冷たい頬2 | ナノ

「なに寝ぼけたこと言ってやがんだ?」
「あんたこそなんだよ。霊能者か何か?腕掴めるとか変なの」
「よし、じゃあ久しぶりにぶん殴って頭打てば治るよな?」
「ちょっと待ってよ!ほらこんなに手が冷たい人間なんていないだろ!!」

臨也の言うことを認めたくなくてぶん殴ろうと腕を振りあげようとしたが、突然手のひらが俺の頬にぴたりと当てられて驚いてしまう。本当にひんやりとしていて、しかも普通の人間よりも硬いような感触を受けた。いくらこいつがおかしい奴だとしても、体はこんなものではなかったのは一番知っている。
捕まえようと飛びかかったり、何度か拳を叩きつけたことがあるから。これはあまりにも変だった。

「…ただ冷てえだけだろうが」
「違うよ。通りがかる何人かに声掛けてみたんだけどさ、素通りされるし手がすり抜けるんだ。だからおかしいのはあんただけなんだけど」
「知らねえよ。じゃあ試しに誰かやってみろよ」
「しょうがないな」

俺は幽霊なんて信じてはいないし、これまで会ったこともない。だから絶対に嘘だと譲らなくて、臨也に証明してみせろと詰め寄る。するとあっさりと従うように俺から離れて、公園の外の少し人通りがある場所へ行き、目の前で一人の女性に声を掛けた。

「あの、すみません…」
「な……ッ!?」

しかしそこではっきりと見てしまう。手を伸ばして女を振り向かせようとした手が吸い込まれるように体の中に消えたのを。あまりのことに言葉を失ってしまう。
本人はなぜかニヤニヤと笑っていて、正真正銘の幽霊だと証明できたことに喜んでいるらしい。どうしてそんな顔ができるのか俺にはわからなかった。

「じゃあ手前…死んだ、のか?」
「とりあえずここ人が多いから戻ろう。なんか俺も長くは他の場所に行けないみたいでさ、何度か試してみたんだけど気がついたらベンチに座ってるんだ」
「どういうことだ?」
「多分あのベンチの前で死んだからじゃないのかな。生きてた時の記憶がないからよく思い出せないんだけど」
「あ…?」

次々とありえないことを言いだす臨也に俺はついていけなかった。しかし急に記憶がない、と告げたことには動揺してしまう。そんなバカな、と思ったからだ。

「待てよ、おい。まさか俺のことわかんねえのか?」
「あんたのことも、自分の名前もわかんない。俺は幽霊で、最後はここで死んで…ただその直前に誰かとベンチで待ち合わせをしていたことしか知らない」

あまりのことに数秒反応ができなかった。そういえばこいつは一度も俺の名前は呼んではいないし、いつもの殺意も、好意も何もかもが視線から感じられない。俺に対して興味がない、と言いたげに投げやりな視線しか向けていない。
そんなこと今まで一度もなかった。

「誰を待ってたのかわかんねえのか」
「わかんないね。でもここから離れられなくて幽霊になっているのは、やっぱり未練があるからなのかな?」
「なんだ、そりゃあ…」

ベンチに腰掛けて首を傾げていたけれど、俺にはなんとなくもう予想がついていた。どうして俺だけがこいつにさわれる上に見えているのかも、全部説明がつく。
臨也は俺を待っていてこのベンチの前で昨日死んだ。だけど何もかも覚えていなくて、待ち続けるしかできなくてここに居た。念願叶ってようやく本人が現れたのに、未だ気づかずにいるのだ。
背中を冷や汗が流れ指先が震えそうになるのを必死で堪える。相手は臨也だ、だから死んだとしてもしょうがない奴だし自業自得だと言い聞かせた。そうしなければ、後悔で押しつぶされそうだったから。

「クソッ、こんなところに手前が居たら周りの奴らに迷惑が掛かるだろ。来いよ」
「えっ、ちょっとなに!?どこ連れて行くのさ、除霊でもされるの?」
「うるせえ黙ってろ!」

