「いいけど…っ、できるなら俺はシャワーを浴びてきたいんだけど」 「そんなの必要ねえ。そのままでいいからしようぜ」 ようやく家まで帰って来てすぐに降ろしてくれと抗議したのだが、結局降ろされることなく自分の部屋のベッドまで運ばれた。そこは朝に出て行ったままで、乱雑に布団がはだけていたままだ。もしかしてシズちゃんが何かに気づいて、慌てて出て行ったのかもしれない。 ベッドの上に寝転がされた途端に覆いかぶさってきそうなぐらい、そういう雰囲気を醸し出していたので慌てて止めた。一応説明をして欲しいし、シズちゃんはいいとは言うけれど俺は他人のものが中にある状態でしたくはなかったから。 「あのねえ、君はよくても俺はダメだ。こんな気持ち悪いもの、さっさと処理したいんだよ」 「そんなに、嫌か?俺とセックスするのも嫌か…?」 そこで急に俺の体にふれるのを止めて、なんだか悲しそうな表情でこっちを見つめてきた。これを無自覚でしているのだから、本当に性質が悪いと思う。 どうしてここで引くんだろう。しかも俺が言っているのは、セックスが嫌だと言っているわけではなくて他人の精液を体に受けいているのが嫌だと言ったのだ。意味が全く違う。 「…っ、もう、嫌じゃないよ…別に」 「じゃあなんですげえ嫌そうな顔してんだよ」 「だから、人の話を聞いてる?これがシズちゃん以外の相手の精液だってわかってるから嫌なんだよ!気持ち悪いの!好きな相手とするのに、せめて綺麗な体でしたいっていうのぐらいわかんないの!?」 しおらしくしているシズちゃんに、ヤケクソで怒鳴りつけてやる。全部知っていると言う癖に、どうして俺がここまで言わなければいけないのかと腹立たしい。 やっぱり俺の気持ちなんて、ちっともわかってない。 「好きな相手って、やっと認めやがったな」 「反応するのそこかよ。もうほんとに、話聞けって!」 必死の俺の訴えはあっさりと別の話に刷り変えられて、苛立ちが増す。勢いで言ってしまったことにすぐに後悔したのに、それを見逃すことなく指摘されて唇を噛む。 そうだ、好きだ。今だってすごく好きで嬉しくて、少し舞いあがっている。でもそれを悟られたくなんかない。もっとシズちゃんに対して優勢でいたい。 今度はちゃんと考えてしゃべろう、と思っていると今日何度目かわからないが頭をガツンと殴られた時のような、衝撃的な一言を告げられた。 「今手前の中にあるもんが、俺のだってわかったら嫌がらねえんだろ?まあ今更言うのもあれだけどよお…そいつは俺のだ」 「そいつって、なに?」 「中出しした精液は、俺のだ。さっきうっかりやっちまって、その時に童貞も卒業した。だから男ともしたことあるって言ったんだよ」 「それほんと?」 声は明らかに動揺していた。やけにうるさいぐらいに胸がバクバクと高鳴って、全身から汗が噴き出してきて思わずシーツを強く握り締める。 ついさっきまでは、シズちゃんの童貞を奪ったのは誰なんだとか、男と寝たって一体誰なんだどういうことなんだと苛ついていた。でも今は、俺と既にセックスをしたということは随分と淫乱な体とか何もかもを見られてしまったということを知ったのだ。 一難去ってまた一難というのは、こういうことを言うのだろう。 どっちにしろ俺自身の知られたくなかった部分をもう暴かれていたということなのだから、動揺しないわけがない。パニック状態だ。 「まあこうなるだろうなとは思ってたが、記憶ねえだろ?ほらこれ見てみろよ」 「これは…っ」 急に俺のポケットを勝手にまさぐり始めたシズちゃんが取り出したのは、薬が入っていたらしい容器だった。数個連なっている入れ物の一つが破られ、空になっている。それは間違いなく九十九屋に貰った薬で、念の為に持っていたけれど使うつもりなんてなかった。 薬を打たれたとしても、どうせ殺されるのだからどうでもいいと思っていたのだ。でもそれがなくなっているということは、使ったということでさっき記憶が曖昧だったことにも説明がつく。 その記憶が無い間に起こったできごとだと主張するなら、間違いないのかもしれない。 「まあ一番手っ取り早いのは、その精液を調べてみりゃあいいんだろうけどな。そこまでしなくても、納得してくれるだろ?」 「いや…でも」 「だいたい薬打たれてわけわかんなくなっちまってて、それでも誰でもいいからって誘ったのは手前だからな。