完全に戻るわけではない。俺もあいつも、記憶を持ったまま時だけが戻るというもので。それはつまり、一度死んだことは消えないということだ。 助けられなかった事実は、変えられない。それが悔しかった。 それと臨也は自分の願いを叶える引き換えに、死ぬことを選択したのだと聞いていたのだが、それ以上はわざと尋ねないでおいたのだ。 本人から直接聞いてやるつもりで、そうした。絶対にあいつ自身に吐かせてやると、意気込んでいたのだが。 さっきから俺は待ちぼうけをくらっていた。いや正確には待ち合わせなんてしていない。それなのに同じ場所に立ち尽くして、煙草をふかしながら待っている。 携帯の日付を見ると、そこには確かに臨也と暮らし始めたあの日に変わっていて、俺が待っていた場所も告白された路地裏だった。目を開いたら、こうなっていたのだ。 「来ねえな…」 ポツリと呟いてみたものの、ほとんど人通りもないので誰も聞いてはいない。時刻はもう零時を回ろうとしている。もう来ないだろうな、とわかってはいたが諦めきれなかった。 俺は諦めが悪い。だからあいつが死んだなんて信じられなかったし、信じなかった。最後まで。 「生きてんだよな?」 握りしめていた携帯のアドレス帳には、あいつの番号は入っていない。新羅に聞けば簡単に教えてくれるだろうが、さすがにそれはしないでおく。 何かがあった時の為に番号を交換しようと言ってきたのは臨也の方で、それは一緒に住み始めてすぐのことだった。だから今の俺は知らない。結局一度しか掛かってこなかったが。 そこでふと、あの時の事を思い出す。ちょうど仕事終わりに電話が掛かってきたので取れば、その日は帰れないという連絡で。 「そういやあ、あれおかしかったよな」 煙草を携帯灰皿の中で握りつぶして仕舞うと、必死に考える。最初は体調が悪いのかと思っていたので、仕事なんか終わらせて帰って来いよと言った。でもそんな俺に臨也は、仮病だと。 わざとらしく助けてくれと叫んで、それで嘘なんだと知って激怒して電話を切ったのだが。今考えると、おかしいことがわかる。だってもし手紙の通りなら、その時あいつがしていたことは。 『俺はね、シズちゃんの知らない所で何十人もの男相手に性行為をしていたんだ』 「まさ、か…?」 その考えが思いついてすぐに頭を左右に振った。証拠なんてどこにもないし、過去のことなのだから本人以外から聞き出すしか方法は無い。でも記憶を辿ることはできる。 だって確かにあいつの最後の姿は酷いもので、冷たい体は白く汚れていた。完全に否定することができないなら、目を逸らさずに考えてやるべきではないかと。 「仮病じゃ、なかったのか」 頭を捻って思いついたのは、それだ。もしあの電話の時に体調が悪かったのに実は隠していたのだとしたら。しかししっくりこなくて、もう一度考え直す。 だいたい性行為というのは、男同士でするものではない。まさか男のあいつがアダルトビデオのように喘いだりするのだろうかとため息をついて、その時閃いた。 『おれ、ほんとは…んぁ、はぁ、っ…』 「いや、まてよ…おい」 浮かんだのは一度だけ見た、涙に濡れた瞳で。その姿のまま携帯から聞こえてきた声とダブって、明らかに喘いでいたのだ。思わず自分自身にツッコミを入れたが、頬がかあっと熱くなっている。 そうしてそれが間違っていないのではないか、という思いがじわじわと広がっていく。俺の考えていたことが間違っていたから、あいつを助けられなかった。 だから全部逆にして考えれば、少しぐらい正解に辿り着くのではないかと。それはつまり、あの時俺と話していたあいつは男とセックスをしていたとすれば。 「…やべえ」 不謹慎だと思いながら、頬が熱くなってなんだかそわそわとし始めた。それはもう、ここで待つことすらできないぐらいには気持ちが昂ぶっていて、驚く。 あいつと一緒に同じベッドで寝たことがあるにも関わらず、そんな気持ちにはならなかった。それは俺が考えないようにしていたからだと、今ならわかる。意識していなかったのだ。 今はこんなにも、臨也のことを抱きしめてどうにかしたいと思っていて。 「出直すか」 そう決めると俺は自分の家へ歩き出した。あっさりと待つのを止めたのも、強引にあいつの家に乗り込まないのも全部、わかっていたからだ。 臨也が生きているとわかっていたからだ。見なくても、会わなくても肌で感じる。ところどころに、あいつの気配が残っているような気がするから。 だから焦らなくても大丈夫だと、また明日にでも、いつでも会えるのだと。 きっと顔を合わせたら、俺にナイフをつきつけてくるか、それともまた一緒に住もうと言ってくれるか。単純にそう喜んでいたのだけれど、違うのだと悟ったのは数日後だった。 「そういえば最近見てないねえ。セルティにも仕事の連絡はないし、また変なこと企んでたりして」 仕事が休みだったので、その日は朝から新羅の所に遊びに行っていた。