あたたかい指先1 | ナノ

「やっぱり生きてやがったのかよ!しぶとい奴だよなあ、手前は!!」
「えっ?」

そう突然声を掛けられて本当に驚いた。顔をあげると見知らぬ男が怒鳴っていて、何度か目を瞬かせてまじまじと眺める。
この顔に覚えなんてない。こいつは違う、と瞬時に悟る。
しかし相手はこっちの事情を全く知らないので、強引に手を引っ張ったのだ。いとも簡単に。まじまじと掴まれている部分を見つめて、呆けた表情をしてしまう。そしてか細い声で告げた。

「ねえ俺幽霊なんだけど……見えてんの?」

バーテン服にサングラスをした金髪頭の男をまじまじと見つめながら、困惑していた。
俺が幽霊だったから。
気づいたのはついさっきなので、自分でも現状がよくわかっていなかったが、相手は馴れ馴れしくしゃべる。まるで俺の事を知っているような口ぶりだし、こっちの言葉なんて聞いていないようだ。

「久しぶりにぶん殴って頭打てば治るよな?」
「ちょっと待ってよ!ほらこんなに手が冷たい人間なんていないだろ!!」

どんな理屈か知らないが今にも殴られそうな雰囲気だったので、慌てて手のひらを男の頬にぴたりと当てる。そしてこれが証拠だと言わんばかりにじっと見つめた。
しかし相当な頑固者なのか、動揺する様子もなく冷たく言う。全く見当違いなことを。

「…ただ冷てえだけだろうが」
「違うよ。通りがかる何人かに声掛けてみたんだけどさ、素通りされるし手がすり抜けるんだ。だからおかしいのはあんただけなんだけど」

呆れてしまった。手のひらが冷たいことぐらい感じているだろう。どんだけ捻くれてるんだとため息をつきながら、目の前のあんたがおかしいんだとはっきり睨みつける。
しかしよく考えてみれば、突然幽霊なんだと教えても証拠がなければ信じるわけがない。苛々しているのか怒っているような口調で当たり前の事を言った。

「知らねえよ。じゃあ試しに誰かやってみろよ」
「……はぁ」

本当は嫌だった。だって実はさっき試してみたのだ。それで既にショックを受けていた。嫌だなあと思いながらも渋々従うことにする。
さり気なく手を離して、公園の外の人通りがある場所へ行くと目の前で一人の女性にはっきりと声を掛けた。ついでに振り向かせようと手も伸ばしたが、吸い込まれるように体の中に消えてしまう。
ついさっき俺が幽霊だと気づいた時と同じだった。これでわかっただろう、と誇らしげに微笑みながら男を見ると目を丸くしていた。ようやく驚かせることに成功して胸が弾む。
幽霊が人間の前に現れる気持ちがちょっとだけ理解できた気がした。こんな強面の相手の表情を変えさせることができたのが、単純に面白かったから。

「じゃあ手前…死んだ、のか?」

何を今更、と思う。ついさっきから幽霊だと言っているというのに。こいつは頑固な上に頭も悪いらしい。
居心地悪かったのでさっき座っていたベンチに戻ると、知っていることを話始める。まだ男は気づいていないみたいだが、俺にとってこの金髪バーテンは重要な存在なのかもしれない。
だって幽霊をさわることができる、規格外の男なのだから。おまけに話まで通じている。とりあえず一通り事情を話すことにした。

「何度か試してみたんだけど気がついたらベンチに座ってるんだ」
「どういうことだ?」
「多分あのベンチの前で死んだからじゃないのかな。生きてた時の記憶がないからよく思い出せないんだけど」
「あ…?」

そこで急に相手の顔色が変わる。さっきよりも焦っているように見えた。

「待てよ、おい。まさか俺のことわかんねえのか?」
「あんたのことも、自分の名前もわかんない。俺は幽霊で、最後はここで死んで…ただその直前に誰かとベンチで待ち合わせをしていたことしか知らない」

事実を淡々と述べると、男は黙り込んだ。考えているのだろう。俺が本当の事を言っているかどうかについて。
随分と馴れ馴れしく、しかも強引に近づいてきたことでなんとなく目の前の相手と俺自身の生前の関係を察していた。これはそう、あまり良くない方の関係だと。

「誰を待ってたのかわかんねえのか」
「わかんないね。でもここから離れられなくて幽霊になっているのは、やっぱり未練があるからなのかな?」

あくまで仮定の話だったが、幽霊の俺が何度もベンチから立ち離れようとしても戻ってしまうことについて考えた。その場所にどうしても拘らなければならない理由があるから、と。
目覚めた時にはここに座っていて、誰かを待っていることだけは理解できた。だからつまり、ベンチの前で死んでしまい会いたい人に会えなかった未練があるから移動できないのではないか、と考えたのだ。
根拠は無かったけれど、自分のことなのだからなんとなくわかる。
君もそう思うだろ、と普通に同意を求めようと口を開きかけたのだがとんでもないことが起きた。なんと手首をおもむろに掴み立たされると、そのままこっちを見ず引きずりながら歩き始めたのだ。

