RESET10 | ナノ

どうしようか迷ったが時間があまりなかったのでシズちゃんの昼休みの時間帯を狙って池袋に行った。少しだけでもいいから話がしたい、顔が見たいと。
自業自得とはいえ風邪を引いてしまい、その間はただ苦しくて何も考えないようにしていた。仕事は山ほど溜まっていたので、体が動けばできるだけそれをこなしていたからこそ、シズちゃんの連絡先のみが入った携帯が無いのに気づくのが遅くなったのだ。
できることならなるべく長く逃げ続けていたかったけれど、シズちゃんの誕生日が迫っている。一年に一度のこの日を何もせずにいるなんて俺にはできなかった。
過去につきあっていた時は大したことをしなかったが一緒に過ごしたし、友達でもその日に少し会うぐらい問題は無い。だから早く事情を説明してもし誤解されているならそれを解かなければと思った。
取り立ての仕事がひと段落して建物の中から上機嫌に上司と一緒に出てくるのを見計らって、俺は近づいた。

「シズ…」
「あっ、トムさんすいません。今日これから会う奴が居るんで、昼飯食ったらまた連絡します」
「おういいぞ。楽しんでこい」

入口で相手と別れたシズちゃんは俺の方に近づいてくる。やっぱり声を掛けなくても気配だけで気づかれてるな、と思っていると数メートル先で表情を変えた。

「あれ?臨也か?」
「あ、あぁ…うん」

まるで今俺の存在を知ったみたいな反応をされて、何かがおかしいとすぐに察する。でもそんなことよりも話さなければいけないことがあったので、すぐさま口を開いた。

「ねえちょっとだけでいいんだ、今から話できない?」
「悪い臨也、俺これから待ち合わせがあるんだ」
「えっ?あ、そ、そうなんだ…じゃあ一つだけ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」

どうやらさっき上司に話していた相手は俺ではなかったらしい。何も知らなくて勘違いしてしまったことに恥ずかしさを覚えながら、仕方なく一番尋ねたいことだけを告げる。
本当は電話やメールでもよかったのだけど、アドレスが違うから内容を見なかったとか、知らない番号で出なかったとなるのが嫌だったのでわざわざ来たのだ。少し息を落ち着かせて告げる。

「明日ってお休みだよね?予定あるかもしれないけど…その、ちょっとだけ会えないかな?」
「ああ明日か、悪いな実は今晩から出掛ける予定あって帰ってくるのもあさってなんだ。今更変更できねえし、あさってでもいいか?」
「えっ…?」

あまりのことに頭の中が一瞬真っ白になる。今晩から出掛けて一月二十八日は帰って来ないということは、泊りがけでどこかに行くということだ。一体誰と、と声に出す前に申し訳なさそうに言われる。

「ほんと悪い、またちゃんと話聞いてやるからよ。あれだろ、コートと携帯だろ?また取りに来い、な」
「う…うん……」

俺に言い聞かせるように肩をポンポンと叩くとじゃあ行くから、と足早に去って行く。本当に急いでいるようでこっちを振り向きもしなかった。
呆然としながらシズちゃんが遠くなっていくのをぼんやり眺めていたが、やっぱりおかしいと思う。まるで避けているかのように見えたのだ。姿が視界から消える寸前に俺の足は進んでいた。

「…っ、そんなに急いで一体誰に会うんだよ」

なんとなく嫌な予感が胸をよぎっていた。これが最愛の弟であればシズちゃんは隠すことなく口に出すと思う。だから多分違う。
だとしたら首無しの妖精か、新羅か、それとも俺の知らない相手か。数少ない交友関係がこの十日の間に広がるわけがないと信じながら足早に追いかける。
すると角を曲がりかけたところで慌てて隠れるように戻った。その先には信号のある大通りになっていて、派手な金髪頭が横断歩道の向こう側に見えたのだ。でもそれだけではない。
周りを窺いながら再度ゆっくり影から眺めると、もう一人の姿が見える。それは俺の知らない相手で、髪の長い女性だった。
その瞬間俺は一歩後ずさって、それから何も考えずに走り出してしまう。その女が誰かとかどんな容姿をしていたとか何もわからなかったし関係ない。違うのだ。
シズちゃんが異性と一緒に居たということが、もうダメだった。耐えられるわけが無くて逃げるように池袋を後にする。その間ずっと頭に中に浮かんでいたのは、大したことのない映画の内容だった。
いつの間にか主人公の姿が勝手に金髪頭に変わり、ストーリーが進んでいく。それを俺は客観的に見ている立場で、今の状態と何ら変わりは無かった。つまり。

「気持ち悪い…っ、う」

再び新宿の事務所に戻り扉を閉めたところで力が抜けたように座りこむ。どうやって帰って来たかも覚えていないぐらいで、まだ混乱はおさまらない。それどころか酷くなっていくばかりだった。

