「本当に…俺達は別れてるのか?臨也」 ポツリと呟いたが返事は無い。それどころか物音一つしない。とっくに動画は終わっていて、最後に男が捕まえている居場所のヒントなのか、ここは池袋だと一言告げて画像は途切れた。 でも俺はそんなことは、ほとんどどうでもよくなっていた。 ”もう別れている”という臨也の言葉の方が気になって、そればかりを繰り返し考えていた。確かにこの家にはもうあいつが俺の恋人だったという証は、何も残ってはいなかったのだ。 全部持って行けと怒りに任せて言ったのはこっちで、向こうもそうした。でもその時はまだ、チャンスがあったように思う。 あれから何度も池袋で気配を感じて、けれども姿を見たら強引に組み敷いて戻って来いと言ってしまう自信があったから避けたのだ。俺から、意図して避けた。 だがそれは間違いだったのだ。 俺のわがままで臨也を傷つけたくなくて避けたはずなのに、あいつは俺のせいで今現在も傷つけられているのだ。 結局傷つけたのは、俺に違いない。 「くそっ…だから、なんでこんなことになるんだよ!」 机の上には残りの封筒が何個も残っていて、中身を見るかどうか迷った。形は全く同じだしきっとまた臨也が散々に犯されているものが、入っているに違いない。 でもそれを全部見て例え居場所がわかったとして、俺はどうしたらいいのだろうかと。助けに行きたい、いや行かなければいけないと頭ではちゃんとわかるのだが、それをあいつが望んでいるかは謎だ。 向こうはもう、別れたと思っているのにノコノコ行って、嫌な想いをまたさせてしまうのではないのかと。 ここに届けられている以上、助けられるのは俺しかいないが果たしてそれでいいのか。また俺のせいで傷つけてしまうのではないかと、そういう最悪な予感しかなかった。 「どうしたら、いいんだ俺は……」 謝って許されるわけがない。何もかもが遅い。 さっき薬だって使われていたし、この封筒の枚数以上に臨也は酷いことを強いられてきたのだ。俺に向けられた恨みのせいでだ。体だって心配だ、一刻も早く探し出してやらないといけない。 なのに俺は、勇気が出ない。こんなところで、考え込んでしまっているのだ。 軽々しくしてしまったことの罪の重さに、戸惑っているのだ。 それから逃げるように、あいつから告白された時のこと、強引に部屋にあがりこんできて初めて料理を作ってくれた時のこと――初めてセックスをした時のことを次々と思い浮かべた。 何一つなかった。思い返してみればみるほど、俺から行動して手に入れたものは何一つなかった。いつでも、臨也からしてくれた。 確かにつきあう前からひたすら想っていて追い掛け回していたのはこっちだったが、恋人同士になってからも俺からあいつに何かをしてやったことはない。 一方的にされるだけで何も返さなかったのは、してくれることに甘えていたからではない。まだ、怖かったのだ。自分から何かをすれば、相手を壊してしまうのではないかという不安があったから。 「なんて自分勝手なんだ」 自分自身の行動を顧みればみるほど、滑稽だった。そうだ、唯一あいつに自分からしたことは、自分が傷つけたくないが為に避けたことだ。それがどれほどあいつを傷つけたか知らずに。 こんな俺だから、今回の事が無くても臨也に別れを切り出されていてもおかしくはなかった。 考えれば考えるほど、どうしたらいいかわからなっていく。ただ自分の不甲斐なさだけが露わになって、とにかく落ち着こうと立ちあがり台所まで行って冷蔵庫を開けて中からペットボトルを取り出した。 ここ数日も外食や適当にコンビニで買ってきたご飯ばかりで、中には水か牛乳ぐらいしか入っていなかった。あいつが居た時には、もっとたくさんのものがあったのに。 しかしふと水の入ったペットボトルを開けて、何気なくキッチンを見回したところで、あることに気がついた。 慌てて駆け寄って覗きこむと、俺の部屋にはあるはずのないピンク色が目に飛びこんできた。そうして、いつのまにか瞳から涙が溢れてこぼれていた。 「……っ、う」 何も無かったわけじゃない。残っていたのだ。臨也が俺と恋人同士だったという証がたった一つだけ。こんな殺風景な男の部屋に似つかわしくない、毒々しい色のエプロンがゴミ箱の中に。 これを、もっと早く見つければよかったのだ。ひっつかんであいつに叩きつけて、嫌がらせみたいにこんなもの残していくぐらいなら戻って来いと一言告げればよかったのだ。 多分これは、あいつなりの仲直りのサインだったはずだ。あんなにも冷静にすべての物を部屋から持ち出した癖に、これだけを忘れるわけがない。 