冷たい頬1 | ナノ

「やっぱり生きてやがったのかよ!しぶとい奴だよなあ、手前は!!」
「えっ?」

偶然通りがかっただけなのにその姿を見つけてしまい、舌打ちをしながら駆け寄ってベンチに座っている臨也の手を引っ張った。そんなことを言うつもりはなかったのにいつものように苛立ちをぶつける言葉が出てしまい、内心後悔する。
でもどうして大嫌いな相手に後悔なんてしなければいけないのだと思い直し睨みつけた。しかし本人は目を丸くしてぽかんと口を開いたままこっちを見ているだけだ。
数秒沈黙が続いて、何かがおかしいと気づく。先に口を開いたのは臨也の方だった。

「ねえ俺幽霊なんだけど……見えてんの?」

衝撃的な言葉と共にさっきまで握っていた腕がやけに冷たいことに気づいて、目の前が真っ暗になった。



「あのさあ、俺シズちゃんのことが好きなんだけど」
「あ……?」

ようやく臨也を路地裏で捕まえてまさにぶん殴ろうと手を引いた瞬間に信じられないことを言われて体が止まる。驚いたからだ。
そんなに痛いのが嫌で平気で嘘をつくのかと苛立ちが増した。びっくりさせて気を逸らす為の作戦だとすぐに気づいたのでぐっと拳を握り直す。そして勢いをつけようとしたが言葉は続いていた。

「別につきあってくれとかそういう贅沢は言わないし、君が俺のことを嫌いなのは充分知ってる。でもなんていうかちょっと我慢できなくなってさあ、返事とかはいらないから話を聞いてくれないかな?一生のお願い」
「嘘臭え…」

一生のお願いと俺に頼みごとをする時点で間違っている。こいつはそういう奴じゃない。愛とか恋とかそういうことには興味なさそうな顔をして、人間全部が好きだと言っているのを聞いたことがある。
胸糞悪いことをこれ以上言うんじゃねえと怒鳴ろうとしたが、そこであることに気がついてしまう。だから率直に尋ねた。

「俺が手前とつきあう、って言ったら嬉しいのか?」
「えっ、えっと、まあそりゃあ…うん嬉しいけど…なんでそんなこと聞くの?」
「振ったら落ち込んだりすんのか」
「あ、ああ…うん、普通に落ちこむけど…」

少し尋ねただけなのに目の前で臨也の表情がころころと変わった。期待するように喜んだかと思えば、あからさまにがっかりしたように目線を逸らしてしまう。まさかとは思ったけれどこれが演技だったら相当だろう。
俺は別に臨也のことなんか嫌いだし早く死ねって思ってるしこれまでされたことを許せねえ。いつもこいつの仕掛けたことに巻き込まれ迷惑していたしいつか仕返しをしてやりたいとは考えていた。
やられたらやり返すという単純なものだったけれど、暴力という手段以外には思いつかなかった。けれどたった今、もう一つ別の方法に気づいてしまったのだ。

「つきあうっても手前に合わせる気なんかねえぞ俺は」
「へ…?どういう、こと?」
「だからよお、俺の好きな時になんとなく気が向いたら…っつう条件ならつきあってやっていい」
「つ、きあっていいって…ほ、んとそれ?」

随分と酷い条件にも関わらず臨也は顔色を変えてあからさまに喜んだ。すると俺の胸はすっと楽になり気分が高揚した。つまりは騙されているこいつを見て嬉しく感じたのだ。
人を騙したいと思ったこともなければ最低な行為だとわかってはいたけれど、臨也になら平気だった。つきあう気なんてさらさらないのに浮かれている姿が哀れで、まるで復讐を果たしたかのような気持ちになっている。
もう苛々はしないし、これはいいかもしれないと口元が緩んだ。

「手前も知ってるだろうが、女とつきあったことねえし誰かを好きになったこともない。だから普通っていうのがわかんねえ。嫌になったらいつでも言え」
「うんわかったよ。そうだねシズちゃんに普通の恋愛がわかるわけないよね、知らなくていい。こっちが合わせるからさ」
「じゃあ俺は仕事戻る」
「…え?」

