不安定な気持ちは数日経ってもおさまらず、相変わらず無気力で食欲も戻らない。一人でいる時でも何もせずただぼんやりと過ごし、シズちゃんが帰ってきてもあまり話が弾まない。 恋人ごっこをしようと言った直後の頃のほうが、よっぽど楽しかったし向こうもそう思っているだろう。急に態度が変わったことも怪しんでいるようだったけれど、気遣うように尋ねるだけでそれ以上は踏みこんでこない。 もしかしたら自分のせいだと少しは感じてくれているのかもしれない。毎晩俺の体を抱いて眠るのは変わらなかったから。 「おい臨也起きろ」 「ん…っ、なに?」 いつの前にか帰って来ていたらしいシズちゃんが肩を揺らして起こしたので、ゆっくりと瞳を開いて見つめる。いつもより額の皺が増えてなんとなく雰囲気が違ったので、嫌な予感がした。 「もう我慢できねえ。しょうがねえから、新羅のとこ行くぞ」 「えっ?」 「体診て貰うんだよ。倒れられたら困るしこんなに治らねえのもおかしいだろ。薬ぐらい…」 「やだ、行かない」 こうなることぐらいわかっていたので、すぐに言葉を返す。すると久しぶりに表情が怒りへと変わって、悔しそうにしながら怒鳴りつけてきた。 「なんでだよ!やっと俺が決心したのに行かねえとか、そんなに嫌なのか!!」 「そうじゃないよ、俺はここから出て行きたくない、このままでいい。だって新羅に会ったとしてどう説明するのさ?明らかに異常者扱いされて二度と会えなくなるかもしれないよ。いくらシズちゃんと新羅が仲良くても、あいつは友達が間違ったことをしていたら正そうとするだろう。特に君はね」 新羅のことはよく知っていた。そして俺がどんな最悪な道を進もうとも止めないのは、首無しが俺を嫌っているからだ。でも同じことをシズちゃんがしたら必ず止める。首無しと親友のシズちゃんは。 そんなことになったら、きっと俺がそそのかしたとか理由をつけられ必ず離されるだろう。体が弱っているのを利用されて、どこか遠くに連れて行かれるかもしれない。 きっと首無しは嫌がるだろうが、シズちゃんがおかしくなっているのだからしょうがないと納得させる。そして今よりももっと辛い状況に追い込まれていくのは俺だけで。 「倒れてもいいじゃないか。今より動けなくなったら、本当の意味で俺は逃げられなくなるよ」 「そりゃあ…」 「いくら逃げないって言ったところで、シズちゃんが信じてくれるわけないだろ?だったら自分の体を張って証明するしかないよね。人間そんな簡単に死んだりしないし、君に信じて貰えるなら俺は…」 「手前、なに言ってんだ?」 俺がしゃべっていたことに水を差すように、冷たく言い放たれる。改めて顔を眺めると、呆然としていて苦々しく顔を歪めていた。もしかして気に障ることを言ってしまったのかと。 胸がきりきりと痛んで、思わずシャツを握ると手首の鎖が微かに音を立てた。急に部屋の中の空気が重苦しく感じられて。 「ついこの間まで、離せとか逃げたいって喚いてたじゃねえか。そんな簡単にここから出て行きたくない、なんて思うわけねえだろ。やっぱり企んでんだろなにか」 「なにも考えてないよ。なんか全部どうでもよくなっちゃって、ご飯食べる気にもならなくてぼんやり過ごせればいいかなって……」 「俺のことなんかどうでもいい。恋人ごっこなんて飽きたし、面倒だからなにもしたくねえって思ってるってことか?」 「え?」 思っているのとは逆の事を告げられて、驚きに肩がビクンと震えた。違うそうじゃなくて、全く違うんだと言えればよかったけれど口にする前にはっきり告げられる。 「冗談じゃねえ、どうでもよくねえだろ。こっち見ろよ、俺のこと見ろ!!」 「シズちゃ、っ…ぐ、ぅ」 おもいっきり手枷を引っ張られて体勢が横になりうまく身動きが取れなくなったところで、いきなりシズちゃんがベッドの上に乗り覆いかぶさるように体を密着させた。もしかして、と一瞬背筋を寒気が駆け抜ける。 痛みに顔を顰めて声をあげていると、予想した通りに随分と久しぶりに唇が近づいてきてキスをされた。自然と目を瞑って抵抗もせず受け入れる。 「んっ、う…っ、は、う」 さっきの怒りがまだおさまらないのか、かなり乱暴に唇を吸われ舌を口内に差し込まれる。