俺はやめろっつったのによお」 「誘ったって…まさか、まさか」 「おちんぽぶちこんでくれ、って俺にねだってきやがって…そんなこと言われたら襲わずにはいられねえだろ」 調べなくても、シズちゃんの言葉で充分だった。これまでそんな卑猥なことなんて一度も口にしなかったのに、急にそれを言いだしたのは俺のせいだったのだ。 薬を打たれて見境なくなった俺の、最低な失態の数々で余計な知識を植え付けてしまったのだ。そのことに青ざめて、全身が小刻みに震える。 いくらわからなくなったとはいえ、一番知られてはいけない相手に自分から跨っていたなんて。全く覚えはないけれど、自分の行動に憎しみが沸いた。どうしてそんなことをしたんだと。 「…信じらんない」 小声でそう呟いたけれど、それはシズちゃんの言葉が信じられなかったわけではなく、自分自身に嫌悪しての言葉だった。 「じゃあ俺とセックスしてみりゃあ、思い出すんじゃねえか?」 「…え?」 「なあ、記憶なくても体が覚えてたりしねえのか。今までした中で、俺のが一番でけえとか言ってたし、だったら何かわかんねえか?」 「それ…本気で、言ってるの?」 あまりに非常識な内容に、顔を顰める。確かに体が覚えている、ということはあるかもしれないがそれがシズちゃんとした証拠だと決めつけるのはおかしい。そんなもの、わからないのだ。 どんなに酷い内容だったにしても、俺は忘れているのだ。初めてした好きな相手との行為を忘れてしまったのだ。 「俺は本気だ」 「そうじゃない!そんなことじゃない…っ、俺が悲しいのは、そういうことじゃなくて」 「おい待てよ、なんで泣いてんだよ臨也」 感極まってこぼした涙は頬を伝い、そのままシーツに落ちてそこを濡らす。最初は酷い姿を見られたことがショックだったけれど、もう今は違う。 大事な思い出を忘れてしまったことが悔しかったからだ。どんなに最低でもいいから、覚えていたかった。 「ごめんねシズちゃん…忘れてごめんね」 「そういうことかよ。わかった泣くんじゃねえって」 こうやって泣くのはもう何度目かわからない。こんな弱いところなんて見せたくはないのに、シズちゃんのことになると涙が自然と流れてしまうのだ。 さっきだって犯されそうになった直前に思ったのは、助けて欲しいと呼んだのは、シズちゃんの名前だ。もうどうしようもないぐらい、シズちゃんのことしか考えていない。 「俺は手前を悲しませてえんじゃねえ。いいから落ち着け」 「うん…」 「泣くなら、もっと嬉しいことで泣かせてえ」 「嬉しい…こと?」 ベッドの上に手足を投げ出して涙を流す俺の頬に、シズちゃんの大きな手が添えられる。そうして頬を拭われながらみあげると、一瞬だけ眉を顰めて堪えるような表情をした。 一体何を俺に言って喜ばせてくれるのだろうと思いながら、無意識に胸の辺りを左手で抑える。言おうとしていることが、どんなことでも覚悟をしようと決めて。 「いいかよく聞けよ。俺は…死なねえ」 「……えっ?」 「俺も手前も、死なねえんだよ。手前が生きようが俺は死なない。手前が死のうが、俺がずっと生きていられる保証もねえ」 言っている意味がよくわからなかった。でもなんとなくそうではないかと思っていたことだったので、しっかりと耳を澄ませて聞く。 「生き死になんて、誰かが簡単に決められるもんじゃねえ。だから全部嘘なんだよ。手前が死んだって、何の意味もなかったんだよ!!」 「意味が…ない?」 自分の口で言葉を発して、それでようやく目が覚めたような気がした。 俺が死ぬことに、意味はあるのだろうか。 ずっとその疑問を抱きながら、それでも願いが叶うならと必死に縋ってきた。でもそれはたった今完全に否定されてしまう。つまりそれが意味するのは。 散々男達に犯されてきた行為は、全部無駄だったということだ。それ自体はショックで、今まで何をしてきたのだと叫びたい衝動にかられる。でも一方で、最高に嬉しい言葉だった。 「シズちゃんも…俺も…一緒に生きていいの?」 「そうだ、いいんだ。俺達がつき合おうが、恋人同士になろうが誰も怒ったりしねえ。いなくならなくていいし、幸せになっていいんだよ」 「幸せ…?」 必死に訴えるシズちゃんの瞳は、少し潤んでいた。 それはきっとさっき言っていたことと関係していると直感で感じたので、黙って見守る。かける言葉が見つからなかったということもあった。 『好きな相手が突然死んじまって、すげえ悲しかったって言ってんだよ』 text top |