「なんで?ねえシズちゃん…」 「恋人同士っつったら、最初に何すんだ?どうして欲しいんだ、言ってみろよ」 「…っ…キス、して」 あまりのことに頭の中は真っ白で表情は青ざめていた。聞きたいことは山ほどあるのに何から尋ねていいかわからなくて困っていると、真正面から覗きこまれる。 そしてはっきりとシズちゃんの瞳を見て、まるで命令するように告げられると掠れた声が喉の奥から勝手に漏れた。考えてもいない言葉が口をついて出てしまい、頬が熱くなる。 なんてことを言っているんだと、取り繕うとするのに本音がどうしてかしゃべれない。まるで別の誰かが自分の体を乗っ取っているみたいに、スラスラと動く。 「キス好きなのか?」 「好き、だよ…好き、だからねえ早くして」 体には鳥肌が立っていて、自分の行動に引いてしまっている。いくらなんでも、シズちゃんに対してわざと甘くねだるような言い方はない、と思っていると顔が近づいてきた。 そこでようやく、さっき目をつぶっている間に水を飲まされたけれど、それが口移しだったことに気づく。多分あれからおかしくなったんだ、と原因がわかったところで既に遅かった。 「んっ、う…く」 今度こそはっきりと唇同士がふれあって、心臓が酷く痛んだ。何年ぶりかのキス自体は嫌じゃないけれど、自分の意志でしたわけじゃないので傷ついた。そして思い出してしまう。 若気の至りとはいえ、自分が過去にしてしまった過ちのことを。そしてこれはきっと、あの時の仕返しなんだと。 今日は五月四日で、俺の誕生日だ。シズちゃんがそのことを知っているはずがなかったのだが、もし高校三年のあの日の事を覚えていたのだとしたら、間違いなく狙っている。 復讐をわざわざこの日に選んだのも納得ができたのだ。唐突に思い出したのか、実はずっと覚えていたのか知らないけれど、どうやら俺を同じ方法で傷つける術を知ったらしい。 きっと何年か前にシズちゃんに飲ませた薬と、さっき俺が飲まされたものは一緒だ。そして首謀者は新羅で間違いない。でなければ、こんなことはありえないのだ。 『そっかあ、じゃあ今日一日は俺達恋人同士だね』 それを昔に言ったのは俺だ。だからこそ、さっきシズちゃんは俺に恋人同士として過ごすと言った。強要してきた。 一日だけ飲ませた相手が自分の言う事を聞いてくれる薬で、過去にしたことをつきつけてきたのだ。最高で、最低の、仕返しで、しっかりとダメージを受けた。 自分が仕掛けたことを、自分で受けるなんて、そう起きることではない。シズちゃんにしてはいい復讐方法を思いついたな、と心の中だけで自嘲気味に笑う。 一人であれこれと考えている間に、口内は熱でとろとろになるぐらい蹂躙された。息もあがり、くすぐったさと心地よさに全身も火照っている。恋人同士だ、という作られた感情が無理矢理気分を高めていく。 奥底は、冷え切っているというのに。感情だって反対に、どんどん消えて何も考えられなくなっていく。 考えたくなど、なかった。まだ実は好きでたまらないという気持ちを、思い出してはいけない。今それを顕わにしてしまったら、戻れないぐらい壊れてしまうだろう。だから感じないようにした。 これはシズちゃんの一方的な復讐で、行為には意味などないと。喜んだり、気を許してはいけないと。 「はぁ…っ、ふ」 「なんだ?泣く程、キスが嬉しかったのか?」 「…そう、だよ…嬉しかった」 口元に柔らかな笑みを浮かべながら告げる。その言葉は本心だったので、すんなりと口をついて出てきた。 本当は心がショックを受けて傷ついているけれど、隠さなければいけないと思ったのだ。心にも無いことを言って、誤魔化さなければいけないと自ら望んだからしゃべれたのだろう。 頬を伝う涙はあたたかくて、何年か前に流したものと同じだったけれどあの時とは違っていた。そうやって、大事な思い出を自ら踏みにじるのが俺がしたことへの報いだ。 人の心を勝手に操って、自分の気持ちを押しつけたことに対する罰だと。 「随分と素直じゃねえか」 「だって、恋人なんだろ?ありのままの自分でいたい、と思うのは当然じゃないか」 そう言いながら、俺の意識は過去へと遡る。薬を飲ませて言う事を聞かせていた時は、本人の考えから大きく外れたことはしないだろうと信じていたので、すべての行動がシズちゃんらしいと思えた。 だけど今ならわかる。その行動こそが、俺が望んだものだったんだと。きっと操られていた本人は、何も自分の意志では動けていなかっただろう。 シズちゃんの前で素直な、ありのままの自分なんて絶対に見せたくないと思っているのに拒めないのだから。これは多分、目の前に居る相手が俺に望んだからその通りにしているのだ。 「そうだな、俺は素直な奴が好きだ」 「…うん」 「じゃあ嘘つかずに、全部教えろよ。