「シズちゃんお待たせ、じゃあ食べようか」 「お、おう…」 事前に用意していた大き目のハンバーグとサラダを乗せたものを出すと、シズちゃんは目を輝かせながら箸を伸ばした。まるで子供のように興奮しているのが傍から見てもわかるぐらいだ。 もし薬が効かなかったら全部ダメになるところだったが、予想以上に効いている。顔を合わせるだけでも睨まれていた相手と手を繋ぎ、密室で食事をしているのだから驚いてもしょうがない。 「ははっ、そんなに勢いよく食べなくてもなくならないよ。まあシズちゃんはいつもそうだよね」 いただきます、という言葉もなくハンバーグを口に入れていく。昼休みに弁当を食べる時も全く同じように、ご飯をただ口内に放り込んでいくだけなのは知っているがこんなに近くで見たのははじめてだ。 俺が近寄ったらすぐに箸を置いて喧嘩が始まるから。こめかみに青筋を浮かべて、何をしていようと鋭く睨みつけてくる。一番近くで姿をじっくり見ることができるのは授業中だけだ。 だからきっと、卒業すれば二度と近くで見ることができなくなる。あと半年以上先の話だが、俺は既に寂しさを感じていた。 「なんだ、おい食べないのか?」 「ん?そうだね、もう夜遅いからあまりご飯がすすまなくて」 「余ってんならそのハンバーグ食っていいか?」 「いいけど、まだもう一個シズちゃん用に取ってあるけど。そんな食べかけじゃなくて…」 しかし話をしている途中でいきなり俺の皿に箸を伸ばしてハンバーグを掴むと、一瞬で口の中に入れた。あまりのことに呆然としていたが、数秒後に吹き出してしまう。 「あっははは!やだなあ、シズちゃんそんなに俺と間接キスでもしたかったの?」 「残すぐらいなら食うぞ」 「まあそうだよねえ、相手が新羅やドタチンでも同じことしただろうね」 「なに言ってんだ?こ、恋人と友達は違うだろ」 俺はシズちゃんが、特に食べ物に関しては残すことや粗末にする行為を極端に嫌っているのを知っている。だから友達が食べられないものを代わりに口にするのは当たり前という意味だった。 だけど向こうは、違う。恋人だなんて言い直してきて、一瞬で恥ずかしさがぶわっとこみあげてきた。薬のせいなのはわかっているが、心臓が早鐘を打つ。 「そ、そうか…うん、恋人だったね俺達」 「おう。他に食べれねえもんあるか?」 「ちょ、っと…胸いっぱいだから好きなの食べていいよ」 箸を置いて目線を逸らすが、頬は熱い。こんな不意打ちにドキドキしてしまうなんてしっかりしろ、と言い聞かせながらシズちゃんが食べ終わるまで必死に気分を落ち着けた。 手早く皿を洗って汚れだけを落とし、後は全部食洗機に入れてスイッチを押しリビングに戻るとシズちゃんはソファで静かに座っていた。薬の効果のことはわかったが、従う相手が居ない間は何を考えているのだろうとふと思った。 だけどすぐに俺の気配を察知したのか振り返って、終わったのかと聞いてきた。本当に表情も口調も穏やかすぎて、別人だと思う。 「うん、夜も遅いしお風呂入ってもいいんだけど…まだ少しお腹が重いかな。隣座っていい?」 「いちいち聞かなくても勝手に座りゃいいだろうが」 「そうだった。ははっ、折角だしシズちゃんの膝の上で寝ちゃおうかな、っと」 「いいぞ」 遠慮なんかいらないことを思い出した俺は、少しシズちゃんから離れた位置に座るとそのままソファの上に寝転ぶ。そして頭をシズちゃんの膝の上に乗せた。 動揺した様子も、拒むような素振りも無い。薬のせいで操られているようなものだから当たり前だ。ぼんやりと考えていると、真上からジッと見つめてくる視線とぶつかった。 「やだなあシズちゃん、熱烈な視線ありがとう」 「ち、違えよ…手前の顔こんな近くで見たのはじめてだからよお」 「俺もはじめてだよ。でも恋人同士なんだから、当たり前だろ?」 再度呪文のような言葉を口にした。俺達は恋人なんだから、おかしいことは何もないとでも言うように。それさえ言い聞かせていれば、きっとなんでもできる。 シズちゃんの姿形をした、別人のような相手だとしても、一方的な一人遊びだとしても。虚しいなんて思うわけがない。 「でもよお、恋人同士ってなにするんだ?」 