「あぁそれでいい。もう限界で……」 とりあえずベッドまで運んで無理矢理布団の中に入れると、話の途中で頭がカクンと落ちていきなり眠り始めたのには驚いた。さっきまでは普通に話をしていたのに、なんという早さだ。 苦笑しつつ腕を離し、布団をかけてあげようと思ったところで、体を止めた。すぐ傍にシズちゃんの寝顔があるという状況に、気がついたからだ。 (うわ、やばい。なんか久しぶりだよね、シズちゃんが寝てるところを見るのって) 学生の頃は何度も見たが、卒業してからはそんな機会は全く訪れなかった。当たり前と言えば当たり前なのだが、まさかこうやってもう一度見れるなんて思わなかったことに感慨を覚えた。 あの時と違うのは、たばこの匂いがするぐらいだろうか。昨日一晩ここを貸しただけなのに、鼻を鳴らして息を吸いこむとシズちゃんと俺の香りが混じっているようにも思えた。 「俺達も匂いと一緒に混ざればいいのに」 ポツリと呟いた独り言に、すぐ虚しくなってしまってため息をついた。そんなことは、絶対に無い。ありえないことを考えてしまう自分が、なんだか悲しくなった。 告白して受け入れられた時は、期待した。もしかしたら、俺が頑張ればそういう仲になるかもしれないという期待だ。でも結局は、まだただの同居人という程度なのだろう。 こうやって過ごせば過ごすほど、俺の気持ちはどんどん膨れていくのに。些細なことが嬉しい反面、でも最後は死んでしまうという事実が浮かんで素直に喜べなかった。 自分から選んだことに後悔は無いけれど、悲しいなという気持ちはある。しかも俺は、どうやって死んでしまうかまで知ってしまっている。それなのに覚悟が、まだはっきりとできていなかった。 「こうやって過ごせるのも、今だけなんだろうね」 シズちゃんが眠っているので起こさないようにベッドの端に軽く腰かけて、ぼんやりと床を眺めながら少しだけ暗い気分に陥っていた。しょうがない、俺だってただの人間なのだ。 落ち込みもするし、悲しんだり、傷ついたりする。これまでは比較的そんなことを考えずに楽天的に過ごしていたけれど、もうあの頃の俺には戻れなかった。 大した目的も無く自分の娯楽の為だけに生きることは、もうできない。今の俺はもう、シズちゃんの為にしか残りの人生を過ごそうと思っているのだから。すべてを賭けてでも。 「ずっとずっと、こうしていられたらいいのに」 そんな些細な願いすら叶えられないのは、もう知っていた。俺は知っている。自分が誰にどういう風に殺されるか。つまり逆を言えば、今からそいつらと接触しないといけない。 俺は、そいつらに殺されないといけないのだ。回避しようとしたらきっと、俺は殺されなくて願いも叶わない。何もかもがダメになってしまう。 相手の名前は聞いていて、既に調べてある。どういう連中で、俺に対して何を要求してくるかも知っている。だから逆らえない。逆らったら、死ねないのだ。 それにシズちゃんと約束した、人の役に立つ仕事をするということにある意味当てはまっている。もしシズちゃんがそれを知ってしまったら、怒るに違いないのだが行為自体は間違っていない。 「怖い、けどね…ほんとは」 少し前までは、怖いことなんてないと思っていた。でも願いを叶えると決めて死ぬことを知ってから、怖いことが増えた。それらは全部、シズちゃんに関することだ。 もし途中で計画を知られてしまったら、何かに気付かれてしまったら、問い詰められたら、これ以上好きになってしまったら。 それを考えると、好きだと言って受け入れられなかったことは喜ぶべきことかもしれない。だって受け入れられた場合、後でその分だけ余計に悲しまれるのだから。適度な距離が一番だったのだ。 「それでもやっぱり、好きって言って欲しかったな。言わせたかった…」 ぼんやりとしていると、聞き覚えのある携帯の着信音が開けっ放しのドアから聞こえてきたので慌てて立ちあがった。 こんなことで起きることは無いぐらい深く眠っているようで、一度だけ振り返ると大きく口を開けて眠りこけているのが見えた。少しだけ口元を緩めて見届けながら、足早に部屋を去った。 「頭痛え…ノミ蟲に起こされるなんて、どういうことだ」 「うわ、最悪もしかして昨日の事覚えてないとか?」 「ほとんどわかんねえな。くっそ、とりあえずシャワー浴びてすっきりするしかねえな」 予定の時間に起こしに行ったのだが、不機嫌な表情で思いっきり睨まれてしまって、心臓がドキドキしていた。いつ殴られてもおかしくない状況で手を出してこないのが不思議だったからだ。 寝癖でボサボサになった頭を押さえながら、覚えていないという言葉に少しだけがっかりした。大した話はしなかったけれど、俺は嬉しかったというのに。でも仕方のないことだった。 とにかく今日は間近で寝起き姿が見れたことに、感謝をしようと思った。高校の時いつか見た昼寝姿よりも、想像以上にインパクトがあって心臓に悪かったから。 「寝起き悪いんだね、シズちゃんって。なんか弱点を見つけたみたい」 「しょうがねえだろ。