「ねえ、いいから絶対にシャワー浴びてるところ見ないでよ」 「いや別に見る気はねえし。っていうかせっかく許してやったのに撤回するぞ」 「だからあ、恋人の言う事はちゃんと聞いてあげて面倒みてくれないとね」 結局あれから恥ずかしくもシズちゃんにご飯を食べさせてもらい、その後に汗かいてるからシャワー浴びさせてよと抱きつきながら耳元で優しく囁いた。 するとすぐに口ごもりながら許してくれて、内心ほくそ笑んでいた。ことあるごとに恋人という言葉を使っただけだというのに、ここまで簡単にいくとは思わなかった。 足枷と手枷は外されていないが、どこでこんなものを買ったのか繋がる鎖は結構な長さがあって、今は風呂場から離れた場所でその先をシズちゃんが握っていた。 とりあえずようやく一人になれたことに安堵しながら、肩を竦めた。お湯のコックを捻り水滴が降ってくると、温度を確かめてから体にかけた。 こんな当たり前のことをするのに、相当時間が掛かってしまった。しかも手を動かす度に鎖が鳴る音が響いてきて、嫌でもまだ逃れられない事実をつきつけてくる。 でも、恋人ごっこをしようと言いだしてからはもう嫌ではなくなっていた。 急に拘束されて混乱していた気持ちも落ち着いて、今では少しこの状況を楽しめるほどになっていた。所詮ごっこ遊びだが、俺は相当真剣に言葉の一つ一つを選んでいた。 まず、怒らせないようにすること。恥ずかしいけどなるべく恋人らしい甘い言い方を選んでねだること。逆らわない事。とてもこれが恋人同士の行動とは全く思えないけど。 それにしても、まさかこんなことになるなんて誰が予想できただろうか。予想できるわけがない。 俺はシズちゃんが好きで、どうしようもなくて、でも一生想いを告げることなんかないと思っていたのに。 こんなことをしているだけで、幸せだった。例え最終的には裏切って逃げるとしても。 どちらかというと、俺がシズちゃんを落とせなくて結局奇妙なごっこ遊びも終わる確率の方が高いと考えている わかりあう、信じてもらうなんて始めから無理な話なんだと。だって俺たちはもう何年もいがみ合ってきて、殺しあってきた仲だ。 今更仲良くだなんて、こんな理由でもない限りできないのだ。 とにかく明日シズちゃんが仕事に行っている間に、なんとか逃げる手段を考えようとため息をついた。 そうして備え付けの石鹸を使いざっと体を洗い、頭も洗ってから外に出た。するとすぐに真っ白なタオルが差し出されて、少しだけ驚いた。 「えっ?」 「さっさと拭けよ。俺も手伝うから」 「はあ?」 手伝うってなんのことだと思いながら眺めていると、それがすぐに枷から伸びた鎖を拭く作業なんだと納得した。確かに水に滴ったままでは部屋が汚れてしまう。 無言のままこっちも自分の体を拭いて、それから頭もがしがしと乱暴に拭いていたが、そこで声が掛けられた。 「おい待てよいつもこんなにしてんのかよ。貸せ」 「なに?うわっ、え、なんで頭拭いてくれてんの」 「手前が乱暴にしてるからだろ。髪が傷むじゃねえかそれぐらい気づけよ」 「あーなるほどね。さすがシズちゃんお兄さんだね。幽くんの頭もこれで拭いてあげてたんでしょ、そうかなるほど意外だなあ」 急に何をするのかと思ったが、持っていたタオルを奪い俺の髪の毛を優しく撫でるようにしながら拭いてきた。最初はびっくりしたが、すぐに動くのをやめてされるがままになった。 ついつい嫌味っぽく言ってしまうのは性分だったが、兄としての一面を見れたことに少なからずドキドキしていた。さっきだってご飯を食べさせてくれたし、こういうのは慣れているのだ。 確かに適当にされるよりはこうして面倒を見てくれるほうがいいし、シズちゃんにならこんなことをされても悪くないと思ってしまう自分がいた。 好きになった相手から、いろいろ優しくされるのは素直に嬉しい。偽りだろうがなんだろうが、それは構わないのだ。 「終わったぞ」 「うんありがと」 「って、うわっ手前肌隠せよ!」 「じゃあタオル返してってば」 「あ、あぁそうか、悪い」 何を今更言っているのだろうと首を傾げながらタオルを受け取って、それから脱いでいた自分の服を着ようとして、呼び止められた。 怪訝な表情のまま振り返ると、無言のまま紙袋を渡されて驚いた。とにかく中身を確認すると、下着一式とパーカーとズボンが入っているようだった。 「もしかして、これを着ろってこと?」 「ちゃんとサイズ調べて買ってきたから大丈夫だ」 「待って待って、こんなのいつ買ったのさ。もしかして俺が気を失ってる間に…」 「手前を担いだままドンキ行って買ってきたんだよ。学生の頃に新羅からジャージ借りてただろ?だからサイズ一緒なんだろ」 「もしかして新羅に電話してサイズ聞いたわけじゃないよね?」 