あたたかい指先2 | ナノ

「なに勝手に寝てんだよ。幽霊なら寝なくていいだろうが」
「君と話してたら疲れたから寝るんだよ」
「喧嘩売ってんじゃねえ!どけよッ!!」
「ヤニ臭いよね、この枕」

暫くしたらジャージ姿に着替えて風呂からあがってようだった。ベッドで寛いでいたというのにいきなり怒鳴られたので顔を顰める。寝るとか寝ないとかは、本当にどうでもよかったんだけど。
強引に引きずりおろされるかと思ったら、机の前に座り煙草を取り出し吸い始める。天井は変色していたので、相当のヘビースモーカーだろう。でも今まで吸わなかったということは。

「もしかして今俺がヤニ臭いって言ったから煙草吸いたいの思い出したんじゃないの?」
「風呂あがったら一本吸うって決めてんだよ。誰が手前に言われたからって吸うか、バーカ」

不機嫌そうに言いながらベッドの方向にわざと煙を流そうとする。しかし別に煙草の煙が嫌いなわけでもない。なにやってるんだと呆れながらもう一度枕に顔を埋めた。

「寝るな、って言ってんのに話聞けよ」
「嫌だよ。俺を無理矢理連れて来たのはそっちだし、お客様なんだよ?床で寝れば」

ベッドの傍の床を指差すと、突然まだ残っていた煙草を灰皿に押しつけて立ちあがる。そして布団を剥ぎ取ると、遠慮なしに俺の体の上に寝転がってきた。
俺とこの男ではかなりの体格差があるので、こっちが完全に潰されてしまう。だけど今更退く訳にはいかなくて、意地でも踏ん張る。

「重いだろ!やめろって!!」
「俺のベッドなんだ。寝転がって何が悪い!」
「ちょっと!幽霊なのに潰されて死んだら笑い者になるだろ!」
「なればいいだろ。手前が死んだなんて知って笑ってる奴なんて山ほどいるぞ」

流石にその配慮の無さすぎる言葉には、相当苛立った。だからたった今まで意地でも動かないつもりでいたというのに、あっさりとベッドから離れる。
そういえばさっき壁をすり抜けた時は無意識だったけど、やろうと思えば乗っかった体をすり抜けることだってできたんじゃないか、と冷静にため息をつく。この男につきあっていたらこっちがもたない、と立ちあがりそのまま玄関がある方向の壁に足を踏み出そうとして。

「おい、待てよ」
「…なに?」

また右手を掴まれたので何かと思い振り返る。そこでようやく思い出した。

「ああそうか、服借りてたよね。ちゃんと脱いで返すから」
「なんで脱ぐんだよ」
「じゃあこの服借りたままでいいの?返さないよ?」
「クソッ、いちいち面倒な奴だよな。手前」

こっちは借りたシャツを渡してさっさと出て行きたいのに、どうにも空気が読めない。いちいち説明するのが面倒なのはこっちだ、と思っていると、どうしてか舌打ちをされてしまう。そして。
起きあがった男がおもいっきり腰に腕を回して、なぜかベッドの上に戻され寝転がる。一瞬何が起きたのか理解できなくて、みっともなく口を開いたままでいた。

「悪かった。手前は死んでねえよ」
「…謝るところ、そこなの?」

突然のことに驚いたが、どうやらさっきの心無い言葉を謝られたことに気づいて笑ってしまう。もっと言うべきことはあるだろうに、完全に間違っている。
だからさっきのことも、どうでもよくなった。銃に打たれて死ぬぐらいなのだから、恨んでいる相手はかなり居るだろうことは本当なんだろうなと思っていた。

「っていうかさ、もう離してよ」
「今日はこのまま寝るぞ」
「……はあッ!?」
「ぜってえまた逃げんだろうが。わかってんだ」

さっきの互いに密着したままの状態だったので、心底驚いてしまう。腰の辺りを掴まれて羽交い絞めにされているようなものだ。慌てて体をすり抜けよう、と思ったのだがなぜかできない。
何も考えずにすり抜けられたのに、動転しているからか知らないがやり方を完全に忘れている。だから懸命にもがくしかなかった。

