恋のはじまり12 | ナノ

「んなことねえだろ。すげえ楽しんでたじゃねえか。絶対本気だった」
「…違う」
「俺にハンバーグ食わせて、キスして欲しいってねだった手前は本気だっただろ?あん時はすげえ嬉しかったんだろ?誤魔化すな」
「シズ、ちゃ…っ」

容赦なく俺の隙を突き言葉を投げかけてくるシズちゃんを、本当に憎いと思った。あの時のことが鮮明に思い出されて、唇が震える。本音を言いたくないのに、勝手に動いてしまって。

「臨也!」
「…そう、だよ…俺の手料理食べて、キスしてくれたのは嬉しかった。ようやく手に入れられた、って思ったよ」
「じゃあなんでそのまま素直になれねえんだよ。嬉しかったんなら、いいだろ?同じことしてやるって言ってんだ」
「昔はそれでよかったけど…もう変わったんだ。今は何も望んでない…」
「話にならねえ。クソッ、ようやくまともなこと聞けるかと思ったら意味わかんねえことばっかだ」

また一つ気持ちを暴かれて胸が苦しくなる。これ以上心をかき乱さないでくれ、と必死に願いながら何もいらないという本心をもう一度告げた。
すると、とうとうシズちゃんの堪忍袋の緒が切れたのか態度が変わる。さっきまで比較的穏やかな口調だったのに、冷たい声が聞こえた。

「もう知らねえ」
「…っ」
「手前のことなんて聞かねえ。俺の好きなようにやる」

吐き捨てられて、ぎくりとした。確かに好きだけど俺の知るシズちゃんからは何もいらないんだと言われれば怒りもするだろう。だけど本音なのだからしょうがない。
やっぱり手前なんて知らないと怒鳴られて外に放り出されるんだろうな、と覚悟を決める。それならそれで逃げられるし、と考えていると予想通り肩を掴まれた。そして。

「じっとしてろ。今日は手前を抱いて寝るから。セックスはしねえ、我慢する」
「え?」
「よく考えたらよお、すげえ酒飲んで酔っ払ってんだよな手前。だから明日朝起きて、もう一回話する」

俺の両肩を掴むと強引に横を向いていたシズちゃんの傍に移動させられる。そして大きな腕を背中に回して、しっかりと抱きつかれた。あまりのことに呆然としてしまう。
本気で思考が停止して、言ったことを頭の中で考えた。セックスは我慢する、ということはやっぱりしたかったのかと頬が反射的に熱くなる。

「俺は話なんて…」
「いいから寝ろ、臨也。おやすみ」

反論しようとしたのだが、そこでいきなり唇を塞がれてしまう。驚いて目を瞬かせているうちに離れて、寝ろと言われた。すると勝手に瞼が閉じはじめて、待ってくれと思いながら小声で呟いた。

「…ん、っ…おやすみ」

次に目が覚める時には全部夢だったらいいのにと思ったのだが、そんな都合のいい事にはならなかった。


「シズちゃん、できたよー」
「おう」

ちゃぶ台の上に皿をすべて乗せ終えると、シズちゃんに声を掛けた。すると床に座り雑誌を読んでいたのを閉じて、目を輝かせながら近づいてきた。
ご飯とみそ汁に、スクランブルエッグとソーセージというとても簡単なものだというのに随分と嬉しそうなのが雰囲気で伝わってくる。こういう無自覚な反応はやめて欲しいと思ったのだが伝わらない。

「こんなにすぐできるもんなんだな」
「俺としては納得がいかないけどね。もっとマシなものが冷蔵庫に入ってれば良かったのに」
「いただきます」

両手を合わせるとこっちのことなんて無視をして、みそ汁を啜った。俺もこれ以上は文句を言う気はなかったので、仕方なく箸を持つ。
目を覚まして一番はじめに言われたのは、二人分の朝ご飯を作れということだった。二日酔い状態だというのに、なんてことをさせるんだと呆れたが逆らえない。本当は自分の朝ご飯だっていらないのに、伝える術はなかった。
味見するのでも精一杯で、ベッドで寝ていたいぐらいなのにと思いながらご飯を口に入れる。味がしない方がいい気がしたのだが、どちらにしろ気持ち悪かった。

「…ん?どうした、変な顔して。正直に言ってみろ」
「あのね、実はさっきから気持ち悪いんだ。二日酔いみたい…食べれないよ」
「ああっ!?なんだそれさっさと言えよ、アホか!」
「俺に命令したのは、君だろ…っ」

驚いたシズちゃんが顔色を変え、箸を置き怒鳴りつけてきた。その声が響いて頭が痛いなんて言えはしない。だからしょうがなくため息をついて、その場に寝転がろうと思った。
そんな行儀の悪いことはしたくないのだが、背に腹は代えられない。しかし途中で肩を掴まれて体が一瞬ふわっと宙に浮いた。

