it's slave of sadness 6 | ナノ


サイケの言おうとしていたことなど、わかりきっていた。

『津軽は俺のこと全部わかってくれるって信じてる。きっと報われるはずだから、臨也くんも静雄さんのことを信じれば報われるはずだよ』

あの単純な性格は知識を与えても陵辱されても考えは変わらないということらしい。それは人で言うところの強さなのだが、そんなものではなく少しのことでは壊れないというだけだ。
おもしろくないところを突かれたのが癪だったが、そのまますぐに忘れて仕事に向かって帰ってきたのはもう随分と遅い時間だった。何事もなく玄関の扉を開けかけたところで、ふと手が止まった。
明らかに部屋の中から人の気配がするのだ。しかもほんのりと煙草の香りが漂っている。
誰かに襲撃されたのかと警戒しながら、音を立てないようにするりと玄関に入り細心の注意をはらって進んでいった。
ポケットに手を突っこんでナイフを握り、いつでも切りかかれるような体勢を保ちながらながら進んでいく。徐々に近づいて行きながら、人の話し声がどんどん高まっていく。
やがてそれは、聞き覚えのある悲鳴なのだと気がついて青ざめた。まだ姿は確認できないが、どういう行為をしているかなんて一目瞭然だった。

「……っ、あ……ん、ぅう……」

自分と同じ声で喘ぐのは、サイケしかいない。しかも部屋に残して出てきたのだから、彼に間違いはなかった。しかしにわかには信じがたかった。
だったら考えられるのはあの男達にこの場所を知られて、それでたった今襲われてるとしか考えられない。けれども人の気配は一人しか感じられなかったので、不自然だと思った。
とにかく相手が誰なのか確認しようと、物陰に隠れて移動していってやっと姿が確認できるだろう位置に辿り着いて、慎重に顔を覗かせた。

「……ッ!?」

あまりの動揺に声が漏れかけたが、必死に口を押さえてこらえた。そのままの姿勢で固まってはいたが、瞳は二人の姿をしっかりと捉えていた。
事務所のソファの上で揺れる人影は、俺が今着ている服装と容姿と全く同じのサイケと、金髪にグラサンにバーテン服という格好のシズちゃんだった。
目を疑うような酷い光景にただ頭の中が真っ白になった。
後頭部をシズちゃんが投げてくる自販機で殴られた時ぐらいの衝撃だ。震えそうになる体と唇をぐっと押し込めて、しっかりと瞳の中に焼き付けるように眺め続けた。

「ん、あぁ…っ、は、シズちゃ、ん……きもち、いぃ?」

俺の位置からでは下半身がどうなっているかはよくわからなかったが、サイケがシズちゃんの上に跨って腰を振っていることだけはわかっていた。
そうしてその言葉で確信した。サイケはどうしてかはわからないが、俺を演じているのだと。
今目の前で抱き合っているのは、折原臨也と平和島静雄ということになっているのだ。この様子だとシズちゃんは全く気がついていないのだろう。
最高に艶っぽい表情と声色で誘いながら、体の上で跳ね続けていた。とてもじゃないが俺にはできない芸当だ。
それを見てもどうしてか嫉妬心はまるで生まれなかった。ただ純粋にそうなっている事自体が奇跡のようで、幻想的な映像を見せられている気分だった。
実際にも俺とシズちゃんがそんな行為に及ぶことはこれからもないだろうし、俺があんなに巧みに誘いをかけるなんてこともない。

「ふ、あぁっ……ねえ、ってばあ…?」

催促するようにもう一度囁きかけていたが、背筋がぞくりとした。あんなに甘ったるい声でしゃべるなんて、きっと俺にはできない。
息を潜めながらシズちゃんの答えを期待して待っていたが、結局なにも言葉が返ってくることはなかった。
津軽が好きだと言っていたサイケがどうしてシズちゃんとこんなことになっているのか、全く理解できなかったがきっとこれが合意ではないというのはわかった。
表情は見えないがきっと心底不機嫌な顔をしているんだろうと思った。本当は顔を見てみたかったが、ここからだとバレてしまう危険性があったのでそれはできなかった。
もししっかりと見たいのなら、後でサイケのメンテナンスをする時に映像記録を見ればいいのだ。そこまでするかはわからなかったが。
このまま眺め続けるべきか、それとも出て行くべきかどうか図りかねていたらまたとんでもない一言が告げられた。

「はぁ、あ…っ、う…俺のこと……好き?俺の体……好き?」

その瞬間耐え切れなくなって、足音を忍ばせながらその場を即座に離れた。玄関まで駆けて行って、扉を開いてそのまま外に出て行った。


あまりに混乱していたので、そのまま何も考えずに呆然としながら夜の街をひたすらに歩き続けた。
正直なにも難しいことは考えたくない気分だった。だからハッと我に返ったときに、見慣れた場所に立ち尽くしていたのには仰天した。

「あ、れ?なんで、こんなとこ……シズちゃんの家なんて」

池袋まで来てしまっていた事も驚きだったが、まさか無意識にここに足が向いているとは思わなかった。今ここにシズちゃんは居ないというのに。
きっと訪ねれば津軽が出てくるだろうと思ったが、そんなことをしてもなんの意味もない。
今日のメンテナンスの時だって会っているのに、今更なにが用事があるというのだろうか。彼と俺の接点なんてほとんど無いに等しいし、話しだってまともにしたことがない。
それなのに、足は勝手にボロアパートの階段を登っていて吸い寄せられるように部屋の扉の近くまで進んで行った。
俺の自宅みたいに設備の整ったところではないので、誰でも簡単にここまで来られる。中には直接入ったことはないが、嫌がらせをする為に何度か訪れてはいたのだ。

「だからなんなんだよ……」

自分で自分の気持ちがよくわからなかった。何も考えていないはずなのにここに辿り着いたということは、無意識に望んでいることの証拠でもあった。
シズちゃんが居ないことをわかっていて、シズちゃんと同じ容姿の津軽に会いに来てしまったんだと言っているようなものだった。
だからといって俺にはサイケみたいに誘いをかける才能もないし、そんな馬鹿なことはしない。じゃあなにをしに来たのかと考えていたら、突然目当ての部屋の扉が開いた。

「え?」
「……静雄はまだ帰って来ていない」

顔だけひょっこりと出した状態で、ぶっきらぼうにそう告げられた。しかしその表情はいつもシズちゃんが俺に対峙した時のものとまるで違い、幾分か棘が抜けているようだった。
弟の幽くん程無表情というわけでもない。冷静な中にも優しさを秘めている、そんな感じだった。
これまではなんとも思わなかった津軽が、急に意識するほどに気になっている、ということに暫くはわからなかった。

「えっと、あぁいや、その…」

シズちゃんが居ないどころかどこで何をしているかまで知っている、とは言えなくてだからと言って他に用があるとも言えなくて、戸惑った。
きっと普段の俺を知る者が見たら、かなり驚かれるほど困っていた。気を張らなくていい人形相手だからこその態度だった。

「とりあえず中入れ」
「ちょっと、ま……!?」

いきなり強く手を引かれて玄関の中に引き入れられそうになったので、抵抗しながら逃げようとしたがすごい力で阻止されてパタンと扉が閉まった。

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