「そうだねえ、確かに俺も誰かとつきあったことなんてないからなあ。ああ、信者はいっぱいいたし向こうはつきあっているような噂は流していたけど、本気で人間とつきあった覚えはないんだ」 「じゃあ俺は?」 「シズちゃんは、特別。それにたった一日だから…まあ、最初で最後のつもりでいるけどね」 今までに俺とつきあった人間は誰一人として居ない。だってわざわざそんなことをしなくても、話術だけで相手を取りこむことができたからだ。恋愛が絡むと感情的になり面倒は増える。 だから慰める言葉はいくらでもかけてやったが、それ以上の行為なんてしない。肉体的な行為の意味すらも、俺には不要なものとしか思えなかった。 だけどシズちゃんだけは違う。彼だけは特別、というのは恋愛的な意味も含んでいる。 「たった一日ってどういうことだ?明日にはどうなるんだ?」 「君がそのことを考える必要はない。何も考えなくていい。ただ今日だけつきあってくれれば充分なんだ」 「…臨也がそう言うなら」 「うん、いい子だね。シズちゃん」 まさかこんな風に反論されるとは思っていなかったので、口を緩めて微笑みながら何も考えなくていいと告げる。薬のおかげで俺に対して嫌悪感はなくなってむしろ好意的になったとはいえ、全く考えないわけではないらしい。 何も考えなくていい、という言葉は自分への言葉でもあった。 明日以降の煩わしいことなんて今は考えなくていい。この瞬間を楽しむべきだと。 自然に左指でシズちゃんの顎にふれて、ゆっくりと撫でる。向こうはただ見つめてくるだけで、何もしない。知らないのかもしれない。 こういう時にどうすればいいのか。どちらにしろ、シズちゃんからその行為をしてくることだけは一生ないだろうと思いながら口を開いた。 「ねえ……キス、してよ」 ねだるような甘い声でそう告げると、一瞬だけ驚いたように目を丸くしていた。どうやら予想外のことだったらしい。 「ファーストキスなんでしょ?俺だってそうだから、君にあげる。だから君のもちょうだい」 もう一度最後の一押しを言う。柄にもなくバクバクと胸が高鳴り、少し緊張していた。 キスできればいいな、と思っていたけれど我慢できずに自分から求めてしまうとは予想していなかったのだ。だけどこんなに近くに居るのだから、仕方がないとも思う。 シズちゃんの体温と香り、優しげに見つめてくる瞳を見ていたら。嘘でも、本物でなくても、手に入れたくなった。 まだ誰にも手を付けられていない今のうちに、欲しいと。せめて口づけだけでもいいから。 「臨也…」 「ん、っ…ぅ」 向こうも緊張しているのか鼻にかかったような声が微かに震えていた。直後にあたたかいカサカサとした唇が押し当てられて、体の奥底から血がぐわっとせりあがってくる。 全身が熱くて頭がぼんやりしてしまい、たかがキスごときにと自分で笑った。こんなのセックスをしてしまったら、一体俺はどうなってしまうんだろうと思ったが舌が絡められて意識が飛ぶ。 「はぁ…っ、ぁ…」 やり方もわからない乱暴に口内を蹂躙していくだけの口づけだったが、胸が痛い。体を手で抑えつけられていたが、徐々に力がこめられて痛くなっていく。 痛い。胸も体も。だけど俺にはお似合いだ。 こんな偽りの愛を平気で求めてしまうぐらいなのだから。卒業はまだ先だったが、焦燥感でどうしたらいいかわからなくなっていた俺には。 「…っ、はは…ファーストキス奪われちゃった」 数分して唇が離れていくと大きく深呼吸をして、明るい声で言った。だけどなぜかシズちゃんは眉を顰めて心配するような口調で話し掛けてきて。 「おい…手前、なんで泣いてんだ」 「え?」 言われて慌てて目元に指先を伸ばすと、薄らと涙が浮かんでいた。ボロボロと泣き崩れる程多いわけじゃないが、至近距離で気づかれたのだろう。 自分でも無意識だった。だけど悲しいから泣いたわけじゃない。 「シズちゃんとキスできたのが、すごく嬉しかったから」 「本当か?」 「本当だよ。俺は絶対に、シズちゃんとキスしたこと忘れない。ずっと覚えて想ってるから」 意味が解らなかったのか、そこでシズちゃんは首を傾げたのでソファに手をついて体を起こし頬に軽くキスを落とした。 prev│ text top |