RESET5 | ナノ

もうすっかり泣き止んでいたので、その場でメールアドレスを交換し満足そうな顔も充分堪能したので帰ることにした。本当はそれ以上傍に居たらまた泣いてしまうかもしれない、と思ったからだ。
まだ仕事もあるし、と言うとそれ以上は強く引き止められることもなかった。駅まで送ろうかと言われたが、道はわかると答えて部屋の扉が閉まる。そして一人になったところで、もう一度振り返った。
部屋の中にはきちんと灯りがついていて、シズちゃんが存在している。ぶり返しそうになった涙を堪えて足早に階段を降りるとタクシーを探そうと大通りまで出た。
ようやく新宿の事務所まで帰ると、すぐにパソコンをつけて日付とメールを確認する。曖昧ではあったけれどどれも見覚えのあるものばかりで、少しだけ安堵した。

「変わったのは、シズちゃんと俺の関係だけだよね?」

過去に戻ったけれど同じことが起きるとは限らない。些細な行動一つで何もかもが変わってしまうのは当たり前だ。できることなら俺はシズちゃんとのことに集中したいので、前と同じように行動して過去をなぞりたかった。
結果のわかっているできごとなんて面白味はないけれど、もう一度失うぐらいならどんなことでもするつもりだ。

「友達か…」

ぼんやりと口にしながらもし同じことを今回のことを一切知らない俺が聞いたら、鼻で笑ってバカにしていただろう。心のどこかでまだ自分自身でも、似合わないと感じていた。
恋人同士になっても大したことができなかったのに、どんなことができるのだろうかと。だけどやらなければまた同じことを辿るだけだ。またシズちゃんはあの映画を見て、天使に会うかもしれない。
暫くこのまま過ごすけれどもう一度会うことになるとあいつは言ったのだ。気に入らなければまた別の過去へと何度も戻れるのかもしれない。二度も失うことになるのだ。

「嫌だ…もうあんなのは」

恥ずかいという気持ちも、俺らしくない行動の数々も、全部もう一度シズちゃんの傍に居る為に必要だからまだ友達でも構わない。
あさってになれば、告白の言葉だって聞ける。友達じゃなくて恋人になってくれないか、と言われたら今度こそきちんと答えたいと思う。
俺も君のことが好きだよと。前に告げられた時には頷くことしかできなかったけれど、自分の口から言うのだ。
はっきりと決意した途端に携帯のメール着信音が響き渡ったので、慌てて画面を開き確認する。当然のことながらシズちゃんからだった。しかも。

「あさっては空いてるか、って知ってる癖に」

わざわざ予定を確認してくれたことが嬉しくて頬が緩む。あの日は互いに仕事が無く、ばったりと出会ったのは露西亜寿司で月に一度の半額デーだったからだ。
持ち帰りの寿司を取りに行って会計をしているところに店にシズちゃんが入ってきて、喧嘩をするなとサイモンに窘められて一緒に食べることになった。仕方なく酒を飲んでやり過ごし、その帰りに告げられたのだ。
俺にとっては忘れられない、一番の思い出深い日だ。
その日をもう一度やり直せることは素直に嬉しい。そしてわざわざ伺いのメールがあるということは。
仕事はないけど、どうしたの?と返事をすると数分して狙い通りの文面が届いた。

「じゃあ一緒にどこか行かないか、って…もしかしてデートのつもりかな」

いつもだったらここでパソコンの電源をつけて、シズちゃんの家に仕掛けてある監視カメラや音声を聞いて反応を見るのだがやめた。そうすることが惜しいと思えたからだ。
他人の顔色を窺ってコソコソと裏で何かをする必要はない。念の為にしていたことだけど、その行為がどれだけ相手を信用していなかったのか今ではわかる。
つきあってはいたけれど、俺は心からシズちゃんを信じることも、頼ることも、自分の気持ちを曝け出すこともなかった。怖かったから。
でももう必要ないことだ。

「シズちゃんも、俺との関係を一からやり直そうとしてくれてるし…大丈夫だから」

自分に言い聞かせるように口に出しながら、メールに返事をした。当然のことながら、美味しい物でも食べに行こうかと書いた。
暫くしてから待ち合わせ場所などをやり取りし、二日後に会う約束をする。嬉しくて自然と頬は緩み上機嫌に立ちあがると台所に向かいドリップ式のコーヒーを淹れた。

「楽しみだなあ。こんなに待ち遠しいなんて、初めてだよ」

幼い頃は遠足の前の日、誕生日の前の日、一年に何度も待ち遠しい行事があって純粋に楽しみにしていた。でもいろんなことを察するのが同い年の子供達よりも早かったので、おぼろげな記憶しかない。
そしていつしか、楽しみは待つものではなく自分で作るものだと知った。気持ち一つで毎日を楽しいと感じるようにすれば、人とは違う人生を送れると。
大人になっていくにつれてその目的を忘れ、好奇心だけにつき動かされ戻れないところまできてしまった。いつしか上辺だけの楽しげな表情を作り、自分を押し殺して生きることになった。
だけど過去にこうして戻ったことで、やり直そうと決めたのだ。本当の俺らしさを取り戻して、シズちゃんと過ごしたいと。
今までの俺と違っていても、きっと笑わずに受け入れてくれるだろうと信じていたから。突き放すほど酷い人間ではないのは一番理解している。

