「あ…?おい臨也?」 次の日寝返りを打って不意に目を開けると隣に寝ていた姿がなくなっていて、一瞬で目が覚めた。幸いにも今日は仕事が休みの日だったのでゆっくり寝ていようと思ったのが間違いかもしれない。 慌てていたのでいつものバーテン服に手早く着替えて家を飛び出す。行き先は当然わかっていたので迷うことなく辿り着く。公園の外から黒い頭だけが見えた途端に叫んでいた。 「手前ッ!なんでまたこんなとこ来てんだよ!!」 「ああ、おはよう」 「暢気に挨拶してる場合じゃねえだろ!なんで…ッ」 全速力で走って来たので息が苦しかったが構わずにベンチの前に立つと怒鳴りつける。昨晩散々セックスして少しは気持ちが伝わったと思っていたのは俺だけだったのか、と踏みにじられたような気持ちで苛立ちがおさまらない。しかし。 「あそこに居るのは楽しいけど、やっぱり俺はここで待っていないといけないと思うんだ」 「なんだと?」 「来なくてもいいんだ。こうしていないと、自分の存在意義を失ってしまいそうで…っ、ねえ、やっぱり俺は幽霊なんだよ」 臨也は俯いたままだったが声が震えているようだ。あんなにも嬉しそうに元に戻りたいと笑っていたのを忘れたのか、と思えるほど何かに怯えている。どういうことかさっぱりわからない。 仕方ないなと怒りをおさめて、ベンチに腰掛けてため息をつく。好きになってしまったのだから、俺がなんとかしてやらなければいけなかった。 「だからよお、生き返るって言ってんだろう」 「生き返れたら嬉しいし、やり直したいって思うよ。でも方法もわからないし…多分もう時間も無い」 「時間が無いってどういうことだ?」 「ほら見てよ、朝起きたら足が透けてたんだ」 「な…っ」 その時ようやく顔をあげた臨也は泣きそうに瞳に涙を溜めていて、自分の足を指差した。視線を追うと確かに膝から下がぼんやりと透けていて、地面と混じって見える。あまりのことに俺は焦ってしまう。 「ま、待てよなんで急にこんなこと…」 「わかんないけど俺は未練があってここに幽霊として現れたんだよ。その未練が薄れたら姿も存在も自然と消えてしまうんじゃないかな。だから多分もうここから離れたらいけない」 「勝手なこと言ってんじゃねえ。あれだ、このまま体の中に戻れるかもしれねえだろ」 「君みたいに前向きになれないよ。せめて何か思い出せたら、わかるかもしれないけど…」 俺には臨也の言うことがよくわからなかった。でも本人自身が消えるかもしれないと不安に陥っているのだから間違いではないのかもしれない。そんなの冗談でも笑えない。 携帯の電源は切ったままなので、友人達とは連絡が取れない。でももし本当にこいつが死んでいれば、誰かが直接俺の家までやってきて教えてくれるのではないかと冷静に考える。ただでさえ臨也は池袋で相当名前が知れ渡っているし、噂ぐらいは仕事中に耳に入ってもおかしくなかった。 でも聞いていないということは、まだどっかでしぶとく生きているのだろう。ただし幽霊としてここにこいつがいるということは、臨也自身は目を覚ましてはいない。そんな気がしていた。 「思い出せねえのか」 「うん…靄が掛かったみたいになにもわからない」 首を振ってうな垂れる姿を見て、本当の事を告げるか迷う。もし全部思い出したらこいつはどんな顔をするのか気になるし、喜ぶのではないのかと勝手に思った。 だって俺も好きだと告げたのだから。きっと臨也はその言葉を望んでいたはずだ。 「じゃあ手前の名前、教えてやるよ」 「え…?」 「だからなあ、ぜってえ思い出せ。忘れたままだったらぶん殴る」 「わ、わかったよ…」 目を丸くして驚いていたがもう俺は決心していたので臨也の方を向いて告げた。 