流れる涙も 凍てついた胸も 33 | ナノ

「え…?」

いきなり話をこっちに振られて、すっかり気落ちしてしまっていた俺はあろうことか呆けた表情のままシズちゃんの方を見ていた。
そうして瞳が合った。
なにかを思いつめたような真剣な眼差しと。
瞬間体中の血がざわついたように、カッと熱くなった。意気消沈していた気持ちが、全部吹っ飛ばされてしまったかのように胸のあたりがざわついていた。
これは久しく忘れていた、まだ俺がシズちゃんに片思いをしていて言うかどうか迷っていた時の気持ちに似ていた。
そんなものは、男達に無理矢理犯されてからすっかりなくなっていたと思っていた。なのにどうしてこの今のタイミングなのかは理解不能だった。
ただこうやって助けに来てくれはしないかと思うことは、何度もあった。
捕まって犯される寸前、それから何日も淫らな行為を続ける間、四木さんが助けに来てくれる直前、シズちゃんと寝てしまったのがバレてお仕置きをされる直前と。
期待値は段々と少なくなっていき、さっきのはもうほとんど諦めていた。だから好きにしてくれと四木さんに言ったのに、今度は颯爽と現れてきて――嬉しくないはずがない。
もう今更どんな目に遭おうともシズちゃんのことを、本気で嫌うことはないだろうと自覚していた。
無理矢理されようが、酷い言葉を掛けられようが、殺されようが。

「どうするんだ、臨也」

いきなり声を掛けられて、慌てて我に返った。なんて答えたらいいだろうかと、考え始めたところだったのだが向こうの行動の方が早かった。

「あぁ、もうごちゃごちゃうるせえんだよ!もう勝手に逃げねえように捕まえるだけ、なんだよッ!!」

低い声で呻るように言いながら、部屋の入り口付近に置かれていたいかにも高級そうな家具を軽々と抱えたままズンズンとこっちに向かって歩いてきた。
それで殴るというのだから、本当に何も考えていないのだ。
こういう場所に置いてある調度品が、どのぐらいの値段するのか全く知らない、っていうことは決め付けたくなかったのに。

「ちょっと待ってシズちゃん!相手は敵に回したらかなり危ないことになるタイプの人なんだよ?まずは落ち着ここう」
「これで落ち着いていられたら、俺はどんなにお人よしなんだ?ったく勝手にまた男と……ってそうじゃねえ?そうだったもう決めたんだ、これ以上怒らないようにしようってな」

受け入れられるとは思っていなかったが、どうやら家具を床に置かせることには成功したようだった。
何事かぶつぶつ呟いて、すぐにこっちを睨みつけていた。怒っていることには変わりなさそうだったのだが。
その後どうするのかと考えていて、先に動いたのは意外にも四木さんだった。

「いいか、コイツは今俺の愛人なんだよ。それには条件があって、他は全部本人が自力でクリアしたんだがまだ残ってることがあってな。それがそのDVDだ」
「こっちはヤクザだろうがなんだろうが、やりあう覚悟で来てんだよ!だからなにされようが構わねえ。だが臨也だけには、なにもさせねえよッ!」

再び叫び声をあげながら、勢いのままに走って突進してきた。このままだと俺も四木さんもヤバイと思ったが、ギリギリのところまで迫らせて四木さんの体が横に転がって避けた。
取り残された俺に拳を振り落とされるのかと思った瞬間、どうやら違った方向に雰囲気が流れていることに気がついた。

「うわあっ…!?」

おもわずぶつかる瞬間に目を閉じたのだが、数秒なにも起こらなかった。首をかしげながら開くと、無理矢理襲われた体制になったままだった俺の腰のあたりにちょうど手を伸ばしてきているところだった。

「えっ、えぇ?」
それから逃れようと腰を浮かしたがすでに遅く、そのままがっちりと掴まれた。そうして俺はすっかりと忘れてしまっていた事実を、つきつけられた。
「手前を抱くならお姫様抱っこがいいって言うんだろ、どうせ?」
「え……あれっ?いや、あの発言は違うよ?あの時はどうしようかわからなくて言っちゃっただけなのに必ずしも毎回それとは……」