生憎セルティは臨也以外の相手から依頼された仕事をしているらしく居ない。 開口一番にあいつのことを知らないかと尋ねたら、それはもう意外そうに驚かれた。いつの間に仲良くなってたの、と皮肉を言われたけれどそれには反論しなかったら余計怪しまれたのだが。 「うーん…気のせいならいいんだけど、なんかいつもと雰囲気違わない?どうしたのさ」 「俺は本当はセルティに聞くつもりだったんだがよお、その…あれだ、好きだとか嫌いだとか、つきあうとか一緒に住むとか、そういうのがわかんなくて、だから少し教えてもらいてえっていうか…」 「えっ?ええっ!?どうしたの、ついに君も恋愛に目覚めたっていうのかい!?」 何かを感づかれたくなくて、苦し紛れに尋ねてみれば想像以上に大騒ぎし始めて驚いた。顔には出さなかったが、それはもう驚きながら何度も恋とか愛について尋ねてきたのでとりあえず睨んだ。 するとすぐさまひきつった笑いを浮かべて声をあげるのを止めて、ご機嫌を窺うようにしながら尋ねてきた。 「誰か好きな相手でも、できたのかい?」 「まあ、そうだな…」 こうやって自分の気持ちを臨也以外の誰かに話すのは初めてだったので、緊張した。何と説明していいかわからなくて、こんな時臨也のうざい口調を思い出してそれが俺にもあればいいのにと思う。 そうすれば、もう少しうまくあいつとしゃべれたのではないか。助けられたのではないかと。 「それが誰かは聞かないでおくよ。なんとなく嫌な予感がするし」 「間違ってはねえ。もし鬱陶しく聞いてきやがったら、殴ろうと思ってたところだ」 悪びれることなくそう告げると、やっぱり何か変わったみたいだと再度言われた。こっちにはさっぱりわからなかったので、少し鋭く睨みつけると、あっさりとしゃべった。 「焦ってない?すごい切羽詰まってるように、見えるけど」 「そうだな、そうかもしれねえ」 言われて一瞬驚いたけれど、あながち間違っていないと気づく。そうだ、俺は焦っている。ここ数日臨也は一度も池袋には来ては居ないし、門田や来良の子らに聞いても見ていないと言っていた。 わざわざ他の連中にも聞いてくれたらしいのだが、誰一人としてあの日から目撃していないらしい。それはおかしい話だ。つまり情報屋としての仕事もしていないかもしれない可能性があって。 危険に晒されていないのならいいが、大人しいのも信じられない。俺はあいつに大きく裏切られているのだから、もしかしてと思うのだ。 願いを叶える為に、また死のうと考えているのではないだろうかと。だって前にあいつが死んだ本当の理由すら、知らないのだから。 実は臨也が死にそうになっているんだ、とまさか新羅に言えるわけがなく曖昧に誤魔化したがそれ以上深く聞かれはしなかった。そのことに少しだけ感謝して。 「変なことを聞くけどよお…その、好きって言葉以外で気持ちを伝えるにはどうしたらいいんだ?」 「え?好きって言葉以外で?なんだってそんな周りくどいことをするんだい?静雄らしくないなあ、まるでいざ…あぁ、いやうん、なんでもない」 流石に最後まではっきり名前を言う勇気はなかったらしい。俺だって、どうしてそんな面倒くさいことになってるんだとあのおっさんに怒鳴りつけたかったが、生憎恩人なのは知っていたので黙っておいた。 これがあいつを手に入れる為の試練だというのならしょうがないと思うが。なんで向こうから告白された時に応えなかったのだろう、という後悔は何十回したかわからないぐらいだ。 「頼む、何かいい方法があるなら教えて欲しい」 「言葉でダメなら、体でぶつかってみるって方法は?ほら君らいつもそんな感じじゃないか」 「体…?って、なんだそれ」 言っている意味がわからなくて問い詰めようとした時に、新羅はあっさりと教えてくれた。それはもう俺にわかりやすく。 「抱きしめればいいじゃないか。だって静雄は意識して加減しないと相手に抱きつくこともできないだろ?だから気を遣うぐらい大事なんだってきっと伝わるよ」 「そうか…そう、だな」 「ただし僕が考えている相手に伝わるかどうかは、保証できないけどね。一筋縄ではいかないだろうし」 確かに臨也を抱きしめただけで気持ちが伝わるなら、既に俺達はどうにかなっている。やっぱりダメなんだろうか、とまた迷い始めたのだが。 さすが長年俺と臨也のことを見てきただけはあると納得するぐらい、的確なアドバイスをされた。 「どちらにしろ一番大事なのは、諦めないことじゃないかな」 「あぁ、それはわかってる」 願いを叶える為に死んだ、ということはあいつは多分諦めていたのだろう。告白して、その後につきあうという本当の意味を俺がわかっていないことを知って諦めたのだ。 だから臨也を救うには、諦めないというのが一番大事なのだと、それだけは気づいていた。 text top |