冷たい頬3 | ナノ

「おい朝っぱらからなにやってんだ!」
「何って部屋の整理してあげてるんだけど」
「物色してるだけだろうが!勝手にさわんな、やめろ!!」

目が覚めるとしっかりと俺の隣に寝かせていた臨也がいなくなっていて、早朝から本棚を漁っていた。見た目には綺麗になってはいたけれど、人の物を勝手に盗み見るなんて許せない。
大きすぎるシャツの袖を引っ張ってもう一度ベッドに戻してやる。さすがに日記は書いていないしエロ本などもないからいいが、一つだけ見られてはいけないものがあった。それは高校の時の卒業アルバムだ。
そこには臨也も載っているので、見つけたら自分の名前もわかるしそこから何かを思い出す可能性もある。一緒に写真に映っている奴らを探し出す、なんてこともあり得るのだ。

「でもさあ、なんでだろうね。他人はさわれなかったし、道端に落ちていた枯葉も拾えなかったのに君の物は普通にさわれてるんだけど。なんかおかしくない?」
「知らねえよ。幽霊とか死んだっていうのは嘘ってことじゃねえのか?」
「あのねえ昨日もちゃんと見せたでしょ。ちゃんと死んでるって!腹を拳銃で撃たれて出血多量で苦しんだのぐらい覚えてるよ」
「何も覚えてねえって言ってたじゃねえか」
「そういうの体が覚えてるっていうんじゃないかな。まあ死んでる人間に科学的根拠を求めてもしょうがないと思うよ。この世には不思議なことがたくさんあるみたいだから」

肝心なところは忘れている癖に、そういうどうでもいいところは都合よく覚えてんのかと舌打ちした。死ぬ時は痛かったんだ、と俺に自慢しても動じたりなんかしないと頭を振る。
幽霊の癖にあれこれ考えて必死に記憶を取り戻そうとするなんて、やっぱり臨也は臨也だと思った。こいつを野放しになんてしていられない、と本棚に転がっていたガムテープを掴む。

「悪さできねえようにしてやるからよお、腕出せよノミ蟲」
「うわっ、すごい凶悪そうな顔してるよ?さすがにそういう趣味はないんだけど。ほら俺達男同士でしょ?」
「いいから大人しくしやがれッ!!」

とうとう怒りが爆発した俺はガムテープで臨也を縛りあげて、全く動くことができないぐらい拘束し唇も塞いでやると静かになった。これでようやく仕事に行く支度ができると胸を撫で下ろす。
ベッドの上から聞こえる呻き声は無視をして、クローゼットからバーテン服一式を取り出して着替え始めた。


俺は一応携帯を持って出掛けたが、電源は切っておいた。それは臨也のことを知りたくなかったからだ。トムさんと一緒に出掛けていたので仕事で使うことはなかったので不自由なことはない。
今日も池袋は平和だし変わったことは何もない。ただ黙々と仕事をこなせばいいと思っていたのだが、やはりいつもより荒れていた。

「ぶっ壊しちまって、すいません」
「しょうがねえべ、こういう日もあんだろ?そうだ今から気分転換に飲みにでも行くか?」
「ありがたいけど…もう遅いし迷惑掛けられねえんで」
「元気出せって。またいいこともあるからよ」

事務所の前で励ましてくれた上司と別れて、ぼんやりとしたまま何も考えずにふらふらと道を歩いていた。こんな状態のまま家には帰れねえし、と思っていると見覚えのある姿が目に入って胸がざわつく。
どうしてこんなところにいるんだと、一瞬で頭に血がのぼった。

「おいノミ蟲、なんでこんなところにいやがるんだッ!!」
「あーもううるさいんだけど。一人でしゃべってると不審者に間違われちゃうよ」
「ここには二度と来るなっつったよな?約束破ったっつうことは、殴られても文句言えねえよな?」
「しょうがないだろ…俺にはここで待つしかできないんだから」

こっちは激怒しているというのに臨也はやけに冷静だった。ベンチに座り地面を見つめていてこっちを向こうとしない。その態度が気に食わなかった。手前はそんな奴じゃねえだろうと。

「いいから帰るぞ」
「嫌だよ、行かない。俺のこと嫌いなんだろ?友達でもなかったんだろ?じゃあ放っておけばいい」
「手前がここに居るだけで人に迷惑掛けんだよ!いいからついてこい」
「ねえ別に俺は恨んでもいないし、現れた相手に憑りつこうなんて思ってないよ。ただ誰を待っていたのか知りたいだけなんだ。きっと顔を合わせたらわかるはずだから」

