「練習の後は本番だろうが。今度は手前の好きな相手に告白しろって言ってんだよ。だから、あー…あれだ、好きな奴の名前教えてくれよ」 「えっ、え、えっ、やだ、待ってよ!そんなのシズちゃんに教えるわけないだろ!」 俺は相当焦っていた。確かにこんな流れになることぐらい予想できたが、それにしても酷い。どうして好きな相手から好きな奴の名前を教えてくれなんて言われているのか、わけがわからない。 いや、完全にややこしくしたのは俺自身だ。向こうはただ何も考えずに言っているだけで、あまりの無神経さに腹を立ててもそれは伝わらない。教えるわけがないと怒鳴るのが精一杯だった。 「ここまで面倒見てやってんだ、教えろ。っつーかもう、さっさと言えよ手前…」 「え?なに、怒ってんの」 ここまで普通に話をしていたのが嘘みたいに、急に額に青筋を立てて怒り始めたのでこっちはますます混乱する。でもなんとなく、わかった気はする。 あれだ、最初から新羅に吹きこまれて俺の相談に乗ってあわよくば好きな相手の名前を聞き出してこいだなんて言われたのだ。そうとしか考えられない。それ以外に俺に執着する理由は無いから。 だったらこっちにも、考えはある。 「嫌だよ、嫌だ。シズちゃんにだけは、絶対に何があっても、一生、俺の好きな相手の名前なんて教えないよ。約束する」 「はあっ!?手前、ふざけんじゃねえ!!」 「俺の性格ぐらい知ってるだろ?君の思い通りになんかならないし。簡単に聞き出せると思うなよ」 こっちに掴みかかってきそうなところを寸でのところで堪えて、苦々しい表情をしながら睨みつけてきたのでこっちも同じように睨み返す。そうして暫く無言で互いに見つめ合って。 射抜くような視線は変わらずに、やけに真面目な声で先に口を開いたのは向こうだった。 「告白できねえ奴もいるのに、手前は贅沢だ」 「ああ、なるほどねえ…」 その一言で、どうしてシズちゃんがあんなにも怒っているのか納得した。彼の好きな相手は、既にこの世に居ないという話を聞いていたからそれのことだろうと。 それなら確かに、相手が居るのに言わないで迷っている俺が憎らしく思えるだろう。拘る理由もわかるし、俺に協力してくれるようなことをするのも、きっとそこが関係している。 自分が叶えられなかったことを、俺に叶えて欲しいという勝手な押し付けだ。人の気も知らないで、随分と勝手だなとため息をつく。 「でもシズちゃんの話と、俺の話は全く別のことだ。いくら言われたって、こっちだけが一方的に損する話なんて頷けない」 「じゃあ俺の好きな奴の話をしてやるから、手前も言え」 「えー…別に聞きたくないんだけど」 「聞けよ」 その時急に体を乗り出して、俺の肩を掴み訴えてきたので驚いた。さっき抱きしめられた時にはなんとも思わなかったけれど、あまりに距離が近い。互いの息がかかりそうで、少し緊張した。 諦めると決めた傍からこれでは、意味が無いと内心笑いながら唇を噤んで黙っていた。すると頼んでも居ないのに勝手に話始める。 「俺はすげえ鈍感だから、本当に自分の気持ちに本当の意味で気がついたのはあいつが死んでからだ。幽に指摘されてから、気づいた。その前にもなんとなくそうじゃないかって、好きだって言い掛けたことがあったけど先延ばしにして、それでもう二度と言えなくなった」 「ふーん…」 シズちゃんの口から飛び出す言葉には、重みがあった。きっと本当に好きだったのだろうとわかるぐらい真剣で、でもそんなの俺には関係なかった。むしろ絶対に聞きたくなんてなかった。 俺以外の好きな相手の話をする姿なんて見たくはなくて、でもやっぱり遮らなかったのは好奇心だ。自分が傷つくとわかっていて、それでも堪えられなくて。 ズキズキと痛む胸を抑えたかったが、両手は塞がれたままだったのでできなかったけれど。 「その後に手紙が残ってて、そこに一方的に全部あいつが考えていたことが書いてあった。そんなの誤解だってことがたくさん書かれてて、ショックで、後悔して。俺は泣いた」 「へえ、そうなんだ…」 手紙という言葉に、一瞬だけ胸が跳ねた。夢の中の出来事と少しだけ似ているかもしれない、と思いながらそれは俺がシズちゃんのことを好きすぎるからと流す。 けれども頭の中には、勝手に死んだ俺のことを想って泣いてくれている姿が浮かんで、少し嬉しかった。二度と知ることができない出来事を自分の好きなように想像することぐらい、許して欲しいと。 ただでさえ、夢なのだから。全部全部、起こらなかった出来事なのだから。 「それで俺は、もう絶対に後悔しねえ為に何があってもそいつのことを好きでいようって、諦めねえって…」 「ねえシズちゃん、まあ正直君の話なんてものすごくどうでもいいんだけど、一つだけ忠告していいかな」 急に夢と現実のあまりの違いに、本気で怒りが沸いてきた。理不尽で、俺の気持ちなんか全く知らなくて無神経に他の奴の話をするシズちゃんにも。だからいたずらしてやろうと。 