あの子はマドンナちゃん





若葉の緑が目に染みる季節。
東都某所に建つ警察学校は、今年も新たな警察官の卵たちを受け入れていた。

第百四期生となる彼らが入所してから早一ヶ月。

入所からたった一ヶ月しか経っていないにも関わらず、既に彼らの中には良くも悪くも視線を集める存在が出始めていた。


その中の一人。マドンナちゃん≠ニ呼ばれる彼女──みょうじなまえは、少ない女生徒の中でも一際目立っていた。
マドンナちゃんはあだ名の通り大輪の牡丹のような美人で、オマケに聖母のような優しさと底抜けの明るさを併せ持った女の子だった。
さらに入学試験の成績は女子の中でトップ。男子含めても五本の指には入るスコアを持っていて、入所してからも研鑽を怠らない。

明るくてお淑やかで頑張り屋。そんな彼女の周りには常に人が集まり、厳しい訓練など存在しないかのような華やかな空間が広がるのだ。

マドンナちゃんは男女問わず人気があった訳だが、完璧すぎる彼女に思いを伝える男子は意外に少なかった。
「純朴なマドンナちゃんを守ってあげなきゃ。ボクらみたいな蛮族は彼女を汚してはいけない。彼女に思いは伝えるべからず」
という趣旨のマドンナ協定≠ネるものすら存在している。

ひとつ、マドンナちゃんを独占してはいけない。
 (マドンナちゃんは皆のものだから)
ひとつ、マドンナちゃんに近付き過ぎてはいけない。
 (マドンナちゃんが放つオーラに浄化されてしまうから)
ひとつ、マドンナちゃんの前で悪口や下ネタは言ってはいけない。
 (マドンナちゃんが穢れてしまうから)

とこのように、マドンナ協定は数十ヶ条にわたる厳しい規律で成り立っている。
ちなみにこの協定の存在は、当事者のマドンナちゃん本人以外は殆ど知っている。実践しているのは極一部の熱狂的ファンだけだが。──マァとにかく、警察学校第百四期にはとんでもないオンナがいるのである。



…ということに彼らが気付いたのはそれから更に数週間が経った頃だった。
なぜならば、生徒数が多いのはもちろんだが、彼ら自身も周りから注目される存在だったのだから。

「萩原くん、今日もカッコイイ…」
「あれ、アンタ萩原派? アタシは断然松田派」
「えー松田くん? ちょっと怖くない?」
「そこがいいんじゃない。そういうアンタは降谷だっけ?」
「降谷くんカッコよすぎじゃない? …でも最近諸伏くんも気になってる」
「あ、分かる」

女生徒がこちらを見ながらクスクス囁き合うのにも慣れてきた。

甘いマスクで何でもソツなくこなす萩原研二。
ぶっきらぼうだが整った顔立ちの問題児・松田陣平。
猫目が特徴的で穏やかな笑みが魅力的な諸伏景光。
成績トップのハニーフェイス・降谷零。
そして問題児の彼らを纏めあげる苦労人・伊達航。

成績優秀でルックスもいい問題児集団──伊達班もまた、他生徒から遠巻きにされていた。

「そういや次の授業は男女合同訓練らしいな」
「やったね陣平ちゃん。女の子だって」
「あ? 興味ねぇよ」
「またまた。降谷ちゃんは嬉しいよね?」
「僕は足を引っ張らないでもらえれば何でもいい」
「本当にキミたちってブレないな。…あ、アソコに班編成貼ってあるみたいだ。オレ見てくるよ」

掲示板に貼りだされた班編成を見に行こうとした諸伏はしかし、その足を即座に止めることになる。

「首席の降谷の班と組むのマドンナちゃんの班だぜ!」
「やべー!」
「男女トップ同士の班とか最強じゃん」
「オレ、マドンナちゃんが勝つに一票」
「待て待てまだ戦うって決まった訳じゃねーだろ」
「戦うかもしれないだろ!」
「何でお前キレてんの。こわ」

お調子者の男子たちが周辺で騒いでいるからだ。
その近くで先程までコチラを見てクスクスヒソヒソしていた女子軍団も、
「やば」
「あーこれはウチら負けたね」
「あの子にイケメン総取りされて終わり」
「許せるけど」
「あの子ならね」
と少し残念そうな色を浮かべて囁きあっている。