「嫌だよ!なんで君なんかと…!!」
「大人しくしねえとぶん殴って気絶させんぞ」
「うわあ、最悪な扱いだよね。これでも貴重な幽霊なのに」

暴力に訴えられそうになったので、仕方なくため息をついて力を抜いた。別に殴られたって平気なのだが、できれば余計なことはしたくない。本能的にそう感じた。
こんな態度でも謝ったということは、心配しているのだろう。お節介を焼くのなら、もっとはっきり言えばいいのにと苛立ちながら恐る恐る振り返る。すると近い距離に顔があってびっくりした。

「え…?ねえ、近くない?」
「二度とあの公園には行くなって今ここで約束しろ」
「はあ?いや、だからなんでそんなこと決めつけられ…」
「いいから」

再度真剣な表情で言われていたが、そんなことよりも俺は息がかかりそうなくらい接近していることに動揺していた。なんというか、同姓なのにヤバイ気持ちになってしまいそうになる。
多分、絶対、俺はそんな趣味なんてない筈なのに。全部無自覚でやっているなら相当だ。

「…っ、覚えてたらね」
「忘れんな。俺のことももう絶対忘れんじゃねえよ」

苦し紛れの一言だったのに、やけに真面目に返されてどうしてか胸の辺りが痛んだ。でも確かによく考えてみれば、知り合いから忘れられるなんて嫌なことだと思う。
忘れた方は何もかもがわからないので麻痺しているけれど、例えば大事な相手から忘れられたらショックを受ける。少なくともこの目の前の相手は、俺が忘れてしまったことに対して怒っていた。
つまりは、それなりに大事に思われていたのだろうかと。

「わかったよ…忘れない」
「ああ」
「忘れたらぶん殴ってやる」

とりあえず頭を振って頷くと、なぜか両手をいきなり握られてしまう。さっきからそういうつもりはないから、と自分に言い聞かせているというのに頬が熱くなりそうだった。勘違いしてしまいそうになる。
指先からあたたかい人間の体温が伝わってきて、そこでようやくハッとした。気づいてしまった。
俺は人間じゃなくて幽霊なんだと。もう死んでいるんだと。
こんな約束なんて、意味ない。
でも、もしかして。この男のことが。

「いいから、手は離してよ」
「おう」
「って、違う!これもやめて!!」
「ダメだ、いいから寝ろ」

抗議すると手は退けられたが、なぜか背中に回されて真正面から抱きこまれてしまう。頭の中がパニックになった。抱き枕か何かと勘違いしているにしても、おかしい。
幽霊なのに、平和島静雄が好きになってしまった俺もおかしいと。

「ねえ、って…!」

しかし向こうは俺の言う事を無視して目を瞑った。本気で寝るつもりなのか、と怒鳴ろうとするのに言葉が出ない。たった今気づいたことに、動転しすぎていて。
とにかく抱きこまれるのだけは嫌だと訴えようとしたら、信じられない声が聞こえてきた。動きが止まる。

「ん、が…っ」
「も、もしかして寝てる…の?はは、嘘だろ?」

はっきりと聞こえてきたいびきに頭を抱えそうだったが、実際は身動きが取れない。どうしたらいいのか、俺にもわからなかった。結局一晩中抱きつかれたままで、幽霊で良かったと思ったのは秘密だ。
言えるわけがなかった。


「ほんと、やってくれるよね…」

ようやくガムテープの拘束を解いて平和島静雄の部屋から出ると、周りを見渡した。そして適当に歩き始める。勿論目的は、俺の事をノミ蟲と呼び縛りあげた相手を探す為だ。
道は全くわからない。でも歩いていたらなんとなく辿り着けるような気がしていたので、気にせずに進む。
もう自分の記憶探しとか、待っていた相手のことなんて後回しだ。幽霊になっているというのに好きになってしまった男のことを調べる。
好きになったというよりは、惚れさせられたのだが。あんなわざとらしい態度を取られて、気にならない方がおかしい。

「あっ、見つけた」

見覚えのあるバーテン服姿の男を偶然にも見つけてしまって、ほくそ笑む。やっぱり記憶はないが、無意識に道だって覚えているのかもしれない。今ここで声を掛けたら絶対に振り返り、周りの人間には変人だと受け取られるだろうなと思いながら近づく。
あと数メートルなのでそろそろ声を掛けようかと口を開きかけたところで邪魔が入った。というか予想外のことが起きる。

