「…わかった」 新羅なりに気を遣ってくれたのだろう。まだいろいろデータを取って調べてるから、とだけ言い残して部屋から居なくなった。まだ頭が混乱していたけれど、なんとか息を吐いてとりあえずベッドの傍の椅子に座る。 さっきさわって一度は確認したけれど、本当にという疑問があったので手を伸ばしてでもすぐに引っ込めてやめた。 何度同じことをしても意味はない。それよりも冷たい手の感触にぞっとした。あんなにじっくりと死人の手を握ったのは初めてだ。唇を噛んで俯きながら涙が出そうになるのを堪える。 まだ本当に死んだわけではない、根拠はないけれど試してみる価値はあると。俺は自分の事はあっさり諦める癖に、シズちゃんのことになると諦めが悪いらしい。 「勝手に死んだなんて、許さないし」 だいたい今まであんなにもいろんなことをして、車に撥ねられたり、拳銃で打たれたりして平気だったのに突然死ぬなんてありえない。考えられるとしたら突然得体のしれないウイルスに感染したか、体が急激に変化したか。 そのどちらも試してみたけれど、一度も成功はしていない。薬なんて効かなかったから。 「まだ何も…話してないのに」 新羅は夢の中のシズちゃんのことが好きなのだと言い切っていたけれど、体を繋げあったシズちゃんも好きで、どっちかを選ぶなんてできなかった。 好きな気持ちは偽れないし、変えられない。 最後の言葉は小声で呟いたけれど、聞こえるか聞こえないかの声だった。だってそれは俺の本音で、誰にも聞かれてはいけないのだから。 「臨也…?電気もつけずにいたのかい?」 「ああそうだね、すっかり忘れていた」 「少しは落ち着いたみたいだね、よかった」 部屋の入口でスイッチを入れながら現れた新羅も、少しだけ疲れているように見えた。もう結構遅い時間だったというのに、まだ首無しが帰ってきてないのが気になったがシズちゃんと仲良かったということもあってまだ連絡していないのかもしれない。 さすがに、死んだなんて明らかにショックを受けることは最愛の相手には軽々しく言わないだろう。 「ところでさあ、本当にシズちゃんの容体が変化したのには気づかなかったの?医者として何か変なところはなかったのかい?」 「残念だけどわからないんだ」 「でもおかしいよねえ。俺は新羅が闇医者だけど相当腕がいいのはよく知っている。だから些細なことがあったら言って欲しいんだ、別に怒ったりしないし」 「まだ調べている最中だよ。静雄だからね、やっぱり普通の人間とは違うから」 まるで決められた答えのような返事があって、違和感を覚えた。仕事に熱心で首無し以外のことに興味はないとはいえ、一応友人が死んでしまったのだ。もう少し何かがあってもいいと思うし、新羅ならもっと最後まで諦めずにいるのではないかと思った。 それにさっきのことを思い返していて、尋ねたいことがあったのだ。 「ねえ…一応聞くけど、さっき俺にやけに突っかかってきたのは何か感づいていたからっていうことはないよね?」 「どういうことかな?」 「そうだね、もう単刀直入に言うよ。例えばこれが全部新羅とシズちゃんが仕組んだ…お芝居っていうことはないよね?」 ずっと考えていたのはシズちゃんが死んでしまったというありえないことよりも、これが全部二人の仕組んだ嘘だというほうがしっくりきたからだ。 さっきから俺は全く部屋の中を動き回ってはいないし、調べてさえいない。いつもだったらとっくにそういうことをしているのだが、あえて止めていた。だから単純に新羅の反応を見て決めようと思ったのだ。 これでも情報屋という職業をしているのだ。友人の嘘なんて、簡単に見破れる。 「それは…」 「いや…やっぱりやめよう。なんだかすごく俺が惨めになるからさ」 まだ新羅が言葉を発する前にすべてを遮った。それはわざとだ。 だってもう気づいてしまった。新羅が嘘をついているということに。 シズちゃんと一緒に俺のことを嵌めようとしていることに。 「帰るよ、ここじゃあやっぱり落ち着かない。シズちゃんのこと、頼むよ」 「えっ…待ってよ臨也!?」 立ちあがるともうシズちゃんの方は振り向かずに、早足で部屋を出て玄関まで行くと静止の声も聞かずに飛び出す。もうそれでいいと思ったから。 怒っているわけではない。だってこれは、明日には確実に現実に起こることなのだ。 このまま俺が何もしなければ、シズちゃんは死ぬ。それを再確認できたならそれでよかった。俺の病気とか、シズちゃんとセックスをしたとか、告白するとかしないとか、好きとかそういうことじゃないのだ。 「でもマズイなあ…新羅に明日まで待ってって言っちゃったよねえ。何も気づかないといいんだけど」 夜の街を走りながら携帯を取り出して必死に考える。今からこの時間でできることをだ。明日俺が死ぬ為に必要なことを。 しかし足は自然と途中で止まった。薄暗い路地裏に立ち止まって肩で息をしながら、壁に手を突いて呼吸を整える。疲れたから立ち止まっているわけではなくて。 「…っ」 胸がズキンと痛んだ。 二人に、シズちゃんに騙されていた、ということに。それがわかってしまったのに、黙って出てきてしまった自分にも嫌悪した。 言えばいいのに。