「マドンナちゃん…って何だよ」
「ちょっと陣平ちゃん。もーちょい他人に興味持ちなって」
「オレも知らない。ゼロ、知ってる?」
「いや」
「俺も知らねぇな」
「嘘だろお前ら…それでも男か?」

全くピンと来ていない同期たちに眉を顰めた萩原は「マドンナちゃん知らないとか人生損してるぜ」と大真面目な顔で告げた。

「そんなんで人生損してるとか。お前の人生が心配になるぜ萩原ァ」
「突っかかってこないで陣平ちゃん。いま探してるから…あ、いた。ほら、あの子だよ」

人でごった返す掲示板付近を見渡していた萩原が一点で視線を止めた。
真っ直ぐ指をさす。
促されるままその方向に目線を向けると──。

とんでもない美人がそこに居た。

ミルクを溶かしたような真っ白な透き通る肌。
強く輝く宝石のような瞳、すっと通った鼻筋、小さくて赤い唇。

大勢の人間に囲まれて笑っているその美人から目が離せなくなった。
マドンナちゃん≠ニ呼ばれるに相応しいその美貌を惜しげもなく晒す彼女は、周りの人間に促されて視線を動かした。

──ばちり、目が合った。


「…あれ? 伊達くん?」
「え、」

マドンナちゃんの口から零れ落ちたのは我らが班長・伊達の名前。
そのまま集団から離れて此方に駆け寄ってくる。ふわりと甘い香りが鼻を擽った。

伊達が「みょうじ」と苗字を呼ぶと女は嬉しそうに「久しぶり! 覚えててくれたんだ」と笑った。

「まさかこんな所で会うなんてな」
「そうだね。びっくりしちゃった」
「え、待って待って待って! …班長、マドンナちゃんと知り合いなの?」

食い気味に突っかかる萩原の問いに「あァ、中学の同級生」と伊達は事も無げに言った。

「と言っても、一回も同じクラスになったことはないけどね」
「そうだな。…まァ、お前は有名人だったから」
「伊達くんも有名人だったよ」

「マジかよ…」

萩原はガックリと項垂れた。自分より女子と仲のいい男の存在に嫉妬したのだ。
スマートなイケメンなのにどこか残念なのが萩原のいい所である、と萩原大好きっ子が遠くの方で熱弁している。

「この後の合同訓練、一緒なんだと。よろしくな」
「うん、よろしくね! 足引っ張らないようにしないと」
「お前女子でトップだって聞いたぞ」
「あんなのマグレだよ。…でも、そうね。成績はダテじゃないって思ってもらえるように頑張る」
「伊達だけに?」
「もう、やめてよ萩原くん」
「悪ィな、ハギはこういう奴なんだ」

一切自分の成績を鼻にかけずに人の良い笑みを浮かべて話すその姿に毒気が抜かれる。女は喧しくて苦手だ、と公言していた松田が思わず口を挟んでしまうほど。

「ていうかマドンナちゃん、俺たちの名前知ってたんだ?」
「知ってたよ。だってみんな有名人だもん…ていうかそのマドンナちゃんっていうのやめない? 私には過ぎた名前っていうか…」
「マドンナさん」
「ゼロ、多分ソレ違うと思う」

降谷の天然砲を浴びてマドンナちゃんがクスクス笑う。
そんなマドンナちゃんにつられて笑顔になった面々を遠巻きに見ていた同期たちは、校内の有名人同士が打ち解けたことを知る。

こうして彼らと彼女は、より一層周りから注目を浴びることとなった。



△▽



「あの班やばかったわ」
「降谷たちとマドンナちゃん班だろ?」
「やっぱバケモンだわ降谷。ハンパねぇって」
「でもその降谷についていけるマドンナちゃんもスゲェよな」

数時間に渡る訓練が終わった。アチコチで囁きあわれているのは、本日の訓練でトップスコアを叩き出した班についてだ。
スコアに一番貢献したのはやはり首席の降谷だったが、マドンナちゃんは女子トップの成績に嘘偽りのない動きで降谷をサポートしていた。
その結果、あの・・鬼の教官も思わず笑顔を浮かべてしまうスコアを叩き出すことに成功したのだ。

「抜群に息あってたもんなあの二人」
「さすが首席同士だわ…呼吸を合わせるのが上手ぇんだろ」
「何の呼吸? オレ雷だと思った」
「うるせぇ黙れ死ね…あれ、松田じゃん。一人?」

