「さっきからそのケーキばっかり見てるけど、食べたいの?」 「いや…でけえなって思って」 「もうしょうがないな」 一時間近く並んで喫茶店に入り、俺はコーヒーだけだったので八時すぎにはとっくにご飯を食べ終わっていた。少し高めのファミレスに入り、結局デートと言っても食べてばかりだなと気づいた矢先にデパ地下に寄った。 まだこの時間でも人は多く見るのも大変だったが、ある店の前でシズちゃんは止まり数分無言で眺め続けた。わかりやすくていいけれど。 すぐに店員に声を掛けて二人で食べるにしては大きなホールケーキを注文する。どちらにしろ俺は、そのケーキを食べるつもりはなかった。 保冷材は多めに入れて貰ったのであと三時間以上は確実にもつ。五月三日が終わったとしても、ケーキは冷えたままでそのままシズちゃんが持ち帰ることになるだろう。 甘い物は嫌いではないが、好きでたまらないわけでもない。新羅から貰った薬を使って、しかも絶対に効くだろうと計画的に行ったとはいえ罪悪感が皆無というわけではなかったのだ。 食べ物を粗末にはしないシズちゃんのことだから、きっと薬の効果が切れてもケーキは受け取ってくれる。何も知らずに、俺の誕生日にホールケーキを食べる姿を想像してほくそ笑んだ。 自分で自分の誕生日を祝うつもりはない。間接的に好きな相手に食べさせるのが目的だ。 本当の意味なんて、知らなくていい。 俺だけが知っていれば。自分を満足させる為に、今日一日も過ごしたのだから。 「って、おい金半分ぐらい払う…」 「どうせ君の小遣いじゃあ買えないだろ?代わりに持ってくれればいいから」 ケーキの箱を店員から受け取って、落とさないでねと念を押して手渡す。すると少し緊張した面持ちで箱を掴む。 その後も人とぶつからないように気をつけながら歩いたので、目的地に着いた時には九時を回っていた。 「なんで学校なんだ?」 「昼間は騒がしいところばかり行ったからね。馴染みのある静かな場所がいいだろ?」 「家帰らないのか」 「明日も学校は休みなんだし、夜更かしして遊ぼうよ。シズちゃん」 当たり前だが学校に行くことにしたのは、薬が切れて正気を取り戻したシズちゃんが違和感を覚えない場所だからだ。零時になった瞬間に戻るかは定かではないが、今日の痕跡は残したくない。 俺が用意した家になんて連れ込んでいれば、間違いなく顔を突き合わせて揉めることになるのだ。そんなことわざわざするわけがない。 先に俺が正門を飛び越えてケーキの箱だけ受け取ると、シズちゃんも続く。ゴールでウイークとはいえ、校内に全く人が居ないわけじゃなかった。だけど今は静まり返っている。 ポケットから鍵を取り出すと簡単に裏口の扉は開いたので、堂々と校舎内に入った。二年以上もこの学校で過ごしたのだから、簡単に侵入する手段なんていくらでも持っている。 「ねえ、夜の学校ってなんかわくわくしない?」 「そうか?」 「まあ君はそういうのあまり気にしないで生きてるよね」 よく二人で放課後に喧嘩をして遅くまで学校内に残っていることはあったが、こんな時間までやり合っていたことはない。途中で教師に咎められるし、シズちゃんを撒く為に学校外へと出る。 街中に出れば間違いなく逃げきることはできるので、日が暮れる前には自宅に帰ることだってあった。もっともそれは一年の頃だけで、最近は情報屋としての仕事を始めていたので夜の街を学生服で歩くのに躊躇はしない。 だけど学校内は違う。非常灯のランプしか光っていない廊下を歩くと胸が躍った。 それもきっと全部、一晩限りの恋人と一緒だからだ。 「シズちゃんの席はここだよね」 「ああ」 毎日授業を受けている教室内に辿り着くと、窓側の一番後ろの席に座る。俺の席は真反対の出口側だ。 さすがに三年間同じクラスという事だけは操作できなかったが、席順はいくらでもできる。一番遠い場所にシズちゃんを毎回配置して、こっちは逃げやすいように出入り口にした。 新羅に呆れられるぐらい、毎回同じ位置でクラス内でも半分以上の人間がそのことを許容している。