「聞いちゃ悪かったのかよ」 その言葉に、頭が痛くなりそうだった。つまりは、新羅には既にシズちゃんに俺が捕まっていることがバレ一部の人間にも知られてしまっているというのだ。とにかくまずはドンキの店員を買収しないと、と頭をよぎった。 とにかく俺を捕まえたのは突発的な行動なのだろうとは思ったけれど、いつかはこうしようと考えていたのだ。そうしなければ、手枷や鎖なんてすぐに用意ができるわけがない。 なんでそんな考えに至ったのか、そうして最悪なことをしているという自覚が全くないことに、何を言えばいいのだろうと頭を抱える羽目になった。 「じゃあせっかくだから服は借りるね。手伝ってくれるんでしょ?」 「あぁ、待ってろ」 風呂に入る前に服を脱ぐ時も、同じように傍に立ち手枷と鎖の繋ぎ目を両腕の片方から外して、完全に逃げないように周到にしてきたのだ。俺だって今日のところはシャワーを外してくれただけでも、十分だった。 そんなに簡単に言うことを聞いてくれるわけがないのだ。明日で逃げられればそれでいいが、一応先のことを考えて慎重に行動しなければいけなかった。 勘は鋭いのだから、シズちゃんの目の前で逃げるだなんて真似はもうできない。恋人ごっこで気を紛らわすことだけを考えようと。 それからすぐにまたベッドに戻されて、さっきまで手に握っていた鎖の先をどこかにまた巻きつけた。念のためその場所を確認して、それから横になった。 壁の時計を見ると、もうとっくに日付を超えていて、随分と時間がたったのだなと改めて思った。ほんの数時間ではあったけれど、いろいろなことがありすぎて半日ぐらい過ぎているかのような感覚だった。 「仕事って何時からなの?今から寝て起きれるの?」 「まあ俺はあんまり睡眠取らなくても動けるタイプみてえだし、三時間ぐらいぐっすり寝れれば大丈夫だ」 「ふーんなるほどね。それならいいけど…って、あれ?もしかしてベッドで一緒に寝ないの?」 「あぁ?何言ってんだ手前。いくら恋人でもそんなことできるわけねえだろ、まだ早い」 その言い分に俺は呆れてしまった。いきなり恋人の一連の手順をすっとばして、セックスをしようとしていたのはどこの誰かと問い詰めてやりたかった。 でもできるわけがなく、額に手を当てて軽く息をついた。多分これは、いろいろ天然というやつだ。無自覚な相手は怖いな、と。 「いいじゃん別に。さっき俺の腹にぶちまけたのはそっちだろ、今更裸見て焦ったり、寝るのは別だったり基準がわかんない。いいから一緒に寝ようよシズちゃん」 なんだかんだと言ってはいるが、俺だってシズちゃんと一緒に寝たいのだ。それぐらい察しろよ、と思いながらこっちが妥協して懇願した。しかし返事はなかった。 どうやら本当に、恋人は手からまず握ってキスをして、という手順を踏みたいらしい。 「無理だ」 「あのさあ、俺がシズちゃんと一緒に寝たいの。別々に寝るっていうなら、このまま暴れるよ俺」 「おい待てよなんでそんなこと手前が言うんだ。もしかしていつも抱き枕でも抱えて寝てんのか?何か傍にねえと寝れねえとか…」 「うだうだ言ってないで、早く」 少しだけ厳しい口調でそう言うと、渋々という感じでシズちゃんがベッドの上に乗ってきた。二人分の重みで沈んだ感触が、少しだけ心地よかった。 既に寝転がっている俺の横に無言で寝ると、わざとらしく背中を向けてそれから布団を少しだけ体にかけた。 まだ春にしては肌寒い時期で、近くにぬくもりがあるというのは悪くはなかった。というか、シズちゃんだ。今俺の横にシズちゃんがいるのだ。 全く実感がわかなくて、くすりと笑いながら音を立てないようにそっと手を伸ばして背中にふれてみた。 「うわっ!なんだよいざやあっ!!」 「ははっ、あぁごめんごめん。ちょっと悪戯しようと思って。別に恋人だったらちょっとこういうことするぐらい普通だろ?じゃれ合ってるなんてかわいいもんじゃないか」 「ほんとに人のことをバカにしやがって……ぜってえ覚えてろ」 「なに?いいんだよシズちゃんだって、俺のことさわってきても。あんなにさっきは激しかったのに…」 「あああああっ!それ以上は言うんじゃねえ!まじ殺すぞ!!」 やたらと恥ずかしがるのがかわいくて、夜中というのも忘れて大きな声で笑った。散々怒鳴っているのに結局は一度も振り返らず、俺が背中に手をあてて撫でているのも無理矢理にふりほどかなかった。 やっぱりこういうの嫌いじゃないんだなとほくそ笑みながら、俺はシズちゃんのいびきが聞こえるまでそれを止めなかった。 こっちも久しぶりに感じる人のぬくもりに安堵しながら、ゆっくりと目を閉じた。 これがごっこ遊びなんかじゃなくて、本当になる日がくればいいのにとこっそり願いながら。 text top |