水音を立てながら激しく蹂躙されて、思わず手を伸ばしてシズちゃんの腕を掴む。 まるで獣に食われているみたいだ、と思っているとかあっと頬が熱くなった。 食われてもいいかもしれないと頭の中をよぎって。 「は…はぁ、っ、く」 ようやく離れていった時にはすっかり息があがり、もやもやとした疼きを感じながらぼんやりしていた。でも嬉しくて愛しいという気持ちもあって、まだ口づけをされたことを喜んだ。すると。 「な、んで…手前」 「なに?」 「そうか、そんなに…っ、泣くほど嫌か」 「泣くほど、って…あれ?」 指摘されてようやく気づいた。頬が濡れていることに。でもきっとこの涙はシズちゃんが言うようなものじゃなくて。 でも焦れば焦るほど止まらなくなってしまい、慌てて指先で拭おうとするが指先は震えていてハッとした。怖いわけでも嫌でもないのにどうして、と自分の事がわからなくなる。 「ち、がう…そう、じゃなくてっ」 「……手前は泣いたりする奴じゃねえって思ってたのによお」 瞳が悲しみに彩られていて、そんな目で見ないでと口を開こうとした。結局嗚咽のようなため息しか漏れなくて唇を噛む。すると唐突に前髪の辺りに重さを感じた。 「シズ…ちゃん?」 「そうやって泣かれるとすげえ苦しい。だからもう泣くな、悪かった」 二度ほど頭をポンポンと叩かれて驚きに全身が硬直してしまう。優しく慰めるように撫でられているのだと知って、今度は熱が頬に集中してそれを必死に隠そうと下を向いた。 ただちょっとさわられるだけでこんなになるなんて、数日前の俺では考えられない。過去のシズちゃんの気持ちを知ってしまって、明らかに変わってしまって。 「わかってんだよ、一番簡単な方法ぐらい」 小声で言われた次の瞬間、バキンと派手な音がして手首が軽くなった。目を見開いてまじまじと眺めると、執拗に外すのを嫌がっていた手枷があっさりと砕けている。 なんでこんなことをされたのか意味がわからなくて、困惑してしまう。一番簡単な方法というのが何を意味しているのだろうと内心緊張しながらじっと見つめる。 「ほらこっちも外してやるから、逃げてもいいぞ」 「えっ…?」 言っている間に足のすねを掴まれ固定された直後に足枷がシズちゃんの手で粉々になる。残った鎖を乱暴に床に放り投げた直後に視線を逸らし、ようやく意図がわかった。 「怪我もしねえし病気にならねえ、泣いたりなんか絶対しねえ奴だって思いこんでた。こんな筈じゃなかったんだけどな」 「な、んで…」 「新羅に診て貰え。俺の気が変わらないうちに、さっさと出て行けよ」 「…っ」 まるで突き放されたかのように出て行けと言われて、今度はこっちがパニックになる。 あんなに執着していてなにがあっても戒めは解かないと思っていたのに、こんな筈じゃあなかったと。そっくりそのまま返したいがそれどころではなかった。 本当に逃げたいだなんてもう思ってはいない。俺はまだ一緒に居たいのだと伝えたくて。 「早くしろ」 「嫌だ、俺は出て行かない。シズちゃんから逃げない」 「なんだと?」 自由になった手でしっかりとシズちゃんの服を掴み、きっぱりと言い切った。すると弾かれたかのように顔をあげてこっちを怪訝な顔で睨みつける。 「それは俺に対する嫌がらせか?」 「違うよ。そんなわけない、本当に逃げないから」 「よくわかんねえこと考えてねえで、さっさとしろよ!次はもっと逃げられないように体ごとベッドに括りつけるかもしれねえ」 「したいなら、すればいい」 さっきまでの震えはおさまっていて、逆に頭の中は冷静になりすっきりとしていた。突き放される度に暫く放置していた気持ちが戻ってくるみたいで、気分が高揚していく。 無気力でどうでもいいと思っていたことが嘘みたいで、逃げないことが真実だと証明したいと思っていた。 「何をされても逃げないって決めたから。それだけは譲れない」 「…っ、くそ!じゃあ勝手にしろ!!」 わざと大きな足音を立てて立ちあがり、すべてをそのままにしたまま脱衣所の方に消えた。頭を冷やす為にシャワーでも浴びるのかもしれない。 残された俺は口元を吊りあげて笑った。外された手首を手のひらで擦って久しぶりの感触を味わいながらボソリと呟いて。 「もう二度とシズちゃんから逃げないよ、俺は」 text top |