「意外と面倒くさいなあ」 ため息をつきながらキョロキョロと周りを見回すと、俺の立っていた場所は池袋だった。俺がシズちゃんに告白される三日前に戻る、ということだったけれどいろいろと制限があってうんざりしている。 会ってすぐにシズちゃんにどうしていなくなったのか問い詰めてやろうと思っていたのに、過去を戻って来たことは絶対に言ってはいけないらしい。向こうだって同じよに過去を遡っているのに。 他には、戻ったとしても既に知っている未来のことを話してはいけないとかとにかく面倒だった。まあボロは出さないしうまくやるつもりだ。 「しかもこっちは三ケ月過ぎたのに、シズちゃんは居なくなった日のすぐ後なんて」 俺はシズちゃんが居なくなってしまった三ケ月を知っている。でも向こうは天使にそそのかされて居なくなった直後らしい。同じ時間に飛ばされたことは感謝するけれど、こっちは相当久しぶりに会うのだ。 それになんとなく人生をやり直すという決断した理由に見当がついていたのだから、いつものまま会うわけにはいかなかった。 「…っ、もっと努力しないといけないんだろ。今まで無表情が普通だったのに、変えられるのかな」 またつきあうことになったとしても、過去と同じように接してはダメだと思う。だってシズちゃんが戻った理由は、もっと充実した人生を送りたいわけで、それは多分俺の態度も関係している。 きっとわかりやすい態度や性格の相手が好きなのだろうとは知っていた。でも俺の性格は変えられないし、このままでいいだろうと勝手に考えていて。 そんな甘い考えが、あの三ヶ月間を作った。目の前からいなくなるという最悪の事態を生んでしまったのだ。 だから変わらなければいけない。自分から望んで努力しないときっと次は手に入れられない予感がしていた。居なくなった時の事を思い返せば多分なんでもできるだろうと思っていて。 「とりあえず新宿に戻って作戦を考えて…」 このまま池袋をうろうろしていたら見つかってしまう、と気がついたところで背中に強い視線を感じる。嫌な予感が胸をよぎって反射的に身構えるがそれよりも早く声が響いた。 「臨也あああッ!池袋に来んなって言ってるだろうが!!」 「うわ…っ!?」 いきなり全力投球された自販機がこっちに飛んできて、バックステップを踏んで軽やかに躱す。つきあい始めてからこういう激しい喧嘩は減っていたので、あまりの嬉しさに背筋を寒気が駆け抜けていく。 ゆっくりと振り返ってその姿をはっきりと目に捕えた時、信じられないことが起きた。 「……っ」 金髪にバーテン服姿のいつものシズちゃんが立っていて、それだけで目頭が熱くなったのだ。居なくなってから過去の写真や映像を見ては思い返すこともあったけど、本物が動いて俺の目の前に立っている。 その奇跡がどれだけすごいことかと考えただけで、気持ちが昂ぶったのだ。 「えっ、おい待てよ!いきなり逃げるんじゃねえ!!」 瞬間的に体が動いていて、凄い勢いで路地裏を駆け抜けていく。後ろから怒号が聞こえたけれど、従う事なんてできなかった。 だってとっくに瞳からは涙が溢れて、とても見せられる表情じゃなかったからだ。 世界にシズちゃんが存在するだけで、俺は泣くことができるぐらい好きなんだと再確認してしまう。恥ずかしいけれど悪い気分じゃない。 本当に全力で逃げることに徹していたので、あっという間に撒くことに成功する。涙で滲んだ前をしっかりと見据えて逃走ルートをひたすら走ったのがよかった。 「はぁ、っ…はっ、は…」 肩で息をしながらようやく落ち着いて、建物の影に隠れる。それから頭にフードを被ってとにかく気配を隠したところで顔を覆った。まだ涙は止まらなくて指の間からぽろぽろとこぼれていく。 さっきのシズちゃんの姿を瞼の裏で繰り返していると、今度は嗚咽が漏れそうになり喉がひきつる。それだけはダメだとかろうじて堪えて短く息を吐いた。 「ひっ、う…はぁ、は…うぅ、く」 ここまであっさりと今まで保ってきたものが崩壊するなんて思わなかった。でもきっと元からずっとあったもので、超えてはいけないと自制していたので出てこなかっただけだ。 実はずっと、こんな風に感情を吐露したかったのかもしれない。 そのきっかけを待っていたのではないか。勝手な想像でしかなかったけれど、一気に溢れ出した気持ちがすべてを語っているようで。 「し…ちゃ、ん…」 誰にも聞きとられないように注意を払いながらか細い声で口にした。自分の唇からその愛称が出るのも久しぶりで、過去に戻ってきたのだとはっきり実感する。 もう今すぐ死んでしまっても心残りはないとかなり本気で考えていると、信じられない声が耳に届いた。 「臨也?」 「え…?」 