君って、笑うんだなって






「(どどどどどうしよう。一旦落ち着こう。
落ち着い…てられるか!何コレやっぱりドッキリ?ドッキリなの?)」

翌日の放課後 イデアは昨日も訪れた中庭のベンチにソワソワと落ち着かない様子で座っていた。

今朝、未登録のメールアドレスからメールが来た。
件名部分にはご丁寧に彼女の名前が記名されており、本文には『昨日の上着、わたしのものです。返却はいつでも大丈夫ですのでご心配なさらないでください』とあった。
短い文面の中ですらイデアを気遣うところに彼女の人格を垣間見た気がした。

ドッキリかもしれない…と一瞬よぎったが、イデアの知る限り オクタヴィネル寮には彼女以外に小柄な人間はいなかった筈であり、何よりも学園内の生徒にこんな丁寧な気遣いを混ぜたメールを送れそうな人物はいない筈だ、と無理やり納得した。

『シュラウドです。上着、ありがとうございました。すぐにお返しします』と返信をして、少し固かったかな と首をひねったところですぐに返信が来た。
『では、今日の放課後 お時間がありましたら、中庭に来ていただけますか?』
『了解です。』
『ありがとうございます。よろしくお願いします。』
そんなやり取りをして今に至るという訳である。

「(女子と待ち合わせとか はじめてすぎて意味わかんないんだけど。
無理ゲーですわこんなの。ああ、帰りたい…)」

イデアは無意識のうちに彼女の上着を握りしめ、イカンイカンと皺を伸ばした。
一応礼儀として魔法で上着を綺麗にしてある。
彼女の匂いはもう消えてしまっていた。
…少しだけ、残念だと思った。

「あ、シュラウド先輩、」
「ど、どうも、」

やはりドッキリではなかった。
突然現れた彼女に 視界がいっぱいになる。
夕陽に照らされた彼女は今日も綺麗だ と思った。

あ、これ ありがとうございました。と イデアは上着を差し出した。
ピシリと畳まれた其れを受け取ったナマエは「まぁ、」と感嘆の声をあげた。

「すごく綺麗になってる」
「アッ、一応、魔法で綺麗にしました…余計なことをしてしまって スマセン」
「あっ いえ、余計なことなんて思ってません。
ただ、すごいなあって。わたし、魔法がそんなに得意じゃなくって」

こんなに綺麗にできないわ。彼女は恥ずかしそうに笑った。
イデアの心が再びドキリと鳴った。
どぎまぎとするイデアに 彼女は首を傾げる。

「シュラウド先輩?」
「あ、イヤ…その、君って、笑うんだなっ て、」
「…わたし、笑ってました?」
「エエ、まぁ…」

彼女はポカンと口をあけた。
そのまま数秒静止して うろうろと目線を泳がせた。
次に首を傾げたのはイデアの方だった。
そんなイデアを見て 唇を少しだけ結んだ彼女は、気が抜けたようにその場にへたりこんだ。

「ちょ、何してんの!」
「…わたし、おじさま以外の前で笑えるようになったんだ…」
「(おじさま!?ちょ、マジで意味がわかんないんだが??ていうかスカートきわどすぎてパンツみえ、そ、う…)」

イデアの心は露知らず、彼女は両手で頬を抑えてふるふると首を振った。
先程イデアから返してもらった上着はクシャリと地面に落ちてしまっていた。

「と、とりあえず、ベンチ、座りまセン、か」
「あ…ごめんなさい」

イデアの言葉に彼女はふと我に返った。
恥ずかしそうに唇を噛んだ。
地面の土がついてしまった上着を拾って「すみません」と頭を下げてから イデアの隣に浅く腰かけた。

「せっかく綺麗にしていただいたのに ごめんなさい」
「大丈夫…ソレ 貸してくれる?」
「はい」

イデアは片手で上着を受け取ると もう一方の手で控えに浮遊している髑髏に手を翳す。
ブツブツと小声で呪文を呟いた瞬間 上着がほんのりと水色の光で覆われた。

「はい できた」
「わ、あ…すごい」
「別に たいしたことないよ」

土がついていた跡形もなく綺麗になった上着を広げて 彼女は目を丸くした。
「ついでに」とイデアは片手を彼女に差し出す。

「スカートとか 足、とか 汚れたでしょ。…も、もし嫌じゃなければ、だけど、」
「…ありがとうございます」

彼女の指が イデアのひんやりした手に触れた。
もう一度呪文を呟くと、彼女の身体は先程と同じ水色の光に包まれる。
気がつくと 上着同様に汚れた部分は綺麗さっぱり無くなっていた。

