it's slave of sadness 30 | ナノ

シズちゃんが戻ってくる前に家に戻り、ベッドに入るとすぐに疲れからか睡魔が襲ってくる。予定通りに津軽へのソフトのインストールは終わっていて、彼は居なくなっていた。
きっと今夜は津軽とサイケにとって忘れられないものになるだろうと思いながら目を閉じる。これでもう完全に、シズちゃんはサイケと性行為をしたりはしない。俺がここから居なくなって一人になっても。
本当は帰って来る恋人を出迎えてあげたいのに、男達にされた行為の痕も残っている。だから仕方ないんだ、と言い聞かせて眠りに落ちた。


「臨也…臨也?」
「ふぁ、シズちゃ…?」

呼ばれて目を覚ましたが、すぐに少しだけがっかりしてしまう。昨日と同じように、また津軽が俺を起こしたのだ。すっかり夜が明けていて、顔を合わせることなくまた仕事に行ったのかと残念な気持ちになる。
とりあえずベッドから体を起こすと、津軽がコップに入れた水を渡してくれた。もしかしたら、まだ体調が悪いとシズちゃんが勘違いして頼み、呼ばれたのかもしれない。だが。

「臨也、今日は礼を言いに来たんだ」
「…え?」
「メンテナンスしてくれて、ありがとう。新しいソフトも」
「…ッ!?」

驚きのあまりコップをベッドの上に落としてしまったが、中身は無かったのでそのまま転がる。津軽の表情は、笑っていた。それはもう嬉しそうに。
だけどその笑顔が怖い。だって俺は昨日新しいソフトを入れた時に、完全に記憶を消したのだから。本来であれば、誰がソフトをインストールしたとか、覚えていないはずで。

「聞いてくれ、昨日サイケと俺は…結ばれたんだ。セックスした」
「津軽、あの…」
「サイケは可愛かった。すごくエッチで、小さな手で必死にしがみついてきて何度もしたんだ。二度と離さないと本気で思った」

妙な不安が頭をよぎっていて、それをはっきりさせようとするのに津軽の唇は止まらない。自分の言いたいことを俺に伝えるまで、こっちの話を聞く気はないのだろう。
俺がインストールした、性行為の知識についてのソフトは思い通りに二人を動かしたらしい。前にサイケに入れたのとは違っていて、好きな相手となら普通の事だということも教えた。
そして人間とは結ばれることはないが、アンドロイド同士なら可能だと。津軽とサイケは元からそういう運命だったんだ、と感情を左右することも加えた。
サイケのことが好きだと過去にはっきり言っていた津軽にとっては、嬉しかっただろう。控えめな性格の彼が、珍しく興奮してしゃべっているのだから。

「俺は今まで役立たずだった。だが他にも臨也が知識を与えてくれたから、本当の事を知ることができたんだ」
「…本当の、こと?」

そこで津軽の表情が変わり、嫌な予感がする。おもわず胸の辺りを掴んだ。

「データを修復することだって簡単だった。前にサイケが壊れたものだと渡してくれていた、データを見た」
「壊れた、データ?」
「前に臨也が壊したデータだ。サイケがしていた仕事についての記録と、性行為の知識が」
「な、んだって…!?」

確かに俺は津軽にいくつかの機能を加えた。その中にはサイケのデータを修復できるようなものもあっただろうが、まさか気づくなんて思わなかったのだ。
これは完全に俺の落ち度だと唇を噛む。なんとしてでも、もう一度津軽にメンテナンスを行ってすべてを消さなければいけなかった。

「サイケに仕事を辞めさせたのは、どうしてだ?自分がサイケのせいで酷い目に遭ったからか?」
「そうだよ。主人の命令通り動かない人形なんて、いらないだろ」
「でもそのせいで、臨也は記憶を失った。サイケのデータを壊し居場所がわからなくなったから、助けられなかった。どうしてあんなことをしたんだ」

津軽は怒るだろうと思っていたのだが、全く違う事を尋ねてきたので少し驚く。好きな相手が俺のせいで酷い仕事をしていたのに、怒らないのは人間に従うのがアンドロイドの役目と考えているからかもしれない。
とにかくなんとかしなければとチャンスを窺っていると、いきなり睨まれる。そこでようやく気づいた。俺が怒られていることに。

「俺達はいくらでも直す方法はある。でも臨也は、人間は戻らない。わかっていて、どうして…」
「それは君達にはわからないよ。酷い目に遭った、と言っているけどそうとも限らないしね」
「臨也?」
「サイケのおかげで、新しい世界を知った。アンドロイドみたいに命令でセックスをするんじゃなくて、純粋な本能でしたいと思ったらいけないのかな?そういう変態だったんだよ」

