RESET6 | ナノ

「ごめん、ちょっとよく聞こえなかったんだけど…」
「俺は手前とは友達でいてえって思ってる。だから、その…悪い」

再度尋ね直したのにもう一度言われて、今度こそ胸が酷くズキンと痛んだ。そんなバカなと内心驚いているというのに、言葉は勝手に唇から飛び出した。

「そっか、そうだよね!うんごめん、ちょっとした冗談だから今のは忘れてよ」
「わかってくれるのか?」
「友達だって言ってくれるだけでも充分だしね。引き止めて悪かったよ、今度こそ帰るからじゃあまた!」

勢いよく捲し立てるとすぐに距離を取り、手を振りながら別れの言葉を告げた。向こうはまだ何かを言いたそうにしていたけれど、戸惑っているのか追いかけては来ない。それでよかった。
逃げるようにして足早に駅へ向かい電車に乗る。そして池袋から新宿に辿り着き駅からはタクシーを拾い事務所まで戻った。その間も表情が変わらなかったのは、今までそうしていた習慣があったからだ。
そして家に足を踏み入れて机の前まで来ると、ポケットから無言でナイフを取り出してパソコンの傍に置いていた機材に突き立てた。それはシズちゃんの家に仕掛けていた監視カメラのもので、もう使う気はなかったけれどそうしたかったのだ。
無言のまま何箇所か傷つけると気分がすっきりし、ようやく持っていた紙袋を床に置いてソファに深く腰掛けた。その途端視界が歪んで、ああもうダメだと思ってしまう。

「……っ、くそ」

一度壊れてしまった涙腺は止まらない。ボタボタと雫をこぼしながら激しく掻き毟るように胸の辺りを掴む。シズちゃんが居なくなった時はこんな風に泣いたりはしなかったのに、と唇を噛む。
自分自身を変えてもっと感情を表に出そうと努力し始めた結果がこれだ。最悪だと毒づきながら、泣いた俺を見て喜んでくれていたことを思い出す。
でもそれは、好きな相手ではなく友達だった。
今ようやくすべてのことがわかる。過去をやり直して俺に求めたのは恋人という関係ではなくただの友達だ。きっと一年間つきあった結果そう辿り着いたのだろう。
別れようと言われたわけでもなく、嫌いだとも告げられてはいない。だけどしっかりと心を抉り傷つけられた。それが自業自得のことだったとしても。

「もっと、早く気づいていれば…」

まだ互いに恋人同士の時に俺が今までのことに気づいていれば、修正できたかもしれない。だけどもう遅く、好きだと告白しても友達として接していたいと言われたのだから頷くことしかできなかった。
きっと二度と好きだと想われることもない。なくなった気持ちは戻っては来ない。
シズちゃんに愛されることは無い。
今まであったものが急に無くなって初めて大事だったことに気づくなんて、本当にバカだと自嘲気味に笑う。怖がっていないでもっと素直に寄り添えばよかったのに。
それさえもできなくなるなんて思わなかったのだ。なんて傲慢だったのだろうと目元を両手で覆う。

「シズちゃん、シズちゃん、シズ、ちゃ…んっ、シズちゃ……ぅ、う」

名前を何度も呼びながら頭の中をいろんなことが駆け抜けていく。恋人として過ごした日々に、居なくなって一人で過ごした日々。そして再会したと思ったら裏切られて。それでも思ったのは。
「いい、よ…友達でも傍に居られるなら」
完全に拒絶されたわけではないのが救いだった。シズちゃんの数少ない友達の一人にしてくれるというのだ。いがみ合っていた頃に比べれば随分と変わったと思う。
だからそれで充分だと必死に言い聞かせる。
恋人ではなくても、好きだという気持ちは変わらない。好きなことを否定されて罵られたわけでもないのだから、このままでいいのだ。でも同じことは繰り返したりはしない。
友達だとしても、これまでと違う俺を見せなければ結局飽きられてしまうのは一緒だ。だからもっと変わらなければいけない。こんな風に感情を顕わにして泣くのは辛いけれど、無表情で何も無かった頃よりはマシで。

「嫌わないで…ね」

振られた悲しみはいつしか失うことへの怖さに変換されて、友達という返事を受け入れていた。泣いている暇はなくて、ずっとこの関係を保っていられるように考えなければいけない。
少しだけ前向きになりかけていたところに、メールの着信音が響き渡った。当然それはシズちゃんからのものだった。

『さっきは悪かったな。でも今日は楽しかった』
「…楽しかった、って」

くしゃりと顔が歪み一度は引っ込んでいた涙がまた溢れ出す。嫌いだなんて言葉は含まれていなくて、逆に喜び気遣ってくれたのだ。
それが嬉しくて何度か読み返した。その度に胸が切なくなるけれどあたたかい気持ちになる。相反する二つの感情の間でごちゃごちゃだったけれど、今までメール一つでこんなにもかき乱されたことはない。
恋人ではなくなったけれど、あの頃よりも嬉しいことだと言い聞かせた。そうするしか自分を保つ方法がなかったから。
メールの返信を打ちこみながら不意にソファの反対側を眺める。そこは何度かシズちゃんが俺の家にご飯を食べに来た時に座っていたところだ。
誘われたらどこへでも行くし、拒むことなく受け入れるつもりだけどここには呼ばないだろうと思った。友達を自分の奥深くに入れるつもりはない。気を許すことはあってもきっと本当の意味ではない。
この特等席は一人だけで、もう二度と座らせることはない。それを残念に思いながら送信ボタンを押した。