素直に嘘をつかれてショックだったと、素知らぬ顔をして眠っているシズちゃんに言えばよかったのに。でも、今更何かを言うのが怖くて。 「また…同じことしてる」 壁に凭れながら小声で呟いた。 「好きって、言えばいいのに」 シズちゃん自身にも何度もそれをしつこく言われたけれど、俺はわかっていて最後まで頑なに拒んだ。夢だと思っていたできごとが現実だと知った今、まだ同じように気持ちを一切伝えずに死のうとしている。 死ぬ間際まで後悔したのを覚えているのに、また繰り返そうとしている自分に呆れた。でももう変えられない。 今回は確実にチャンスはあった。体を繋げた時に言えばよかったのだ。あんな告白の練習とかしていないで、最後に一言実は君のことなんだと付け加えるだけでよかった。 でもダメだった。だからもう何度同じことをしようと、死のうと、俺からはシズちゃんに好きだと打ちあけられない。 勇気がなくて、嫌われるのが怖い。 「やっぱり新羅と二人で、俺に嫌がらせしたかったのかな。優しくした後にセックスして、その後に死んだって演技してその為に始めから全部嘘ついて、笑おうと思ってたのだ。全部シズちゃんの言ったことも…」 嘘なのだと気がついた時には、もう何も信じられなくなって酷く息苦しくなる。でもきっとこれが今までシズちゃんにしてきたことのすべてだ。 嫌がらせをして、嘘をついて、本当は好きだという気持ちにも嘘ついて偽りばかりの人生。きっともうそれは逃れられないことで。 「俺って結構シズちゃんの嘘には、弱いんだね。知らなかった」 悔しさで唇を噛むけれど、シズちゃんに対して苛つきはあっても憎しみはない。もっと俺の方が、向こうに恨まれているから。 それにこっちだって利用しようと思っていたのだ。体だけの関係でも続けられたらいいなと。結局それは叶わなかったけれど、少しの間だけでもぬくもりに包まれた記憶は残っている。 「好きな人とセックスできたのは、嬉しかった」 本当だったらふれることさえできなかったものにふれて、優しく抱かれた記憶は心の奥底に深く刻まれている。前にシズちゃんと一晩だけ同じベッドで寝たのを大切に想っているように、きっとこのできごともいつまでも俺の中だけで噛みしめることができる。 何度殺されようとも。 「もういいよ、充分だ。結局俺はこうやって一人で寂しく死ぬのがお似合いだ」 自嘲気味に笑いながら両手で腕を掴んで俯く。残された時間はあとわずかだから、一刻も早くその場から動かなければいけなかった。でも泥沼にはまったみたいに足が動かなくて、これまでのことを走馬灯のように思い出していた。 その時、突然背後から声を掛けられた。 「折原さん…?」 「え?」 あまりに自分の事に夢中で、気配に気づかなかったことに内心舌打ちをする。そのまま顔をあげて相手を見つめると、俺の後ろに白いスーツを着た男が立っていた。 随分久しぶりのように見えたけれど、実際には最後に会ってから数日しか過ぎてはいない。でも一目見た瞬間に、嫌な予感しかしなかった。直感が、これは危険だと告げていて。 「四木さん、これはご無沙汰してます。この間は失礼しました」 「いえ気にしていませんよ。それよりもあれからご病気はいかがですか?こうやって池袋でお会いしたということはかなりよくなったのですか?」 「ええ、まあ…」 目の前で倒れたのだから心配されるのは当然だったのだが、それとは違うとわかる。四木さんの醸し出す雰囲気が知り合いの情報屋に接するものと異なっていたからだ。これでも数年粟楠会とは接触しいろんな仕事を請け負ってきたから、普通の状態でないことぐらいすぐ察することができる。 相手は今、俺のことを警戒しなければいけない者として見ていると。 「なにやらおもしろい噂がネットで流れているのは聞きましたよ。どういうことかはわからないですが、まさかあなたの殺害予告が書きこまれているなんて」 「そう…ですねえ」 ああやっぱりと納得した。新羅の家に行く前に、人目のつきやすい掲示板で自ら発言をしていたのだ。 誰か折原臨也を、明日犯し殺してくれるなら多額の報酬を払うと。あまりに率直な内容だったけれど、すぐに色んな相手から連絡がきた。そいつら全員に、俺が死ななければいけない倉庫の場所を送りここに来いと指示を出したのだ。 つまり明日そこに行くだけで、俺は犯され殺してもらえるのだ。 その連絡を貰って調子に乗った奴らが、俺が殺す、俺が犯すと次々と殺害予告みたいなものを言いだしてある意味大騒ぎになっていた。それがシズちゃんが死んだと連絡があった数時間前の話だ。 「さすがに殺しは、見逃せねえ。本気で犯され殺されてえなら、こっちにも許可ぐら取るのが筋ってもんだろ」 「…っ」 急に畏まった口調を崩して乱暴に吐き捨てると、射抜くように見つめてきた。四木さんは、俺が自分からこの状況を仕掛けて殺されようとしているのに気づいたのだろう。 自分のシマで揉めごとがあればいろいろと面倒だろうし、ましてやそれが贔屓にしていた情報屋なら見過ごすことなんてできない。少し詰めが甘かったなと思った。 「まあ理由によっちゃあ、粟楠会がお前を処分してやってもいいぜ」 text top |