苦し紛れに言ったことが、まだシズちゃんの中で事実として刻まれているということが少しだけ怖かった。
混乱しているうちにあっさりと片手で抱きかかえられて、まさにお姫様抱っこという名前に相応しい格好をさせられた。
まだ四木さんも居るというのに、目の前で。俺も四木さんもその空気も読めない行動力にただ呆れるしかなかった。

「ははっ、お前らお似合いじゃねえか。まぁあの主犯の男さえ捕まえられりゃDVDなんざどうでもよかったから、それは餞別がわりにやるよ。臨也は俺には扱えねえ、荷が重過ぎる」
「はぁ……?ちょっと、四木さんッ!?」

言っている意味がすぐにはわからなくて、聞き返そうとしたのだがすぐに俺を抱えたまま一言も言葉を発せずに歩きだした。
首をひねって四木さんの方を見ようとしたのだが、それもできなかった。ただ一瞬だけ扉から出る際に見た表情は、不敵に笑っていてどうにも釈然としない気分だった。


「ねえ、そろそろ下ろしてくれてもいいだろ?怪我をしているわけでも病気になっているわけでもないのに、こんな格好…」
「うるせえ、何度言うんだ。もうそこじゃねえか、大人しくしてろ」

強い口調で吐き捨てられて、盛大にため息をついた。確かにもう俺の住んでるマンションのエントランスで、部屋はすぐそこだったのだが恥ずかしかった。
前回教えた番号を押して扉の中に入ると、迷わずに歩いていく。

「だから、なんなの?俺が先に出て行った事でも起こってるの?だから俺は四木さんの愛人だったから…!」

さっきからそう話し掛けているのだが、どうしてか一切返事も言葉も返してこない。
右手に持っているDVDのことを問いただしてみたりしたが、それにも無反応だった。ただ暴れようとしたり下ろしてと言えば普通に怒るので、聞こえていないわけではない。
まるで拗ねた子供のようだと思った。
やがて部屋の前まで辿り着いたので、無言でポケットをあさって見つけた鍵を素直に手渡した。ここまできたらもう逆らう気力も起きなかった。
そうして遠慮もなしに家の中をずんずんご歩いていき、玄関を過ぎて事務所にある来客用のソファーの前までくるとようやくそこで座らされた。
きっとこうするだろうと思っていたので、こっちも一切の言葉を話さずに瞳だけで睨みつけた。向こうもこっちを鋭く睨みつけていたが、やっぱりさっきとほとんど変わらなかった。
俺の方はさっきから内心動揺しっぱなしというのに。
鼓動も止まらないし、ほんのりと頬が熱くなってしまっている。別にこれは深い意味があるわけでなく、なんでもない行動なんだと言い聞かせてはいたが意識せずにはいられない。
とりあえず、落ち着いたところでいろいろ聞きたかったが、さっきの一言のことを尋ねてみることにした。

「ねえ、俺が最初からシズちゃんのもの、ってどういうことかな?そりゃあ前に告白なんてしちゃったけど、そんなことすぐにどうでもよくなったし気持ちよかったら俺は…」

どういうつもりだったのかは知らないが、これ以上期待をもたせるような事は言わないで欲しいと思いながらしゃべった。
だがすぐに手で制されて、その手にはラベルのないDVDのパッケージが握られていた。

「じゃあこれ、見てみるか?そうしたら嫌でも、手前でも理由がわかると思うぜ。さっきは少ししか見てなかったし、一緒に見るのもいいんじゃねえか」
「そ、れがなんなのか知らないけど、お断りだね」

無駄だとわかっていても拒んだ。中身を見られているのだから逃れようはないのだが、逃げたかった。
きっとその映像の中には俺が誰にも、シズちゃんには特に一番知られたくない内容しかつまっていないはずなのだ。
薬で記憶で飛んでいる間になにが起こっていたなんてあまり想像したくはなかったが、嫌でも見せ付けられる。そんなのは嫌だ。

「いいのか?理由が知りたいんじゃねえのか?」

DVDの中身だけでさっきの言葉の意味がわかるなんて思ってもいない。けれどそうしなければ永遠に教えてくれなさそうなのも確かで、妥協しかないのかという雰囲気に包まれていた。
唇を噛み締めて悔しさを表現しながら、はっきりと告げた。

「…わかったよ、見るよ。でもこれでなにもわからなかったらどうなるか、覚えておいてよね」

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