腕を引っ張って連れて行こうとするのに、臨也は頑なにベンチを離れようとはしなかった。やけに真剣な表情で俺に語りかけてくる。そんな姿なんて見たことが無かった。昨日からいくつも俺の知らない表情を見ている。
本当は前からそうだったのかもしれない。でも俺は目を向けたことがなく、告白された時だって逃げた。挙句に騙して心を弄ぼうとして、取り返しのつかないことをしたのではないかと思い始めていた。

「記憶もねえのに勝手なこと言ってんじゃねえよ。とにかく行くぞ」
「待って、聞いてよ!そいつが誰かは知らないけど、俺は多分よく相手に待たされてたんだと思う。なんかその記憶だけが残っててさ」
「どういうことだよ」
「俺が待ち合わせに早く行ってたのかもしれないんだけどさ、待つことが嫌ではなかったよ。その日会ったら何をしようかとか、そういうことを考えながら大切な相手を待つのって悪くないと思う。こうやって待つことが今の俺の存在している理由だろうし…」

臨也の話を聞いていると段々気分が悪くなってくる。きっと記憶を失っていなければこんなことを聞くこともなかった。
あいつが律儀に俺との約束の為に何度か待っていたかもしれないなんて、知りたくなかったから避けてきたのに。しかも来るわけもないのに、もしやってきたらどうしようと浮かれていたなんて笑い話にしかならない。そんな柄じゃないだろうと。
騙されているのも知らずに期待して待ち続けるなんて、そんな姿想像もできない。違うんだと苛立ってしまって。

「じゃあはっきり教えてやるよ!手前が待つことで迷惑だって思ってた奴がいるんだ!頼んでもいないことし続けて死んだなんてただのバカだろ!!」
「え…っ?」
「迷惑に思ってた奴がここに…手前に会いに来るわけねえだろ」

言うつもりなんてなかったのに、とうとう臨也に教えてしまう。この場所で待ち続ける意味はないと。
あの日だって来るつもりじゃなかったのに通りがかって見つけてしまっただけだ。俺は臨也に会いに行ったわけじゃない。

「そう…か、そうだったんだ。なんか目が覚めた気分だ…」
「わかったんなら行くぞ」
「俺の一方的な気持ちで、迷惑だったのか」

声は弱々しくなっていたのに表情はあまり変わっていない。てっきり泣くか悔しがると思っていたのに、やけに冷静に見えて驚いた。さっきまでの必死さが嘘みたいだ。
それとも本能的に俺の前ではそんな姿を見せてはいけないと思っているのかもしれない。確かに臨也は簡単に泣くような奴ではなかったから。
本当のことを告げただけなのに晴れない気分のまま、昨日と同じように幽霊になった臨也を連れて帰る。さっきまで落ちこんでいたのに、もうすっかり忘れてしまう。きっとそれは、こいつの方が沈んで見えたからだろう。


途中でコンビニに寄り飯を買い、デザートまで食べ終わっても臨也は無言のままだった。ベッドに放り投げてやると自主的にその中に入りずっと塞ぎこんだように寝転がっている。俺が声を掛けてやることはなかったので普通に過ごし風呂まで済ませた。
そろそろ歯磨きをして寝るかと思っていると、唐突に口を開いて話し掛けられる。やけに穏やかな口調で。

「俺のことが嫌いならずっと勘違いさせていたらよかったのに。君って相当お人よしなんだね」
「んなことねえよ」
「言葉遣いとか態度は乱暴だけどなんか無理してる気がする。本当はすごく普通でいい人…」
「黙れよ!ぶん殴られてえのか!!」

あまりのことに足で床に落ちていたペットボトルを蹴飛ばした。勢いよく壁に叩きつけられる音がしただけで結構間抜けだったが、黙らせることには成功する。
胸糞悪いことを聞いたと最悪な気分になってしまう。臨也にそんな風に褒められるなんて、気持ちが悪い。そうだ、好きだと告白された時だって似たような感情が沸いてきた。
なぜか胸の辺りがもやもやして落ち着かないような妙な感じだ。深く考えないようにしたけれど、どうして今こんなことになっているのか理解ができない。
確かにこいつの言っていることは間違ってはいないけれど、自分だってわかってないことを指摘されるのが嫌で怒鳴ったのだ。どうしてこいつを放置せずに連れ帰って来たのか、幽霊になって死んでいることを認めたくないのか。