「じゃあこっち向いて目閉じろ」 「は?なんで?」 「いいからさっさとしろ」 「しょうがないな」 強い口調で言うと窺うように見た後、ゆっくりと瞳を閉じた。だから俺は両肩を掴んで臨也の体を引き寄せると、唇に軽くキスをする。一瞬のふれあいだったけれど、そこは冷たくて本当のこいつはどのぐらいあたたかいのだろうかと考えた後に告げた。 「手前の名前は、臨也だ…折原臨也」 「えっ、あ…」 顔を寄せたままはっきりと言ってやると、臨也がパッと瞳を開ける。何かに気づいたかのように数回瞼をパチパチと瞬かせていたが、しゃべる前に頬がじわじわと赤くなっていく。そういえば幽霊なのに照れると顔が赤くなるなんて、結構適当なんだなと思っていると。 いきなり体を突き飛ばされてしまって、背中がベンチに当たりガシャンと音がした。痛くは無いけどびっくりする。 「な…んで、っ、シズちゃん…?」 「思い出したのか?やればできるじゃねえか」 久しぶりにそのあだ名で呼ばれて口元が自然に歪んだ。思い出すのに時間掛かりやがって、と苛立ちをこめながら睨みつけると向こうは顔を赤くしたまま焦っていた。 すぐに罵倒の言葉が出ないのは、この二日のことでも思い返して動揺しているのだろうか。ニヤけそうになるのを堪えて、とりあえず臨也が逃げられないように手首を掴んだ。 「なに、やってんの…っ、バカじゃないの…俺が死んだ後に待ち合わせに来るとか、今更こんなの」 「手前こそいつまでも暢気に忘れてんじゃねえよ。いいからさっさと生き返ってこい」 「やだなあ本当に俺が生き返ると思ってんの?幽霊なのに?」 ゆっくりとしゃべりながら目が泳いでいた。こいつも驚いたらこんなにガキっぽい顔すんのかと上機嫌で見つめていたが、生き返ってこいと言った途端に顔色が変わる。 こっちをしっかりと睨みつけながら、普段の最低な笑みを浮かべたのだ。急にどういうことだと掴む力を強くして警戒した。 「君は知らないだろうから教えてあげるけど、あの日俺はここに座っていたら拳銃で撃たれた。相手は銃の扱いも慣れていてちゃんと狙っていたから間違いなく死んでる。だからこうやって幽霊になったんじゃないか」 「おい待てよ…なんで手前そんな詳しく…」 「だってそいつがあの日この公園に来て俺を狙うように仕向けたんだから、当然だろ?」 「あ…?」 一瞬聞き間違えたかと思ったが、はっきりと言われる。 「自分で全部仕組んで撃たれたんだ。だから死んだのは自業自得なんだよ」 「なんだと…?」 「まさか幽霊になってネタばらしできるなんて思ってなかったなあ。今のシズちゃんの顔すっごいおもしろい」 あまりのことに頭の中が真っ白になる。全部自分で仕組んで死んだ、なんて俺にはとても信じられなかった。意味がわからない。 「あの日俺は二つの可能性に賭けてた。一つは君が待ち合わせに現れて、そこで撃たれて全部をバラし今まで騙したからだろざまあみろって言ってやろうと思ってた。もう一つは普通に撃たれて死ぬっていうありきたりなもの。でも命を賭けた甲斐はあったのかな、まさか死んでからシズちゃんが来てくれるなんてね」 「なに言ってんだ手前、っ」 まるで他人事のように淡々と告げられて、一気に苛立ちが頂点を超える。どうして命を賭けてまでそんなことをしたのか、とかそんなに俺が来ると信じてたのかと叫ぼうとしたが先に言われてしまう。 「ねえ俺はさあ、最初から全部わかってたんだよ。うっかり好きだって言って、君がつきあうって宣言してくれたけど嘘ついてるの丸わかりだった。