「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い…」

目線を床に落としてブツブツと同じ言葉を呟いてはいたが、瞳には何も映ってはいない。ぐるぐるとシズちゃんが主人公の恋愛映画が再生されて望んでもいないのに、ハッピーエンドへと向かっていく。
シズちゃんと相手の女は病気を克服し、幸せになりました。だけど気持ち悪いのはその話ではない。
話の中に登場できるかもしれない、と期待していた俺自身が気持ち悪かったのだ。ただの友達なのにどうしてそんなことを思ってしまったのだろうと。
主人公を陥れる悪役か、励ます友達ポジションか。でもあの話には一切出てくることはないし、必要ないと感じる。それはつまり、シズちゃんにとってもう俺は必要ないということだ。
俺と友達になりたいと言ってくれたけれど、女性の恋人ができたのならいらない存在だった。だから今日会った時も、今まで通りだったのだろう。
嫌いでも、好きでもない、どうでもいい相手だから十日も連絡がなくても気にならない。きっと今はその彼女とやらのことしか頭にないに違いないのだ。
誕生日の間中ずっと出掛けるのなら随分と親密になっている。その打ち合わせを今頃しているのかもしれなくて、確かにさっきの俺は邪魔者でしかない。

「バカだなあ…」

池袋に向かう途中必死に考えた。どうしても誕生日当日一緒に過ごす為に、お願いだからとみっともなくしがみつく覚悟だってあったのだ。
十日も連絡なくてごめんとか、あの日いきなり帰ってしまったこと、お詫びをしたいから俺の家に招待するよと言うつもりでいた。だけどそれらは何も叶わなかった。
気がついたらふらふら状態のままだったにも関わらず立ちあがり、事務所の中に歩いて行く。そしてソファに座って息を吐き、指先でなぞるように革の部分を撫でる。
そこは以前シズちゃんが座っていた場所だ。今みたいに会話が弾むことはなく淡々と食事をしただけだったけれど、俺にとっては居心地の悪い空間ではなかった。
互いにしゃべらなくても恋人同士として過ごしているんだと信じていたけれど、実際は違っていた。きっとシズちゃんは疑問を感じていて、だからいなくなってしまったのだ。
もう修復は不可能で、二度とここに誰かが座ることはない。俺自身の心も折れてしまった。
居なくなって探し続けた三ヶ月とか、友達として過ごした日々とか、何もかも報われることなく消える。もう俺のシズちゃんへの恋心はこのまま消えるのだろうなと思った。
体の関係だけでも繋がっていればよかったかもしれないが、それは許せなかったのだ。だったらもうできることはない。

「諦めたくなかったのに」

少し前から予感はあったけれど、こんなにもあっさりと早く終わってしまうなんて予想していなかった。しかも悪いのはこっちだ。
十日も風邪をひいていなければ、まだ何か間に合ったかもしれない。無茶が続いて怪我もしていたから治りもよくなかったけど、暢気に寝ている場合ではなくすぐに会いに行けばよかった。
シズちゃんの興味があの女性に向かないように仕向けることはできたのに。自分自身のせいでその機会を逃した。
きっともう二人の間に割り入って邪魔をすることなんてできない。そうしたら友達という位置さえもなくなってしまう。今更必要なかったけど、いい思い出ぐらいは残して欲しかった。
俺に唯一残っているのは、長年いがみ合っていた仇敵と少しの間仲良くすることができたという記憶だけだ。その為には、この先会ってはいけない。
もう一度顔を合わせてしまえば余計なことを言ってしまう。あの女は誰なんだとか、俺を襲おうとした癖にとかせっかく築きあげた友達関係を壊すことしか告げられないだろう。
だから、さっきので最後だ。

「そっか…」

涙は出ない。表情も変わったりしない。努力していたことは無駄になったし必要ないのなら最初に戻るだけだ。
これまでそうしてきたように誰にも弱みや自分を見せず、一人きりで生きていく覚悟を決める。シズちゃんのことで仕事に支障をきたすこともないし、手は抜かないから怪我もしない。

「これで終わり」

ゆっくりと息を吐き出してそう告げたが、俺はその場からなかなか動けなかった。そしていつの間にか日が暮れて室内が真っ暗になったことも気づかず、最終的には瞳を閉じて眠ってしまう。
頭の中では必死に考えていた。シズちゃんという大きな存在を失って、過去に戻った意味も失ったからこれからどうしたらいいのかと。

『暫くしてからそのまま過ごすかここに戻ってくるかどうかもう一度お尋ねします』

背中に羽根の生えた天使とやらの言葉が浮かんでいた。あの時は二度と元の世界に戻らないと宣言したけど、今もし目の前に現れて選択するならどっちを選ぶのか決まっている。
二度と会うことがないのなら居ないのと同じだ。だったら絶対に会うことのない場所へ行った方が俺も楽になる。うっかりあの女と一緒に過ごしているところを見てしまって傷つくなんて嫌だ。

「いつ戻れるかな」

睡魔が訪れるのを感じたので身を任せながら、もうこの世界に未練は一切なくなっていた。ここで起きたことはすべて無駄で何も得られはしなかったと思い込んだ。
結局約束したように天使が現れることはなかった。戻ったところでどうしたらいいかも決まってはいなかったし、なにもかもが曖昧だった。
シズちゃんのことが好きという気持ちでさえ忘れようとしていて、目の前は真っ暗で。だからこれ以上暗いところに堕ちていこうとも同じだと、普段では選ばない道に進むきっかけを自分で作った。
それが一番大事な人を悲しませて、いつまでも苦しませてしまう原因とは知らず。単純な思い違いに気づいていれば止められたのに。
二人共傷ついて、ボロボロになるまですれ違うことはなかったというのに。

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