「うわ!?」
「俺は飯食う。気持ち悪いなら、このまま寝てろ」

頭を押しつけられたのはシズちゃんの膝の上だった。どう考えても膝枕で頬が熱くなる。そんなつもりはなかったのに、天然でこういうことができる男なんだと心の奥で苛立った。
カチャカチャと音を立てながら食べているが、多分俺の分まで律儀に残さないだろう。そういう男だ。俺にはできない。

「あっ、寝る前に話聞け」
「なに?」
「悪かったな、手前の体調のこと聞かなくてよ。でも朝ご飯は完璧だ。ありがとな」
「…うん」

シズちゃんはご飯を食べているので、俺の方を向いてはいなかった。だから余計にきちんと素直に頷くことができて、胸がバクバクと高鳴る。こういうのが嫌なのに、と思いながら昨日程絶望的な気持ちではなかった。
どちらかというと体調も悪いし、あれこれ考えると頭が痛いというのが正しい。普段だったら勘ぐりそうな礼の言葉も、しっかりと聞いた。
完璧だと言うぐらいなのだから、シズちゃんは俺の料理を食べたくて楽しみにしていたらしい。そして期待通りだった。学生の頃よりも年月も経っているので料理だって慣れたものだ。
いつもは自分の為に作っているものを、こうして誰かに褒められるのは悪くないんだなと軽く息をつきながら目を閉じる。すると頭痛が少し落ち着いたような気がして、そのまま眠りに落ちた。


「あれ…?」

喉が渇いて体を起こすと、室内には誰も居なかった。壁に掛かった時計をすぐさま眺めると、時刻は昼を過ぎている。もしかしてシズちゃんは昼ご飯でも買いに行ったのだろうかとすぐに気づいた。
そして今なら逃げられると。しかし体調は万全ではなかったのでとりあえずは水だと思いベッドから降りたところで、玄関で物音がした。
待っていると室内にシズちゃんが現れて、一瞬だけ驚いた表情をしたが怒らずに尋ねる。

「どうした?」
「水が欲しいなって…」
「そうか、じゃあこれ飲め」
「ありがとう」

差し出されたのはスポーツ飲料で、明らかに俺の為に買ってきたようなものだった。他にも買いこんでいるらしく、大きな袋を二つ抱えている。これではもう逃げられないか、と思ったがそんなにがっかりはしなかった。
体調が万全でないことが幸いしたらしい。シズちゃん自身は、もっと何かをしようと計画していたかもしれないが昨晩飲んでいた酒が効いた。
ざまあみろ、と心の中で思ったが言わなかった。言えるわけがない。まだ俺は、薬のせいでシズちゃんに従うしかないのだから。

「まだ体調悪そうだな」
「まあそうだね。毎年のことだし別にいいんだけど…っ」

水分を補給して少し落ち着いたところで、ポロッと口に出してしまった。今のは間違いなく俺自身の失言だ。どうしてこういうことだけはしゃべってしまうんだろうと悔しく思っていると、突然言われる。

「知ってる。毎年誕生日の前日は門田と飲んでんだろ。知ってたから昨日もあいつに頼んだ」
「そう」

表面上は素っ気なく答えたけれど、どうしてシズちゃんが知っているのかとか、ドタチンも酷いとか。まるで弱みの一つでも知られたみたいに、動揺した。
でも確かに泥酔していた俺を介抱してくれる筈の相手が入れ替わっていたのは、シズちゃんがドタチンにお願いしていないとありえないことだ。グルだったのかと顔を顰める。

「手前はあの日のことなんか忘れたみたいに振る舞ってたのに、自分の誕生日前日に泥酔するまで飲むなんておかしいだろ。だから俺は、ずっと確かめたかった」
「何を?」
「まだ俺のことが好きで、未練があるのに忘れようとしているんじゃないかって」

あまりの鋭さに目を見開いて驚く。しかも、ずっと確かめたかったと言うぐらいだから随分前から気づいていたということだ。まるでかなり昔からこの機会を窺っていた、と言っているみたいで。

「酷いことを聞くよね…でも、間違ってない」

答えをはぐらかすことなんてできなかったのではっきりと告げた。胸がズキズキと痛んで、息苦しい。
あの日以降ずっと表には出さなかった気持ちを唯一思い出す日のことまで、暴かれるなんて。もう俺は丸裸にされていて、残っているものなんてないように思えた。

「そうか……手前バカだな」
「うん、バカだと思うよ」

目線を逸らしたいのに、逸らせない。愚かなことをしていたと、後悔しても遅かった。

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