メールをずっと送っていたけど、最後のだって一度だって来ると信じていなかったよ。死んでも平気な顔してるって思ってたのに、そんなに自分が殺したかもしれないって責任感じたのかな?俺が好きって、セックスまでして…」 「うるせえな…ッ」 「もし覚えてたら絶対にあんなことしなかった…っ」 そこで急に声を詰まらせて下を向く。そのままの状態で叫んだ。 「俺はシズちゃんになにかをしてもらうつもりなんてなかった!一人で勝手に君が来るのを想いながら待つのが楽しかったんだ。起こりもしないことを期待しながら死ねて幸せだったのに!!」 「えっ?」 「どうして迎えに来て俺を連れて行ったんだよ…もう死んでるから何もできないのに、後悔することしかできないのに…っ、う」 臨也の肩がビクンと震えてそれから嗚咽を漏らし泣き始める。仕方なく背中に手を回して撫でてやるが、俺はまだ半分以上理解していなかった。 好きだけど俺のことなんてこれっぽっちも信じていなかった、という言葉だけが深く突き刺さった。騙していたことも全部見抜かれていて、それでも何も言わずに一人遊びをしていたらしいがその考えが理解できない。 挙句に死ねて幸せだったなんて、どう考えても嘘をついているとしか思えなかった。好きな相手と結ばれることなんて望んでいない、という気持ちが理解できない。 そんな虚しいことを考えるような奴だったのか、と混乱してしまう。でも気づいたら口が勝手に動いていた。 「死んでねえって何度も言ってんだろうが。俺が言うんだから間違いねえ。死んだなんて認めるわけねえだろ!」 「じゃあなんでこんなに体冷たいんだよ!傷はないけど血がべっとりついてるの見ただろ!!」 「知らねえよ!まだ体がどっかにあるんだからさっさと行って戻ってくりゃあいいんだよ!!」 「嫌だよもう戻りたくない、っ…好きでもない癖に告白されて今後もそれにつきあわないといけないなんて最悪だ!!」 俺が怒鳴ったら弾かれたように臨也も顔をあげて言葉をぶつけてくる。涙で頬を濡らしてぐちゃぐちゃにしながら涙声で訴えた。死んでるから、戻りたくないから、とわがままばかりを口にする。 挙句に絶対に言われたくない事を告げられて、反射的に手のひらで頬を叩いてしまいパンッと音がした。ふれた部分は涙で濡れていたこともあり、さっきまでよりも冷たく感じた。 「好きだっつってんだろ!手前幽霊になってまで俺の事待ってたんだろうが!本当は迎えに来て欲しかったんだろ、素直に全部言えよ!!」 「嘘だ、信じない!シズちゃんのことなんて何があっても絶対に信じない…っ!?」 「くそっ…悪かった、騙した俺が全部悪かったんだよ。いくらでも謝ってやるから好きってことは信じろよ、臨也」 目の前で喚き散らして俺の事を否定し続ける臨也をもう見ていられなかった。だから腰を掴んで体を手繰り寄せると無理矢理膝の上に乗せてやる。そして驚きで口を開いて呆然としている臨也に、これまで言いたくて伝えられなかったことをようやく告げる。 あんなことをして悪かった。好きだと。 こっちが先に折れなければこいつはいつまで経っても素直にならず、消えてしまうと思ったから。 「あ、謝った…の?シズちゃんが…?」 「うるせえな、もう二度は言わねえ。次は手前だろ、さっさとしろ」 「えっ?いや…何のこと?」 「もう一度殴って記憶飛ばしたいか?」 臨也は相当驚いたのか、涙をぴたりと止めて独り言を呟くように小声で言った。無防備な面晒してんじゃねえ、と内心機嫌を取り戻しながら次は手前だと瞳で訴える。 しかし鈍感なのか知らないが可愛らしく首を傾げて恐る恐る尋ねてきたので、わざと目の前で拳を作ってアピールした。自分で考えろと。