小説一覧、短編 | ナノ






※「氷炎牆に鬩ぐ」後日談




「それで団長達と再会して、『近い内にウェールズ家に寄るんです』って言うから、それまで船に乗せてもらってたんだ」

ルリア達がウェールズ家を立ち寄り互いに会話を楽しんだ日の夜のこと。当主であるアグロヴァルと彼の許嫁である名前は寝所にある大きなベッドに腰掛けている。
彼女の思い出話に耳を傾けていたアグロヴァルは少しだけ揶揄う素振りを見せ言葉をかけた。

「話を聞くに、"ついでに"帰ってきた、と言うような口ぶりだな」
「ち、違うよ!?帰りたかったのは本当なんだ!」

名前がルリア達と出逢ったのはあのウェールズ家の件が解決した直後のこと。末弟のパーシヴァルと刃を交え2人が瀕死の重傷を負ったという報せを受けた名前が帰って来た際、団長のグランと不思議な力を持つルリアに初めて顔を見せたのである。あの時の名前は今にも泣きだしそうな顔で、両手でアグロヴァルの片手をやんわりと掴み祈る様に彼の目覚めを待っていたと、後日見舞いに部屋を尋ねたパーシヴァルの口からアグロヴァルへ伝えられたのだ。

「相変わらず、我が妃の旅癖は変わらんな」
「うっ…あ、あはは…」

名前の家系は代々ウェールズ家と交流がある貴族の騎士であり、「世界の民を見守り光へと導く」役目を担う者たちでもあった。代々続くこの役目は、血を受け継いだ者がどの立場においても生涯を終えるまで続けていく家系の儀式だという。その両親から生まれて来た1人娘が名前だった。親の方針と、天真爛漫だが思慮深い彼女の性格も混じってのことなのだろう。家系の中では群を抜いての旅好きとなってしまったのである。アグロヴァルの許嫁となった時でも旅癖が止むことはなく、ふらりと出かけては数ヶ月ぶりに帰ってくる、という行動が日課となっていた。そんな名前についてアグロヴァルも止める事はしなかった。それが彼女の好きな所でもあり、王宮で忙しくしている彼の代わりに世界を見てくれている気持ちも分かっていたからだ。
あの日を境にウェールズ家に残る事が多くなった名前だが決して旅をしなくなったという訳ではない。今でもウェールズ家を後にし各島の人々や景色を見守る使命を行う事は変わらなかった。しかしながら今までよりも早く帰ってくるため心配しているのだろうとアグロヴァルも感じ取っている。

「それなら、妃らしく、膝枕をしてあげます」

名前は自身の腿を軽く叩き招いく。頭を置けというサインだった。アグロヴァルは素直にその指示を受け入れ頭を乗せる。日の光の様な金色の髪がふわりと腿を擽ぐり、お互いに顔を見合わせる状態になる。名前は微笑むと優しい手つきで彼の前髪を撫でていく。

「今日もお疲れ、王様」

何度も撫でられている感覚が心地良いのかアグロヴァルは目を瞑っている。ウェールズ家の家督を継承している故に負担も大きいはずだというのに、疲れている素振りも見せず国の為に、民の為に全力を尽くしている。
そんな彼を今でも支えられているのか不安だった。彼の婚約相手でありながら妃としての役割を果たせていないのだと。1人の男の心を底まで追いやってしまった中、世界の民を見守る役目さえ出来ないのではないかと。彼本人は旅の思い出話を楽しく話す名前が好きだと言っているが、本心は違うのではないかと、分からなくなってしまうことがある。きっと、彼の妃になれる器では、

「我の心が弱かったと、何度言えば分かる」

自然と撫でる手が止まっていたのだろう。先程まで閉じていた彼の目が開き、彼女の心を読んでいたかのようにアグロヴァルは口を開く。

「名前は、我の代わりに世界を見るのであろう。それで良い」

彼にとっての慰めか優しさか、本音なのかは定かではなかったが、霧がかっていた名前の心に明かりが灯る。
今回も、今までだって名前が悩みを抱えて隠そうとしても、昔から目の前にいる彼にいつも勘付かれてしまっていた。悩み事を隠すのが下手だと言われた程に名前は素直だという。冷静で冷酷で、愛情を表に出すのが不器用なアグロヴァルだからこそ、かけられる言葉1つ1つに名前の心に響き暖かく染み渡っている。彼に助けられてばかりだと、再確認させられた。

「うん、そうだね……ごめ」

ごめんね、名前がそう言い終えることはなく何かによって口を紡がれた。唇に柔らかな感覚と暖かさが残る。目の前には彼の整った顔が視界に入った。彼の行動に彼女はまだ理解できていないのか、アグロヴァルは混乱している名前に追い討ちをかけるよう再度唇を重ねた。先程よりも長く、深く、角度を変え何度も口付けていく。
彼とは幼い頃からの付き合いになるが、王と妃という関係を持つようになってからはこうして甘えてくるのは珍しい。幼い頃、彼の母親が亡くなった頃から兄として弟達を支えていたのだから尚更当然の事。その日から、アグロヴァルは変わってしまった。見えない鎖に繋がれている様な。冷徹な瞳の奥に復讐心と寂寞感が宿っているのを、事件の後に彼女はようやく気付いたのだ。世界の民を光へ導くという役目を背負う名前だからこそ、愛する者の気持ちを分かってあげられなかったと今でも時折後悔している。
私では彼を救うことは出来なかったけれど、パーシヴァルや団長達に助けられて、国も民を中心とした祖国へと姿を変えている。それだけで十分だった。
長かった口付けがようやく終わる。名前は顔が紅潮しピリピリとした感覚が全身を駆け巡り萎縮している状態だった。気がつけば高級感のある天井と先程まで名前の膝元に頭を預けていたアグロヴァルの姿が映る。彼のしなやかな長い髪が重力に従い垂れていた。アグロヴァルは名前の頬をするりと撫で上げ何かを訴える様な視線を向けている。

「ごめんね、じゃ、なかった……ありがとう、アグロヴァル」

また、君に助けられたなあ。
まだ赤らめている顔で名前が微笑むとアグロヴァルも同じように笑みを返す。

「お前は笑っている方が性に合うからな」

名前の頬を撫でていた彼の指が移動し彼女の顎へと添えられる。こそばゆい感覚とはまた少し違う刺激にピクリと体が反応した。名前は彼の透き通る柘榴色の瞳から目を逸らすことが出来なかった。彼には敵わないと、改めて感じさせられた。
さて、この国の妃でもある名前。その無垢なる性格故に、今行われている行為に滅法弱い。再び唇を押し当てようとするアグロヴァルを前に名前は慌てて両手で自身の口元を塞ぐ。

「ま、って、ごめん、無理…ッ」

不機嫌な顔を表すアグロヴァルに、名前は口元に当てていた手を離しそのまま彼の首へと回す。彼への謝罪の意も込めた抱擁だった。

「………これで許してください…」
「……仕方あるまい」

彼女の精一杯の愛情に満足したのか、アグロヴァルも名前の背中に手を回し、互いが抱きしめやすいように自身も柔らかなベッドに身を委ねた。
このひと時がいつまでも続いたらいいと。そう思っている内に、王と妃はいつの間にか抱きしめ合ったまま、夢の中へと吸い込まれていくのであった。