it's slave of sadness 17 | ナノ

「なんだ、ありゃ…やべえなおい」

一瞬の隙をついて逃げて行った相手のいつもとは違う白い背中が見えたが、さすがに追いかけることはしなかった。
俺も今から仕事だし、あの姿だと調子が狂うし、なにより。


「すげえ胸がドキドキしてるじゃねえか…」


呆然と口にしながら、まだ昂ぶる気持ちを抑えることはできなかった。
こうして直接目にするのは本当に久しぶりだった。映像としてはいつも眺めてはいるので、こっちとしてはそれで充分に満足していたからすっかり忘れていたのだが。
いつもと違うとはいえ、やっぱり本人に会うのは相当威力があるなと痛感して、ほんのり頬を染めながらもやもやした気持ちを必死に押し殺そうと眉を潜めた。
通行人がわざとらしく避けたように見えたのは、気のせいだろう。

「あいつが俺に対して笑う日が来るなんてよお、はは」
そう呟きながらポケットに手を突っこんで、手探りで煙草を探し当てるとすぐに火をつけて吸い始めた。
幸いこの辺りは昼間には人もいないようなマンションばかりが立ち並んでいて、携帯灰皿さえ持っていれば多少はいいかと思える場所だった。
さっきからトムさんとここで待ち合わせをしていて、今から取り立ての仕事に向かうところだったのだ。とにかく火照った体をおさえるのに必死だった。

「やっぱ偽物なんかじゃだめだな。悪いがもう我慢ならねえ」
頭の中では昨日同じ顔をしたアンドロイドに迫られたことを思い出したが、さっきみたいに動揺するまでには至らなかった。本能的に、違うと告げていた。


確かに昨晩はなぜか俺の携帯に直接臨也の声で連絡があって事務所に向かって、そこでサイケに突然襲われてセックスをして欲しいとせがまれたのだ。
しかも悪趣味なことに臨也の格好をしてだ。すぐに本人の差し金だろうと気がついたが、性質が悪かった。

俺は臨也に惚れていたからだ。

なんとなくそれに気がついたのは結構前なのだが、実感したのはつい最近だった。
津軽というアンドロイドが俺の家に来てからだ。新羅から預かった時は若干迷惑だとも思ったが、試しに何ができるのかと聞いてみるとかなり万能なことがよくわかった。
すぐに臨也には秘密でノートパソコンを買い揃えて、とりあえず機器だけは整えると、同じ顔をしたアンドロイドに命じた。
メンテナンスと称して毎日行く間中ずっとあいつのことを監視して、できれば映像を記録して帰って来て欲しいと。
津軽の目がそのままカメラのレンズとして様子を録画できるよう、こっちも慣れないパソコンを操作していろいろ試みてみた。そうして成功した時は本当に喜んだ。
その時にサイケというもう一人のアンドロイドの姿も見ていたが、目的は臨也だった。一応盗み撮りなので不振がられないようにはしてもらったが、バレることなく毎日帰ってきた。

そして毎晩寝る前に臨也がどうしてるかとか眺めるのが、楽しい日課になっていた。
俺には決して見せない無防備な姿が垣間見れるのは、純粋に嬉しかった。悔しいとは思うが、それ以上は深く考えなかった。

アンドロイドの津軽には念の為、臨也には近づいたり、ふれたり、名前を呼ぶことは禁止した。いくら自分と全く同じ見た目とはいえ、好き勝手されるのは気分が悪かっただからだ。
で、そこではじめて自分があいつのことをかなり好きなんだと気がついたのだ。
名前を呼ぶことを禁止するぐらいに、独占欲が強いのも自覚した。そこからはもう毎晩のように想いは募って、そろそろやばいのではと感じていたところだった。

だから急にサイケが臨也の変わりに仕事を始め出して、あの空間に二人っきりなんだと知った時には相当嫉妬した我慢ならなくて殴りにでも行こうかと思った矢先に、サイケにあんなことをされたのだ。
声だけではわからなかったが、事務所の扉が開いて姿を見た瞬間に本人とは違うのははっきりと認識できた。
気配が、臭いが、身に纏う雰囲気が違ったのだ。いくら誤魔化そうとしても、滲み出てしまうのは当たり前だろうと思った。
それでも話につきあったのは、臨也が何を考えてサイケを使ってきたのか、もしかしたら俺の気持ちに気がつかれたのかと確かめたかったからだ。
ちょうどイライラしていたこともあったので、同じ顔だというのも少し魅かれて、そのまま男同士ではじめてセックスをした。予想以上に、いいものだった。

