「おれ、っ…その、っ、う…だ、から…」 ガクガクと腕が震えて、弱々しい声が玄関に響き渡る。それでも乱暴に振り払われなかったのが、唯一の救いだった。なんて言って引き止めたらいいのかと必死に考えるのに何も思いつかない。 捨てないで、お願い捨てないでと縋ってしまいそうなぐらい、ここから出て行かれるのが怖かった。 「お、おい落ち着けよ、聞いてやるから」 「ごめ…っ、う」 自分の心の弱さに、床を眺めながら呆然とした。もしかして、こんなに弱くなければ薬でおかしくなることもなかったかもしれないと思えるぐらいに不安定で。 一体いつから俺はこんなに憶病で弱くなってしまったのだろうと頭の中で振り返る。でも、結局いつだったのか思い出せなかった。むしろ始めからだったのかもしれないと思う。 本当だったら、あんな事件がなかったとしたらこんな切羽詰まった告白なんてしなかったかもしれない。好きだなんて、臆病で伝えられなかったかもしれないと。 「言い過ぎた…だから、言いたいこと言え」 「…うん」 かろうじて堪えていた涙が、瞬きした途端に目の端を伝ってこぼれていった。それをシズちゃんの指先が拭ってくれて、少しだけ落ち着きを取り戻す。 頭の中で懸命に考えながら、震える唇を開いた。 「ごめん、俺…自分の事ばかり考えてた。いや、勝手にシズちゃんのことを勘違いしていたみたいだ。本当の姿なんて見ようとしないで、その…」 「謝らなくていいから、続けろ」 「俺以外に優しくする穏やかなシズちゃんが、本当の姿だって思ってた。だからいつも、ちょっかいかけて怒ったり乱暴にしている方がおかしいんだって。何もしないほうが、俺と居ない方が幸せになれることぐらいわかってて続けてて。だからあの事件だって自業自得みたいなものだと、思うんだ」 まだ顔は見れなかったけれど、少しずつ震えはおさまってきていた。深呼吸を繰り返しながら、一言一言かみしめるように告げる。 「でも結局巻き込んでしまって、しかもあんな酷い状態の俺につきあってくれてそれだけで嬉しかった。心なんかなくても、体を慰めてくれていたことは純粋に喜んでた。それを伝えられなかったけれど、守るって言ってくれた時も幸せ者だって思った」 「そうか」 「だから余計に、俺なんかいないほうがいいってわかって。だから何も言わずに、未練なんか作らないように言わないで別れた。この二年間だって、シズちゃんのことは考えないように、忘れようと努力した。もし外に出て会うことがあれば、昔のようにまた殺し合いができたらいいかもしれないって軽く考えてた。何も考えて、なかったんだ…」 シズちゃんは、ずっとこの二年間俺のことを想ってくれていたのに、こっちは忘れようとしていた。そこが食い違っていたのだ。だからいきなりあんなふうに告げられて、戸惑ったのだ。 でも元気そうにしている姿を見て心の底から嬉しかったのは事実で。だから、これだけは言えた。 「だけど、まだ俺は好きだ…シズちゃんのことが、好き。離れたくない、本当は捨てないで、欲しい。一人にされる、のは…嫌だ」 もう涙は堪えられなくて、両目から滝のように溢れさせていた。拭えない程に、頬を濡らしていてみっともない顔をしている。でも気持ちをしっかりと伝えたくて、また袖を力の限り引っ張った。 するとその手の上に、シズちゃんの大きくてあたたかい手のひらが添えられてそこを丁寧に撫でられて。 「俺も、好きだ。離したくねえ、離れるなんて言うな。ずっと傍に居てくれ」 「っ、あ…シズ…っ、ちゃ、うぅ、う…っ…!!」 しゃっくりをあげながら見あげると、嬉しそうに笑っている顔があって、もう何もかもがどうでもよくなる。好きだという気持ちのまま、もうそのことしか考えたくないと。 何が幸せとか、幸せじゃないとかそんなの関係なく一緒になりたいと願った。 「俺はその…手前が考えてるみてえに、綺麗ごとばかり考えてねえ。あのヤクザにやれって言われてひでえことしたけど、あん時だって本気で興奮してたっつうか…」 「…エッチなこと、好きなんだ?」 