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幼い頃から、方向感覚が鈍いとよく言われていた。けれどだからといって困ったことはなく、寧ろ自分が知らない世界を見ていることに感動する方が大きいし、周りの人達に自然と声をかけられては助けられていた事もあり、基本的に道に迷っても泣くことはなかった。あまりにも無頓着なものだから、大人しいね、なんて言われた事もあったか。かくしてその方向音痴は大人になっても治る気配は無かったが、別にその街や地方の地図さへあれば知らない土地でも迷わず目的地まで行くことが出来ていたし問題はなかったのである。地図さへあれば。
話を本題に戻そう。見渡す限りの森林と深い霧。先程まで日射しが差し込む晴れ模様だった筈なのに。さて、ここは何処だ。

「………うん」

迷ったな。完全に迷った。依頼主から「ジムチャレンジの祭典があるから写真に納めて欲しい」と仕事を受け、初めてガラル地方に足を踏み入れた数時間後がこれである。地図の通り進んだと思っていたのだが、どこかで道を間違えてしまったか。駅に乗って、まっすぐ進めばいいと駅員の人も言っていたから今回は間違えることはないと自信を持っていたけれど。
まあ、迷ったものは仕方ない。足を進めれば森から出られるだろうと呑気に考えながら、生茂る草木の中を悠々と歩く。濃い霧の中視界を凝らせば見たことのない小さなポケモンがちらほらと。私の足首より少し高いくらいの大きさである青い鳥型のポケモンや、尻尾が大きくて頬が柔らかそうなポケモンが気持ちよさそうに駆け回っている。ポケモン達を踏みつけないよう慎重に歩かなければ。




草木が揺れ、透き通った小川が流れる音が鼓膜に響く。どのくらい歩き続けただろう。足を進めるほど霧も次第に濃くなっているように思える。けれど、怖いとは感じなかったし、霧の影響で難しいが、写真を撮りたいという好奇心が芽生えていた。そこがお前の良い癖であって悪い癖だと、ジョウト地方の友人に何度も言われたことを思い出す。写真の依頼でよく他の地方へ出立することもあり、持ち物は愛用のカメラを含め必要最低限の物をリュックに詰め込んでいるが、長い時間歩き続ければそれも重荷となる。つまりは今、肩が痛いほど悲鳴を上げていた。一旦休憩をしようと背負っていたリュックを地面に置き、その場に座る。ガラル地方に向かう前に自販機で購入した飲み物の蓋を開け、ごくり。疲れ切った体に染み渡る感覚を残しながらそのまま胃の中へと消えていった。飲み物をリュックに直し、次は愛用のカメラを取り出す。電源を入れるボタンを押してガラルへ来る前に撮影した写真をぽちぽちと確認した。あっ、バッテリーが少ない。予備の電池に替えようと再度リュックを確認しようとした時、突然影が立ち込めた。

「あ、」

空が曇ったかと思い不意に見上げれば、青空色と渋い桃色の毛を見に纏った犬型のポケモンが私を静かに見下ろしている。もしやこのポケモンの住処に立ち入ってしまったのだろうか。言葉が伝わるか分からないが、とりあえず挨拶はしておこう。

「あー、えーっと…名前って言います」

その場で立ち上がり、視線を合わせる。本当に大きいな。私の身長より少し超えている気がする。挨拶をしても尚、目の前に堂々と立つポケモンは一言も返さず私を視線に捉えている。喉を鳴らしていないから、警戒している訳ではないらしい。。私を観察するようにじっと見つめ続けている。もしや、人間に出会ったことがないポケモンなのか。私は断じて悪党ではないから、攻撃はしないでほしいものだ。

「今、道に迷ってて、歩き続けて疲れたんで、休憩してました」

あなたの住処だったら、すみません。
指の先まで両腕を地面へ垂直に伸ばし、手の平を太腿の外側に添えて深々と頭を下げる。
何もしてこない、鳴き声もあげない、一向に相手は私を見下ろしているだけだった。

「だから、えー、…」

このまま荷物を持ち、森から静かに立ち去ればいいのは理解しているが、この深い霧ではどの方向が正しいのか分からないために、目の前にいる青いポケモンと同様に別のポケモンの住処があるならば、尚更無闇に動けまい。
次は、何を謝罪すればいいんだ…。相手からすれば、これは言い訳になってしまうのかもしれないが、計画があって住処に侵入した訳ではなくて。
ぐるぐると思考を巡らせ解決策を考えていると、今まで私を捉えていたポケモンは私の横を通り過ぎていく。

「ウルォォド…」

通り過ぎたかと思えば、今度は足を止めて振り返り再び私に視線を移し、ようやく私の耳に届いた、鳴き声。
この行動は、察しがつく。幼い頃からよく道に迷っていた時、周りの人達だけでなくポケモンにも道案内をされていたことも数えられないほどあったものだ。人の言語を理解しているのか定かではないが、きっと、この青いポケモンも、森の入り口まで案内してくれるのだと思う。




青い犬型のポケモンの数歩後ろを渋々と歩く。そこに会話はなく、あるのはただ草をかき分け何度も地面を踏む音のみ。辺りの白い霧も薄くなり、木々の間から光が差し込んでいる。そして前方には小さな牧場と、白い毛が特徴的なポケモン達の姿が見えた。迷子になる数時間前に一度だけ見た光景だ。ここが森の入り口か。
ふと、青いポケモンが足を止める。どうやら道案内はここまでらしい。私はそのままポケモンの隣まで移動し改めて景色を視界に映す。間違いない、ここで私は迷ったのだ。

「ありがとう、青いポケモンさん。本当に助か」

助かりました。そう伝えた時には既に青いポケモンは私の隣に居なかった。森の入り口で立ち尽くす私以外、始めから何も無かったかのように。
幻、だったのだろうか。疲労が溜まって私の頭がおかしくなってしまったのだろうか。確かにガラル地方に来るまで様々な乗り物に乗っては降りての繰り返しだったが、日々の仕事の影響も加算され、疲れが出てしまったのか。勿論、仕事は楽しいけれども。気付かぬうちに疲れが溜まっていたのならば、たまにはのんびりと過ごして体を休ませたいものである。
止めていた足を再び動かし森を抜ける。太陽が傾いた空は橙色へと変化しつつあった。まずい、野宿になる前に、兎に角急いで駅まで戻ろう。この町は泊まれる場所とかあるのかな。とりあえず白いふわふわのポケモンに世話をしている牧場のおじさんに相談しようと、私は荷物を背負い直しながら森から離れていくのであった。
そういえば、本当にあれが現実だったなら、証拠に写真に収めて確認すればよかったな。




『ご武運を___』

謎の声は、名前の耳元を静かに通り抜けて風と共に空へと舞い、消えた。