聞き間違えるわけがないのだが、信じられなくて声が裏返ってってしまった。叫び声を聞いた周りの男達も慌てだして、ズボンを直しながらうろたえている。目の前の男が一歩下がったので視界が開けて、はっきりとその姿が見えた。 相当急いでいたのか肩で息をしながら、どこかから引っこ抜いていた標識を手に持ってこっちに小走りに駆けてくる。表情はいつものように激怒していて、ただサングラスはしていないので普段よりはっきりと顔が見えた。 視線は俺の方だけを見つめていて、とてつもなく怒っている、と。 「手前ら、汚い手でそいつにさわってんじゃねえよッ!」 「平和島静雄だと!うわあっ、やめろ!おい逃げるぞ」 さすが九十九屋に雇われた奴らだけある。シズちゃんのことを血相を変えて見つめながら怯え、それぞれがバラバラに出口に向かって逃げようとした。でも入口も出口も一緒らしく、どうあっても標識を振り回している男を避けて通らないと逃げられないらしい。 あっけにとられている間に、次々とスーツの男達が殴られて宙に舞いあがり無様に下半身を晒して転がりそれが次々と山になっていく。しかしそこで俺は気がついた。 「ま、待ってくれ!お前らまだ俺のこと殺してないだろ、それでいいのかよ!!」 途中で与えられた仕事を放棄するのか、という意味で問いかけた。このまま逃げられたら、こいつらに殺されるという目的が達成できなくなる。そうなれば、俺は助かるが今度はシズちゃんが死んでしまうのだ。 どうやって死んでしまうかわからないけれど、そう言われたのだから間違いない。そんなのは、困る。 「そうか!そうだよな、折原いいこと言うじゃねえか」 「ぐっ、あ…!」 さっき九十九屋と話をさせてくれた男が、一瞬でポケットからナイフを取り出し地面に転がっていた俺の体を掴むと無理矢理立たせた。縄が擦れて苦痛の声をあげたところで、首元に冷たい金属が押し当てられる。 殺してくれとは言ったが、人質にしろだなんて指示してはいない。でもこれでシズちゃんが少しでも動けば殺されるという俺の願った状況になった。 「くそっ、臨也になにしやがんだ手前ッ!!」 「それ以上近づくんじゃねえ、一歩でもこっちに寄ってきたらこいつを刺すぞ」 男は脅すような低い声で告げたが、残りの奴らを標識で叩き潰しながら話すシズちゃんにはよく聞こえなかったらしい。一気に大きく棒を薙ぎ払い、数人同時に吹っ飛ばすと大声で怒鳴り散らしながら大股で歩いてくる。 思った通りだった。これなら、もう俺を殺すしかない。 「ねえあいつ聞いてないみたいだよ。こうなったら殺すしかないよねえ?ほら早く俺を殺してよ、できるなら腹を刺して欲しいんだけどなあ」 「な、なんなんだお前ら…!くそっ、くそ、好き勝手しやがって…!!」 シズちゃんには聞かれないように小声で伝えると、相手は目をせわしなく動かして手首を小刻みに震わした。怒っているのか動揺しているのかわからないが、これで煽りは成功したので後は刺されるのを待つのみだ。 まさか最後にこうやって顔を会わせることになるとは思わなかったけれど、姿を見ながら死ぬなんて嬉しかった。心底驚いているところが見れるなんて、と頭の中で考えただけで背筋を寒気がかけあがっていく。 これで絶対にシズちゃんの心の中に残る、と興奮した。 「このままだと痛い目に遭うよ?さあ、俺を刺して…?」 にっこりと笑いながら、そう囁く。これが最後の一押しになるのは確実で、思った通りに男が勢いよく手を振りあげた。 ようやく全部終わると思うと少しだけ安堵する。これで苦しい気持ちを隠しながら過ごすことも、手酷く犯されることもなくなるから。 瞳をゆっくりと閉じながら、ああやっぱり辛かったんだなと、ようやく素直になれて。 「う、ぎゃあっ!?」 しかし思ったような衝撃がくる前に、男の情けない悲鳴があがって慌てて瞼を開いた。そうして、あまりにもびっくりして喉の奥でひゅっと呼吸の音が鳴る。 「こいつをどうこうしていいのは俺だけなんだよ。わかったら、さっさと消えろッ!!」 ナイフの刃は飛びこんで来たらしいシズちゃんの腕に刺さっていて、反対側の腕で俺の後ろの男を押さえつけていた。けれども思いっきり蹴りあげて吹っ飛ばすと、蛙を踏み潰したかのような汚い声があがりそれっきりだ。 支えを失った体はその場に崩れ落ちそうになったが、伸びてきた大きな手に引っ張られそのまますっぽりと抱きこまれた。 