「ちょっとなに!?どこ連れて行くのさ、除霊でもされるの?」
「うるせえ黙ってろ!」

喚いて抗議したのだが、なぜか怒鳴りつけられてしまいすごい力で体を引っ張っていく。幽霊だから浮いているのかと思ったが、きちんと地に足はついているというか靴がすり減っているような気がする。
つまりは、この男がすごく怪力だということになるのだがそんなバカなと笑った。そんな非常識なこと、あり得ないと。自分の事を棚にあげて。
さっきから道を歩いている人々が俺達のことを見ているようだが、多分幽霊は見えていないだろう。きっと何もない空間を掴んでいるように見えるバーテン男のことを、不審者じゃないかと怪しんでいるのだ。

「ねえ、どうしてさっきから怒ってるの?」

暫く進んだところで、気になっていたことを尋ねる。答えはなんとなく察していたが、確かめたかったのだ。

「そりゃあ俺と手前がすげえ仲悪かったからだ」
「ふーんそうなんだ。でも俺のこと気に掛けてくれてるみたいだし悪い人じゃなさそうだね」
「勘違いすんな、今でも俺は嫌いだからな。死んだって、嫌いだ」

答えが返ってきた瞬間相手の性格を見抜いた。どうやら仲が悪かったらしいが、きっとそんなに嫌われていなかったんだと思う。念を押すように二度も嫌いだと連呼することが、しっかり語ってくれている。
記憶はないが、俺自身も嫌じゃなかったのだろう。心底嫌悪しているのなら、会った途端に感じるはずだ。どちらかというと好意的、というか嫌いだと言いながら男がお節介を焼いてくれているようにしか見えない。
客観的に見つめていると、照れているのか手首を握る力が強くなった。態度に出やすいタイプなんて、簡単すぎるだろうと呆れながら抗議する。

「ちょっと!幽霊でも痛いって感じるぐらい強く握らないでくれるかな」
「知らねえよ。どうせ死なねえんだろ?このまま握りつぶしてやろうか」
「うわっ、野蛮っていうかちょっとヤバイ人?嫌だなあ、なんでこんなのに捕まったんだろ」

すぐにさっきまで感じていた痛みはなくなったが、街中で死なないとか握り潰すとか物騒なことを叫んだので人が綺麗に道を開けた。きっと教えてあげたら怒るだろうが、ちょっと意地悪をしたかったので黙っておく。
さっき一人でベンチに座っていた時よりも、声は弾んでいた。待ち人ではなかったけれど、随分と面白い相手だなと笑みが浮かぶ。
いきなり死んでいて不安だった気持ちはどこかへ消えている。こんな何もかもを曝け出せる人と出会えるなんて、幽霊になって良かったんじゃないかとさえ思ったのは秘密だった。


その後どうやら自宅に連れて行かれたみたいなのだが、随分と横柄な態度が目につく。その癖親切心からなのか、サイズの合わないシャツに着替えろと渡されたので渋々着たのだが、指先がシャツで隠れている。

「おい、まだ怒ってんのか手前は」
「当たり前だろ!ノミ蟲だよ?一体生前の俺はどんな奴だったんだろうねえ」

バーテン服の男は平和島静雄という名前らしい。その名前に全く覚えが無いしそんなこと正直どうでもよかった。俺はさっき教えられた自分ののあだ名についてずっと不機嫌な表情をしていたのだ。
でも本当は俺が怒っているのは、そんな小さなことじゃない。

「ねえそろそろ俺の名前を教えてくれないかな?」
「ノミ蟲だ、って言ってんだろうが」

もうこのやり取りは二度目だ。どうしてかわからないけれど、目の前の男は俺の名前を頑なに教えようとはしなかった。あからさまにはぐらかしている。
そのことに苛ついていたのだ。名前をどうしても言いたくない理由があるのかとも思ったが、多分無い。こいつは大して考えずにしゃべり、行動しているんだと気づいていた。

「まさか名前知らないとか?」
「んなわけねえだろ」
「もしかして俺が幽霊になったこと、っていうか死んだの怒ってんの?」
「……っ」

なんとなく思ったことを口にしただけなのだが、図星だったようだ。まあそれも当たり前なのかもしれない。仲が良くなかったみたいだが、嫌われてはいなかったのだ。
きっとライバルみたいに互いに思っていて、突然相手が幽霊になって現れた。それは驚くし、死んだことに対して怒ってしまうのも無理はないだろう。
服を貸してくれたり、シャツに血が残っているのを見て動揺していたぐらいだ。少し暴力的だけど実は随分と優しい性格をしているんだなと思った。

「服に残ってた痕から考えて拳銃で撃たれたみたいだし、俺って随分危ないことしていたんだね」
「銃で打たれた?」
「でも地面に血痕は残っていなかったしベンチにだって飛び散った筈なのに新しい物に取り換えられていた。これって相当ヤバイことだ」