けれどその間中俺の頭を占めていたのは快感でも、後悔でもなく、もしこれが臨也本人だったらどんなだろうかという想像だった。

サイケには申し訳ないが、所詮アンドロイドなんだと気がついていたし、代用にするほど落ちぶれてはいなかった。むしろあいつはどこが感じるのかとか、そういうことばかり考えていた。
告白するどころか、いかがわしい行為をする雰囲気にもない険悪なな仲なのにだ。

とりあえず一通り終わって、気持ちがよかったかと問われたので、どうせあいつもこれを見ているだろうと思って、臨也のほうがいいと答えてやった。
これでどんな嫌がらせをしてくるかと、少しばかり期待しながら帰宅して録画された映像を見ようとして、そこで始めて俺達がセックスしている間にあいつが来ていたことを知った。
更に俺には絶対に見せないような大人しい表情を晒しながら、津軽の用があると言ってきたのだ。おもわず握りしめていたコップを砕くぐらいには、激怒した。

あいつは津軽の事が気に入って、それであいつら二人が仲がいいのを引き裂こうとする為に、俺も山車に使われたのかと思ったのだ。
それを津軽に問い詰めたのだが、違うとあっさり否定された。
不機嫌なままその後の映像を見続けると、確かに津軽はサイケのことが好きだと断言していたからだ。これだけ直接言われて、何も思わないほど鈍感ではないようだった。

一瞬だけ傷ついて痛みを堪えるような表情を浮かべたのが、俺にははっきりわかったからだ。
つまりは、あいつは津軽に振られたということなのだろうと思った。なんだか釈然としない気持ちがあったが、とにかくすべて今日わかるだろうと思っていてさっきのあれなのだ。
今度はどういう嫌がらせでサイケに自ら姿を変えて俺の前に現れたのかと思ったら、これまで見たことないような笑顔と、色気をふりまきながら目の前から去っていってあっという間だった。
どう考えても、津軽の事を気にして落ち込んでいるようにも、昨日俺がサイケを通じて言ったであろう言葉を聞いているようにも思えなかった。


「ほんっと、わけわかんねえ奴だよな」
頭の後ろをガシガシとかきながら、たばこの煙をゆっくりと吸いこんだ。
一方的にこっちが振り回されてるだけだなと自嘲気味に呟きながら、とにかく今夜こそは何が何でも事務所に押し掛けて全部聞き出してやると決心していた。
このままでは勢いのあまり好きだと言って、これまで津軽を通じて姿を盗み見ていたことまで全部白状してしまいそうだったが、それでもいいいと思った。
もし津軽に振られたとしたなら、傷ついた心を揺さぶられるのは、今しかないだろうと考えたからだ。
先にあれこれ想像しておいて行動することは慣れていないが、とりあえず今日ぐらいは怒りを抑えてきちんと言ってやろうと頭の中でシュミレーションしていた。
しかし自分の事ばかりでまるで周りが見えていなかったと、あいつのことを見ていた癖に何も知らなかったんだと実感して心底後悔したのはこの後だった。

仕事終わりに電話が入ったのだ。
それは前日にサイケから連絡があった番号と、同じ携帯からの連絡だった。

「はあ?臨也が変だ、いなくなったって…どういうことだ?」

相手は自分と同じ声のアンドロイドからで、衝撃の内容にその場で固まった。手に嫌な汗をかきながら、とにかく埒が明かないと臨也の事務所に目指すことにした。
向かっている間中ずっと昼間の臨也の、サイケを真似して俺に対して笑ったのだろうが、明らかに俺だとわかって向けた唯一の笑顔を何度も思い出しながら、胸を軋ませていた。
いつも俺は事が起こった後にあいつの悪事に気がつく方なので、もしかして今回もそうなのかとはやる気持ちを抑えながら、暗くなった池袋を全速力で走って行った。

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