。覚えていたじゃないかと喜びながら声を掛ける。 「大丈夫か?」 「良かった、シズちゃん会いたかった」 「お、おう…そうか。俺もだ」 すると弾んだ嬉しそうな声と共に臨也が笑う。前にこいつが幽霊で、消えた時と同じ笑顔だ。 なんだか正直に言われると恥ずかしいな、と照れていると突然衝撃的なことを告げられる。本当にショックだった。 「ごめんね、怪我が治ったらまたデートしようね」 「……あ?」 「ほら、シズちゃんの大好きなイチゴパフェまた食べに連れて行ってよ。楽しみにしてるから」 背筋がぞくりと震えて、嫌な予感がした。臨也の言うことが何一つ理解できない。 『俺はシズちゃんになにかをしてもらうつもりなんてなかった。一人で勝手に君が来るのを想いながら待つのが楽しかったんだ。起こりもしないことを期待しながら死ねて幸せだったのに』 その時浮かんだのは、あいつが前に言っていたことだ。もしかして、と。 ただでさえ動揺していたのに、もっと驚くことをさらっと臨也は告げた。 「あー良かった。俺さあ、実は起きてからシズちゃんのことしか覚えてないみたいなんだよね。まあ自分のことよりも大事だったから、他のことは忘れてもシズちゃんだけは絶対忘れたりしないけどね」 記憶喪失だ、という意味がようやく理解できた。 text top |