「早く好きって、言いたいな」

浮かれているのはわかっていたけれど、想像するのはやめなかった。三ヶ月もの間ずっと探し出してようやく見つけたのだから仕方が無かったのかもしれない。
でも二度と何かに期待するのは辞めようと諦める癖がついてしまったのは、絶対にこの時の喜びからどん底に落とされたせいだった。

「荷物持っててやるから見てきていいぞ」
「ああ、うん」

俺とシズちゃんが初めてデートした時もそうしたように、バーテン服で待ち合わせ場所に現れたので服装を変えるところからだった。でもなんとなく予想していたのか、服を選びプレゼントすると照れ臭そうにしながら受け取った。
前は不機嫌そうな顔をしながら受け取れないと押し問答をしたというのに。こっちは既にわざと変装して普段より雰囲気を変えていたので、すぐさま二人であちこち買い物をした。
今後も会うことになるのだからいくつか服を揃えておかないと、と時間もあるし結構熱心に見ていたら持っていた紙袋をさり気なく奪われる。煙草吸ってくるからと言われたので頷きながら後ろ姿を眺める。
随分と気が利くし優しいし、いつも以上にかっこよく見えるじゃないかとちょっとだけ悔しくなりながら喜びを噛みしめていた。
買い物なんて面倒だと顔に書いてあった頃とは大違いだ。やっぱり俺だけじゃなくて、シズちゃん自身も過去に戻ったことで気持ちが変わったのだろう。いい方向に。
このまま絶対にいい恋人関係を築くことができると確信していたのに、その夜食事も終わり互いにほろ酔い加減で駅まで送られても思った言葉は言われることはなかった。

「今日はすごく楽しかったよ」
「ああ、俺もだ」
「じゃあ気をつけて帰れよ」
「うん…」

駅前の人通りの多い横断歩道の前で別れを告げられて、少しずつ離れていくのを眺めながら首を傾げた。
どうして何も言わなかったのか。告白しなかったのか。
雰囲気は悪くなかったし二人きりの時間も多かった。前以上に親密に過ごせた気がしたのに、どうしてだろうと。
もしかして友達になってくれという言葉のせいで気持ちを告げられなかったのかもしれないと、その時になってようやく悟る。

「え…?じゃあもう暫くは、これが…続くの?」

シズちゃんは俺が何も知らないと思っているが、実は過去に戻ったことも全部知っている。だから遠慮せずにきっぱり言われた方が都合がよかったのだ。そうしたら明日から元の恋人同士に戻れる。
どんどん人波に隠れて見えなくなっていく姿に、急に不安になってしまう。また目の前から消えてしまうのではないかと。
そう思うと胸が苦しくて、気づいた時には点滅していた信号を渡り反対側に渡りきっていたシズちゃんを後ろから引っ張った。

「シズちゃん…!」
「なんだ、どうした臨也?なんか忘れもんでも…」
「いいから、っ、ちょっとこっち来て!!」

すぐに人通りの少ない路地裏に入り周りに誰も居ないことを確認すると手を離す。頭の中はパニックになっていて、正直何を言っていいのかわからなかった。
でもここではっきりしなければ、きっと後で悔やむことはわかっていたから必死だったのだ。肩で息をしながら、言うべき言葉を探す。

「あ、のさ…シズちゃん、俺に言うこと忘れて…ないかな?」
「ああ?手前に言うことって、なんだ?」
「えっと…」

不思議そうに首を傾げられて、ズキッと胸が痛む。これは絶対に好きだと言うつもりがない、ということで冗談じゃないと思った。

「大事なこと、なんだけど…」
「大事なこと?」
「そう…だよ」

無意識な行動が相手を傷つける、というのはこういうことかと初めて知った。俺に告白することは大事じゃないのかと言いたいのを堪えて待ってみるが、考えるように黙ってしまってこれは無理だと気づく。
今のシズちゃんでは、絶対に言うことができない。
でも俺は欲しい。三ケ月の悲しみを早く埋めたくて、もうなりふり構っている場合じゃなかった。
ただ抱きしめて欲しかった。だから、耐えきれなくて自分から叫んでしまう。

「もうわかったよ!いいよ俺が言うから!!」
「おい何を…」

「俺はシズちゃんが好きだ!友達なんかじゃなくて、今すぐつきあって欲しい!!」

こんなつもりじゃなかったのに、と思いながら頬がかあっと赤くなり恥ずかしくて俯いてしまう。告白されるつもりだったのに、まさか自分から言ってしまうなんて。
ほんの少し待つことができないぐらい好きなんて重症だ、と唇を噛んでいると予想もしなかった返事が耳に届いた。

「それは、ダメだ」

「……え?」

絶対に聞き間違いだと、俺は疑わなかった。

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