朝は弱えんだし、特に昨日は酒飲んだし、くそっ」 悪態をつきながらベッドから下りるシズちゃんに向かって、じゃあ俺が明日から起こしてあげようか、と言い掛けてやめた。そんなことをしたら、お互いに情が移ってしまうから。 妙な体勢のまま固まってしまった俺に向かって、怪訝な表情をしながらもすぐに何事も無かったかのように洗面所に歩いて行った。残された俺は、苦笑しながら暫くその場に留まった。 一週間ぐらいなら徹夜をし続けても全く体に影響のない俺は、次の日から人と会う予定を入れた。 こっちからは目立って動けないので、ほとんどがマンションの近くまで呼び出すか事務所まで来てもらうようにはしていた。そして今日はとある組織のリーダーと異形の女の子を見送って、すぐに玄関の扉が開いた。 「おい、今来良の学生とすれ違ったんだが手前は何をしてたんだ?」 「あ、おかえりシズちゃん。やだなあ、そんなに怖い顔して。ただ相談に乗ってあげてたんだよ、言ったでしょ?知り合い限定でそういう役に立つようなことをするって。気になるならさっきの子達を捕まえて尋ねてみなよ」 「…そうか、ならいい。でもそういやあ昨日も、知った顔とこの近くですれ違った気がすんだがそいつもか?」 「そうだよ。もう結構な人数の人生相談とか恋愛相談とか、とにかくいろいろ乗ってあげてるんだって」 玄関先で話をするのは嫌だったので事務所内に戻ってソファに座って話を続けると、シズちゃんは俺の横に立ったままだった。特に気には留めなかったが、まだ警戒している証だった。 だいたい帰宅時間を予想して予定を立てて、なるべくなら見られないようにしてはいたのだがやはり無理だったようだ。でもここ数日の間に会う予定の人間とほぼ会えていて、計画は順調に進んでいた。 俺が情報屋を辞めたという話が回って一週間だったが、その間に大きな問題も起こらずほぼ半分以上仕込みは終わっていた。 「大人しくしてると思ったがそうでもなかったんだな」 「まあでも俺だってシズちゃんから信頼されるように頑張ってるんだよ?途中経過は教えたくないから、俺が堂々と人の役に立てる仕事をしていたんだと言える頃になったら教えるね。それまで待っててよ」 「なんか俺の知らねえところでコソコソ人と会ってんのがむかつくが、わかったよ」 どうしてか不機嫌な顔をしていたが、きっと隠し事が昔から嫌いだからそういう意味なんだろうなと勝手に解釈した。しかも誰かが来たという形跡が自分の目の前で垣間見えたからだろう。 わがままだなと思いながら、視線を別の方向へ逸らしポツリと言った。 「大丈夫だよ、もう見えるところでしないから。その代わり、明日から俺も帰って来るのが遅くなるし、帰らないかもしれない。でもこの部屋は好きにしていいから」 「ますます辛気臭えな。まあこれ以上は言わねえけどよ」 まだ機嫌が直らないらしいシズちゃんは、それ以上は俺と話をしようとはせずに無言で二階へとあがっていった。一日の中で唯一会える時間だったのに、あっという間だった。 でも一週間過ごしてみて、やっぱり関わりは朝と夜だけで、会話らしい会話もあまりなかった。必要以上に俺が話し掛けない、ということもあったのだが。 完全に姿が見えなくなったところで、深くため息をついた。俺が生きているうちは何一つ報われないことがわかっていて始めたが、辛いなと。必要以上に落ち込むのは、明日から何が起こるか全部知ってるからだ。 本当は、池袋の街でシズちゃんはヒーロー扱いでたまにファンに追い掛けられたり、サインを求められているでしょと聞くつもりだった。今日はこんな会話をしようと、決めていた。 でもそれが言えた試しはあまりない。それなのに、時間だけが過ぎていって明日だ。明日俺は、俺の事を殺してくれる相手と会うことになったのだ。 つまりそれは、俺にとって最低最悪のことが起きることを示していて。回避は不可能だった。そうすれば、願いは叶わないのだ。 「でもそうだよね、もしこれで仲良くなってたらすぐに俺の事が見破られていたかもしれない。だから、よかったんだ。よかった」 自己暗示をかけるように、何度も何度も口に出してよかったと繰り返した。そう言って落ち着かなければいけないぐらい、明日から起こることは酷い出来事なのだ。 いくら鈍感なシズちゃんでも、様子がおかしいことに気付かれるかもしれない。だからすべて慎重にしなければいけなくて、その対策としてここにはなるべく帰らない、会わない時間にすると決めたのだ。 一週間毎日おはようとおかえりは言い続けたけれど、それができなくなるのが悲しかった。でも、これは必要不可欠なことで、俺にはどうしようもできない。 「本当は気づいて欲しいけど、気づいて欲しくない。気づかないよね。俺の演技は完璧だからね」 ソファに深く腰掛けて虚空を見つめながら、頭の中はシズちゃんのことでいっぱいだった。ずっとそうしてきたので今更何が変わるわけでもないけれど、確実に何かが明日で変わる。 残念だなと思いながら、肩を竦めた。指はズボンの布部分を強く引っ張り、皺がつきそうなほど握りこんでいた。 その日から俺は、シズちゃんの寝顔が思い出せなくなった。 text top |