「まさかドタチンから誘ってくれるとは思わなかったよ」 「そりゃあ高校卒業してから毎年この日は誘われてるからな。たまには俺から言ってもいいだろ」 「そうだねえ、もう随分と経つよね」 明日は俺の二十五の誕生日で、今年はなぜか二週間も前からドタチンに誘われていた。五月三日の夕方から飲み始め、一年に一度泥酔するぐらいまで飲む日だ。 普段は酒なんて滅多に飲まない。仕事関係でも必ず断っているし、情報屋という辛気臭い仕事をしているのだからアルコールなんて口にできない。だけど誕生日前日から当日にかけての今日だけは、違った。 誕生日だから羽目を外してもいいよね、と断って飲んでいる。酔っぱらったらドタチンが最後まで解放してくれる、という約束をしていてそれが誕生日プレゼントでいいよと言っていた。 だから彼の誕生日には毎年きちんとしたお礼をしている。ドタチンに心を許しているから、というわけではなく俺の周りに他に面倒見のいい奴がいないからだ。 俺の人柄を良く知っているにも関わらず、卒業してからも変わらないつきあいをしている人間は新羅とドタチンだけだ。新羅は変わり者だから続いているだけで、いざという時に頼りになるのは彼だけだ。 それもドタチンの周りの人間に害が及ぶことになれば、すぐにでも敵に回るだろうけど。知っているから手出しはしない。彼が居なくなれば、俺は酒を飲むことさえできなくなるから。 「まあたまにはドタチン以外の相手と過ごしてみようかな、って思うんだけどさ」 「そうなのか?確かお前好きな奴がいるとか、いないとか前に話してたよな」 「うーん、そういう意味じゃあないけどね。君以外の相手の前で酔っぱらってしまった場合、俺はどうなるんだろうという好奇心があるだけだ。好きな相手は、もういないから」 「おい臨也。何かあったのか?」 「別に?何もないけど」 他愛もない話をしながら、何もないからどうでもいいことまで考えてしまうんだとは言えなかった。記憶の奥底に仕舞いこんでいる出来事を、不意に思い出したい時がある。 特に五月に入り誕生日前後の時期になると、胸がざわざわとして落ち着かないのだ。それを抑える為に一日だけ羽目を外すことにしたのは、新羅から素敵な誕生日プレゼントを貰った一年後からだった。 俺は新羅に、薬は失敗だったと嘘を伝えた。理由は、あんな薬が完成してしまったらとんでもないことになると思ったからだ。 人間を思い通りにできる薬ができてしまったら、人間観察を趣味としている俺にとっては趣味を奪われることになる。人間は思い通りにならないから面白いし、腹が立つものなのだ。その根本的な部分を無くしてはいけない。 嘘をついたけれど、彼には毎年誕生日にきちんとプレゼントは贈っている。口には出さなかったけど感謝していたから。 貴重な体験と思い出をくれて、ありがとうという意味をこめて。きっと新羅とつきあいがなくなってしまったとしても、プレゼントだけは一生あげ続けていいぐらいにはありがたいものだった。 結局一日だけの幻だったけれど、鮮明に思い出そうとすればあの時の感情まで蘇ってくるだろう。そんな辛いことはしないけれど。 「変わりがない、というのはいいことだけれど時には劇的な変化を望んだりすることもある」 「お前は充分危険なことをして、面白がってるじゃないか」 「あんなのでは満足できないよ。結構ギリギリのところを渡っているのに、一線を越えられない」 「そうか」 ドタチンは俺の言うことを深く追及してはこない。だからこそ愚痴を口にできる。ほんの少し弱音を吐けるのだ。 同時に必要以上に突っ込んできて、大丈夫かと声を掛けたりもしない。最低ラインを保っているので、そこが俺にはちょうどいいのだ。 どういうことなんだ、と聞かれてしまった時に俺は答えることなんてできない。好きな相手が過去にいたことも、誰なんだと尋ねられないから言えたのだ。 俺は昔からずっと、好きな相手――シズちゃんのことしかドタチンに話していないなんて暴露できるわけがない。そんな恥ずかしいことが知られた日には、もう顔を合わせることなんてできないだろう。 「じゃあたまには、俺以外の奴と誕生日を過ごしてみるか?」 「嫌だよ。もう結構飲んでいるし、こんな酔っ払いを相手にしてくれるなんて今更誰が来てくれるのかな」 「意外と居るもんだぞ」 既に食事を始めて三時間が経っていて、視界がふわふわとしているぐらいには酔っている。焼酎からワインにウイスキーと、いろんな種類のアルコールを飲んだのでいい具合に回っていた。 きっとあと数十分もすれば心地いい深い眠りに入ることができるだろう。