すると考えるような仕草をした後にじっとこっちを眺めた。 「言うけどさ、ちょっと待ってよ。本当に俺が死んだから責任感じて好きって言ってるんじゃないの?好きってどういうことかわかってる?」 「わかってるぜ。手前が命賭けて教えてくれたんだろうが」 「あー…うん、ほんと言うんじゃなかった…」 「元に戻る為ならなんでもしてやるよ。だから早く言え」 今までの仕返しがしたいのか知らないが、まるで言いたくないみたいにはぐらかすように尋ねてきた。じれったいがここで切れたら水の泡だったのでつきあってやる。 昨晩散々言わせたけれど、臨也の口から聞きたかったから。 「ねえ、もし戻れたとしてもさあ…大怪我してんだから元に戻るまで時間掛かるよ?その間に浮気したりしない?実は体だけが目当てだったとか本当のこと教えてくれても怒らないよ?」 「ああ、もう待ってやるよ!手前だって半年も待ってたんだから、それぐらい俺も待てんだよ!っつーか体だけとか好きじゃねえのに幽霊とできるか!!」 不安を全部吐き出してくれるのはいいが、実は相当女々しい奴だったのかと呆れてしまう。つきあい始めたら実は面倒なことになるのでは、と思ったが選んだのは俺自身なので仕方ない。 確かに俺は切れやすい性格をしているが、臨也が半年も俺を待つことができたんだから同じくらいかそれ以上は待ってやらないと負けるような気がした。だから待つからときちんと宣言した後に、わざと顔を近づける。 「臨也」 「…っ、好きだよ俺はシズちゃんのこと、好き…」 それを聞いた瞬間勢いよく唇に噛みつくようにキスをしてやる。方法なんかわかんなかったが舌とか入れるんだよな、と思ったところでなぜか遮られてしまう。 「おい手前!なにし…て…?」 「こっから先はお預けにしておくよ」 ドスを聞かせて怒鳴ろうとしたが途中で驚きの声に変わってしまう。だって顔をあげたらなぜか臨也の体が透けていて、今にも消えようとしていたからだ。頭の中がパニックになって慌ててしがみつく。 「どういうことだ?なんでだ…っ」 「俺の未練が叶っちゃったからかな。もう一度シズちゃんに好きって言いたかった…から」 照れ臭そうに視線を逸らしているがどんどん姿が薄くなっていく。いきなりのことで動転して何を言っていいのかわからなくなる。 「待てよ、おいまだ話終わってねえだろ…」 「幽霊にまで襲っちゃうなんてびっくりしたけど、楽しかった」 「だから、なんで消えようとしてんだよ!」 「あれ?俺は生き返るって言ったのはシズちゃんだけど、信じないの?」 さっきまで泣いていた奴とは思えないぐらい活き活きと笑っていた。でも体が透けていくのは止まらない。確かに生き返ると信じていたけれど、こんなに急に消えるなんて思ってもいなかったから不安になる。 もしこれが最後だったら。本当に二度と会えなくなったら。 でもそんな弱みを見せるわけにはいかなかったので、ぐっと堪えて叫ぶ。 「そうだよな、手前が死ぬわけねえ!さっさと体戻って来い…またエロいことしてやるよ」 「うわっ、やだなあ怖いなあ…まあ、いいけど」 そしてとうとう体を掴んでいる感触もなくなってきて、胸がぎゅうっと痛くなり涙がこぼれそうになる。こいつがいなくなるわけじゃないんだから我慢しろ、と思うのに堪えきれなくて一筋涙が頬を伝った。 「臨也っ…」 「シズちゃん泣いてる」 笑いながらその雫に臨也が指先を伸ばしたけれど、拭われることはなく目の前から何もかもが消えた。暫くその場から動くことができなくて、俺の頬はいつまでも冷え切っていた。 いつまでも体温の戻らなかったあいつの体のように。 text top |