「すげえ眠ってたからなあ。一生分の手前の寝顔見た気分だぜ」 「一生分って俺の顔ばっかり見てたわけじゃないだろうに、失礼だねえ。まあ悪かったよ、晩御飯くらい奢ってあげるよ、まさかこんな時間とは思わなかったしね」 調子に乗ってぐっすり寝たのはいいが、次に目を開けると辺りは真っ暗だった。せめて電気ぐらいはつけろと思いながら、テレビの光りだけで過ごしていたらしい。 同時に昼ご飯も食べずにつきあってくれていたことに、驚きを隠せなかったが動揺しないようにいつも通りに振る舞った。晩御飯はどこの店に連れて行こうかと考えていると声を掛けられた。 「おい別に外に食べに行かなくてもいいんじゃねえか。冷蔵庫になんかあるんだったら俺が作ってやるよ」 「なに?どういう風の吹き回し?随分と優しいんだねえ、そんなに幽くんコレクションが気に入ったの?」 「そうじゃねえけどよお、とにかくなんかあんだろ。軽いもんだったら…」 「でも残念ながら何も入ってないよ。元々俺って家で食べないし、作るの面倒だから。ほらお金あげるからシズちゃんはどっかで食べてきていいよ。俺はまだ、だるいからご飯もいらないし…」 ズボンのポケットに入れていた財布から万札を取り出して渡そうとしたのだが、シズちゃんがそこで急に不機嫌な表情をした。なにか変なことを言ったか振り返ってみてもよく思い出せなかった。 なんで?と思っていると乱暴にお金を受け取って、それから勝手に玄関に向かいながら叫んできた。 「飯いらねえとか言ってんじゃねえ!体調悪いなら食べて健康管理すんのも仕事だろうが!いいか俺が何か買ってきてやるから待ってろよ、逃げんなよッ!!」 「え…?いや、なんでそんなこと…」 俺の疑問の言葉は乱暴にバタンと閉められたドアの音にかき消された。呆然としながら、とりあえずソファにもたれてため息をついた。 正論すぎる、というかシズちゃんらしい言い分に思わず頬を緩めて笑ってしまった。どうせいつも忙しければ栄養ドリンクだけ飲んでいれば大丈夫だったので、今日もそのつもりだった。 それなのにわざわざ俺の分まで買ってくると宣言して出て行くなんて、どんなお節介なのかと。あまり期待したくはないのに、まだ残っている淡い恋心が疼く。でも、それは間違っているのだ。 あくまで、これは俺の事を監視しているだけだ。それ以上は今は望めない。 「やっぱりダメだよ。そんなつもりがないなら、深くは関われない。関わったらダメだ」 そう決めて立ちあがると、事務所の椅子の上にかけていたコートを掴み羽織った。それから、玄関はダメだとわかっていたので二階の隠し部屋から逃げようと決めた。 ナイフは持っていないけど携帯と財布はあるし、ちょっと身を隠すぐらい大丈夫だと思いながらトイレの扉を開けて、まさに隠し部屋の入口を開けようとした時に階下で音がした。 肩がビクッと震えて、俺は逃げ込むように扉の奥へと消えた。落ち着け、落ち着けと心の中だけで言いながらやっと扉を閉めて塞ぐように背中を扉に押しつけてその場に座った。 するとやけに大きくて乱暴な足音が聞こえてきて、俺は息を飲んだ。どう考えてもシズちゃんしか、いない。どこに買い出しに行ったか知らないが、あまりにも早すぎる。 このまま外へと続く階段を昇るとわずかな気配と音がバレてしまう可能性があったので、必死に気配を消すことに専念した。 どうやら部屋の扉を全部開いているようで、バンッという激しい音が聞こえてそれが徐々に近づいてくる。風呂場まで律儀に覗いているようで、そうして遂にトイレの扉も開いた。 その瞬間ぎゅっと目をしっかりと瞑り膝に額を擦りつけながら、息を殺した。そうして数秒が流れたが、やがて足音がゆっくりと遠ざかっていく。 (あ…よかった、バレなかったんだ) ほっと安堵のため息をついたが、同時に胸に変なもやもやとした気分が広がっていった。今まで嫌なぐらい俺の事を見つけてきたのに、どうしてこんなに近くに居るのにわからないのかと。 矛盾していたが、心のどこかでは見つかることも望んでいたのかもしれない。だからそうならなくて、ガッカリしているのだ。そして同時に、俺が見ることはない未来が見えてしまった気がした。 俺が死んだことにきづかなくて、何事もなく過ごしているシズちゃんの姿が。 さすがにどこで死ぬかという場所までは特定できなかった。でも見せられた映像で、最後の俺の姿があった場所には覚えがなく、池袋でも新宿でもないのかもしれない。 願いが叶うとは言われたけれど、それはシズちゃんが俺の事を友人として好きになるということだけで、俺の死に気がつくかまではわからない。 こんな風に何も知らずに、俺の事を素通りして過ごしているかもしれない。そのことを考えると、酷く悲しく苦しくて胸が痛くなったのだ。顔を伏せたまま目頭が熱くなってきて、涙がこぼれだした。 コートが濡れるのも構わずに、そのまま静かに泣いていると、突然背中にすごい衝撃を受けた。 「やっぱり、ここに居やがったじゃねえか!ふざけんじゃねえ、逃げんなつった、だろう…が……?」 「シズちゃん?」 