一際大きな声で囁きあっていた──否、騒いでいたお調子者の男の子たちの横を松田が通りかかった。男の子たちは一斉に松田を見て黙り込む。
松田も大注目集団の一味であったし、何より一匹狼じみた性格と整った顔立ちに憧れる男子は多いのだ。
余談ではあるが、松田に憧れた男の子が彼の振る舞いを真似した結果、普通に孤立したし嫌われた。つまり松田が松田たる所以は、圧倒的な器用さと優秀さ、顔面の良さ、時折見せる少年のようなあどけない笑顔その他諸々が無いといけないのだ。

さて松田は男の子集団に顎だけを動かして「オウ」と曖昧な返事をしてそそくさと立ち去った。

「カッケ…」
「オレもアレやりたい」
「キモ…」

松田がコソコソ立ち去った理由。それは今から向かう秘密の場所を誰にも知られたくなかったからだ。

「タバコ吸いて…」

松田が向かう場所──非公式の喫煙所だ。
半年前、入校見学会に来た松田が唯一絶望したのは警察学校が全面禁煙だということ。
自由時間に外出許可は貰えるものの、起き抜けや就寝前や訓練直後に喫煙できないという事実に愕然とした。
ヘビースモーカーの自分が半年間も耐えられるのか、警察なんのやめよっかな…と真面目に悩んだ松田の肩を叩いたのは、当時見学会の対応をしてくれた一期上の先輩だった。

『いい場所教えてやるよ』

秘密な? と笑った先輩が教えてくれたのがこの場所だ。教官室から遠く離れた、生い茂った木や使わなくなった備品で隠れた場所は格好の喫煙スポットとなっていた。

『証拠は残すなよ。携帯灰皿必須な』
『俺、警察官になります』
『ハハ、いい成績取れるよう頑張れ』
『オーキードーキー…』

ちなみに松田はその先輩のことを今後メシア先輩と呼ぶことになる。喫煙スポット情報だけでなく、コッソリ学校から抜け出せるスポットだとか、教官にバレずにスマホを持ち込む方法だとか──警察学校内では携帯電話を預けなくてはいけない──とにかく知って得するお役立ち情報をいくつも教えてくれたからだ。
警視総監を殴りたいという野望だけで警察官を目指していた松田だったが、メシア先輩と共に働くために警察官になるという目標も新たに追加された。なに、それ程喫煙者社会というのは肩身が狭いのだ。

さて、目的の場所に到着した松田がいつものように周囲に誰もいないことを確かめつつ、生い茂る枝葉を退かして中に入ろうとした矢先。

「(…あ?)」

中から物音がした。
先客か。俺だけの場所だと思ってたのによ。小さく舌打ちを一つ零す。
マァでも、数少ない喫煙仲間を増やすチャンスだ。もしかしたら他にもお得情報を知ってるかもしれない。ア、でも知らん奴だったらヤだな。人見知りだし。とりあえず中にいンのが誰なのか確認してから考えっか。
物音を立てないように細心の注意を払いながら覗き込んで──「は、」と息を零して立ち尽した。
なぜなら、中に居たのは思いもよらない人物だったからだ。

先客は、先程まで振りまいていた美貌をボンヤリと空に向けながら備品の上に座り込んでいた。

綺麗な白い指の間にシガレットを挟み、吸い口を真っ赤なルージュで染める仕草すらも美しく、思わず魅入ってしまう。
──マドンナちゃんがソコにいた。

「(あれ、みょうじだよな…タバコ吸うのかよ…クソ、どうする)」

想像もしていなかった人物の存在に、松田は息を殺して考える。

こういうことを言うと日本禁煙撲滅協会だとか爆裂喫煙者愛護団体から総叩きにあいそうだが、正直マドンナちゃんの性格的にタバコを吸うとは思わなかったのだから。
マァ、誰しもタバコ吸いたくなる時くらいあるよな…ヨシ、気付かなかったフリをしてやろう。マドンナちゃんの考えていることなど何も知らないが、きっと誰にも知られたくないだろうと勝手に決めつけた松田はその場を後にしようとした。