ベンチの前の地面には血の跡なんて残っていない。花が置かれているわけではないので、臨也が死んだという事実を受け入れられなかった。受け入れてたまるかと思ったのだ。
強引に冷えきっている手首を掴み立たせると、そのまま引きずるように歩かせる。生きていた頃に比べてあまり重みを感じないような気がして、すぐに舌打ちをした。そんなわけがないこいつは絶対生きていてちょっと体から抜け落ちているだけだと。

「ねえ、ずっと思ってたんだけどどうしてさっきから怒ってるの?」
「そりゃあ俺と手前がすげえ仲悪かったからだ」
「ふーんそうなんだ。でも俺のこと気に掛けてくれてるみたいだし悪い人じゃなさそうだね」
「勘違いすんな、今でも俺は嫌いだからな。死んだって、嫌いだ」

とりあえず自宅に向かいながらぶつぶつと嫌いだと呟いてやる。いつもだったらそれに対して、俺も嫌いだと言葉が返ってくるのに臨也は黙っていた。
途中で俺の方なんか見向きもしなくなり、チラチラと道を歩く人々を眺めだす。生前のことは覚えていないらしいが、間違いなく本人だと確信して掴む力を強める。

「ちょっと!幽霊でも痛いって感じるぐらい強く握らないでくれるかな」
「知らねえよ。どうせ死なねえんだろ?このまま握りつぶしてやろうか」
「うわっ、野蛮っていうかちょっとヤバイ人?嫌だなあ、なんでこんなのに捕まったんだろ」

呆れるようにため息をつく臨也を無視する。シズちゃんなんかに潰されてたまるかとナイフを振り回していた姿はもう無い。これではまるで別人のようだとなぜか苦々しく感じていると、ようやく俺のアパートに着く。
幽霊を自宅に入れるなんて不穏すぎるがこの際しょうがない。俺がどうにかしてやらないとずっとあのベンチでひたすら待ち続けるなんて、冗談じゃなかった。

「ここどこ?」
「俺の家だよ。さっさとあがれ蹴るぞ」
「怖いなあ、誰にでもそんなに乱暴なわけ?」
「手前だけに決まってんだろ!靴脱げよ!!」

玄関の鍵を開けて先に押しこんでやるとジロジロと中を見回しながら呆然としていた。脅すようにわざと低く言うが、なぜか土足のままあがろうとしたのですかさずコートのフードを引っ張って止める。
礼儀のなってない奴だと睨みつけると、仕方なく靴を脱いだ。俺のことを知らない癖に苛つかせるようなことばっかりするなと不機嫌になっていると、いきなり臨也の姿が目の前から消えていた。しかし部屋の奥から声がしたので、もしかして壁を通り抜けたのではないかと気づく。

「なに人ん家の壁を無断で通り抜けてんだ!許さねえ!!」
「うわっ、なにその言いがかり!この方が早いからそうしたのに俺文句言われるの?」
「いいか今後一切通り抜け禁止だ!あとなんだ飛んだりできんのか?そういうのも全部禁止だ、ノミ蟲は人間らしくしてろ!!」
「なんでだよ、俺死んでるって何回も言ってるのに。っていうかノミ蟲って俺のあだ名?最低だね」

急いで部屋の中に入るとベッドの上に乗って飛び跳ね遊んでいたので、叫んでやる。ついでに人間離れした行為を一切禁止にした。従うかは知らないが、好き勝手にしたら簡単に逃げられてしまう。こいつを縄で縛ってやれば逃げれないだろうかと真剣に考えていると、うっかり呼んだあだ名に興味を示したようだった。
「あんたの名前教えてよ。最低なあだ名つけてあげるから」
「絶対に言わねえ」
「ふーん…平和島静雄って言うんだ?」
「おい手前なに勝手に見てんだよ!返しやがれ!!」

