RESET8 | ナノ

「…っ、やめてよ!!」

おもいっきり胸を両手で押しのけるとシズちゃんはあっさりと俺から離れた。さっきまであんなに身動き取れないぐらい押さえつけていたのに。
まだ煩いぐらい心臓が鼓動を鳴らしていて顔だって赤い。だけど感情はぐちゃぐちゃだった。
本当は嬉しい筈なのに、苦しくて辛い。そして、友達だと思っている癖に、俺のこと友達なんだろ、恋人にはなれないんだろ、と複雑な感情が胸を渦巻いている。
視界がぐにゃりと歪んで目の端に涙が溜まっていたが、こぼすことだけは堪えていた。だって泣いてしまったら惨めすぎるから。

「なんで、っ…こんなことしたんだよ!!」
「いいだろ、その…手前だって嫌じゃねえだろ?こんだけ一緒に居たんだ、わかんねえかそういうの」
「え……?」

一気に文句を捲し立てようと思った途端に、信じられないことを告げられてしまう。雰囲気で察することができんだろ?友達だろ?好きなんだろ、俺の事が。と聞こえないけれどそんな風に心の声が浮かぶ。
軽くため息を吐きだすと微かに唇が震えた。どうしたらいいんだと頭の中はパニックで涙は引っ込んでしまう。
ここで暴言を吐いて突き離し、もう知らないシズちゃんなんか嫌いだと言ってしまえれば楽だったのだろう。だけど頭の中に浮かぶのは、いなくなってしまった三ヶ月のことだ。
本来ならもうこうして話をしているのも奇跡で、出会えたことに感動し自分を変えようと決めた。それをここで壊してしまっては今までのこと全部が無駄になると。
しかしキスのことを認めてしまえば、今後も同じようなことが続く。俺達友達なんだろ、の一言で何も動けなくなる。果たしてそれでいいのだろうか。
前につきあっていた時はキスも、恋人らしいこともなにもしていない。今の方がよっぽどそういうことをしている。喜ばないはずがないのだけど、シズちゃんの心はこっちには二度と向かない。
友達にキスなんてしないんだよ、と教えてあげればいいのに世間から外れて過ごしてきたのだから理解できるわけがないだろう。
俺のことなんて好きじゃない癖にキスして、これからもことあるごとに他の行為を迫られたら。できあがるのは不毛な関係で、ずっと罪悪感を抱えて傍にいることになる。
そしていつか友達でなくなった時にはこっちだけに深い傷が残るのだ。
突然目の前から居なくなって取り残された時より辛くて苦しいだろう。それに俺は耐えられるのか。

「おい黙り込んでどうしたんだ臨也?」
「……っ」

ぐるぐると迷っているうちに答えを催促される。その時思ったのは、やっぱり二度と何もせずに後悔なんてしたくないという気持ちだった。だから俺は。

「ごめん…ちょっとびっくりしたんだ。いきなり…こういうことするから」
「そうか驚かせちまったのか、そりゃあ悪かった。でも手前だって門田と出掛けるなんて相談してただろ?もう俺の知らないところで約束なんてすんな」
「うん…わかった」

いつの間にか熱かった頬が一気に冷めて、それと同じように胸の辺りもズキズキ痛み声に覇気はなくなった。シズちゃんに執着されているのは悪い気はしないけど、どこまでしようが友達でしかない。
もう失われてしまったものを取り返す自信は全くなくなっていた。シズちゃんが俺に好きだ、なんて言うのは一生聞けないだろう。
ただそれが悲しくて虚しくて悔しくて、手のひらを握って拳を作り爪が食いこむほど力を入れた。当然見えないように。

「わかりゃあいいんだ。それにしても酔いが醒めちまった、なあ今から俺の家にでも行くか?」
「…え?」
「門田の顔見てたらなんかまたむかつくかもしんねえし、いいだろ?」

もう日付はとっくに変わっているので、今日はこのまま新羅の家に泊まるのかと思っていた。突然の誘いに嫌な予感しか浮かばないけど、もう決まったことみたいに問われて数秒沈黙して。

「いいよ、行く」
「よしじゃあ帰る支度すっか」

トイレ行って来るから新羅に説明しておけよ、と言い残し廊下の奥に消えた。残された俺はすぐにリビングへと戻り、言われた通りに新羅とドタチンに説明する。
シズちゃんが帰りたいって言うから帰る。明日の約束は無理だとドタチンに伝えると特に何か不満を告げられることはなかった。きっとさっきの雰囲気をなんとなく察して気づいてくれたのだろう。
黒いコートを羽織っていると帰るぞ、と扉から顔だけ出して言われたので早足で近づき二人に手を振って別れた。後でちゃんとフォローしないと、と思いながら玄関で靴を履く。
最近ずっと二人きりだったからその空気をどうにかしたかっただけなのに、反対に何かの地雷を踏んでしまったらしい。友達だと思ってない癖に、と恨み言のように頭の中で繰り返しながら顔をあげるとなぜか手を掴まれる。

「あー…そういやあ手前俺の服じゃあサイズ合わねえよな。どっかで買ってくか?」
「ああ、うん」

ぎこちなく笑いながら言われたので、曖昧に答える。もしかしてこれはヤバイかもしれない、と身の危険を感じながらあたたかな腕を振り払う勇気はなかった。
いつも通り他愛ない会話をしながら上の空で、頭の中ではずっと一人で過ごした三ヶ月のことを思い出していた。シズちゃんと恋人として過ごした一年の思い出なんてほぼなかったし、辛いだけで。