きっと今見つかったところで「私が喫煙者ってこと、皆には秘密だよ。恥ずかしいから」と困ったように笑いかけられるだけだとは思うが。本音をいうと、今日知り合ったばかりの有名人と二人きりで話す勇気がなかったのである。

トイレとかで時間潰してからまた来よう。そう思って喫煙所に背を向けた松田はしかし、再び立ち尽くすことになる。


「あー、だっる」

棘を孕んだソプラノの声が中から聞こえたからだ。それは小さな声だったが、立ち去ろうとする松田を引き止めるには十分な大きさだった。
エ、これアイツの声だよな。嘘だろ。マドンナちゃんはお淑やかで清らかな存在じゃなかったっけ。数時間前、萩原から聞いたマドンナ協定を頭の中で何度も反芻する。あの時は『そんな清らかな人間いるわけねぇだろ…くっだらね』と鼻で笑い飛ばしたが、彼女と何回か会話を交わす中で『ア、こういう人間ってホントにいるんだな…』と思っていたのだから。
俄然彼女に自分がここに居るとバレるのが怖くなった。困ったように笑いかけられるだけでは済まないかもしれないと思ったからだ。
…が、しかし。


「でもこれで、伊達くんと自然に知り合えた」

続けて聞こえた、知っている人間の名前にビクリと肩を震わせた。
やべ、と思った時には既に後の祭り。傍らの枝葉がガサリと揺れた。

「誰」
「…悪ィ。先客か、ビックリしたぜ」

オーケー、俺は何も聞いていない。俺はたった今≠アこに来た。そのテイで行こう。そうしよう。
鋭く聞こえたソプラノの声に、松田は観念したように肩を竦めて枝葉を退かして中に入った。

「ま、まつだくん…」
「オウ」

マドンナちゃんは、先程までの棘を全て焦りに塗り替えた顔で松田を窺う。
「聞かれた?」「どうしよう」「バレた?」そんな声が聞こえてくるような表情に、松田は先程脳内で反芻した言葉を押し出した。

「俺、今来たとこなんだけどよ。ビックリしたぜ。入ろうとしたらいきなり誰っ!≠ネんて聞かれるから」
「あ、あはは、ごめんね。恥ずかしい独り言言ってたから…聞かれてたらヤダなって思って」
「イヤ、何も聞いてねぇよ。ホントに今来たとこなんだって。ホント」

わざとらしいそのセリフにマドンナちゃんは戸惑ったように笑った。
先程の彼女の言葉から察するに、マドンナちゃんは松田と同じ班の班長──伊達のことが好きなのだろう。よく知りもしない男に自分の恋心なんて知られたくないよな。
松田はその前の「だるい」発言ごと全て忘れることにした。きっとアレは俺の聞き間違いだ。彼はマドンナちゃんのいじらしい表情に同情してしまったのだ。

マドンナちゃんはそんな松田を上目遣い気味にジ…と見つめる。
何を考えているのか分からないが、美人の上目遣いというものは中々どうして迫力があるのだ。

「な、何だよ」
「…吸わないの?」
「吸うけど…」

促されるまま胸ポケットからソフトパックを取り出してトントン、と人差し指の側面で叩く。飛び出した白いフィルターを咥えて残りを再び胸ポケットに仕舞い、百円ライターで火をつけた。


パシャ

火をつけた瞬間聞こえたのはカメラのシャッター音。
驚いて視線を向ける。

先程までの焦った表情は何処へやら、冷たさを浮かべた美貌がスマホの画面をコチラに向けて不敵に笑っていた。

スマホの画面には、訓練着を着た自分が喫煙している姿がバッチリと写っていた。


「この写真、教官にチクられたくなければ協力しなさい」


数時間前、萩原と交わした会話が頭の中でグルグルと回る。

『陣平ちゃん、マドンナちゃんにはあんまり乱暴な口調で喋っちゃだめだからね。マドンナちゃんのファンから殺されちゃうから』
『何だソレ』
『マドンナちゃんはお淑やかで清らかな存在だから穢したら許さないって松田に伝えて≠チて言われた』
『は、だったら直接俺に言いに来いよ』
『陣平ちゃんが怖いんじゃない?』
『あ゛?』
『そういうところ。…まァ、とにかく気を付けてね』
『つーかそんな清らかな人間なんて存在する訳ねぇだろ…くっだらね』


「やっぱそんな人間いねぇじゃねーか…」

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