恋のはじまり14 | ナノ

「ありがとう」
「だからなんで礼なんか言うんだ」
「だって全部本当のことしかしゃべれないんだろ?これが本心だから」

シズちゃんは好きな相手が居るのに、俺なんかのわがままにつきあってくれてありがとう、という意味だ。素面じゃあ絶対に言えない内容に、耳まで赤くなっている。本気で照れているのだ。
彼女にしたいことを、先に俺とするなんて最高だと思う。気持ちはこっちに向いていなくても、行為そのものは冗談じゃなく真剣にしてくれる。疑似的なシズちゃんの優しさを受けられるのは、嬉しい。
俺が俺だったらそんなことはされない。だけど俺が彼女の代わりなら、きっと大切にしてくれる。
心なんてはじめから求めてはいなかった。偽者だとしても、簡単に喜べるのだ、俺は。
昔からずっと、切実にシズちゃんのことが好きで、飢えていた。好かれなくていいから、かけらが欲しかった。

「余計厄介じゃねえか…」
「なに?ちょっと聞こえないんだけど」
「さっきも言ったがやっぱりバカな奴だ、って言ってんだよ」
「別にいいじゃないか。好きな相手の為ならいくらでもバカになってみせるよ」

はっきりと恋人ごっこをすることに了承したというのに、不機嫌な表情をしているのはやっぱり後悔しているのかもしれない。だけどシズちゃんは一度決めたら破らないだろう。
ちゃんと知っている。長い間恋心を押しこめて過ごしていても、無意識に姿を追っていたぐらい好きだったから。きっと俺なら彼女とうまくいくように、何もかも教えてあげられる。

「俺にはわかんねえ」
「そうかもね」
「好きな奴とどうにかなることしか、考えられねえよ」
「知ってるよそれぐらい。シズちゃんは彼女とどうしたいかだけ考えていればいいの。じゃあ、どうしようか?」

まだ少しだるかったが、きっと言われればなんでもできる。したいように命令してくれ、という意味で尋ねたのだが目の前で大袈裟にため息をつかれた。

「昼飯食えるか?」
「まあ…多分」
「じゃあ今から作る。できあがったら食って、まずいとかうまいとか教えろ」
「なにそれ、ちょっとバカにしすぎじゃない?」
「いいか、俺は家族以外に飯作るなんてはじめてだ。大したもんできねえし全部食えとか言わねえから、絶対感想言え」

こんなのいちいち命令するようなものじゃない。しかしいつか彼女に手料理を一品ぐらい披露したい、ということなのだろうか。少し考えて立ちあがった。

「作るもの、決めてるの?」
「焼きそば」
「じゃあ俺は横で見てるから、味つけとかやり方ぐらい教えるよ。失敗するかもしれないのに、黙ってられない」
「そうか、そりゃあいいな」

驚きながらも嬉しそうに頷いた。明らかに料理初心者そうに見えたので、自分から申し出ただけだと言い訳したのに一瞬で機嫌が直ってしまっている。
これはシズちゃんに任せるより、こっちからあれこれ提案してあげた方が練習台の意味を成すな、と思った。

「辛かったら、言えよ」
「うん」

彼女の為なら俺にも気を遣えるシズちゃんも、悪くは無かった。


「美味しいでしょ?」
「ああ、そうだな」

シズちゃんが作り、横からあれこれ指示を出して完成した焼きそばを二人で食べていた。俺は少なめにして残りは食べて貰うことにしたので向こうの皿は山盛りだ。
きちんと教えてあげれば、案外スムーズにできあがった。元からカレーは家族でよく作っていたらしく、包丁で野菜を切って味付るだけの料理なんて簡単にできるに決まっていた。
順序立てて説明し、麺と野菜に火が通ってて味付けは味見しながら作れば失敗しないと教えただけだ。こんなのわざわざ口出して言うこともないのだが、きっと一人じゃ無理なのだろう。
やればできるのだが、自分からしようとはしない。作ったとしても自信が持てないんだろうな、と思った。そういう性格をしているから。
きちんと自分で考えて好きな相手をみつけ、どうにかしようと行動し始めているのだから、後は自信をつけさせるだけなのだ。その為に俺は必要なんだ、と思うと本格的にあれこれしたくなってしまう。

「どうしようか?折角だから彼女とのデートプランでも考えてあげようか」
「デートって言っても、前に行っただろ。パフェ食ったり、ああいうのでいいんだよな」
「うーん、でもあれは俺が楽しむ為にシズちゃんに合わせたデートコースだったからね。もっと水族館行ったり、ショッピングにつきあってあげないと」

俺は先に食べ終わったので床に転がっていたクッションの埃を払い、勝手に横になっていた。水分はかなり取ったのでかなり抜けてきたが、もう少し休んだほうがいいだろう。
その間にできるといったら、彼女のことを聞いてあげて今後失敗しない為の話をするぐらいだ。だから尋ねた。