冷蔵庫のすぐ横のゴミ箱だなんて、一番目立つに違いない場所に捨てたのだから。結局は自分の事に精一杯で、今も部屋中が散らかりっぱなしの俺には気がつけなかったが。 些細なサインに気がつけない程に、あいつと別れるのを嫌がっていたというのにだ。本当に情けないとしかいえない。 「まだ…間に合わねえか?それにまだ、俺は謝ってねえ」 ゴミ箱の中に手を突っこんで、少し埃をかぶったエプロンを取り出して呟いた。掠れた声で絞り出した言葉はみっともないものだったが、そんなの今更じゃないかと。 さっきまで落ち込んでいた気持ちが、こんななんでもない物一つで昂ぶっていくのがわかった。まだ俺はあいつを好きなのだ。口ではうまく表現できないぐらい、好きでどうしようもないのだ。 好きだなんて、つきあい始めてからも数回しか告げてない。しかもどれも、臨也の方から「俺の事好き?」と言われて答えたにすぎなかった。 それでもあいつは喜んでくれていた。きっと俺がすごい情けなくてどうしようもない奴だなんて、とっくに気がついていたのに一切無理強いしてくることもなかった。 こんな俺でも、臨也は好きでいてくれたのだ。だからせめて、あの日喧嘩したことだけでも謝りたかった。本当はお前の焼いたうまい卵焼きが食べたかっただけなんだと。 俺のせいで巻き込んだことを謝るよりも、大事なことだった。 怒られたとしても、拒絶されたとしても、何も反応されなかったとしても、俺を好きになってくれた臨也の為に謝らなければならなかった。 「くそっ…俺は正真正銘のバカだな」 舌打ちをしながら立ちあがり、ペットボトルとエプロンを持ってとりあえずパソコンの前に戻った。そうしてそこで携帯を取り出して、唯一の友人の番号を押した。 残りの封筒を片手で破りながら、相手が出てくれることをひたすらに待ち続けた。 俺が捕まってから何時間が、何日が過ぎたかはよくわからなかったけれど、まだ生きていることは確かだった。あり得ないぐらい酷い姿だったが。 「まだ平和島から連絡がねえな?今日もあいつの家に直接投函しに行ったのに、ビデオを見てる様子も無かったな。別れたっていうのは、本当だったのかもしれねえな」 「ははっ、だから…言ったじゃないか。俺じゃ脅しにもならないって」 外から戻ってきた男に開口一番に言われて当然のように口にしたが、胸はズキズキと痛んでいたたまれない気持ちになっていた。こうなることぐらい予想していて、自分でもそう言ったはずなのに。 けれども頭のどこかで期待していた何かが、日に日に崩れていくようだった。それが完膚なきまで粉々にされるまで、もう時間はあまりない。 「まあそれならそれで、別にいいけどな。もう平和島静雄のことなんて、俺の中でほとんどどうでもよくなってきてるしな。あんなに恨んでたのにな」 最低な笑みを浮かべた男が近づいてきて、俺の顎を掴んで真上から見下ろしながら告げてきた。 「今は折原の方が気になってしょうがねえ。最初からあいつの恋人を寝取るつもりだったが、まさか本気になっちまうなんてなあ。あんたが平和島とつきあってて、ラッキーだったぜ」 「……っ、うぅ、あ…!」 「ほんと、あいつは勿体ねえことをしたよな。こんなに美人で、賢くて、最高に淫乱な奴を手放すなんてな。最初は生意気だったけど、今はこんなに従順になっちまったしなあ?」 視界がぼやけるくらいにそいつの顔が近づいてきたので、俺はゆっくりと瞼を閉じて一切の抵抗をすることなく、口づけを受け入れた。 こうするのが、利口な選択だった。逃げる術もなくいつまでも捕えられていて、ストレスだって、心身的ダメージだって与えられ続けている。それから逃れる、一つの手段だった。 もうシズちゃんなんかとは関係が無い、あんたの方がいいと告げてから男が俺に対して態度を変わるのに、時間は掛からなかった。 少し前まではありえないぐらい大量の違法な薬を使われたが、今ではそれもなくなっていた。それは、俺の体にとってもいいことだった。けれど。 「ふ、むっぅ…は、ぁ、あ…はっ、あ……」 「キスしたぐらいで、勃起させるなよ。ほんとにあんた、エロくなったよな?そんなに、平和島より俺がよかったか、はは」 舌を入れられて絡められただけなのに、勝手に腰がびくびくと反応して、ちょっとした刺激で快感が生まれるようになっていた。どんなに最低な相手に対してもだ。 シズちゃんとセックスをした回数よりも、明らかにこの男とした回数の方がうわまわっていることには、もう気がついていた。 薬の後遺症なのか、それとも俺の体が変えられてしまったのかはわからなかったが、確実に元には戻れない深みへと嵌っていた。 text top |