シズちゃんが消えた、と知ったのは最後に彼がきちんとした映像に映っている時間から一時間も経ってはいなかった。 珍しくその日は弟の出演する舞台挨拶を見に行くらしく、恋人として密かに行動を見守っている俺は興味を魅かれていたのだ。当然映画内容ではなく、鑑賞中の行動なのだが予想以上で驚く。 俺の信者に頼んで潜入して貰い小型の監視カメラから送られてきた映像を見ていたのだが、それはもう途中からボロボロに涙をこぼし泣いていたのだ。あまりのことに仕事の手も止めて見入ってしまい、最後まで見守った。 映画の内容はありきたりな恋愛モノだったはずだが、どこにこんな涙腺を刺激するようなものがあるだろうかと気になる。これまで随分と長い間行動を観察してきたけれど、こんなのは初めてだったから。 本人には言っていないし、悟らせる気なんてなかったけれど俺は昔からシズちゃんが好きだった。同時に一番のストーカーでもあったのだ。 といっても行動を日常的に逐一観察するだけで基本的には干渉しない。女が近寄ってきた時には近づけないようにあれこれしたけれど、それぐらいだ。かわいいものだ。 だから一年前に向こうから好きだと告白された時には、それはもう不意打ちすぎてどうしたらいいかわからなかった。現在進行形でどうしたらいいか困っているのだが。 情報屋という職業柄、表情が顔に出ないようにと注意を払ってきた。だから本当に混乱したり、びっくりした時は無表情になってしまうのだ。内心では嬉しかったり、嫌がったりしているのだけど一切現れない。 そしてそれは、シズちゃんに対する態度全般的にマイナス面に働いてしまっていた。 その時だって本当は心底嬉しくてありがとうご言って抱きつきたいぐらいの想いはあったけれど、できるわけがなかったのだ。無表情のまま頷いただけで。 自分ですぐに欠点に気づいてマズイと思ったけれど、それからも直ることはなかった。基本的に一緒にいると驚かされてしまうことばかりなので、無表情で無言になってしまう。嫌がることを言ったら怒るだろうことはわかっているので、すぐにそれを止めたら何もしゃべることがなくなったのだ。 傍から見たら、随分とつまらない奴に見えただろう。 でもそれが素の俺の表情で、シズちゃんには伝わらない。だからもうほどなくして、これはいつか絶対に別れるだろうなと思った。最大の欠点なのだから。 予想を反して一年もの間つきあっていたけれど、明日別れ話を切り出されてもおかしくはなくて心構えだけは毎日あったつもりだ。別れたとしても、バレないように見続けるのだけは止めずにいようと決めていた。 思っていたから余計に、観客が居なくなった後にトイレに向かい暫く出て来なかったのでわざと目を離したのだ。誰にでも見られたくないものがあるのだろう、と初めて見た本気の涙に気を緩めてしまい結果的に後悔することになってしまった。 仕事に暫く没頭していたが、おかしいなと再び画面に目を戻して信者をトイレに向かわせてそこで初めて異変に気づく。窓のない洗面所に、シズちゃんの姿がないことに。 慌てて映画館内の監視カメラをすべてハッキングして見たが、最後に映った場面より後に出てきた様子はない。連絡をしてきた信者にもトイレ内の様子を動画で送って貰ったが、どおこにも逃げ道がなければ姿もない。おかしい。 それからはもう、自分でも何を考えて行動したのか覚えていないぐらいだった。まず映画館に向かい自分もその場を確かめる。念入りに逃げ道や隠し通路がないか確認し、実際に監視カメラを見直したりもしたがどこにもいない。 次にシズちゃんの弟に連絡を取る。俺の名前を出したら揉めるので、会社の関係者ということで尋ねたが当然知らないと言う。 働いている仕事先、近しい上司、友人達にも連絡を取ったが誰一人知らない。わからないと。 でもそんなことをしなくても、一部始終を見ていた俺が一番状況がわかっていた。