「…っ、あのね別にシズちゃんに用があって来たんじゃないんだ」 「なんだ?俺か?何か不具合でもみつかったのか」 アンドロイド相手に嘘だとか駆け引きだとか必要ないと思い、正直に告げた。すると不思議そうな顔をしながら、尋ねてきた。どうするかと思ったが、やっぱり何も言葉が思いつかなかった。 「おいどうした?」 そのまま俯いて暫く黙っていると、心配そうに覗き込みながら近づいてきた。 瞬間、唐突に気がついたことがあった。 「ねえ、津軽って俺の名前呼んだこと……ないよね?臨也って言ってみてよ」 そういえばこれまで一度も俺のことを名前で呼んだことがないことに気が付いて、なんだかそれが急に気になって聞いてみただけだった。 シズちゃんだってノミ蟲だとか言ってあまりちゃんと名前を呼んでくれない。さっきあんな場面を見てしまって、もやもやした気持ちがあったから余計に同じ声で呼ばれるのが聞いてみたいと思った。 別に大したことを望んでいない、ただそれだけだったのに。 「無理だ」 「へ?なんで」 「静雄に禁止されている」 「……ッ!?」 あまりに驚きすぎて、足がよろけてしまい思わずそのままドアに背中を打ち付けてしまった。かろうじて倒れることだけはまぬがれたが、指先が震えていた。 けれどもそれが怒りからなのか、悲しいからなのかは自分でもわからなかった。 嫌な予感がぐるぐると内を占めながら、喉から声を絞り出すようにして別のことを尋ねる。 「他にも、禁止されていることがある…とか?」 「さわるな、と優しい言葉を掛けるなと、それと……」 「あぁいいよもう」 シズちゃんにしては用意周到だなと、そういう感想だった。しかしそこには、俺に対しての嫌悪や怒りが潜んでいた。俺が面白がってなにかを言わせることなんて、できないようにと。 急に胸がきゅうっと締めつけられて、酷く痛くてしょうがなかった。悔しさと同時に、自分の驕りでこうなってしまったことが今頃になって効いてくるようだった。 サイケに知識と経験を与えて、それを目の前で見せつけられて、防衛すらしていなくてシズちゃんに負けただなんて信じがたかった。 唇を噛みしめながら、もう残された最後の手でせめてシズちゃんの声だけても聞きたいと、苦し紛れに思った。 「ねえ君はサイケのことをどう思ってるの?例えば好き…」 「好きだ」 即答どころか言葉を遮られるようにして告げられて、やっぱり聞かなければよかったと心底悔やんだ。そんなこと聞かなくても知っていた。 しかも自分に向けられたのではない言葉で慰めを得ようだなんて、最低だった。 「俺にはお似合いかもね。ははっ、ありがとうもういいよ。あぁそうだ俺がここに来たことは絶対に黙っておいてね、津軽」 「もう行くのか?わかった、それだけは約束する」 「明日にはサイケに会えるはずだよ、じゃあ」 最後の一言は我ながら余計だったかなと笑いをこぼしながら、ドアノブに手をかけて部屋を出た。 あまりに切羽詰っていて忘れていたが、せっかくはじめて家に入れたのだから中身を見させてもらえばよかったかなと考えるぐらいには自分を取り戻していた。 自分自身の最低な部分を理解して冷静になるなんてあまりにもみっともない気がしたが、元々そうやって生きてきたのだ。 まさかそれがシズちゃん絡みのことで起こるとは思わなかったが、別に恋愛関係で進展を望んでいたわけでもないのだからどうでもいいと思い直した。 とりあえずサイケの録画映像を確認して、考えるのはそれからだと思考しながら歩いていたので異変に気がつくには遅れがあった。 「君達なにか用?」 まだ距離的には数メートルあったがまるで俺を待ち伏せでもしているかのように何人かの男達が立っていて、ポケットに手を入れながらそっちに軽い足取りで歩いて行った。 見覚えがあると思ったらこの間サイケを襲う為に集まった男達だった。確かに俺に恨みを持っているのは知っていたが、今更どういう用事だろうと思った。 中心人物の男が立っているのは街灯の真下で、そこまで近づいていくと向こうが何か写真のようなものを取り出してこっちに見せつけてきた。 「これなかなかよく撮れてると思いませんか?」 チラッと目を向けるとそこにはさっきのサイケと全く同じ服装、つまり黒コートにズボン姿の俺と全く変わらない状態で男達に囲まれて犯されている姿が映っていた。 時間的に考えると俺が家を空けてサイケしか居ない時間帯に起こっていた、ということになる。迂闊だったと思いながら、表情は変えなかった。 「なるほどねえ、サイケに吹き込んだのもあんた達ってことか。全く悪知恵が働くというかなんというか」 「新宿の情報屋ほどじゃねえけどなあ」 リーダーっぽい男が写真をひらひらとさせて不敵な笑みを浮かべながら言うと、周りの取り巻きの男達もクスクスと笑い出して異様な雰囲気が漂った。 これぐらいの奴らなんてどうでもいいのだが、やはりあの写真は決定的にマズイのは明らかだった。 どうせここで捕まえても他の場所に元を残してあるのだから意味がない。ここで仕掛けるのも逃げるのも得策ではなかった。 「大人しくついていけばいいんだろ?」 ポケットから手を出して顔の横でひらひらと振りながら、降参の意思を示した。とりあえずこれ以上無駄に抵抗する気なんてなかったのだが、向こうはそうではなかったようだった。 挑発されたのだと受け取ったのか、いきなり何人かの男達が一斉に体当たりをしてきたので、ひらりとすべて避けた。 「逃げたら返しませんよ?」 「そうは言ってもさあ、ちょっと手荒じゃない?なにもしないから信用してよ」 武器を持っているわけではなかったのが気になったが、一人一人を器用に避けていった。 このまま何もしなくて避けてればヘバって片付きそうだなと余裕を見せていたら、ギリギリのところでかわしたと思っていた男から腕が伸びてきて、コートの裾を掴まれた。 体勢がずらされたことに眉を顰めていたらそのタイミングを狙っていたかのように、写真を持った男が近づいてきてバッと写真を目の前でばら撒いてきた。 それが目くらましだとわかっていたが、ちょうどいい具合に視界を塞いで判断が一瞬遅れてしまった。反射的に体を引いたがそれだけでは、足りなかったようだった。 「しまっ…っ、う」 突如目の前でスプレーのような霧状の液体を噴射されたので咄嗟に顔を覆った。しかしどうやらそれは目くらましのようなもので、本質はその後の残り香にあったようだった。 吸いこんでしまった匂いが鼻の奥でツーンとして、そこで一気に視界がブツンと強制的にコンセントを抜けられたかのように途切れてしまい意識も手放してしまった。 text top |