「じゃあ一緒に寝ようか」 「ああ」 先に俺がシャワーを浴びて風呂から出てきたシズちゃんに、用意していた着替えを渡すと何の文句も言わず着た。頭が濡れていたのでタオルで軽く拭いてあげるが、嫌がる素振りも見せない。 本当にこれは面白い、と上機嫌のままベッドに誘えば力強く頷いて当たり前のように俺の横に寝そべる。そのまま暫く息を潜めて見守っていたが、特に動くような気配はなかった。 「ねえシズちゃんさあ」 「なんだ」 「ははっ」 「あ…?なんだ、なにがおかしいんだ臨也」 「ううん、別に」 俺が話し掛けて普通に返事があることがおもしろい、なんて言えば呆れられるかもしれない。だけど楽しくてしょうがない。何気ないことだけど、とんでもない奇跡があるから成り立っていることなのだ。 逆に言えば、奇跡がないと絶対に普通に過ごすこともできなかった。その事実に胸が痛みかけるが、振り払うようにシズちゃんの方に体を傾けると告げる。 「俺のこと抱きしめてよ」 「いいぜ」 少し緊張しながら言ったというのに、あっさりと腰を掴まれてそのままシズちゃんの顔が近づいてくる。辺りは暗かったが息のかかる距離まで近寄っているので、互いの表情はわかるだろう。 俺は耳まで赤くしながら、恥ずかしさにもぞもぞと身を捩らせた。石鹸の香りが漂ってきて、手を伸ばせば掴める距離だという事実に頬を緩める。 「シズちゃんちょっと体熱いね」 「そうか?」 「うん、まあ俺の方が少し体温低いのかな」 「冷たくて気持ちいいぜ、手前の体」 シズちゃんと俺では体温がかなり違うのが驚きだった。風呂あがりにしては全身がやけに熱く、服越しにも伝わってくる。抱きしめられているから余計にわかるのだ。 いつも俺に対して暴力を振るうだけの手が、しっかりと背中に添えられていることにほくそ笑む。だけどどんなにあたたかくても、全部偽者なのは頭で理解していた。 だってこっちから抱きしめてと言わなければ、向こうから抱いてくることはない。拒まないけれどこっちが望むことしかしなくて、予想を裏切るようなことは絶対に無いのだ。普段とはまるっきり逆だ。 「もう少しだけ強く抱きしめてよ」 「ああ…痛かったら言え」 「痛く、ないよ」 微妙な優しい力が加えられたが、痛くはない。さすが俺が命令してコントロールしているだけある。痛いのはむしろ、自分の胸だ。 気を抜けば襲いかかろうとしてくる罪悪感と、今を楽しまなければとそれを拒絶しようとする心でぐちゃぐちゃだ。嬉しいのに物悲しいのは、しょうがないのかもしれない。 「おいやっぱ、どっか痛いんだろ。すげえ辛そうな顔してんぞ」 「そんなことないよ」 「よくわかんねえが、我慢するな。泣いても笑わねえし、その…恋人なんだから慰めてやる」 「ははっ、慰めて…くれるんだ」 まさかシズちゃん自身から慰めると言われるとは思っていなくて、心底驚いてしまう。恋人だから、という縛りつけが相当効いているらしい。さっき泣いてしまったこともしっかり覚えているのだろう。 だけど裏を返せば、目の前で俺以外の誰かが泣いてしまえば、人がいい彼のことだから慰めてしまうということを知ってしまったのだ。今は俺だけのものだけど、二度と俺のものにはならない。 気づいた時には、ポロッと本音を漏らしていた。誰にも見せたことのない弱い自分を。 「黙って聞いてくれるかな」 「ああいいぜ」 「すごく好きな人がいるんだけど…手に入らなくてさ。だから君にこんなことをしてしまった。ごめんね」 「臨也…?」 「ずっと強い振りをしていようと思ったけど、限界だったのかもしれない。こんな偽者のぬくもりを求めるぐらい弱っていたんだ」 こんな懺悔を口にしたところで、ただの自己満足なのはわかっていた。だけど言わずにはいられないぐらい追いつめられていたらしい。