「なんか誰かが家に泊まるなんて、わくわくするな」
「そう?それならよかった」

コンビニの袋をガサガサ探り買ってきた追加のチューハイを手渡すと二人でその場で開けて、乾杯をし直した。当然また酔わせてしまおうという作戦だ。
動作のすべてを見落とさないようにしっかりと目を見開いて見つめながら、次々とおつまみに酒類をテーブルの上に出していく。
コップを出していいか尋ねて台所へ行き、グラス二個と冷凍庫から氷をどんぶり皿に入れて戻るとすぐさまシズちゃんに尋ねる。

「ねえシズちゃんウイスキーなんて苦くて飲めないとか言ってたけどこれならどうかな?杏酒とウイスキー割って飲むカクテルらしいんだけど」
「ああ?そんなの知らねえぞ、本当に甘いのか?」
「あまり知られてないみたいだけど美味しいらしいよ。ちょっと飲んでみて」

シズちゃんの好みそうな甘いカクテルを前に調べた時にネットでレシピを見つけたので覚えていた。コンビニでどちらも売っていたし、酔わせるのはちょうどいいと氷を入れて杏酒とウイスキーをコップに入れる。
どっちも悪酔いしそうな酒だけに一抹の不安も感じていたが、寝かせれば大丈夫と言い聞かせると軽く混ぜ合わせて手渡す。すると迷いなく口をつけて表情が少し変わった。

「確かに結構甘くて好きな味だな」
「でしょ?ソーダとかで割るよりもさっぱりしてるし、好きそうかなって」

俺自身も同じようにカクテルを作ってコップに口をつける。相当アルコールが強いのでシズちゃんみたいに一気に飲んだりはしない。ただ甘ったるすぎると思った。

「家で呑むのもいいもんだな。道具さえありゃあシェイカー振って作るのも楽しそうだけどよお」
「じゃあ次は俺が持って来るから、カクテル作ってくれる?」
「持ってんのかよ、まあなんでもありそうだよな手前の家は。じゃあ次は臨也の自宅でもいいぜ」
「えっ?」

一気に頬を赤くしたシズちゃんが上機嫌に言ったことに俺は凍りつく。次はシズちゃんが俺の家に来るなんて、と考えたところで息を飲んだ。
確かにつきあっていた時はご飯を一緒に食べたりしたし、そういうことをしても悪くはないと思う。だけどそれでは、本当にダメになるのではないかと感じていた。
過去は恋人同士だったからあっさりと招き入れたけど、ただの友達に自分の懐を見せることはしたくない。なにより、あの頃の僅かな思い出さえも失われるような気がした。
こうしていろいろと話ができる友達関係になれたことは嬉しいけど、当時はあれで満足していた。最後の夜だってあまり話もせずに晩御飯を俺の自宅で食べたけど、すごく楽しみにしていたし内心喜んでいたのだ。
同じソファに今のシズちゃんを座らせてもいいのだろうかと迷って。

「うーん、ちょっと散らかってるからまたにしようよ。全部俺が用意するし、そうだ次は晩御飯も作ってあげる」
「マジか?手前料理できんのか?」
「まあ人並みにはね」
「そりゃあ楽しみにしてるぜ」

話題を逸らそうと必死だったので、最終手段の胃袋を掴むという作戦を持ち出す。やっぱり友達関係のシズちゃんを、俺の自宅には呼びたくないと思ったから。
なんとなくいつかは料理を披露することになるだろうと予想していたので、対応は早かった。外食で美味しい店に連れて行っても反応はよかったので、好きな物を食べさせて気を引く作戦は有効だろう。
こんなに頑張ってももうあまり意味はないのかもしれない、と思いながらも今更やめるわけにはいかなかった。
ずっとこのままの関係ではいられない、というのは薄々感づいている。少しでも長い間こうしていたいとは願いつつ、そんなに遠くないかもしれないと気づき始めていた。
シズちゃんが過去に戻ってやりたかったことを、まだ知らない。どう考えても俺自身とは縁のないことだろう。あの映画の中のテーマを考えると、やはり彼女を作って人としての繋がりを増やして充実した日々を送りたいのかもしれない。
彼女と友達を作るのが目的ではないのだろうか、と予想している。その友達の中にたまたま俺が含まれているだけだ。それ以上でも以下でもない。
そんなのは冗談じゃないと思う。彼女ができるのなんて見たくもないし、それで喜んでいるシズちゃんと友達ではいられないだろう。無理だ。
だからシズちゃんに彼女ができるまで、がタイムリミットでいつ訪れるかわからないけれど近いのではないかと予感していた。俺はきちんと過去のことは覚えている。
それこそストーカーのように監視して、女の影がチラついたらすぐに指示をして遠ざけていた。恋人としてつきあっている時も一度だけ、借金取りの仕事で関わった女に誘われている。
当然俺が潰したけれど、シズちゃんの誕生日前後だったことは覚えている。その誕生日までもう十日もない。このまま手を出さなければ、彼女になるのかもしれないのだ。
そんなの潰してやればいいとついさっきまでは考えていたけど、キスが頭の中に残っていて気持ちを揺らがせた。あんなのは続けるべきではないと。
嬉しいけど辛い気持ちになってしまうなら、いらない。きっと後が苦しい。

「おい二杯目入れてくれねえか」
「いいよ」

相当気に入ったのか順調におかわりをねだってきたのでグラスを手に取る。酔わせる作戦は効いている、と少し微笑みながら次はウイスキーを強めに混ぜた。シズちゃんが考えていることなんて、俺には全くわからなかった。

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