「まるで 魔法みたい」
「イヤ、魔法使い なんだけど、」
「そう じゃなくって、」

彼女はイデアの目をまっすぐに見つめた。
黒目がちな大きい目に見つめられて 目が逸らせない。
「上手く言えないんですけど、」彼女はそう前置きをしながら やはり目を逸らさずに「わたしの汚い部分が 少しだけ綺麗になった気がして」と告げた。

汚い部分。彼女は確かにそう言った。
イデアには理解できなかった。
だってキミは こんなにも綺麗じゃないか。自分なんかより ずっとずっと。
「わたしの汚い部分」彼女がそう言った理由に 一つだけ思い当たる節があった。
きっとそれは、おそらく 初対面の時のアレ≠ネのだろう。

「…答えなくてもいいんだけど 聞いてもいい、かな」
「…はい」

イデアが聞こうとしていることを察したように ナマエはぴくりと肩を揺らした。

なんで君は あんなことをしているの。思った通りの質問に 彼女は目を伏せた。
なんて 答えればいいの。そう心の声が聞こえた気がして、イデアは目の前で両手を振った。

「ご、ごごごめん!いきなりこんな他人から聞かれても困りますよねいやぁ拙者の様な陰キャの分際で人様の事情に踏み込もうなど恐れ多いことを」
「そんな、ち、がうんです、!」

彼女はキッ とイデアを睨んだ。
その目から 怒りは感じない。
感じるのは 暗い 暗い闇。引きずり込まれそうな そんな闇だった。
ぶるりと身震いして イデアは彼女の言葉の続きを待つ。
ナマエはもう一度「ちがうの、」と泣きそうな声で呟いて 涙を耐えるように唇を噛んだ。

「わたし、ミス・プリンセスなんかじゃないわ」
「………それ、は、」
「わたしは汚くて 醜い 狡い女で」
「、そんな ことは、」
「身体を売って 生きてるの」

彼女の言葉に、ひゅ と息が詰まった。
今まで見たことのない苦しそうな顔。
笑顔とは程遠いその顔に イデアは 胸が締め付けられる思いだった。

彼女に惹かれているのかも なんて考えていた自分が憎らしい。
だって僕は、彼女のことを 何も知らないじゃないか。

「汚くて 醜くて 自分が本当に嫌になる。
自分で決めたことなのに ふと我に返るのが怖いんです」
「…僕が 力になれること、あるかな」

同情でも 憐れみでもなく。ただ純粋に 彼女の力になりたいと思った。
ミス・プリンセスと呼ばれる彼女は 小さく怯える ただの少女だった。
そんな彼女が 痛いくらいに愛しい と、そう思った。

そして、彼女の抱える暗い闇を一緒に背負って 守ってあげたいと、そう思った。

彼女は弾かれたようにイデアを見て、何かを言おうと息を吸い込んだ。
しかし、やはり戸惑ったように唇を結んで俯く。

「シュラウド先輩のお気持ちは、とても嬉しいです」
「だったら、」
「…でも、怖いの」

絞り出すような そんな声だった。
自分の過去を話して 売りをはじめたきっかけを話して、それでどうなるの。
彼に自分という闇を背負わせて何になるの。

はじめてこの学園でわたしに笑顔をくれた人。
はじめてわたしの心を少しだけ動かしてくれた人。

だからこそ。

「先輩には 言いたくない」
「ど、うして、」
「シュラウド先輩は はじめてわたしをそういう目で見ない人≠セったから、」

だから、本当のことを話して 嫌われたくないの。

綺麗な貴方を、わたしという女で 汚したくないの。


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