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冷たくて、寒くて、凍えそうだった。

龍の身体は氷を纏っており、足元には冷気が溢れ、その冷気から名前を囲う様に、壁の様な大きな氷柱が現れている。その姿に名前は息を呑む。蜂蜜色をした彼の瞳に目を奪われた。

《貴様、ニンゲンか?》

遠くで小さな生物達は怯えながらこの光景を見ている。名前が冷気を放つ生物に食べられる、誰もがそう思っていたのだ。しかし氷の龍は名前を見下ろすだけで一回りも二回りも大きなその口を開けようとはしない。寧ろ初めて見る生き物だと半信興味で彼女をじっくりと眺めているようだった。

「に、人間、です」

ほう、と。言葉を伝える度に白い息が生まれる。
名前がいつもの様に探索をし環境生物を研究していた時。突如この土地に生息している大型のモンスターに襲われそうになったところを、冰龍____イヴェルカーナによって助けられたのだった。イヴェルカーナ本人は、他の大型生物が自分の住処に足を踏み入れられた事に激怒したのだろうが。いわゆる縄張り争いというものである。イヴェルカーナはモンスターに攻撃を仕掛け離れさせると、名前を守る様に氷柱で彼女の周りを囲んだ。数分ほど経ちモンスターは再び空へと飛び立っていくのが見えた。恐らくイヴェルカーナが縄張りを維持できたのだろう。

「助けていただいて、ありがとうございます」
《…もしや私の言葉が通じるのか?》

ぺこりと頭を下げお礼を言うとイヴェルカーナは驚きの反応を示した。顔を名前に近付け、続けて疑問の言葉を投げかける。

《ニンゲンという生き物は、私達の言葉が通じないと言われていたのだが、》
「えーっと…今は、私だけといいますか…ちょっと複雑でして…」

世界は広い。故に、自分だけこの能力を所持している、というのは些か言い切れなかった。昔はある程度能力を持つものがいたそうだが、年月が流れる毎に名前の一族しかいない、と幼い頃に先代に言われていた記憶が蘇る。
その特殊な能力故に名前に興味が湧いたのか、イヴェルカーナは纏っていた氷の鎧を消すと先程まで彼女の周りを囲んでいた氷柱の壁の様に自身の体で名前を包み込んだ。
警戒心が薄れた、そう読み取ってもいいのだろうか。

《同じニンゲンでも、其々違う名前があると言うのは、本当か?》
「は、はい、違います。私は名前という名前です」
《名前》

どうやらこの龍は見た目とは裏腹に意外と好奇心が旺盛らしい。名前の名前を何度も呟き頭の中に叩き込んでいる。何やら尻尾がゆっくりと揺れているのが見えた。

《名前。ニンゲンは、私のことを"イヴェルカーナ"と言う》
「イヴェルカーナ……」
《それは、私の名前なのか》

数週間前、村で研究長が"イヴェルカーナ"と名前を発表していたことを耳に聞いたことを思い出した。実際に見たことは無かったし、何より環境生物ばかり調べていたため、こうして目の前に現れ話をしている氷の龍の姿を見れるとは思っても見なかったのだ。滅多に出会えないイヴェルカーナが、しかも見た目とは裏腹に異種族に興味を示しているその食い違いに名前はつい口元が綻んでしまった。

「名前…ではなくて、イヴェルカーナさんと同じ生物のことを指してるかと……私のことを人間って言う感じで、」
《そうか…名前ではない、のだな》

ほんの少しだけイヴェルカーナの話すトーンが低くなる。どことなくシュンとした様に見えるのはきっと気のせいでは無いはずだ。なんだか可哀想に見えてきた名前はある提案を持ちかけた。

「なら!イヴェルカーナさんではなく、あなたの事を"イヴさん"と呼んでもいいですか…?」

所謂あだ名と言うべきなのか。だがもし他のイヴェルカーナが存在したとしても、この名前なら、目の前にいる龍だけが反応してくれるのだろう。表情は変わらないが、本人は名前を付けられて再び嬉しそうに尻尾を大きく動かしている。

《名前、私の名前を呼んでくれないか》
「ふふっ、何ですかイヴさん?」

いつの間にか氷の龍と人間に他愛の無い会話が繰り広げられていた。遠くで怯えていた小さな生物もいつの間にか彼女の周りに集まっていた。

冷たくて凍えそうな生き物の心は誰よりも優しくて暖かかった。