「ああ、わかった」 俺の事務所兼仕事場に連れてくると、部屋の中をキョロキョロ見回しながら物珍しそうに歩いては様子を窺っているようだった。警戒心が全身から滲み出ている。 軽くため息をつきながら自分の部屋や至る所に隠してあるそれを、持って戻ってきた。 「これでしょ?一応全部だから台所の包丁ぐらいは勘弁してよ」 「本当にそれで全部か?他にも隠し持ってるんじゃねえだろうな」 「まあ別に信じなくていいけど、これで全部だよ。これ以上ナイフとか凶器が出てくることはないよ」 何十本ものナイフを抱えながらとりあえず来客用の机の上に置くと、すぐさま近づいてきて一本一本を素手で折り始めた。俺の目の前で刃物がすべてボロボロと砕けていって、それをぼんやりと眺めていた。 そうして、なんだか悲しい気持ちが胸の中に広がっていった。 ナイフが壊されることが嫌なわけじゃない。俺の事を信じない、何も考えてはくれない姿にがっかりしたのだ。今までシズちゃんにしたことを考えれば当然なのかもしれないが。 この行為がもたらすことの、本当の意味を知らないのだ。 きっと何もわかっちゃいない。つきあうという言葉とか、好きだという俺の気持ちとか、今こうして二人で一緒に居ることの奇跡とか。 「あーあ粉々にしてくれちゃって、後で掃除が大変なのに。もうここはいいからさあ、先にシャワーでも浴びてくれば?ご飯はもう食べてきたんでしょ?」 時刻はもう日付が変わるぐらいだったのでそう告げると、無言で頷いたので場所を教えてあげて二階にあがるように促した。するとまるで自分の家のように躊躇いもなく俺の指示に従った。 階段を上がる後ろ姿を見つめながら、あまりの違和感に口元が歪んだ。 シズちゃんが俺の家で怒りもせずに普通に過ごしていることがおかしかった。異様としかいいようがない。でも、想像していたものとはまるっきり違った。 ただそこに居るだけで、二人の間には何もなかった。感情というものがまるっきりなかった。これではつきあうというより、ルームシェア以下でしかない。 ほんの少しだけ、淡い期待を抱いていたがそれらは全部打ち砕かれた。昔から、シズちゃんは一つも俺の思う通りにはならなかったから当たり前なのだが。 もう二度と期待なんてしない、と唇を噛みしめながら決意した。 勝手にこっちだけが傷ついて、一人で落ち込むなんてもう何年も続けてきたのでうんざりだった。だからもう、シズちゃんに期待するなんてやめようと。 「もっと別の願いにすればよかったのかな?俺の事を好きになってくれる、っていうのじゃなくてもっと…」 後悔しても遅かった。告白した時の幸福感は既にもう消えていた。なんとなく、願いのからくりがわかったからだ。 間違いなく願いは叶えられるかもしれない。けれど、それは俺の本当に望んでいるものではなかったのだ。解釈の違いというのは、こういうことを言うんだろう。 きっと好きになってくれるというのは恋愛感情じゃなくて、友人としてではないかと薄々気づき始めていた。 「まあいいか。それでも、何もしないよりはマシだしこれはこれで楽しめばいいんだから」 キリキリと痛む胸を右手でぎゅっと押さえて堪えながら、掃除を再開した。ゴミ袋に詰めて一度部屋から出て、マンションの共有のゴミ捨て場まで出して帰って来ると風呂からあがったシズちゃんがいた。 家に来る途中に深夜まで開いている店に寄って部屋着や一通りの物は買ってきていた。だから部屋着に着替えて、勝手にテレビを見ながらソファに座り寛いでいた。 人の気も知らないで、という気持ちは捨てることにした。そうしないと、辛いのはこっちなのだから。 「あのさあ、どうする?俺はもう少しやることがあるから寝るんだったら部屋のベッドを使ってくれないかな。こっちはソファで寝るからさ」 「わかった」 俺が自分の机の前のパソコンに電源を入れながらそう告げると、律儀にテレビの電源を消してすぐさま立ちあがった。表情には何の変化も無い。 てっきり、俺のベッドなんかで寝るなんてと文句を言われるかと思ったが、それはないようで安心した。 「じゃあシズちゃん、おやすみ」 「あぁ」 しっかりとシズちゃんの方を向いて言ったのだが、向こうはこっちなんか見ることなく適当に返事を返すだけだった。そうして再び二階に静かに上がって行って、それを見守った後椅子に座った。 姿が消えた途端に肩から力が抜けて、盛大にため息を吐いた。つい癖で余計なことを言いたくなる口を、よく堪えたと自分でも感心するぐらいだった。 「俺に対して怒らないだけ進歩してるってことかな」 学生時代に毎日同じ教室で過ごして、シズちゃんが俺に対して以外はいかに物静かで大人しい性格で接しているか知っていた。それがこっちに向けられるなんて驚きだったが、面白くは無かった。 