残り少ない数時間を存分に楽しむ為に、すっきりと言ってしまいたかったのだ。 偽りの恋人を演じさせているシズちゃんへ、謝罪を。きっとこれから先も、何があっても、謝るのは今日が最初で最後だ。 「でも今日限りでこんな人間臭い感情は捨てるよ。誰か一人の為に自分を見失うようなこともない。本気で恋をするなんて、二度とないから」 きっぱりと決意を口にする。本当はもっと早く覚悟をしなければいけなかったのかもしれないが、今までできなかった。だけど本来は迷ってはいけなくて、迷いを振り切る為のきっかけを待っていたのかもしれない。 「俺の恋人はシズちゃんだけだから。これから先もずっとね」 「…泣くな」 「うん、もう泣かない。大丈夫だから、っ…ありがとう」 再び溢れ出した涙をシズちゃんが指先で拭ってくれる。感情を吐露したことで、胸につっかえていたものが消えたような気がした。 シズちゃんと過ごしたことを喜ぶのも、後悔するのも今日限りにしようと思う。明日からは何があっても、大事な一つの思い出として心の奥にしまっておくだけ。 そうしなければ残った膨大な人生がつまらなくなってしまう。思い返して頬を濡らすことなんて絶対にあってはならない。 「また、抱きしめて…キスしてシズちゃん」 「わかった」 「ん…っ、ぅ」 目を瞑りそう告げるとすぐに唇にあたたかい感触がふれる。少しだけしょっぱい味がしたけど、それぐらいがちょうどいい。 何度かキスを繰り返して泣き疲れて眠ってしまうまでシズちゃんはつきあってくれた。こんな穏やかな眠りは二度と訪れることはないだろうな、と感じながら意識を手放して。 「シズちゃんすごいいびきだったね」 「何度も言うなよ…気にしてんだからよお」 寝入った時間が遅かったので、目を覚ましたのは昼過ぎてからだった。すぐに制服に着替えて外に食べに行こうと池袋の街を二人で歩く。 ゴールデンウイークに入ってしまったから周りは人ごみで溢れていたが、シズちゃんが切れることはない。むしろ人の波に隠れながら、こっそりと手を繋いだりしている。 「そのうち直さないと、彼女ができた時に困るよ」 「うるせえな、困らねえよ」 「なんで?俺は平気だけど普通の女の子は…」 「臨也がずっと俺の恋人だったら、大丈夫だろ」 その言葉を聞いて、大袈裟に笑ってしまう。たった一日恋人として過ごして欲しいと言ったような気がしたが、シズちゃんは明日もこんなことが続くと思い込んでいるらしい。 ある意味可哀そうだが、これ以上ないくらい俺にこき使われて不本意な行動を取らされているので黙っておく。すると強く手を引っ張られる。 「おい返事しろ」 「はいはい。ずっと俺がシズちゃんの恋人でいてあげるからね」 「おう」 「あーあ、可哀そう」 「なんか言ったか?」 「別に」 目の前の信号が変わったので二人で歩き始める。昨晩全部懺悔したおかげで、胸が痛むことはなかった。バクバク煩く跳ねているだけで、むしろ楽しんでいるぐらいだ。 薬のせいで気持ちを弄ばれて可哀そう、と小声で言えるぐらいには。将来恋人ができた時のことを心配するぐらいには。シズちゃんが好きだという気持ちは完結していた。 「慰めてくれたお礼に、シズちゃんの大好きなプリンパフェを奢ってあげるよ」 「本当か!?」 「嘘なんてつかないよ。でもその前に昼ご飯を…うーん、この格好で入れるのはやっぱりファーストフード店かな」 「シェイクがうまいとこなら知ってるぞ」 すっかり好物に心を奪われたシズちゃんを横目で見ながら、手のひらをぎゅっと握った。少し人通りのない道へ入ったので指を離したが、さっきまでのぬくもりが消えないようにぎゅっと拳を作る。 「じゃあ昼は君の好きなところに行こう」 本当は苦手な食べ物も、今日だけなら全部我慢しようとシズちゃんが指し示す方向に続いた。 prev│ text top |