「しょうがねえだろ!だってあんなにエロい姿毎日見てりゃあ、耐えられねえっていうかよく我慢したって思うぐらいだ。俺が何十回好きだって言いたかったか、ああ、畜生!」 ポツポツとまるで懺悔みたいに告げられて、だんだんと涙が引っ込んでいく。そうしてシズちゃんが本当に言いたいことを指摘したら、突然叫び始めて頬が緩む。 確かにこれは、俺が悪かったと悟った。無表情であんなことをしていたと思っていたけれど実は我慢していただけで、そのことにほっとする。怒っていたわけでも、苦痛に感じていたわけでもなかったのだと。 「っつうか、目の前で好きな奴が酷いことされてて、それに加担してるって思うとすげえ嫌な気分だった。でも俺は手前にどうしても元に戻って欲しかったし、その為ならどんなことでもするって決めたんだよ。あまりに情けなくて、言えなかったけどな。だから苦しんでるの知ってて、黙ってたのは…悪かった」 「そこまで謝られたら、何も言えないよ。もう過ぎたことだしね」 安心させるように、精一杯の笑顔を作って吹っ切るように告げた。全部もう、終わったことなのだからそれをここで話をするなんて無駄なことだと思ったから。 そんなことを延々と話したいわけじゃない。もっともっと、いっぱい言いたいことも、言わないといけないことがあったから。 「ねえ、そろそろ…ここ玄関だし中で話しない?まあ話も、大体わかったし、その…だから」 「ああ俺も手前とセックスしてえ」 「ちょ、っと!そういうのはもっとオブラートに包んで言って…」 「もう待てねえ。無理だ、充分待ってやったから、これ以上は聞かねえよ」 そう言うと、おもむろに俺の腰を掴んで抱えあげて小走りで廊下を歩き部屋の中まで進んだ。こうやって二人きりで居ると、少しの間だけ一緒の部屋で過ごした時の事を思い出す。 でもあの時は表面上は普通に過ごしていたけれど、俺は早くシズちゃんのことを解放してあげたくてッ必死だった。だからすごく幸せな気持ちになっている今とは違う。 忘れないとと必死に考えていたけれど、もうそんな必要はなくなったから。 「あ…でも、体大丈夫なのか?」 「何の為に治療したと思ってるの。まあその、久しぶりだから緊張するけど前と変わらない。発作とかはなくなったけど、あの行為は消えないから」 「臨也……」 部屋の中のベッドの上に下ろされて、同じようにシズちゃんも俺の前に座って真剣な表情でこっちを見ていた。そうして男達に散々犯されたことは消えない、と言うと顔を顰めて悔しそうにする。 でも俺はそういう辛い顔を見たくて言ったわけじゃないから、そっとシズちゃんの手の上に手を乗せて言った。 「シズちゃんが、俺にしたいことしていいよ。その…す、すごく体が敏感でエッチなの知ってるよね?」 「ああ、そうだった。悪かった、遠慮なんてしてる場合じゃなかったな」 ちょっとだけ目線を外して恥ずかしい気持ちを隠しながらなんでもないことのように告げたが、それはすぐに伝わった。だって俺達は短い時間だったけれど、同じ部屋に暮らして体だって何度も繋げたのだ。 でもこれまでとは全然違う。 ずっと気持ちだけがすれ違っていて噛みあっていなかったけれど、もう自分の思っていることもすべて伝えられる。偽ることなんて何もないし、怖がる必要もない。 「やっと、だな」 「え……?」 「やっと本当のセックスができるんだよ、俺らはよお」 少しずつ涙は引いていたけれど互いで握っているのとは反対側の手が頭を撫でてくれて、また俯きそうになるのを堪える。しかしすぐに腕をぐいと引かれて部屋の中に向かって歩き出したので、慌ててその後ろに続いた。 ほんの数秒だったけれど、これまでのできごとが、出会った時からのいろんなことが頭の中を掛け巡っていく。そのどれもがシズちゃんのことで、やっぱり俺にはシズちゃんしかいないのだと改めて思った。 考えないように抑えていた分だけ激しくなるかもしれない、と少し笑いながら頬がほんのり熱くなっていて。 text top |