折原臨也だけの特別が、なくなったような気がしたからだ。 でも憎まれ続けるという特別を受け入れ続けても、結局これまでと何ら変わらず一生あのままの関係が続いていたのだから、まだこれの方がいいのかもしれない。 「でもなんか…つまんないね」 迷わずに選択はしたけれど、自分の命をかけるほどの価値があったかどうかと言われれば微妙だった。こんな当たり前の態度のシズちゃんを手に入れる為に、大きな代償を払った。 けれどもどうすれば今の状況を変えられるかも、思いつきはしなかった。深くお気に入りの椅子に腰を掛けながら、今後のことを考えると頭が痛くなりそうだった。 「もう決めたことなんだけどさ」 呟くように言った後にもうこれ以上は考えることを止めて、キーボードだけを動かし始めた。それはこれまで取引のあったすべての人間に、情報屋を辞めるという文面を送る為だった。 多分今日のような静かな日が続くのも三日だけかな、と勝手に予想をしながらひたすらに手だけを動かす。告白する時に人の役に立つ仕事をしてもいいとは言ったけど、そんなつもりはなかった。 時間だってあまりないのだから、どうせなら誰かの為だけに残りの時間を注ぎたかった。それが誰かはもう、一人しか居ないのだが。 「健気だねえ、でも俺にしかできないんだからしょうがないか」 頭の中で計画を練っていると気分はどんどんと高揚していった。俺の人生をかけた、最後の大仕事のことだけを考えることにすると楽しかった。 これが成功したらどうなるのだろうか、とか周りの反応とか、本人の反応とか。それをどう想像するかは自由だ。一生誰にも邪魔されない。だって、結果を見ることは多分叶わないのだから。 「あぁ残念だなあ、でもきっとシズちゃんは大喜びしてくれるよね。だってこの俺が考えたことなんだから、失敗するわけがない」 俺意外にシズちゃんのことを何年も見続けてきた相手は居ないはずだ。これから先そんな相手が現れるとしても、現時点では俺の方が上だ。忘れられない一生の思い出を残せるのは俺だけなのだ。 他人を陥れる為にわざと喜ばすようなことをすることはあったが、純粋に誰かの為に動くのははじめてで少し気恥ずかしい気持ちは拭えなかった。 「そういえば朝ご飯どうするか聞けばよかったかな?しまったなあ、まあこのまま徹夜してもいいんだけど」 ポケットから何台か携帯を取り出して、パソコンの画面と見比べながら操作をしていると、携帯の着信音が鳴り始めた。いちいち鳴らしてたらきりがないので、サイレントに切り替えた。 その間も何十件ものメールは届き続けて、止まることはなかった。内容は開かなくてもわかる。 どうして情報屋を辞めるのか?何か企んでいるのか?どういうつもりか? 質問には一切答えられないとあらかじめ記していたにも関わらず、そういう類のメールは次々と届く。俺の携帯番号を直接教えている相手はかなり少ない。 基本的にはメールだけの指示や依頼だったのだから。一握りの重要な相手には、また明日改めて連絡しようと決めていたからだ。こんな深夜にメールだけで済ましていいわけがない。 「すごいなあ、あっという間にネットにも広がっていく」 いくつかの掲示板を開いて眺めていると、俺が流した内容は数秒も経たないうちに話題にあがっていた。いつも使っているチャットルームにも、知っている人間が集まりだしていた。 それらを眺めながら、とりあえず危険そうな書きこみだけを拾っていく。情報屋を辞めるとはどういうことだ、殺してやるという書きこみは少なくはなかったのだから。 「なるほど、結構恨みを買ってたみたいだね。怖い怖い」 ニコニコと笑いながら他人事のように呟いた。どうせこいつらが俺に辿り着くことは少ない。その前に別の人間をけしかけてやればいいだけなのだから。 あとはなるべく表に出ないようにしていれば、すべては丸くおさまると簡単に思っていた。けれどもその一方で、逃れられない運命が動き出したこともわかっていた。 「酷い死に方をするって、はっきり言われたんだよねえ…」 願いは叶うけれど、その代償として死ぬ時に酷い目に遭う。そうしてそれがどういうものなのか、いつなのか、誰に、どこで、など細かく聞き出していた。 どうしても叶えたければ、それらに一切逆らってはいけないという話と一緒に。聞いただけでも相当悲惨なものだった。普通の人間であれば、ショックで二度と聞きたくないだろう。 「ははっ、でもシズちゃんが俺を好きになってくれるのならやるよ。友情でも、同情でも、もうこの際なんでもいい」 本当に俺はバカだなと自虐的な笑みを浮かべながら、そっと二階を見あげた。どうして好きになったんだろう、という疑問は心の奥底にだけ仕舞いこんだ。 text top |