名前だけは教えるつもりはなかったのに、床の上に放置していた郵便物の束を見つけてあっさりと名前がバレてしまう。迂闊だったと苛立っているとこっちをじっと見て一番言われたくない事を告げる。

「完全に名前負けしてるよね。こんなに乱暴者なのに」
「そうかそんなに殴られてえのか、しょうがねえ奴だなボコボコにしてやる!」
「どうしようかなあ、どんなあだ名がいいかな?」
「黙りやがれ!!」

最高の笑みを浮かべてバカにしてくる臨也の胸倉を掴み引き寄せる。するといきなり足を滑らせてベッドに転がったので、俺までつられて倒れこんでしまう。痛くはないがなにをやってんだと顔をあげると、じっと見つめる視線と合った。

「俺の事知ってるんでしょ?だったらさあ、誰を待っていたのか教えてくれないかな」
「教えるわけねえだろ」
「じゃあせめてその相手が今頃どうしてるか、とか…」
「知らねえ」

何か気持ちを訴えるように尋ねられたが、バッサリと切り捨てた。この俺がわざわざ教えてやる義理も無いし、あんなところで待たれても困る。それ以上は考えたくなかった。

「一応さあ、俺も成仏したいなって思ってるんだけど。このままだとあんたに憑りつくかも」
「手前に憑りつかれても何も起きねえよ。そうだな、首に縄でもつけて幽霊を飼ってやろうか?」
「は…?なに言ってんの」
「いいかよく聞けよ。ぜってえ俺の許可なしに成仏なんてさせねえし、他の人間に憑りつかせたりもしねえ。あそこにももう行くな、わかったな?」
「まあいいけど。ところでちょっと重いからどいてくれる?」

成仏したいとか、憑りつくだとか不穏なことを言いやがったのできっぱりと言い聞かせてやる。すると臨也はあっさりと頷いて俺の肩を押してきた。素直すぎるのは気持ち悪いと思ったが、仕方なく体を起きあがらせて離れる。
不機嫌なのを隠さず乱暴に服を着替え始めると、一応声を掛けた。

「部屋の中でぐらいコート脱げよ」
「えー…別に迷惑掛けてないしいいじゃないか。体温だって感じないから寒くも熱くもないよ」
「いいから貸せ」

こっちは部屋着に着替えているのに室内でコートなんておかしいだろうと強引に剥ぎ取ってやる。するとコートの下に着ていた灰色のシャツが汚れていて、ぎょっと驚いてしまう。
左わき腹の辺りが赤黒く血のようなもので汚れ既にパリパリに乾いていた。だから脱ぐのを嫌がったのかと納得したが、すぐに平気な振りをする。こんなことぐらいで動揺したところを見せてたまるかと思ったからだ。

「俺のシャツ貸してやるよ」
「あんまり驚かないんだね。こんなの見たら普通は卒倒しそうなのに。ああ傷はないみたいだから安心したらいい」
「手前が怪我しようが血流してようが、関係ねえ。自業自得なんだから可哀そうだなんて思わねえよ」
「なんかその話だけ聞いてると俺が悪党だって言われてる気がして嫌なんだけど」
「最低最悪な人間なんだよ!だから悪霊なんかにならねえように、しっかり見張ってやるよ、わかったか!!」
「うわっ!?」

絶対に俺は臨也だけは可哀そうだとか同情なんてしてやらねえから、と決めると引き出しからシャツを取り出して投げつけた。綺麗に顔を覆うようにぶつかったのでベッドの上でゴソゴソと暴れていたが無視をして台所に行く。
飯を食っていなかったがそんな気分ではなく、さっさと寝てすべてを忘れてしまいたかった。コップに水を注ぎ一気に飲み干すと、やけに喉が渇いていたんだと知る。
あいつの前では昨日のことを後悔するような素振りはしなかったが、罪悪感はあったのだろう。俺のせいで殺したとか、死んだとか、何があっても認めてやるかと決意した。

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