恋のはじまり11 | ナノ

胸に痛みを覚えながら、わざと誘うような言葉と口調で煽った。さぞかし嬉しそうに欲望丸出しで乗ってくるんだろうな、と思ったけどいきなり予想外のことが起きる。

「…待てよ。もしかして手前嘘ついてねえか?」
「え?」

表情を険しくし、鋭く睨みつけてくる瞳は不信感でいっぱいだった。大体嘘をつけないように何でも話せと命令したのはそっちなのに、何を言っているんだと呆れる。
さっきまで鬱々と暗い気持ちで絶望に打ちひしがれていたというのに、それが一気に消えた。予想外過ぎるにもほどがある。

「なんとなくわかってたけどな。どうせ手前は、薬使ったって素直にならねえ奴だろ」
「シズちゃん?」
「俺とすんのが嫌だって顔に書いてあんぞ。バカじゃねえのか」

互いに密着していた体を離し、シズちゃんが大袈裟にため息をつく。俺には全く状況が理解できなくて、困惑した。ただでさえ薬のせいで自分の意志を伝えることができないのに。
目の前で頭をガシガシと掻いている様子を見て、もしかしてさっきのセックスの話は嘘だったんじゃないかと思う。からかわれただけだ、と気づいて頬が一気に熱くなった。
完全に騙された。なにもかも。

「新羅はこの薬は昔と違って完璧なものだって言ってたけどよお、やっぱり効かねえな。まあ俺ん時よりはマシかもしれねえが」
「…しないの?」
「泥酔してんのに襲うわけないだろ。飲みすぎなんだよ、酒臭え」

まるではじめから、薬ごときで俺がシズちゃんに従うわけがないとわかっていたみたいな口ぶりだった。それに対して、何も答えられない。
実はきちんと効いてるとか、確かにあのまま性行為をしていたら取り返しのつかない勘違いをしていたのは認める。そういう意味で、セックスをしたくなかった。だけど半分はしたかった。
もう一度体だけでも繋がれるかもしれないと期待した気持ちは、見事に裏切られる。復讐がしたい為にぐいぐい責められていると思っていたけれど、急に引かれて拍子抜けした。物足りなくて寂しいと思って。

「嘘ついてないよ…しても、いいよ」
「んな、しおらしく言うわけねえだろうが手前が。あー、やっぱ慣れねえな」

すかさず本心が口からこぼれたが、あっさりと流される。それどころか不自然だと顔を顰められたので、一体誰のせいだと苛立った。
見せたくない姿でねだっているというのに、もう終わりだと言わんばかりにベッドから降りてショックを受ける。放置するならそれでもいいけど、薬がまだ効いたままなんてやめてくれと思った。

「ねえ待ってよ。恋人同士なんだよね?しないなんて、おかしい」
「相手を気遣ってしねえのも、恋人だからだろ。大事な奴に無理させたくねえし」
「俺は大丈夫だから。何も心配しなくていいから、しようよ。好きにしたいだろ?」
「水持って来てやる。頭冷やせ」

立ちあがってやけに冷静に言うと、シズちゃんは台所の方に消えた。あまりのことに愕然として、シーツの端を強く握り締める。そこでようやく、ハッと気が付いた。
薬のせいで自由にできなかった体が、動くことに。従わなければいけない対象が視界から消えれば、元の状態に戻れるのだと。

「…っ!」

慌てて起きあがりベッドから降りようとしたが、ふらふらになるまで飲んでいたことは完全に忘れていたので転げ落ちてしまう。派手な音が室内に響き渡って、しまったと焦った。

「おい、なにやってんだ!?」
「痛っ…」
「どうした、トイレ行きてえのか?」
「うん」

慌てて戻って来たシズちゃんは手にコップを持っていたけれど、いったんテーブルの上に置いてすぐさま近寄ってきて起こされる。おもいっきり左腕を打ったので痛みを訴えると、見当違いなことを尋ねられる。
確かに随分と飲み続けていたせいでトイレには行きたかったので、すかさず頷いた。これが素面だったら絶対にこんな風に同意したりはしないのに、と悔しがりながら両手を引かれ歩き出す。
そうして無理矢理トイレ内に押し込まれて扉を閉められた瞬間、口を開いた。

「ねえシズちゃん、ちょっとこのまま俺の話を黙って聞いてくれないかな。いいかい、しゃべったらダメだよ。どうやら君がさっき飲ませた薬は、従う相手がいないところでは自由に動けるらしい。壁一枚隔てたトイレでも、声が聞こえなければ普通に話せるみたいだね。だからね、一言だけでいいから言わせてくれないかな」
一気に捲し立てた後に、さっきからどうしても言いたくてたまらなかったことだけを手短に告げた。
「俺は、君のことなんて大嫌いだ」
「ああ、そうかよ」