きっとこいつは三日ももたずに別れると言うだろうなと思いながら掴んでいた腕を離した。忍耐力があるようには見えないしいくら好きな相手でも適当な態度を取られたら傷ついて嫌気がさしてくるに決まっている。
少し遊んでやるだけだろう、と軽い気持ちで歩きながらもう臨也の方を一度も振り向かなかった。大嫌いな暴力を振るって物を壊し後悔することに比べたら、少し話をしただけですっきりしたのはよかったなと思う。なるべく続けれれば楽なんだけど、と暢気なことを考えながら突き刺さる視線を無視した。
でも予想以上に俺達は長くつきあうことになり、あいつが辛抱強い性格なんだと知った。


「静雄携帯鳴ってたけどいいのか?」
「別に大丈夫っす。大した用件じゃねえんで」

トイレに行こうと席を立った時に携帯を忘れたらしい。戻って来たらトムさんに言われて携帯を見るとメールが届いていた。しかし中を開かなくても誰かはわかっていたので、そのまま放置してジョッキの中のチューハイを飲んだ。
俺は最近会社の人達と仕事帰りに飲みに行くようになった。前は面倒だったし人付き合いは苦手なこともあって避けていたけれど、一度行ってみれば先輩達は可愛がってくれて楽しいと感じることが増えている。
仕事中に切れることも減って調子もいい。落ち着いてきたみたいでよかったと褒められることも増えて毎日充実していた。
それもこれも、全部臨也のおかげだ。何日かおきに送られてくる誘いのメールから逃げるように飲み会に行っているのだから。
今日のもきっと場所だけ指定して、待っているからとお決まりの言葉が添えられている。俺は一度もその誘いに乗って行ったことはないけれど。
メールアドレスを交換した覚えはなかったが、つきあうと言って数日後からメールは続いている。それに返事もしていない。池袋で顔を合わせて相変わらず追いかけることはあるが、この話題を口に出しもしないのだ。
てっきりどうして無視をするんだ、とか待っていたのにとか怒られると思っていたのに。都合がいいので俺もそれに関しては何も言わない。
だって最初にそういう風に言ったからだ。俺の気が向いたらと。もし迫られたとしても、そういう気分になっていないと言えば逃げられる。
あいつが待ち合わせ場所に居るかどうかなんて知らないし、どうでもいい。始めの日は待っていたかもしれないが、きっと二度目以降は待っていないだろうというのが俺の予想だ。無駄なことはしないだろうし、恋人を健気に待つという姿なんて似合わない。
大体俺も臨也も男で、同姓なのにつきあうという表現自体も今ではおかしいと感じている。そういう趣味はない、と言えばそこで終わりだ。
こんなことを続けていたら確実に別れる、と言われるに違いないと考えていたが淡々とメールだけが続いている。もしかしたらあいつも意地になっているのかもしれない。未開封のメールだけがいくつも溜まっていたが、開くつもりなんてなかった。
やっぱりあいつが何を考えているかわかんねえな、とため息をつきながら目の前のつまみに手を伸ばす。メールが届く度に思い出しはしたが、昔のように携帯を折ることもなくなっていたしたまに池袋で気配がしても仕事中なら追わなかった。
いつまでも騙していることで俺自身の苛立ちが軽減されているのならこれ以上いいことはない。話し掛けてきた相手に相槌を打ちながらすぐに臨也のことは忘れた。
メールのやり取りが始まって、もう半年が過ぎていた。


「やあシズちゃん」
「手前なんでこんなとこいんだよ」
「あれ?もしかしてメール見てなかったかな?」
「おい静雄…」

仕事が終わりトムさんと話をしながら事務所から出てきたところで声を掛けられた。そしてメールのことを言われてしまった、と初めて後悔する。きっと今日の待ち合わせ場所というのが俺の事務所の前だったのだろう。
遂に強硬手段にでてきたかと舌打ちをしながら不機嫌に睨みつける。しかしこんな場所で喧嘩を始めるわけにはいかないので、真横に居た上司に声を掛けた。