突然はっきりと名前を呼ばれて警戒心を解いていた俺は顔をあげる。こんな街中で周りに気を配ることができないぐらい泣くことに没頭するなんて思っていなくて。 一番見せてはいけない相手に素顔を見せてしまったと気づいた時には、すべてが遅くて真っ青になってしまう。 「な、んで手前…泣いて、んだ?」 「…っ」 こんなにも動揺するのは初めてで反応すらできない。ただ涙だけがどんどん滴っていって、さっき感じた喜びを再び胸の奥で噛みしめているようだった。 シズちゃんがはっきりと俺のことを見て、話しかけてくれていると。視線が合っていると。 「なにがあったんだ?」 砂利が靴裏で擦れる音が響いてきて、シズちゃんが近寄ってきていることを知る。だけど全く身動きが取れなくて、逃げることも襲い掛かることもできない。 あの日居なくなった恋人が目の前に居る、と思うのに今の俺達はつきあってはいない。いがみ合っているだけの関係で必要以上に近づくことなんてあってはいけないだろう。まだ早い。 でも優しいから、きっとまだ好きでいてくれるから、こんなところで泣きじゃくっている俺に声をかけてきたのだ。嬉しくて、余計に視界が滲んでいく。 「さっきの自販機当たってねえよな?どっか体でも悪いのか?それとも逃げてる最中に怪我でもして…」 どれも違う。痛くて泣いているわけではない。喜びに打ち震えて感動しているだけだから。 とっさに取り繕う言葉はいくらでもあるのに、何も唇から飛び出すことはなかった。必死に声をあげないように耐えながら頬を濡らしていくばかりで。 「くそっ、こんなところじゃ話になんねえ。おいちょっと…」 「…あ、っ!」 シズちゃんの大きな手がこっちに伸びてくるのがわかったけれど、避けることはできなかった。だからしっかりと手首を掴んだ途端に体ごと抱えられて我に返った時には背中におぶわれていたのだ。 あまりのことに絶句して声が出ない。予想外の出来事に遭遇すると何も行動できないというのは本当だった。前は絶対にこんなことはなかったのに。 三ヶ月の時が、俺を弱くしたらしい。 だけどきっとそれは悪いことではない。代わりに人間らしい感情を取り戻せたのだから。 「しっかり捕まってろ。俺の家近いからよお」 「…ぁ」 まさかシズちゃんの家に招待されるとは予想外すぎて、驚愕しながら数回瞬きをする。この過去に戻る前に自宅に行ったけれど、その時が最初だった。だからいきなり運命が変わったことになる。 二人の間に思い出がいきなりできるなんて。 早足で歩き始めた背中で揺られながら、慌ててフードを片手でずれないように抑える。俺達がこんなことをしているなんて、誰にも知られたくなかったから。 「すぐ着くから待ってろ」 きっとまだ俺が涙を流して悲しんでいると思いこんでいるのだろう。とっくにやんでいて口元を緩めているぐらい上機嫌だった。胸がバクバクと高鳴っていて、こんなの久しぶりだと思い出す。 狭い路地裏に追いつめられて身動きが取れないように壁におさえつけられたと思ったら、いきなり告白された時のことを。 『なあよく聞けよ。俺は手前のことが好きだ』 衝撃的な言葉に無表情になってしまったけれど、本当は喜んでいた。か細い声で俺もだけど、と同意するしかできなかったけど今なら、次に告白されたらきちんと言えるかもしれない。 俺もシズちゃんのことが好きなんだ、と素直に告げられるかもしれない予感がしていた。まだ二日もあるし、きっと何度も頭でシュミレーションして考えれば多分。 もしかしたら、この後早速家に連れ込まれて言われるかもしれない。勝手な想像がどんどん膨らんで、どうなったとしてもきっと嬉しくてまた泣いてしまうに違いないと予測していた。 体にしがみついていた指をぎゅっと強く握って、もう一度生きて存在する感触を確かめる。すると鼻が痛くなりじんわり視界が歪んだので慌てて首を振った。 過去に戻る前に天使とやらに泣いていた姿を見られたけれど、シズちゃんにも見られた。だからもういくら泣いても悔しいなんて思わない。 「やっぱ大人しいな。今日の手前なんか変だけど、嫌いじゃねえ」 「…っ!?」 「いつも泣いてろよ」 とんでもないことを言いだす仇敵に、折原臨也としてどんな返事をすればいいのかとっさに思いつかなかった。だから肯定するように黙りつづけるしかなくて、嫌いじゃないという言葉を反芻する。 シズちゃんが過去を戻ったはっきりとした理由はわからなかったけど、今の内容でほとんど確信する。きっと告白してからの一年をもっと充実したものにやり直したかったんだと。 俺の事を好きだと疑わなかった。 まさかこの後、その浮かれた考えをきっぱりと拒絶されるなんて思っていなかったのだ。 text top |