「ねえ」

「おはようございます」
「おう、静雄やけに早いじゃねえか。おはよう」

「…っ!?」

どうやら目の前の建物が仕事場だったようで、職場の人に挨拶をした。相手も普通に返して、二人揃って歩いて行く。
俺の声はかき消され、ここに居るのにまるっきり気づかなくてすぐ見えなくなった。大したことではない。こっちは幽霊なのだから当然のことだろう。だけど手足が震え始めて、死んでいるのに寒さを感じる。
昨日指先がふれられ、抱きしめられた時にはあたたかったのに。まるで遠い昔のようだった。
呆然としながら呟く。

「俺、知ってる…これ、知ってる。似たようなことが、あった…はずだ」

急にこんなにも動揺するなんて、一つしか考えられなかった。それは過去に同じことが起きていたか、にたようなことがあったか。覚えていない何かが、体の奥底で疼き訴えている。
生きていた時にも、今みたいにショックを受けた。そして決定的な何かが、起きたような気がする。
それは平和島静雄が関わっているのか。それとも待ち人に声を掛けようとして無視をされる、というさっきとそっくりな状況があったのか。
どちらかはわからない。でも間違いなく、こんなところに居る場合ではなかった。

「…行かないと」

まるで何かに導かれるようにふらふらと足が進み始める。どこに行かなければいけないのか、はもうわかっていた。
昨晩は自分の立場を忘れてはしゃいだ。ついさっきまで惚れたとか、好きになったとか考え浮かれていたのだが、今はもう惨めに思えてしまう。
俺は幽霊だ。死んでいる。
記憶も無い。
待ち人も、大事な人もわからない。
なのに好きな人ができてしまった。
好きになっても意味がないのに。
気持ちを打ち明けるどころか、時間がいつまであるかも不明だ。
消えてしまう。
好きなのに、俺は消える。

「嫌だ」

はっきりと口にした筈だったのに、自分の耳にも声は届かなかった。急速に意識が薄れて、我に返った時には覚えのあるベンチに座っていて安堵する。
ここが、居場所なんだと。未練を叶える為だけに、存在していると。

「楽しかったけどね」

もし次に会うことができたら、お礼を言わなければと思った。しかし考えていたようには、ならなくて。


さっきから繰り返し、同じ言葉ばかりが頭の中に浮かんでいた。

『じゃあはっきり教えてやるよ!手前が待つことで迷惑だって思ってた奴がいるんだ!頼んでもいないことし続けて死んだなんてただのバカだろ!!』
『迷惑に思ってた奴がここに…会いに来るわけねえだろ』

それを聞いてしまってから、俺は何も考えられなくなった。昨日と変わらず平和島静雄の自宅に連れ込まれていたのに、興味はない。落ちこんでいる俺を布団の上に強引に転がせて暢気に食事をしていたが、どうでもよかった。
虚ろな状態のまま布団に顔を埋めると、どうしてか懐かしく感じてしまう。煙草の香りが好きなわけじゃないが、安堵したのだ。
俺の存在理由は無くなったけれど、こうして消えずにいると。しかしどうしてなのかは、わからない。
予想はできていたけど、考えないようにしているだけなのだが。これ以上を踏みこんでいいか、迷っていたから。

「そろそろ寝るか」

ようやく食べ終わったのか、わざと俺に聞こえるような声で告げると洗面所に行った。さっきからチラチラと視線は感じていたので、独り言みたいにしゃべったのもわざとだろう。
心配されていることは、わかっていた。関係ないだろうに、衝撃的なことを教えられてから一言も話さなくなった俺を慰めようとしている。お人好しもいいところだ。
平和島静雄、という人間のことを考えてみる。
乱暴そうで怖い顔ばかりしているが、思ったままにしゃべって行動していた。仇敵が間違ったことをしているのを、はっきりと指摘するなんて普通はできない。どうでもいい相手であれば黙っているし、自分が損をすることを知っていて本当のことを告げるなんてバカ正直なだけだ。
でも多分俺にはできないようなことを平気でするような相手だから、興味を持ったんじゃないかと思う。人は完璧じゃない。自分に無いものを求めるのだ。
それが好きという感情になった。
好きだ。平和島静雄のことが。
本来の存在する理由を失ったのに自分を保っていられるのは、彼のおかげだろう。一度は諦めかけたけど、どうせもう幽霊なのだから気持ちを告げてもいいような気がした。そうしなければ新たな未練が生まれかねない。
ちょうどよく寝る為にベッドに近づいてきたので、決意した。本当のことを言おうと。
さっきまで塞ぎこんでいたのも忘れて、穏やかにしゃべりかける。偽りなくすべての気持ちを。