上機嫌で顔をあげると、ケーキの箱を机に置いたシズちゃんが前の席に腰掛け椅子を寄せた。 「よしケーキ食うんだろ?」 「あのさあ、まだ早いって。俺すっごくお腹いっぱいだから」 「そうか?」 早速ケーキの話になってしまい笑ってしまう。食欲に忠実すぎて肩を揺らしておかしそうに声を出す。ぼんやりと頭の片隅で、随分このシズちゃんにも慣れたなと感じながら。 「じゃあ運動でもするか?」 「喧嘩はご免だけど」 「んなことしねえよ!あれだろ、他にあんじゃねえか…恋人同士ですることが」 「ん?」 わざととぼけてみせたが、昼間から散々何かを匂わせる様なことばかりを言っていたので予想通りだった。だけどこれは、俺の望んでいることではない。 シズちゃんとキスはしたいが、それ以上のことを求めてなどいないのだ。じゃあどうして勝手にそういう行為をしたいと言っているのかと考えてみたが、単純に溜まっているのだろう。 きっと恋人ができた、イコール性行為へと結びつくような思考回路をしている。下品極まりないと思うのだが、面白いので放置してきた。 「言わせんじゃねえよ。手前だってわかってんだろうが」 「なにが?」 「あんまり冗談ばっか言ってると襲っちまうぞ」 「へえ…俺のこと襲えるんだ?」 からかうようにわざと微笑んでみせると、盛大に顔を顰めて睨みつけてくる。わざと挑発するように立ちあがると、シズちゃんも激しい音を立てて席を立ちいきなり両腕を掴まれた。 「手前はしたくねえのか?」 「うーん正直どっちでもいいかな。性行為に対して執着は無いし、シズちゃんと一緒に居られるならなんでもいいよ」 「なんだよそりゃあ。俺だけがすげえ臨也のこと好きで、必死みてえじゃねえか」 「必死…なんだ」 一日だけ薬を飲ませた相手を従わせることができるものだったのに、こんなことまで言わせることができるなんて、と心の中で歓喜した。 俺が好きで、恋人だと思い込んで、必死で。そんな夢みたいなシズちゃんが目の前に居るなんてと。 「しようぜ。なあいいだろ?」 「シズちゃん…」 再度許可を得ようとするような口ぶりに、決定的な一言がないと襲えないのではと思った。いくらでも力でねじ伏せることができるのにしないのは、俺が曖昧なことしか言わないのだと。 じゃあ試しに頷いてみようか、と考えて一瞬だけ迷った。本当にシズちゃんとセックスしていいのだろうかと考えたのだ。 それで後になって辛くならないのかと思ったが、今日限りで恋心というものを捨てる覚悟をしているのだから大丈夫だろう。何も残りはしない。 「しょうがないなあ。まあ俺もセックス中のシズちゃんがどんな顔してるのか、見てみたいしね」 「いいってことか!」 「うん、いいよ」 告げた瞬間におもいっきりシズちゃんが抱きついてきて、勢いのあまり後ろに倒れてしまう。だけど背中を打ちつける前に支えられたので、痛みは無かった。 そのさり気ない気遣いに、胸がドキンと高鳴る。俺に対して優しい素振りなど見せたことないのに、本物の恋人であればできるのだと。嬉しい、と。 偽者だろうがなんだろうが、気持ちは満たされるものなんだなと認識した。目の前の顔に指先を伸ばし、頬をゆっくりと撫でながら甘えるように言う。 「痛くしないで」 「当たり前だろ」 「すっごく優しくしてよ」 「わかった」 絶対に本人には言えないだろう注文をつけると、あっさりと力強く頷く。シズちゃんがこの年でまだ性行為の経験が無いことも、俺自身もしたことがないのもわかっていた。 だからいきなり同姓とセックスをするなんて随分とハードルが高かったが、仕方ないかと薄く笑う。好きな相手の為なら体を差し出せるという意味が少しだけ理解できた気がした。 でも普通と違うのは、結ばれる為ではなくシズちゃんの童貞を奪うことと、彼の行為中の表情や言葉が聞いてみたいという好奇心だ。 決して本気で好きになりかけているから、ではないと決めつけて目を閉じた。 prev│ text top |