「友達って…どうすればいいんだろう」

ボソリと呟きながら頭を抱える。恋人だった時でさえうまくいかなかったというのに、シズちゃんの理想の友達なんてどうすればいいんだろうと。
でもそんなものは本人に聞くしかなくて、結局次の約束を取りつけるのに必死になる。その日から別の人生が始まったようなものだったけれど、完全に吹っ切れることなんてできず未練のような気持ちだけが残った。


月日が流れるのは早くて、友達として過ごすようになってから一ヶ月が過ぎていた。

「最近静雄とよく会っているらしいとは聞いていたけど、君達本当に変わったんだね。一体なにがあったのかな」
「そんなの別にいいだろ。放っておいてよ」
「拗ねなくていいだろう。君ってそんなに子供っぽい顔できたんだね」
「なにそれ。新羅まで俺が変わったとか言わないでくれるかな」

手当をして貰いながら知り合いに会う度に指摘される言葉を自分から告げる。なんだか雰囲気が変わったとか、柔らかくなったとか、優しくなったとかそんなことばかりを最近は言われ続けていた。
原因は当然シズちゃんだ。これまで常に周りを警戒して自分を押し殺して生きてきたけれど、それがいけなかったのだと気づいてからは努力するようになった。
職業柄人を疑わなければ生きてはいけないけれど、必要以上に隠したり偽るのはやめようと。そのせいで厄介なことが起きても、大事な相手を失うよりはマしだと思うようにしたのだ。

「変わったとは思うけど手放しで喜んだりはしないよ。君の噂はいろんな方面から聞くしね。良いことも、悪いことも」
「ああ…なるほど」

てっきり騒がれるかと思ったら、長年の親友は冷静だった。それはきっと、普通ではない人達から俺の悪い噂というのを聞いているのだろう。
右手に包帯が巻かれていくのを眺めながら、いくつかの思い当たることを考えて口に出してみる。この怪我にも関係することで。

「折原臨也は情報屋を引退しようとしている、とか仕事はこなすが注意力が散漫でどこで情報を漏らすかわからないとか?」
「ここに来る頻度は今までより劇的に増えてはいるけど。仕事が暇な時はありがたいけど、二日経たずに来られると困るよ」

コートで隠れた反対側の腕にも包帯は巻かれている。二日前に怪我をしたもので、さすがに小言を言われても仕方ないと自覚していた。
仕事に大きな穴を空けることは今までない。それは事前にどんな内容か既に知っていることが多かったからだ。ただたまにぼんやりしていることがあるのか、予想外な怪我やミスが増えている。
その原因は過去に起きて俺の知っていることとはまるっきり違う事が起きてしまった時に限られる。今の所大きな失敗はしていないけれど、想定外のことが起きると弱いんだと自分のことを分析していた。

「どうしたんだい?静雄と少し仲良くなっただけで、そんなことになるなんて」
「…まあある意味衝撃的だったということなんだけどさ。ちょっと不運が続いているだけだ。仕事ができなくなったら困るのは俺自身だしそこはわかっているよ」
「でも体に何かが現れるなんて、相当だと思うけど。自分の意識していないところで問題があるかもしれない。君の場合は心とか」
「そうだね俺のは厄介かもしれない。だけど誰も治せないだろうし、治して貰おうなんて考えてないよ。今までだって長い間一人でなんとかしてきたからね」

ようやく終わったらしく脱いでいたコートを掛け直す。この後はシズちゃんと食事に行く予定だったし、コートさえ脱がなければバレることはない。怪我をしてしまったので本当だったら家に遊びに行く予定だったのをやめたのだ。
急に仕事の予定が入ってごめんね、でも都合だけはつけるからと言うと嫌そうな顔をするけど頷いてくれる。そうして前よりも親密な関係を順調に築くことができていた。

「臨也はそういうの面倒くさそうだよね」
「自分でもそう思うよ」
「静雄と友達だなんて言っているけど、本当は違うんだろ?どうやって口説いたか教えて貰いたいな」
「そうだね、ある意味友達なんてなれないと俺は思っているけどね」

立ちあがりしゃべりながら玄関へと向かう。さすが一番長くつきあっているだけあって、何かを読まれているなとは感じていた。強引に聞き出そうはしないところが新羅らしいし安心していたけれど。
一ヶ月過ごしてみて、友達なんかにはなれないというのが結論だった。今でもまだ好きで胸が痛むことがたくさんあるからだ。そういう意味では友達とは思っていないので、言っていることは当たっている。

「静雄のことあまり傷つけないでくれるかな」
「その言葉をそっくり返したいけどね」

俺が勝手にシズちゃんに傷つけられているだけなので、新羅にそれが通じるわけがなかった。二人のどっちを疑うのか百人に問えば、辛気臭いのは俺だと半分以上が答えるだろう。
そういうスタンスでやってきたのだから構わない。誰にも告げるつもりはないし、わかって貰うつもりもなかった。

「君達が少しでも長く仲良く居られるのを友人として見守っておくよ」
「それはどうも」

ポケットに手を突っこんで上機嫌に笑いながら扉から出て行った。

「嬉しそうにしてるつもりかもしれないけど、前よりも作っているみたいに見えるよ臨也」

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