振り向くと扉を破って手に持っていたシズちゃんが硬直し、言葉の語尾があがって疑問形になっていた。何かおかしいことがあっただろうかと思って、すぐに気がついた。 鼻は赤いし目元も濡れているし明らかに泣いているのは、俺だ。それに驚いたのだ。 「な、なんで泣いてやがんだ、手前…っ!」 「普段ここ開けないから埃が目に入っただけだって!勘違いしないでよ!っていうか、もう…なんで見つけたんだよバカ!!」 向こうは明らかに動揺していて口調までもがどもっていたので、慌てて下手な嘘をついた。そうして悪態までついてみせたが、その時目尻から一筋涙が頬を伝ってこぼれていった。さっきまでの名残だ。 唇を尖らせながら文句を言ったが、急に扉を俺の横に投げ捨てて部屋に一歩入ってくると大きな手で俺の体を軽々と抱えあげた。 「あのなあ、俺は手前がどこに逃げようが、ぜってえ見つけねえと気が済まねえんだよ。だから逃げる時は、それなりの覚悟して逃げやがれ」 「絶対に?ははっ、もし見つけられない場所に行ったらどうするのさ」 「それでも探してやるよ。いいか、だから俺から逃げられるなんて簡単に思うなよノミ蟲が」 いつも俺がシズちゃんを見上げているのに、足が地から離れて浮いている状態だったので、見下ろす体勢で話をしていた。こっちは涙目だったが茶化すように言ったのに、返ってきた瞳は真剣だった。 それにまた、新たな涙が溢れてきそうになったが堪えた。 向こうにとっては何でもない言葉で、約束でもなんでもないけれど、俺にとっては大きな意味があった。 俺がどこかシズちゃんの知らない場所で死んでしまっても、見つけてくれるという強い希望だ。胸の中でつかえていた何かが、少しだけ晴れた気がした。不安が、消えた。 「カッコイイこと言うじゃないか。じゃあ、見つけてみなよ。俺は逃げ切るつもりだけどね」 嘘だ、逃げ切るつもりなんてない。見つけて欲しい。 睨みつける瞳に言葉とは違う感情を籠めながらお互い沈黙が流れたが、いきなり俺の体がシズちゃんの肩の上に乗せられた。 「うわっ!ちょっと、いいからもう降ろして!」 「ごちゃごちゃと本当に手前は面倒な奴だよな。とにかく黙ってろ。暴れたら今度は柱に縛りつけてやるからな」 ぶつぶつと言いながら俺を抱えて歩き出したので、もう抵抗は止めた。仕方なく体が落ちないようにしっかりと背中に手を伸ばしてしがみついた。伝わってくる温もりが、純粋に嬉しかった。 それからコンビニで買ってきたらしいオムライスに、新たにフライパンで焼いた半熟卵を追加したボリュームのある夕飯を二人で食べた。いや、強制的に食べさせられた。 コンビニのご飯なんて、とは思ったがご飯も炒め直されて形もわざわざ整えてひと手間かけたものだったので、文句を言わずに口にした。 一応はシズちゃんがアレンジしたものだし、という気持ちがあったのでそうしたのだが、予想以上においしかった。ただその間ずっと不機嫌そうに睨まれていたことだけが悔やまれるぐらいで。 こんなことなら逃げずにおいたら良かったのではと思ったが、そうしなければあの言葉を掛けられることはなかったので、やっぱり良かったと思った。 確かに久しぶりに食べたものはおいしかったし、まともなものを食べる気力もなかったのにしっかりと残さず平らげていた。いや、多分ずっと監視するように見られていたからなのだが。 「あーまさかシズちゃんとご飯食べるなんてなあ。高校の頃だって、一度も無かったのにね」 「うるせえな、せっかく作ってやったのに不満だったか臨也くんよお?」 「まあコンビニ弁当のアレンジにしては、なかなかよかったんじゃないの?なんだかいつものシズちゃんの生活ぶりが窺えたしね」 「素直に礼ぐらい言えよ、あぁ?」 「そうだねじゃあ貸し一つという事で」 食べ終わった皿を持って立ちあがると、シズちゃんの前に置いてあった皿も重ねてそのまま台所の方に歩いて行く。そうして振り向かないままに言った。 「覚えてる?俺がシズちゃんに全部話すって言った日の前日に、休み取ってよ。そこで俺がお返しに君の大好物でも作ってあげるから。それでいいだろ?」 「なんでわざわざ手前の為に休みを取らないといけねえのか腹立たしいが、言う通りにしてやるよ。つーか人の好物なんて知ってんのか?」 「ハンバーグが一番好きだろ?それぐらい知ってるけど?」 はっきりと言ってやると、不機嫌そうだった表情が少しだけ緩んで小声でそうだと返事をくれた。 自分の好物の話をされたのがそんなに嬉しかったのか、さっきまでの厳しい視線はなくなり、ソファに座り直してテレビをつけた。そうして幽くんコレクションの続きを再生し始めた。 俺はその後ろ姿をこっそりと眺めて、それから皿を洗う為に台所に向かった。結局その日は先に眠くなったシズちゃんを部屋まで連れて行ってやって、一人になってから仕事をした。 まだ時間もそこそこ早かったのでいくつか仕込みのメールを打ち、徐々に最後の仕上げに取りかかり始めた。もうほとんど、ここ数日の迷いはなかった。 そうしてそれから三日は事務所へは帰れず、やっと戻って来た時には最初の仕掛けが動き始めていた。 text top |