「俺のことが嫌いならずっと勘違いさせていたらよかったのに。君って相当お人よしなんだね」
「んなことねえよ」
「言葉遣いとか態度は乱暴だけどなんか無理してる気がする。本当はすごく普通でいい人…」
「黙れよ!ぶん殴られてえのか!!」

すると急に床に落ちていたペットボトルを蹴飛ばし怒鳴った。一見怒り狂っているようだったが、これは図星を突かれてどうようしているだけだろう。その後もブツブツと言い訳をしていたのを全く無視して、本音を聞き出そうと質問をした。

「あのさあ最初からずっと思ってたんだけど、なんか大きな隠し事してない?嘘ついてる人間の仕草ってなんとなくわかるんだけどさ」
「…っ、嘘ついてるって例えばどんなことだ」
「殺したかったって言ったけど、俺が死んで幽霊になったって知った時すごく動揺してたよ。本気で殺すつもりなんかなかったし、そう…嫌いっていうのも実は嘘なんじゃない?」

上半身を起こし真剣な表情で問いかけると、微かに動揺が見られた。本人は隠しているつもりだったが、俺はこういうことに長けている。平和島静雄と違って、嘘をつけないような人間じゃなかった。
自分を偽り、嘘を見抜くのを得意としていたのだ。まるで反対で、だからこそ魅かれたんだと今ならはっきり言える。

「手前のことが嫌いだって何度も言ってんだろ」
「嫌いならこうやって構ったり、連れ帰ったりしないよ。無視していればいいじゃないか。まるで俺の事が心配でたまらないみたいに見えるけど、今の君」
「冗談じゃねえ」

眉がぴくりと動いたのを見逃さなかった。間違いない。
俺の事が気になって心配していたから、昨日も今日も自宅へと招いた。そういう放っておけない素直な性格だ。
好きだと思う。
だから迷ったけれど、破裂しそうなぐらい心臓を高鳴らせながら言った。

「ねえ俺は…嫌いじゃないけど?」
「な、んだと?」
「きっと前も嫌いじゃなかったと思う。言わなかっただけで、憧れてたんじゃないかな君に」
「あ…?」

嫌いじゃないと告げた途端、目を見開いて驚いたまま固まった。動揺しているなんてものじゃなく、きっと理解できなくて止まっているのだろう。
だっていがみ合っていた相手に、嫌いじゃないとか憧れていたとか正気じゃ言えない。ショックなことを聞いて、落ちこんでいるからこそぶちまけられるんだ、と思って。

「だから本当は、好きだったんじゃないかな」

とうとう言ってしまう。しかし予想に反して驚くことなく、じっと眺めてくる。居心地が悪かったけれど、続けた。

「きっといろんなことがあって好きなことを言えなくなって、君とは最悪の関係のまま別れてしまったのかもしれない。待っていた相手には会えなかったけど、これでよかったのかもね」
「何がよかったのか全然わかんねえ」
「こうして話しているとすごく楽しい。あんな寂しいところで一人待ち続けるなんてバカなことはもうしないよ」

そして最後には笑顔を浮かべる。もうこれで心配は掛けない。吹っ切れたから、つい好きだなんて言っちゃったんだと言い訳するつもりだった。
しかし。

「手前は死んでねえって思ってる」

何度か聞いた言葉だ。幽霊の話だってもうするな、とかはじめからこの男は俺の存在を全否定していた。まさかそんな相手を好きになるなんて想定外すぎたけれど。
せっかくこれで良かったんだ、未練が叶わない方がよかったんだと言い聞かせたのに気持ちが揺らぎそうになる。
まだ好きでもいい、もう少しこの世界に留まれるチャンスなんじゃないかと。

「え、っと…?」

男は頑なに俺が幽霊だという事実を受け入れようとはしなかった。無茶苦茶すぎることを言い、とうとうそれは考えられないほど想像できない方向に転んでしまう。

「冷たいなら、あっためたら生き返ったりしねえか?」
「はあ…?」
「俺だけが手前にさわれるんだろ?卵みてえに一晩中あっためてやれば、生き返るかもしれねえだろ」
「あ、はははっ…ちょっと随分無茶なこと言うよね。なんか今まで悩んでたこととかどうでもいいと思えるぐらい、くだらないこと言ってる」
「試してみねえか?」

すぐには何を言われたか信じたくなくて、ベッドの中に入ってくる相手をただ呆然と見つめることしかできなかった。

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