「俺は昔から手前に酷えことされて、憎くてぶっ殺したいって本気で思ってるような奴なんだよ。褒められても嬉しくなんかねえし、さっきすげえ傷ついた顔したの見た時…」
「あのさあ最初からずっと思ってたんだけど、なんか大きな隠し事してない?嘘ついてる人間の仕草ってなんとなくわかるんだけどさ」
「…っ、嘘ついてるって例えばどんなことだ」
「殺したかったって言ったけど、俺が死んで幽霊になったって知った時すごく動揺してたよ。本気で殺すつもりなんかなかったし、そう…嫌いっていうのも実は嘘なんじゃない?」

突然臨也が上半身を起こして、真剣な表情で俺の事を見つめてきた。そこには敵意も増悪も感じられない。嘘をついているのではないか、と言いながら見つめてくる視線に緊張してしまう。
まさか俺がその待ち合わせをしていた相手だなんてバレるのだけは嫌だ。でも臨也は全く別の事を言い始める。それは予想外で。

「手前のことが嫌いだって何度も言ってんだろ」
「嫌いならこうやって構ったり、連れ帰ったりしないよ。無視していればいいじゃないか。まるで俺の事が心配でたまらないみたいに見えるけど、今の君」
「冗談じゃねえ」
「ねえ俺は…嫌いじゃないけど?」
「な、んだと?」

突然話が別のことにすり替わってしまって動揺した。嫌いじゃないと言う臨也の瞳はまっすぐで、前に告白された時のものと似ている気がする。前はその言葉は信じられない、嘘だろうと言ったけれど今のこいつからはそんなもの感じられなかった。
生きていた時の記憶を覚えていないのだから、きっと本能的な気持ちなのだろう。でもまさか、何も知らなくてもまた俺なんかを好きになったりするのだろうかと疑問に思って。

「きっと前も嫌いじゃなかったと思う。言わなかっただけで、憧れてたんじゃないかな君に」
「あ…?」
「一見乱暴者で怖そうに見えるけど、なんでもはっきり口にして正しい方向に導くなんてなかなかできない。少なくとも俺には無理だ。そういう自分にはないものを持っている相手が羨ましいと思う。だから本当は、好きだったんじゃないかな」

臨也意外の相手に乱暴なことはしないし、間違ってることをはっきり言う度胸なんてない。それは全部手前だからだ、と言いたいのをぐっと堪える。
だってそれではまるで臨也が特別だと宣言しているようなものだったから。最低な奴だから平気で酷いこともするし、待ち合わせはわざとすっぽかすしついたことのない嘘も言う。本当は放っておけばいいのに見つける度に追いかけて、死んだことだって未だに信じていない。
その感情がどういうものなのか、じわじわと気づき始めていた。

「だけどきっといろんなことがあってそれを言えなくなって、君とは最悪の関係のまま別れてしまったのかもしれない。待っていた相手には会えなかったけど、これでよかったのかもね」
「何がよかったのか全然わかんねえ」
「こうして話しているとすごく楽しい。あんな寂しいところで一人待ち続けるなんてバカなことはもうしないよ。未練を残した幽霊としてはどうかと思うけど」

そこで臨也が表情を変えて笑った。なんとなく想像していた笑顔と違っていて、これが死んだ人間の顔かと驚くぐらい綺麗だ。
これまで正面から向き合うことを逃げていたけれど、こうして対峙してみると一瞬でわかってしまう。胸がもやもやしたり、気分が高揚していた理由の意味に気づいたのだ。

「手前は死んでねえって思ってる」
「え、っと…?」
「胸打たれたぐらいで死ぬような奴じゃねえだろ。まだどこかでしぶとく生きてるって信じてる。だから幽霊とかそういう話はもうすんな」

俺が突然言い出したことに臨也が眉を顰めた。そんなバカなことを言っているのか、とバカにしているわけではなくて悲しそうに見える。言いにくそうに目線を逸らしてはっきり告げた。

「死んでるよ、だって体こんなに冷たいし。あんなに血も流れて痛くて悲しかった」
「幽霊は冷たいもんだろ。血がなくなっても新しいの入れればいい。痛いの我慢してりゃあすぐ治る」
「そうかな?なんか君にはっきり言い切られると、そんな気がしてくるなあ不思議だけど」

無茶苦茶なことを言っている自覚はあったし、ただの俺の希望で死んでなんかいないと言っているだけだ。それでも臨也の心の何かを変えられたと思う。いつまでも来ない相手を想い続けるのを止めさせられたことは大きかった。

「冷たいなら、あっためたら生き返ったりしねえか?」
「はあ…?」
「俺だけが手前にさわれるんだろ?卵みてえに一晩中あっためてやれば、生き返るかもしれねえだろ」
「あ、はははっ…ちょっと随分無茶なこと言うよね。なんか今まで悩んでたこととかどうでもいいと思えるぐらい、くだらないこと言ってる」
「試してみねえか?」

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