直後に扉が開いて、シズちゃんの低いうなり声が聞こえる。その瞬間にさっきまでの状態に戻ってしまい、体もまた動けなくなった。

「いいからさっさとトイレ行け」
「わかった」

今度こそきちんと命令された後に、扉を閉められる。するとてきぱきとズボンを下ろし始めたので、これでもう自由に動くことはできなくなったんだろうなと心の中で笑った。


再びベッドの上に寝かされて、一体どんな仕返しをされるのかと身構えたが俺の隣に入りこんでまじまじと見つめるだけだった。さっきまでの勢いが無い。
もしかして相当のダメージを与えられたのかと浮かれたが、まるで語りかけるようにゆっくりと話し始めた。

「俺はよお、恋人同士っつっても何したらいいかわかんねえ」
「えっ?」
「だから、あん時の続きがしてえ。ただそれだけだ」
「続き…」

その言葉で過去の事が鮮明に蘇ってくる。無理矢理胸の奥に仕舞いこんで、忘れようとしていたことだ。あの時何を考えていたかなんてついさっきまでは全く思い出せなかったのに、今は違った。
零時になる寸前に別れを告げて、辛い気持ちを押し殺したのが数分前のことみたいにはっきりわかった。そしてもし、もう一日過ごせたら何をしていただろうかと考える。

「キスしてえならしてやる。他のことだって、なんでもしてやる。ただし今度は全部俺が自分でするんだ」
「なんでも、って…」
「誕生日だろ?だから祝ってやるし、好きなことしてやるから」

突然次々と嬉しいことを言われて戸惑ってしまう。復讐でもないみたいだし、からかっているようにも見えない。シズちゃんからは本気じゃないかと思うぐらい、はっきりと真剣な気迫が伝わった。
でもそんなことを告げられる理由は無い。大体好きな相手が居るんじゃなかったか、と考えてようやく意図がわかる。
どうして恋人同士なんて言ったか、好きなことをすると言ったのか。それはさっきセックスをすると決意した時に思いついた理由そのままだった。
練習台。さすがにセックスするつもりまではなかったようだけど、好きな相手にしたいことがわからないから俺で先に練習して失敗しないようにするのだろう。
俺がシズちゃんのことを好きなのはもうバレているし、拒まないのをわかっていて強要しようとしているのだ。だからいくら俺がシズちゃんに、本当は嫌いだからと言っても、通じなかった。
恋人という関係が大事なだけで、折原臨也なのはどうでもいいのだ。好きな相手と恋人同士になり過ごすことに興味があるのだろう。
だから薬が効かないかもしれないと気づいた時でも、焦りはしなかった。逃げなければ、どちらでもよかったはずだ。
気持ちなんて、好きとか嫌いとかそういう感情なんて、考えるだけ無駄だった。俺の事を大事な奴と言ったのも、恋人は大事だからという意味だ。折原臨也が大事だ、なんて言われてはいない。

「何もしなくていいよ」
「…臨也?」
「シズちゃんは、何もしなくていい。あの日だって本当は、セックスなんてするつもりなかった。ごめん、ごめんね…」

急に思い出したからなのかはわからないが、あの時の気持ちが一気に胸の奥で広がって涙が溢れ始めた。そしてすんなりと謝罪を口にする。
もしあの日の続きがあるとしたら、俺はきっとこうしていた。ここまでするつもりじゃなかったんだと、謝りたかったんだと思う。

「おい、待てよ。なんで…」
「残すつもりだって、なかった。全部忘れると思ってたから…だから何もしないで」
「でも俺のこと好きなんだろ?」
「好き、だから…何も望んでない。欲しくない。あの日の続きだって言うなら、余計に何もいらない」

恋人同士と言われた時は嬉しかったし、セックスも一度して覚えていたからしたいと思った。だけど過去の続きで、一晩限りで他の相手のところに行ってしまうのがわかっているのだから、いらなかった。
好きだからこそ、これ以上傷つきたくないというのが本音だ。今の俺にとって、恋は淡い思い出から怖い未来へ変化していた。
関わったら二度と戻れなくなる。それを肌でしっかりと感じていた。

「偽者の俺にはあんなにわがまま言った癖に、本物には何も望んでないってことか」
「そうだよ。ただ一人遊びがしたかっただけ、だから」

本気になってしまって後悔するよりは、先に突き離してわからせた方がいいと思ったのだ。静かにこぼれ落ちた涙は、いつまでも頬を濡らしていた。

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