「俺に合わせた、ってじゃあ手前が行きたかったわけじゃねえのか?あん時のデートは」
「そもそも自分の欲求は少ないからね。自分の好きな所に行って喜ぶようなタイプじゃないんだ。事前に相手のことを調べて、最善のデートプランを立てて当日の反応を見ることに喜びを感じる。わかるだろ?」
「人間観察が好きだ、ってやつか?まあそういう楽しみ方もあるかもしれねえが、俺は手前が本当に行きたい場所、ってのが知りたい」

言われたので仕方なく、俺が本当にシズちゃんと行きたい場所、と考えた。暫く黙りこんでいる間に、すべて食べ終わったようでさり気なく横に座って覗きこむ。
まるで普通の恋人同士みたいに自然だ、と一瞬思ったが慌てて体を起こし座り直す。そして誤魔化すように言った。

「やっぱり思いつかない」
「嘘つけ、手前ならいろいろ知ってんだろ。飯のうまい店とか、なんかすげえ楽しいところを。情報屋なんだろ?それともどこにも行かずにこうやってダラダラしてる方がいいのか?」
「うーん…そうじゃないけど」

必死に何かを思い描こうとするのだが、ほとんどがシズちゃんを喜ばせる場所だ。俺が本当にそこに行きたいかと言われると違う。

「ダメだね、全然思いつかない」
「じゃあ普段よく行ってる店とかよお」
「ほとんど仕事関係の人間と合ったり、人通りの激しい場所で観察するのに適してるから行くだけだ。好きで行くってわけじゃない」

よく考えてみれば、今までずっとそうだ。お気に入りの場所は、噂話が好きでペラペラ話してくれるマスターの居るバーや、露西亜寿司だってシズちゃんや他の追いかけている人達がよく行くからだ。
もしかしたら顔を合わせることがあるかもしれないし、ついでにそれなりに美味しい寿司が食べられる。ただそれだけだ。

「これ以上は無理だ。大体俺のことなんて聞かなくていいだろ?ちょっと近づく為に狭い個室でキスぐらいできるような雰囲気の店とか、教えてあげるからさ」
「キスがしてえのか?」
「あのねえさっきからちょっと勘違いしてるけど、俺がキスしたいわけじゃない。シズちゃんが、彼女にしてあげたいんだろ?」
「そうだな…して、やりてえ。でも手前もしたいだろ?恋人同士だって俺に言って最初にキスしてくれってねだってきたじゃねえか」

きっとこれはただの世間話なのだと思うが、やけに執拗に質問してくるので顔を顰める。こっちはシズちゃんと彼女のことを考えてあげようとしているのに、どうして俺のことを聞くのかと。
そしてとうとうあの時のことを指摘されて、瞬時に胸が熱くなった。確かに前の時はは、シズちゃんにキスして貰いたかったから命令したのだと思い出す。

「シズちゃんとのキスって、どんなのだろうって思ったからね」
「じゃあ、全く考えられねえってわけじゃねえんだろ?俺と手前がデートして、行きてえ場所だって真剣に考えてみろよ」
「シズちゃんと…デート」

本当はもうこれ以上話をしたくないのに、頭の中で必死に考える。命令されるから、嫌なのに思い浮かべるしかないのだ。
そんな夢なんて無駄なのに、考えても意味のないことなのに、悲しいだけなのに。起こりもしない想像をさせられて、答えを求められるなんて。最低で。

「…って、おいなんで泣くんだよ、クソ」
「え?あっ…」

言われてハッと我に返ると確かに涙が溢れていた。昨日から涙腺が壊れたみたいに止まらなくて、困ってしまう。目の端を拭って正直に言った。

「シズちゃんとデートすること本気で考えたら、辛くなっただけだ。ごめん、どうしても無理だ。絶対に恋人なんかになれないのに命令で想像するって、苦しいよ」
「想像するだけで、泣くほど辛いのかよ」
「うん…胸が苦しくて、自分が惨めでぐちゃぐちゃになる。俺が君の彼女の位置になろうとするからダメなだけだ。シズちゃんと彼女のことは、本気でうまく行って欲しいから」

シズちゃんまで居心地の悪い表情をしていたので、胸が痛くなった。俺のことなんて考えずに彼女とのことだけを、考えていればいいのに。時折見せるこういう気遣いが嫌なわけじゃないのに、苦しかった。

「俺自身のことだと嬉しく思えないけど、シズちゃんが喜ぶことならきっと俺も喜べるから…ね?」

言いながらこんなにも追いつめられているなんて、と驚く。本当にシズちゃんの前から居なくなった時、俺はどうなってしまうんだろうと少しだけ怖かった。
シズちゃんに関わらなくなった俺は、俺ではない気がして不安だったけど言えなくて。きっとそのぐらい自分自身は薄っぺらいものなんだ、と気づいて笑った。

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