それぐらいいい状態なのに、誰かを呼ぶなんて馬鹿げている。 「いいよ。ドタチンだけが祝ってくれればいい」 「そう言うなって」 「君だけでいいんだって」 そう言い切った後に、ウイスキーのグラスを手に持って一気に煽った。すると携帯を取り出しどこかに連絡しようとしていたドタチンの手が止まる。 「今年はいつも以上に、危なっかしいな」 「そんなことないよ」 「そういやあ話は全然変わるけどよ、静雄に好きな奴ができたって噂は知ってるのか?」 まさかこの話題をドタチンから振られるとは思っていなかったので、内心驚きながら静かに見つめる。口の端に笑みを浮かべて、ククッと喉の奥から声を絞り出すと告げた。 「知っているよ。俺には関係ないことだけどね」 興味なさげに言うと、空になったグラスを横に置いてメニュー表を掴む。次は焼酎を頼もうかと銘柄を選び始める。その間ドタチンは黙っていた。 「次はこれにしようかな」 「あいつの邪魔だけはするなよ」 種類を決めると店員を呼んで焼酎を一合頼んだ。当然のように言葉は無視をする。答える義務はなかったから。 今更咎められても邪魔なんてしない。ただ肝心な所で信頼されていないんだな、と寂しく思う。きっと俺の噂はどんどん悪くなる一方で、シズちゃんのいい噂を聞くものだからドタチンも少し態度が変わってきたのだろう。 「やっぱり来年からは、ドタチン以外の相手と過ごした方がいいみたいだね」 「ああ、そうなるといいなと俺は思っている」 きっぱりと言い切られて目を見開く。ここまでドタチンがはっきりと口にするなんて思わなかったからだ。シズちゃんのことといい、今年はどうやら本当にこれまでとは違うらしい。 だったら最後だと思って、徹底的に飲もうと決める。そしてほんの少しだけ、気持ちを告げた。 「もう二十五にもなるし、大人の恋でも探してみようか。シズちゃんみたいに」 「いいんじゃないか」 「俺には似合わないって言わないんだ?」 「似合う、似合わないの問題じゃないだろ。気持ちじゃないか、こういうのは」 「気持ち…ね」 頼んでいた酒が届いたので手を伸ばしながら、ポツリと呟いた。聞こえないように。 俺の気持ちは十八の誕生日から止まっている。覚えてはいるけれど、意識から外して考えないようにしていた。なるべく忘れるように、努力してきた。 あんな情熱的な恋はもう二度とできないけれど、似たような感覚を味わうことはできる。そろそろ人恋しくなる頃かもしれない。だからあの時の、二度と本気で恋はしないという決意さえ破らなければいいじゃないかと思った。 どうせ止める相手もいなければ、約束を破っても怒られはしない。シズちゃんとの出来事は俺しか覚えていないし、守る義理もない。俺の気持ちだけの問題だから。 「もし俺に恋人ができたら、ドタチンは喜んでくれる?」 「ああ、祝ってやるよ」 その返事に笑顔で返した後に、もっと酔ってしまおうと焼酎を喉の奥に流し込んだ。それから数十分もしないうちに、心地いい眠りに誘われた。 「起きろ」 「ん…?」 突然体を揺さぶられたが、眠くて仕方がなくて目を開けることができない。ドタチンにしては変な声だなと思ったけれど、そんなことよりも眠ってしまいたかった。 「これ飲め。酔ってんだろ?」 「いいよ、いらな…っ、んぐ」 どうやら酔いすぎて心配されたらしく、コップを差し出されたらしい。だけど手に取ることもできなかったので、首を横に振った。断ったつもりだったのだが。 急に口内に水が流し込まれる。火照った体に冷たい水がちょうどよかったので、半分眠りながら飲み始める。だけど何か柔らかい感触が唇に当たっているのを疑問に思いながら、注がれた水を飲み干した。 これで再び眠れると思い、徐々に意識が沈んでいくのを受け入れた。だけど、頭の中に鮮明な声が響いた。 「目開けろ、臨也」 しっかりと聞こえてきた声に導かれるように、今度こそパッチリと瞳を開ける。そして心臓が止まるかと思うぐらい、驚いてしまった。 「…ッ!?」 「やっと気づいたか?ああ、でも静かにしてろよ」 慌てて叫ぼうとしたけれど、静かにしろという言葉を聞いて唇がぴたりと止まる。酔いが一瞬で醒めてしまうぐらい、おかしいことが起きていた。目の前に居たのはドタチンではなく、金髪にバーテン服の男で。 「いいかよく聞け」 嫌な予感がしていたけれど、抵抗する術はなかった。 「今日一日俺達は恋人同士として過ごすんだ」 「こいび、と…?」 「逃げられねえからな」 すっかり忘れていた記憶をその瞬間思い出し、止まっていて二度と動き出すことのなかった時間が進み始めた。 prev│ text top |