「…っ、な、なに!?」 カランッと先端しか刺さらなかったナイフが地面に落ちて乾いた音がする。抱きこまれたはいいけれど、やましいことがありすぎてそっと背中に手を回された途端に肩がビクンと揺れた。 動揺しすぎて、自分でもどうしたらいいのかわからない。 殺される覚悟をしていたのに、こんな風に優しく抱かれてるなんて。 「だから助けに来てやったって言ったんじゃねえか。さっきの聞こえなかったなんて言わせねえぞ、手前」 「えっ?え、なんで、助けにって…そんなこと、俺は一言も…」 聞こえなかったわけではなかったけれど、その深い意味を考えたくはなかったから頭の中から追い出していた。だってこんな夢のようなこと、ありえないのだ。 殺されそうになっている俺を、シズちゃんがかっこよく助けに来ただなんてそんな都合のいい事。 でも次の瞬間、もっと驚くことを告げられた。 「好きだ、臨也。勝手に殺されそうになってんじゃねえ」 「…え?」 「もうどこにも、行くんじゃねえよ…」 やけに真剣に、しかも最後の言葉は小声だけれども少し震えているように聞こえた。 聞き間違いじゃないかと思うほど弱々しくて、これがさっきまで好き勝手に暴力を振るっていた平和島静雄なのかと疑うぐらいだ。でも俺は、シズちゃんが優しいのを知っている。 数日間二人で過ごした穏やかな日々が頭の中を駆け抜けて、呆然としながらも気がついた時にはしっかりと背中にしがみついていた。 「シズちゃん…っ、その」 「いいから黙ってろ」 「え…っ…ん、っ、ふぅ…く」 何を言ったらいいのかわからないまま口を開きかけて、その半開きの唇に噛みつくように真上からキスをされた。体に力が入らなくていつもより低い体勢になっていたので、しっかりと唇が押し当てられてぬるりと唾液混じりの舌が口内で絡んでくる。 慌てて体を捩って逃げようとしたが、しっかりと捕まえられていて少し身じろぎしたぐらいだった。一気に頬が赤く染まり、熱い吐息がたまに漏れる。 「うぅ、っ…んぁ、あ…っ」 体の奥からむず痒い感覚が沸きあがってきたちょうどいいタイミングで離れていき、口を開いたまま呆然とした。多分その表情があまりにもおかしかったのか、目の前でシズちゃんがおかしそうに笑う。 でも俺はあまりに突然のことすぎて、気持ちの整理がつかないまま魚のようにパクパクと唇を開いたり閉じたり繰り返した。パニックになった時は、本当に何も考えられないんだと知る。 「間に合ってよかったぜ。まあ詳しい話は後にして、とりあえずここ出るか」 「いや、待って…その、えっと」 「ああ大丈夫だ、ちゃんと手前の下着買ってきてやったからとりあえずこれ履け」 突然ポケットをゴソゴソと漁り、目の前にコンビニのビニール袋を差し出してきた。一瞬言っている意味がわからなくて首を傾げる。まるですべてを知っているみたいに平然としていたからだ。 でもそれをどう勘違いしたのか、なるほどと言いながら頷くと再び俺を地面に座らせて自分もしゃがみながら言った。 「そうだよな手を縛られてるんじゃあ自分でできねえよな。しょうがねえパンツ履かせてやるから」 「パンツ…?いや、そうじゃなくて…縄を外してくれればいいんだけど」 「外したらまた逃げるだろうが。そりゃあできねえな」 あっさりと却下されて大きく袋の音を立てさせながら、買って来たらしいパンツを取り出して俺の右足を掴んだ。その時になってようやく、恥ずかしい姿を見られてることとか何もかもに気づく。 この口ぶりだと、事前に俺が凌辱されていることも知っていてそれで用意したとしか思えない。一体いつバレたのかとかそんなことを考えている暇もなく、グレーのパンツを足先に引っ掛けてきたので声を荒げながら暴れた。 「やめ、やめてよッ!こんなのいいから、このままでいいからもう出て行けよ!!」 「おいこのままでいいって、手前のエロい尻が晒されてもいいってことか?バカなこと言うんじゃねえ、そんなの許せるわけねえだろうが!!」 「な、なんでそんなことシズちゃんが勝手に言うんだよ!俺がこのままでいいって言うんだから、言う事聞けよ!!」 「恋人がすげえエロい恰好してて、それを他の奴らに見られるのを黙っておけっつうのか!?そんなのおかしいじゃねえか!!」 思わずそのまま聞き逃すところだったが、次の罵倒を口にする前に気づいてかあっと頬が火照った。 「えっ?恋人って、俺とシズちゃん…が?」 text top |