わざと口の端を吊りあげて笑う。まさかアンドロイド相手にこんな駆け引きをするなんて思わなかったが、仕方ない。
津軽の持ち主はシズちゃんだ。だから下手なことを言うと後が怖いし、人間の命令には従うだろうが、俺の命令に従うなと言いつけられていたら終わりだった。

「残念だったね。こういう人間なんだよ、俺は」
「じゃあ、また…するのか?静雄以外と、セックスを」
「さあそれは、どうかな」

わざと濁すように言って視線を逸らす。まさかもうしているなんて、バカなことは漏らしたりはしない。一体津軽は何を聞きたいんだろう、と考えていると突然。

「臨也、まさかもう!!」
「えっ、ちょっと…津軽!?」

右手を引かれて着ていたシャツの袖を捲られる。すると当たり前だが、男達に無理矢理されて拘束された時の痕が残っていた。昨日の今日で消えるわけがない。
慌てて手を引いて睨みつけると、津軽と瞳が合う。今度こそ、見たことの無い形相で怒っていた。シズちゃんが怒る時の表情と、よく似ていて。

「これは、どういうことだ?」
「そういう、こと…だけど?」
「そんなバカな!!」
「…っ、うわ!?」

強引にシャツを掴まれたので、ベッドの上に転んでしまう。津軽が俺を押さえつけるように馬乗りになり、シャツをたくしあげた。すると他の情事の痕も見られる。
抗うことができないぐらい素早かった。きっとシズちゃんよりも早いのでは、と息を飲む。こんな風にバラされるつもりなんてなかったのに。

「どうして、こんなことをしたんだ!静雄が、いるのに……ッ!」
「津軽、落ち着け!!」
「静雄に、言わないと…臨也、が…」

目を見開いて驚きながら津軽が大声をあげる。まるでシズちゃんに怒られているように見えて、少しだけ胸が痛んだ。手のひらで痕を確認した後に、唇を噛んで立ちあがろうとした。
きっとマスターに報告するつもりなのだろう。アンドロイドは、どこまでも人間に忠実なのだから。でも今そんなことをされるわけにはいかなかったので、とっさに叫んだ。

「や、やめろ!シズちゃんには言うな、津軽!!」
「俺は臨也の言うことは、聞けない!」

「ダメだ…っ、お、俺はシズちゃんが好きだからッ!!」

「え?」

言った後に自分で驚いてしまう。動転していてうっかり本当の事を口走ってしまったのだ。一気に顔が真っ青になってしまう。
だけどこれを利用しない手はない、と続けた。震える指先を握りしめて、耐えながら。

「津軽なら、わかるだろ?俺はシズちゃんが好きなんだ…だから知られたくない」
「なんで、じゃあどうして他の奴とこんなことを!」
「それは、言えない」

さすがに男達にまた脅されている、ということまでは告げられなかった。そうすればややこしくなるし、きっとサイケが仕事をできないせいだなんて津軽は思うだろう。
せっかく二人には幸せになって欲しいと思って記憶まで消去したのに、意味が無い。俺の代わりに、サイケには何も知らずに津軽と愛し合って欲しいと。二度とシズちゃんなんかに、手を出すなと。

「俺達が信用できないのか?頼りにならないか?」
「そう、じゃない…とにかく言わないでくれ。もう少しだけシズちゃんと、一緒に居たいんだ。記憶が戻ったことも、黙っておいて欲しい」

必死に言うと二人の間に数秒沈黙が流れる。その間にいい言い訳が考えつけばよかったが、頭が回らなかった。それぐらいパニックになっていたのだ。
シズちゃんにバレるかもしれないのが、怖いなんて。あと少しで終わるなのに、ギリギリまで縋っていたいだなんて。

「君だってサイケには、修復した記録のことは言ってないだろ?」
「…ああ、そうだ」
「それと同じだ。どうあがいても過去に起きたことは、変えられない。だけど好きな相手には知らないで欲しい」

暫くして恐る恐る尋ねると、津軽が頷いた。彼の性格を考えると、絶対にサイケには告げないだろうとわかっていたから。何も知らない相手にすべてを話すほど、愚かなアンドロイドではない。
シズちゃんと違って冷静に考えられる頭脳と、客観的に見れる能力がある。だからこうして俺にも単独で会いに来たのだ。

「知らないほうがいいこともある…俺も、俺が折原臨也だって思い出さなければずっとシズちゃんといられた。でも思い出さなかったら、本気でずっと好きだったことも忘れていた。だから後悔はしていないけど、ここで津軽にバラされたら…」
「まさか、また…逃げるのか?」

賢いアンドロイドの言葉に、頭を振る。その覚悟はもうできていた。だけど昨日は顔を合わすことができなかったから、今日で終わりなんてしたくなかったのだ。
せめてもう一度だけ、キスをしたい。そして好きだと言って笑いかけたかった。

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