自分自身の見解を述べると、表情を変えてはいなかったがどうしてか目が泳いでいた。これは心当たりがあると言っているようなもので、呆れてしまう。

「何か知ってるみたいだね」
「知らねえって」
「少しぐらい教えてくれたっていいだろ?まず自分のことから思い出さないと、待ち合わせの相手を探すことだってできないし」

協力してくれるなんて甘いことを考えていたわけではないが、ヒントぐらいいいじゃないかと思う。俺だって必死に自分のことを探ろうとしているのは、待ち合わせ相手のことが気になっていたからだ。
死んでしまったのだから、さっさと成仏した方がいいことぐらいわかっている。幽霊の本能というか、未練があるなんていいものではないだろう、し本来なら存在していないのだから長く生きている者に関わらない方がいい。
ほんのちょっと楽しむぐらいはいいだろうけど、本来のやらなければいけないことを放棄なんてしたくなかった。

「誰と待ち合わせてたか知らねえが、探してどうすんだ。もしさっきの奴らみたいに手前の姿が見えなかったらどうすんだよ。目の前に居るのに無視されるとか辛いだろ」
「その時は君が通訳してくれるでしょ?」
「……ああ?」

やっぱり、とおもわずほくそ笑んでしまった。まるで俺が待ち合わせ相手と会えてもショックを受けるんじゃないか、と心配しているみたいだったからだ。というか絶対にこれは気に掛けてくれている。
どこまでお人好しなんだと、呆れるが本人には自覚は無いだろう。俺を見つけて声を掛けたのだって、何か放っておけないと感じ取ってくれたのかもしれない。

「するわけねえだろ?」
「大丈夫だよ。恨みがあるとか、復讐したいとかそんなんじゃないから。会ってみればわかるだろうし」
「だから、これ以上はやめろって言ってんだよ!!」

その時急に堪忍袋の緒が切れたのか、大声で怒鳴った。さすがに少しびっくりしてしまう。

「なんで君が怒るの?」
「いいから、やめろって言ってんだろうが」
「嫌だよ」
「なんだと?」

怒る意味がわからなかったけど、こっちも簡単に引くことはできなかった。何をどう言われようが、引けない理由があるのだ。幽霊になってもまだ待ち続ける、どうしても譲れない気持ちが。
多分この男は、それを知らない。言うべきかどうか、迷ったけれど結局しゃべってしまう。

「あのね、俺は多分待ち合わせていた相手のことが…好きだった。すごく大事にしていたんだと思う。だから待っていないといけないんだ」
「好き…」

その瞬間心底嫌そうな顔をした。だからはっきりと確信する。間違いなく平和島静雄は、俺と俺が好きだという相手のことを知っていると。
名前を教えないのも、あの場所に居るなとまるで妨害するようなことをしたのも、多分俺にそいつに会って欲しくないのだ。生前のことを思い出して欲しくないらしい。
どうしてそこまでやめろと言うのか考えたが、二つ理由が浮かんだ。
俺が待ち合わせていた好きな相手のことを、この男も好きだから会って欲しくない可能性。しかしこっちは低いだろう。恋愛のライバルであるのなら、さっき俺が好きだと言った時に動揺したりはしない。
もう一つの可能性は、既に俺の好きな相手に恋人が居たり他につきあっている人がいるということだ。幽霊として再会してしまった場合、不都合なことが生じるのだとしたら妨害するのも頷ける。
まずは理由として薄い方のことを尋ねることにした。

「一つだけ聞きたいんだけど、君は誰かを好きになったことはあるのかな?」
「……あ?俺に聞いてんのか?」
「そうだけど」

考え事をしていたのかは知らないが、返事に少し時間がかかった。この部屋には二人しか居ないのに、他に誰に質問するんだとため息をついたが再びきっぱり言う。

「今好きな人って、いるの?」
「手前に教える義理はねえ」
「なるほどねえ、いないってことか。よかった」
「ああっ!?なんだと!」

素直に教えてもらえるなんて思ってはいなかったが、おもわず笑ってしまう。あまりにも露骨すぎる反応だったからだ。これで一つ目の可能性は消えた。
彼に好きな相手なんて、いないらしい。どうしてか、ほっとしてしまった。

「モテそうなのに意外だなあ」
「っ、勝手にくだらねえこと言ってろ!俺は風呂入ってくる」
「あ、逃げるんだ?」
「違え!っつうか、手前こそ逃げんじゃねえぞ。どこまでも追いかけてやるからな!!」

好きな相手が居ないことが相当恥ずかしかったのか、あからさまにその話題は終わりだと言いたげに立ちあがった。そして乱暴に怒鳴った後に脱衣所に消える。
逃げるなとか散々言っておきながら、幽霊を放置しておくなんてバカじゃないかと思う。壁をすり抜けられれば、一瞬で外に出ることも可能なのに。

「お風呂覗いてやろうかな」

上機嫌に笑いながら、室内のベッドに寝転ぶ。本当に覗く気なんてあるわけがない。

「そうか……好きな人いないんだ」

ポツリと呟いた後に違和感を覚える。ズキンと急に胸が痛んだのだが、気づかない振りをして枕に顔を埋めると煙草の香りがした。

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