いいな、臨也」 「わかった」 頷きながら、呆然とする。そんな命令をしたら、言わなくていいことまで話してしまうじゃないかと戸惑い、慌ててしまう。 ここまでするなんてやりすぎだ、とは叫べなかった。どうやらシズちゃんは、相当過去のことを怒っているらしい。すべてを無理矢理吐かせようとするなんて、俺がしたこと以上だ。 「高校三年の五月三日に起きたことを、覚えてんだろ?」 「覚えてるよ」 「あん時手前に飲まされたもんと、俺がさっき飲ませたもんは同じだ。意味わかるよな?」 「一日だけ飲ませた相手が自分の言う事を聞いてくれる薬、だろ」 「そうだ」 きっとこの質問を、薬の飲んでいない俺にしていたら動揺していたに違いない。指先が震えてまともにしゃべることすらできなかった。だからある意味、薬の力で強引に言わされた方がよかったかもしれない。 淡々と真実だけを、伝えることができる。でもそこに、俺の感情は含まれていない。 何を考えて薬を飲ませたのか、あの日を選んだのか、シズちゃんは知ることができないのだ。簡単な言葉一つで片づけられると思うと、悲しかった。 「なんであんなもの使ったんだ。俺をどうしたかったんだ?」 「…言う事聞かせて、恋人ごっこをしたかったんだよ」 「どうしてだ」 「シズちゃんが、好きだったから」 それだけは知られたくない、と当時ひた隠しにした事実があっさりと晒されてしまう。なんてあっけないんだろう、と口元に笑みが浮かんだ。 これ以上はもう聞かないでくれ、と心の中で訴えるのに、当然届きはしない。これは復讐なのだから、シズちゃんが聞いてくれるわけがなかった。 「男なのに、好きだったのか?」 「そうだよ好きだった。だけどそんなこと言えないから、あの薬を使って一日だけ手に入れようと思ったんだ」 「一日過ごして、どうだったんだ?良かったのか?」 「すごく良かったよ。俺の大事な思い出になったから」 笑ってくれればいいのに、シズちゃんは終始真面目な表情をしていた。額から汗が噴き出して、必死に逃げようとするのにまるで言うことを聞かない。 もう充分バカなことを吐いたじゃないかと瞳で訴えるのに、届かない。きっとシズちゃんも、同じように俺が手を繋いだり、キスをしたりする度にこうやって苦しんでいたのだろう。 一人で舞い上がって胸をときめかせていたのは、俺だけだ。だから一人遊びだった。わかっていたけど、こうして突きつけられると辛い。 「なあ、あん時…教室でセックスしただろ。あれも、大事な思い出か?」 「そうだよ」 「気持ちよかった、か?」 「恥ずかしいこと、聞かないでよ…よかったに決まってるじゃないか」 あまりに予想外すぎる質問に、キリキリと胸が痛くてしょうがない。どうしてそんなことを、わざわざ尋ねるんだろうと腹が立った。惨めで、悔しくて、涙がこぼれそうになる。 俺はセックスには興味なんてなくて、シズちゃんとしたいと思っていなかった。だけど求められたから、仕方なくしてそれが思いのほか良かったんだ、という記憶しかなかった。 だけど真実は異なっていた。シズちゃんから迫られたいと心のどこかで考えていたから、拒まなかった。受け入れた。 どす黒い欲望を胸に秘めていたのは、俺だったのだ。人の体を使い、自分を慰めるという卑劣な行為をしてしまった。淡い思い出が、音を立てて崩れてしまう。 「あれから…俺以外の奴としたか?」 「するわけないだろ」 「まだ俺のことが、好きか?」 「好きだよ、シズちゃん」 もし俺がシズちゃんの立場だったら、絶対にそれだけは聞けないと躊躇するようなことをはっきりと聞いてくる。その時点で、怖い物なんてなにもないし俺のことなんてどうでもいいと思っている証拠だ。 絶対に問われると予想していたけれど、まさか本当に尋ねられるなんて。まだ、好きかと。 「じゃあまたしようぜ。あん時みたいに」 「いいよ、しようか」 その瞬間、目の前が真っ暗になった。シズちゃんの意図に気がついたから。 ただ復讐したいだけじゃない。最近好きな相手ができた、という噂も聞いていたので余計に思う。 練習台、もしくは俺の体を使って気持ちよくなろうとしていると。だからこんな茶番につきあっているのだ。 俺の恋心を利用するなんて、相当恨んでいないとできないことだろう。つまりはそういうことだ。 人の心を操って弄んだ俺を心底憎んでいる。好きだなんて言われて気持ちが悪い、だけど好きな相手の為なら最低な奴でも練習台ぐらいにはできると。 「気持ちいいこと、してあげるから」 シズちゃんのしようとしていることがわかっていて、行為が終わった後に傷つくことも知っていて、それでも拒むことなんてできなかった。心の奥底で眠っていた、僅かな淡い気持ちが唇からこぼれて。 prev│ text top |