だからどこにも居ないのは当たり前で。 「シズちゃんは……消えた?」 生憎シズちゃんの友人のセルティと新羅の二人共仕事だったので、詳細は説明したけれど手が離せないからとやんわり言われてしまう。おかしいな、とそこで思ったが深くは突き止めなかった。 何人かの同業者にも連絡して、平和島静雄を見掛けたら連絡をくれと頼んだ。正式な依頼としてお願いすれば、こういう仕事の奴らはなんでもしてくれる。 自宅や仕事場の周りにも人を張りこませて、もし現れてもすぐ教えてくれるようにしている。完璧だった。これで見つからないのならどうしようもない不思議現象に巻き込まれたとしか思えないぐらいには。 気持ちが落ち着かなかったので、俺はいなくなった映画館から離れられなくなってしまう。仕方がないので、さっきシズちゃんが見た映画を特別に鑑賞させてくれないかとかけあってみた。 居なくなったと気づいた時にすぐ俺が金を出してその映画館を一人で借り切っていたので、あっさりと了承される。 時間はちょうど十二時間前に本人が映画を見ていたのと同じ時間帯だった。どんな偶然なんだろうと苦笑しながら同じ席に座り、集中する。こんなにじっくりと映画なんて鑑賞したことはなくて、妙な気分だった。 内容はほとんど予想した通りだったけれど、この時はシズちゃんはどんな気分だったのだろうと勝手に想像しながら見たのだ。終わった時には軽い疲労感があった。 そして俺が何年も彼のことを傍で見続けて、性格を把握しているからこそわかったことがあった。映画の内容をどう解釈したのか。 わかってしまったのだ。涙の意味が。 どうしてあんなにも入りこんで泣いたのかの理由が読めてしまったのだ。 映画が終わりスクリーンが何も映らなくなっても、席を立てずにいた。ショックを受けていたからで、当然無表情になっている。 「シズちゃんは、主人公が羨ましかったんだ。多くの人とふれあって成長していく姿に自分を重ねて、あんな風になれたらいいなって思った。だから自分が悔しくて泣いていたんだ」 話の中で主人公に恋人ができてその彼女が病気になるが、たくさんの思い出を作りそれを支えに生きていくというものだった。明るくて無邪気な彼女の性格に引っ張られて、どんどん変わっていって。 俺には彼女のような明るさも、病気に立ち向かう強さもないだろうと感じていた。だからもし、あの映画を見てシズちゃんが同じものを求めてきたら。 無理だと思った。できないだろうと。 きっとシズちゃん自身もわかっているはずだ。そういう性格じゃないと。でも。 「見終わった後に外に出て、それでいなくなったんだ。何か関係してるのかもしれない」 顔を顰めながら椅子から立ち同じ場所を通ってトイレまで行く。しかし誰も居るわけがない。シズちゃんと同じように俺が消えるわけがなかった。 改めて中も調べて手がかりがないかとあれこれ眺めるが、やっぱりダメだった。本当にまるっきり、わからなくて。結局その日は遅くまで映画館の中を探し回ったけど見つからなくて深夜に帰った。 次の日から俺はシズちゃんを探す為に、いろんな手段を使った。当然その日から仕事も無断欠勤で家族も友人も、誰も知らない。 最後に見たのは弟でそれも直接会ったわけではなく、舞台上から確認しただけだ。人が突然消えたのだから、それから結局進展もないまま一週間、一ヶ月と時間だけが過ぎていって。 平和島静雄失踪と騒がれ始めたのが落ち着き、三ケ月経ったある日。ようやく俺は大事な人を、恋人を失ったと気持ちを整理した。 さまざまな危険なこともして情報をいくら集めても、シズちゃんはどこにも居ない。だけど探し続ければきっとどこかに居るんじゃないかと諦めきれなくて、でもやっと認めた。 だから居なくなってから手がかりを探す為に室内を物色した時以来はじめて、シズちゃんの家に来た。