さっき疑似告白をして、少しだけすっきりしていたし、もういいだろうと。これ以上聞いていたって、意味は無いし、だったら今すぐ切るべきなのだ。だからその為に。 「その話ってさあ…君は本当にその相手の事が好きだったの?」 「あ…?」 「恋の吊り橋理論っていうのがあってね、人は極限状態に陥った時に恋に落ちやすいって。シズちゃんのそれはさあ、そういうことなんじゃないかな。少し興味を魅かれた女性が突然死して、その手紙に君の事が書いてあって、精神的に極限状態になったんじゃないかな。パニックに陥ったというか、とにかく勝手に好きになったと思い込んでるけどもし相手が死ななかったら本当に好きになってた?つきあってた?」 俺の言葉にシズちゃんが絶句していた。まさに図星というような表情で、俺の心は弾んだ。ざまあみろ、と心の中で盛大に笑ってやる。そんなのは、恋じゃないと。 「そうだね、俺だったら多分わざとそういう風に仕掛けるかもしれない。例えば重い病気にかかってしまって、あと数日で死んでしまうかもしれないとわかったらきっと好きな相手にそういうアプローチをするよ。当然死ぬことは伏せて、気を引くような言葉ばかりを告げてそうやって引っ張ったところでちょうどよく死ねばその相手の気持ちは多分永遠に俺のものだ。吊り橋効果は冷めやすいっていうけど、その相手が居ないんだから一生がんじがらめにできる。しかもこっちは傷つかずに、自分のものにできるんだ。結果はわからないけれど、満たされた気持ちで死ぬことができるなんて最高だよね」 ペラペラと話をしながら、興奮したように動く唇とは裏腹に心は乾いていた。そんなことをしても、結局は満たされなかったと。最後の最後で、結局後悔したのだ。 まだ生きたいと、助けて欲しいと願ったのは事実で。でもきっとまた、同じことを繰り返してしまうのではないかと。そんな予感があった。 だってもう、それ以外で気持ちを惹きつける術を俺は知らなかったから。 「本当に、それで幸せだと思うか?」 「うん」 「俺にはわかんねえ。いや絶対にわかりたくねえ、知ろうとも思わねえ、ただのバカにしか見えねえんだよ!」 そこでシズちゃんが激昂した。多分頭の中では、その好きだった相手のことを考えている。でも俺に否定されたのが相当苛ついているはずなのに、殴りかかって来ないのは意外だった。 「手前に、本人に、それは好きだと違うって言われても俺は自分の考えを変えねえ。何があっても絶対に好きだ、好きなんだ!好きって気持ちしかありえねえ!!」 「まあそういうとは思ったけどね。残念だな、もっと挑発に乗ってくると思ったのに」 思惑が失敗したのは残念だったけれど、シズちゃんの心がかき乱されるのは少し面白かった。だって俺ばっかりがさっきから一方的に引っ掻き回されていたから。 でも、そう油断したのがいけなかった。 「もうこうなったら、しょうがねえ。いいかよく聞けよ、俺が今から手前のいうこと何でも聞いてやる。だから絶対に好きな奴に告白しろ、諦めるな」 「まだお節介するの?それにいいのかな、俺がとんでもないこと言ったとしても本当に従えるの?」 「ああ少しぐらいなら我慢してやるよ」 「へえ…それはおもしろそう」 突然何を言いだすのかと思ったら、あのシズちゃんが俺に対して何でも言う事を聞くなんて告げてきたのだ。これは面白いことになってきたな、と胸がわくわく躍る。 じゃあとびっきり意地悪なことを言って、困らせてやるしかないと。それで少しぐらい自分が傷ついても、それでもいいとすぐに何を命令するから頭の中に浮かんだ。 「そうだね、手始めに…俺にキスしてよ?」 「あ……?」 「大っ嫌いな俺に、キスをしてくれたら考えてあげてもいいかな。まあ君だったら、死んでもこんなことしないだろうってわかってて言ってるから、無理にできなくても笑わないよ?そこまでの覚悟があるのかって試してるだけだから。さすがにそこまでお節介焼くほどバカじゃ…」 ちょうどよく今目の前に顔があったので、臆面もなくそう言ってやった。こんなことを言って結局キスなんてできないっていう結論になった上に、俺だからできないと言われればこっちが傷つく。 シズちゃんとは絶対に結ばれないんだと目の前に改めてつきつけられて、でもその代わりに笑ってやれる。臆病者とか、散々に罵倒してやろうと頭の中で言葉を考える。 でも次の瞬間返って来たのは。 「約束破ったら、ただじゃおかねえからな」 「ん?」 「っつーか、んな簡単なことでいいならいくらでもしてやるよ。クソッ、ほんとバカだな手前は」 しゃべりながら顔が近づいてくるのが、スローモーションのように見えて息が詰まる。シズちゃんが話していることなんてまるで聞こえていなくて、耳鳴りと同時に。 やけに柔らかくてあたたかい感触が唇に与えられて、硬直した。何もかもが一瞬で真っ白になって、腕が背中に回されるのも呆然としながら受け入れるしかなくて。 頬が勝手に熱くなっていくのを感じながら、恥ずかしさのあまりに目を閉じた。 text top |