「トムさん、すみません。俺昼間に行ったラーメン屋に忘れ物したみてえで、取りに行きたいんすけど連れてって貰えませんか?」
「あ、ああ、そうだったよな!静雄忘れ物したって言ってたよな。じゃあ行くか」

俺の嘘を一瞬で見抜いて話を合わせてくれたことに感謝しながら二人で臨也がいる方向とは反対側へと歩き出す。きっとあれこれ怒鳴られるだろうと思っていたが、じっとこっちを見つめたまま言葉をかけようとはしなかった。
まるでこうなることをわかっているかのようで、気分が悪い。ようやくあいつの気配がなくなったところですぐさま謝った。

「つきあわせてすいませんでした」
「いや、まさかあんなところに折原が居るとは思わなかったから焦ったが静雄大人になったじゃねえか!あんな嘘でよかったらいくらでも乗ってやるよ。ついでに本当に飯食いに行くべ」
「ありがとうございます」

嫌な気持ちは一瞬で吹き飛んで、褒められたことに照れ臭さを感じながら二人で池袋の街へ向かった。明日からは絶対にメールを確認して臨也にだけは会わないようにしようと決める。
しかし次の日届いたメールは、いつもとは変わっていた。

『今日で最後にするよ。俺が君に告白した場所を覚えているかな?あのすぐ近くに公園があるんだけど、そこのベンチで待ってるから』
「最後ってそうか…もう諦める決心がついたのか」

ようやく別れることにしたのか、と思っただけで携帯を閉じるとすぐに臨也の事を考えないように頭から追い出した。どうせ今夜は長引きそうな仕事だったし、嘘ではなく行くことができないのだからしょうがないんだと言い聞かせる。
最後だからとあいつに合わせて、仕事で行けないからとメールしたりはしない。多分偶然だろうとは思うけれど最後の取り立て先と待ち合わせ場所が近いことも気づかない振りをする。公園の前を通らなければいいんだと思っただけだ。
だからようやく取り立てが終わりすぐ近くの喫煙所でトムさんと二人でいると聞こえてきた銃声にも、知らない振りをしたかった。

「おい静雄…今の拳銃の発砲音だよな?」
「いや俺は聞こえなかったですけど」
「近くでやりあってんのか?っつうか、あの野次馬が集まってる場所だよな。行ってみるか?」
「帰りましょう」

ちょうど見える距離にあった公園の入り口に人だかりができていて、何事かと騒ぐ人々が見えた。いつもだったら気になって近寄っていたかもしれないが、今夜だけは行ってはいけない。あそこにはきっと臨也がいるから。
最後だからと俺を待っているかもしれないから。
しかし少し考えて、それはないだろうと勝手に思う。あいつの職業は情報屋だから、何か事件が起こると事前に知っていて避ける可能性の方が高い。そうやって今まで俺にあれこれと仕掛けてきたくらいなのだから。

「でも怪我人が居るんじゃねえのか?まあ俺らが行っても何もできないかもしれねえが…」
「そのうち救急車来ますよ。俺らは事務所に帰って仕事を終わらせないと」
「まあそうだな。もしかしたら心配させるかもしれねえし、とりあえず行くか」

煙草を揉み消して二人で野次馬が集まる方向を見ながらどんどん離れて行く。どこかに臨也の姿がないか、と思ったけれどこの距離ではわからない。あいつが居たら匂いでわかるし、と勝手に結論付けて前を向いた。
暫くして救急車のサイレン音が信号待ちをしていた交差点を通り抜け、そこでようやく濃い血の匂いがしたなと思い出す。誰かを殴って怪我をさせたとしても数百メートル離れていれば香ってきたりはしないのに。
なんとなくそれだけが頭の中に残っていて、だから次の日に偶然にも公園の前を通りがかってしまって。そしてベンチに座っている臨也に声を掛けてしまったのに。

text top