鍵は当然自分で開けて入った。 前に見た時から何も変わってはいなくて、ベッドの上に放り投げられていたバーテン服の裾を掴んでみる。どうしようか一瞬迷ったけれど、ベッドの上に手を突いて屈み服に鼻を擦りつけた。 「シズ、ちゃん……っ」 誰にも弱みは見せたくないし、見せないとずっと決めていた。だから一人であっても懸命に声を殺して静かに涙を流した。 三ヶ月間がむしゃらに探し回って、もうどこにも居ないことを認めたくなかったのにようやく理解する。二人で過ごした一年間を思い出して雫が止まらない。 これまでどんな苦しいことや痛いことがあっても、泣くだなんて行為はしなかった。してはならなかったし、いつでも気持ちを強く保っていなければ危険に晒されてしまう。 恋人ができてからもそれは同じで、そのことをようやく後悔した。 どうしてもっと自分で変わる努力をしなかったのだろうかと。失ってしまうまで気づけなかったのだろうかと。 「戻り……たい」 そうポツリと掠れた声で呟いた瞬間、誰も居ないはずの部屋の中に気配がして声が聞こえた。 「でしたら、あなたに人生をやり直すチャンスを与えましょう」 「え……っ?」 とっさにポケットに手を突っこんでいつでもナイフを向けられる準備をして振り返ったら、あまりのことに無表情になる。こんなあり得ない状況に陥っても、体に染みついたものは変わらなかった。 「実はあなたの大事な方が先にそのチャンスに挑んでいます」 「大事な、って……まさか」 「平和島静雄さんが先に決心されて、あなた方がつきあう前に戻られています」 「そうか、じゃあ原因はあんただったのか。背中のそれも本物?」 唐突に現れた老人に言われたことをすぐ鵜呑みにするなんてできないが、唇を噛んで背中の白い羽根を指差した。首無しや妖刀が存在しているのだから、天使とやらがいてもおかしくない。 その不思議な見た目と同じに、人では考えられないことができるとするなら、本当にシズちゃんが絡んでいるとしたら。こんな最高のチャンスを逃すわけにはいかなかった。 「ええそうです。私は天使であなたを……」 「説明はいい、とにかくすぐ居なくなった平和島静雄に会わせろ」 「人生をやり直すということでいいのですか?」 「なんでもいいから、早くしてくれないかな」 瞳から涙はおさまっていても、濡れているので泣き顔は見られた。シズちゃんにも見せたことが無いのに、と悔しさを覚えながら脅すようにポケットからナイフを取り出す。 これ以上弱みを見せられないし、情報屋として取引するならこれが一番いい方法だった。本当は、なんでもするから教えてくれと縋りついて頼みたいだなんて本音は吐き出せるわけがなくて。 「こんなに早く決断され、脅されるなんてはじめてですね」 「あんたが平和島静雄をそそのかしたんだろ?だったら怒って当たり前だろ」 「ではあなたに刺される前に過去に戻りましょうか。いいですか、暫くしてからそのまま過ごすかここに戻ってくるかどうかもう一度お尋ねしますので……」 「俺は二度と戻らない」 相手の言葉を遮ってきっぱりと告げると、向こうは少し驚いていた。しかしすぐに表情を変えて穏やかに笑う。こっちは内心怒っていていらいらしているというのに。 早くシズちゃんに会いたくてしょうがなくて、息苦しく胸がズキズキ痛んでいた。 「大丈夫ですよ、もう一度きちんとお尋ねしますからその時に答えて下さいね」 こんな一人きりの場所に戻りたいだなんて絶対に思うわけがないだろう、と顔を顰めながら見ていたが老人は全部を知っているかのように微笑んでいる。 いつもは俺がそっちの立場なのに、逆転されているのが癪にさわった。でもこれももう一度シズちゃんに会う為なら、本人と顔を会わせてどうして居なくなったんだと聞くまでの辛抱だと堪えて。 戻るわけがないと心の底から信じていた。 text top |