it's slave of sadness 15 | ナノ

戻るのに歩いて行く必要なんてなかったが、そうしたのはただの未練だった。
いつもの黒いコートではなく真っ白なコートに身を包んで歩いているので、傍を通って行く人々が奇異の視線を向けていた。その中にどれだけ俺の事を知っている人物がいるかはわからなかったが、運がいいのか誰一人として声を掛けてはこなかった。
ヘッドフォンを装着してはいるが、音は切ってるのだからざわついた声は耳に届いてくる。それを聞きながら上機嫌に軽い足取りで歩いていた。
もっとも、まだ体の中にはグロテスクな形をしたバイブが埋まっていて振動を微弱に与えてくる。
だからまだ息はあがったままだったし、うっすらと微笑んでいるのはまだ快楽という熱にうなされているからだった。

「やだなあ、そんなに見られたら……っ、感じるじゃないか」

そうボソボソと呟きながら、人々の間を器用に通り過ぎて行く。
もうとっくに池袋に着いているというのに、会いたいと思う時には見ることさえかなわないのかと悲観的に考えるぐらい、出くわすことがなかった。
けれども最後の最後、この通りを曲がったら目的の場所に辿り着くという寸前に背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。
いつもだったらとっくに怒鳴っているところだというのに、そうしないのはこの姿に確信が持てないのだろうと思った。予想通りだったが、胸がチクリと痛んだ。

「おい、手前ちょっと……待てッ!!」

そうしてわざと歩く速度を緩めたところで、肩の上に手を置かれて強引に振り向かされた。
内心笑い出したいのを堪えて、表情を押し殺しながら相手に声を掛けた。

「誰、ですか……?」
「え?」
「あぁ、ごめんなさい。静雄さんだったんですね、こんにちは」

わかっていて一度誰かと問いかけたのは、わざとだった。ただ驚く表情が見たかっただけだ。
だから満足した次の瞬間には頬を緩めて、これまで誰にも向けたことが無い微笑みを浮かべて律儀に頭を下げてやった。普段サイケがする動作を真似ただけなのだが、きっと完璧だった。
まさかこの俺があの無邪気なアンドロイドの真似事をするだなんて、バカバカしかった。でもせっかくこの姿になったのだから、一度ぐらい会っておきたいと思ったのだ。

「サイケ……だったか?」
「はい、初めまして。静雄さん」

サイケとシズちゃんは一度も会ったことがなかった、筈だった。
あのサイケが変装して俺の姿をして襲ったのが折原臨也と思われているのなら、初対面の筈だったのでそう告げた。
初対面なのはシズちゃんが事務所を一度も訪れたことがないのと、この俺が絶対に二人を会わせないように画策していたからだった。
会わせてしまうのが怖かった。
顔は同じでも全く違う仕草や物言いに、比べられるのが嫌だったからだ。会わせていなくて、本当に良かったと心から思った。
だって俺自身では見られないような、驚きに目を見開いて無防備に固まっている姿を見れたのだから。

「どうかしましたか?」
「えっと、あ、いや……その……」

首を傾げてみせると、うろたえながらも何かをしゃべろうと必死に口を動かしたが結局は意味のある言葉を言うことはなかった。代わりに、薄らと頬が赤くなってきた。
そこまで俺とサイケが違うのに照れなくてもいいじゃないかと思ったが、咎めることはできなかった。ここで正体を明かすつもりもなかったからだ。

「用がないなら、俺仕事の最中なので行きますね?」

本当はもっと意地悪の一つでも言ってやろうと考えていたのだが、久しぶりに会えて殴り合いの喧嘩が始まらなかったことに満足したので、そう告げた。
でも実のところ、さっきから胸がキリキリ痛んでしかたがなかった。
俺には決して向けられない態度、声、表情なにもかもに苛ついて、それがそのまま直結して体に訪れた。話をするのが精一杯なぐらい、下半身が勃起して快楽を感じていた。
今コートの下をめくられたらはしたなく後孔から精液が垂れるのを見られるし、そうしてしまい衝動もあった。
全部を話してしまいたい、と思いかけたのだがギリギリのところで留まった。
自分自身に対して変態だなと冷静に考えながら、けれど仕方がないかと諦めた。
媚薬に体を侵されてバイブを突っこまれたまま、好きな相手の前に現れ他人として笑いかけているのだ。興奮するに決まっていた。

「ごめんなさい、また」

軽く会釈して踵を返そうとしたところで、手首を強く掴まれた。

「あ……っ、ぅ」
「あ、悪い痛かったか」

甘い吐息が漏れてしまったのを、向こうは都合よく力を入れ過ぎたと解釈してくれたようだった。再び顔を見あげたところでいきなり謝られたので、内心ドキドキした。
同時にバレてもよかったのに、と鈍感なシズちゃんに悪態をついたがそんなのただのわがままだった。
とっさに手が離れてしまったのをいいことに、今度こそ別れの言葉を告げた。

「さよなら」
「え……?おい、待て……!?」

再度伸ばされた腕をすり抜けるようにかわして、そのまま振り返らずに全力で走り去った。すぐに追いかけてくる気配が感じられなかったので、逃げ込むように目的の建物の中に入って行った。
そこはオートロック式のマンションの入り口で、部屋番号を押すとすぐに扉が開かれたので慌ててその中に駆け込んだ。
ほんの数百メートルの距離だったというのに、ありえないぐらい息があがっていた。そのまま足元から崩れていきそうなのを、エレベーターの扉に手をついて堪えた。

「シズ、ちゃんの……バカ」

目に浮かんだ雫をコートの裾で軽く拭って、扉の中にゆっくりと入って行った。そうして示された階に辿り着くと、見覚えのある男が待っていてその瞬間に何もかもを忘れようと思った。
その為に、戻ってきたのだから。

「なんだ?折原はどうした?」
「俺が、折原だよ。サイケは修理が必要だから置いてきた。それでこの姿の方が何かと都合がいいだろうから着替えてきたんだ」
「あぁ、確かにあの人形よりは凶悪な色気で誘ってやがるよな」
「心外だなぁ」

クスクスと笑いながら、俺とサイケの違いを一発で見抜いた男の手を取って艶っぽい声で囁いた。

「続きを、早くしてよ」

俺だったら、シズちゃんと津軽が違う恰好をしていても一発で見分けるのになと考えたのはほんの一瞬だけだった。
腰に手を回して体を預けるようによりかかると、相手がコートの裾をめくって隠されていた部分を曝け出してきた。涙の変わりとばかりに、そこはぐちゃぐちゃに濡れていた。

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