「父上、遅くなり申し訳ありません」
「…ああ、竺丸か。入れ」

入室を許可する声からはいつもの活気はなく、俺の脳裏に頭を下げたあの時の父の顔が浮かんだ。実際、へやへと入り見上げた父の顔はあの時とほとんど同じで、変わったと言えば目の下の隈が酷くなったことだろうか。

「お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか?」
「あ?あー……まァ、ちょっとな。たいしたことじゃねぇからガキは気にすんな」
「父上がそう言うのなら気にしませんが……無理はなさらないで下さいね」

あんたが倒れると周りが困るとの思いを込めて言えば伝わったのか、たんに無理している自覚があるのか、父は苦く笑った。そして話を変えるように、そんな事よりと膝を軽く叩く。

「義の様子はどうだ?」
「最近は落ち着いていますよ。兄のことも誰かが漏らさない限り話に出ませんし」
「そうか……悪いな、お前にこんなこと頼んじまって」
「…以前も言ったと思いますが、気にしないで下さい。今の母上には私しかいないのですから」

兄は父によく似ていた。それこそ、生き写しかと思うほどに。だから父が母と顔を合わせると母は兄と会った時のように気を狂わせてしまう。けれど俺は違った。父の面影は確かにあるが、じっくりと見比べないとわからないほどに似ていない。父の面影があると言うことは兄の面影もあると言うことなのだ、微細故か母は気にならないらしい。必然的に母の傍にいられるのは俺だけで、俺の異質さを誰よりも知っていた父は、だからこそ頭を下げてまで俺を利用した。それが俺と父が最後に会ったあの時のことだ。あの時も大概だったが、眉を下げた情けない顔をしている父に笑って、俺は先ほどの父の真似をするように自分の膝をぽんと叩いた。






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母の話をはじめとし、あれやこれやと話題がうつったせいか随分と長い時間話し込んでしまった。父も暇ではないだろうし、これ以上長居するのはやめておこうと腰を上げる。

「それでは父上、私はこれで」
「おう。……っと竺丸、ちょっと待て」

隈は変わらずあるが、訪ねた当初とは違い楽しげな表情をしていた父から制止がかかり、中途半端な姿勢のまま動きを止める。まだ何かあるのかと首を傾げた俺の耳に入ってきたのは、一人分の足音だった。仕方なく座り直したとき、ちょうど足音の主が室の前で止まる。障子に写った影には、見覚えがあった。

「輝宗様、小十郎にございます」
「ああ、入ってくれ」

兄の様子を俺に伝えに来た、あの青年だ。失礼します、と障子を開いた彼と目が合った。父以外に人がいることはわかっていただろうに俺だとは思わなかったのか、双眸が僅かに見開かれる。あまりの驚きように思わず笑ってしまいそうになったが、何とか堪えて目礼してから視線を逸らす。困惑した空気が伝わってきたが、それもすぐになくなり彼は中へは入ってこずにその場から父へと向き直った。

「梵天丸様のご容態の報告にまいったのですが、竺丸様とご歓談中とは相知らず……出直した方が宜しいでしょうか」
「いや、こっちの話はもう終わってっから構わねぇよ。言ってくれ」
「しかし……」

促しているにも関わらずどこか煮え切らない様子の小十郎に、父は俺と彼を交互に見てからりと笑った。

「別に聞かれて困る話でもねぇし、コイツも気になるだろ。なあ、竺丸?」
「……兄のことですし、気になるか否かであれば気になります」
「ほらな。だから小十郎、」
「ですが、父上」

早く話せと続けようとしたんだろう父の言葉を遮る。口を開いたまま俺を見つめる父に小さくかぶりを振ると、彼は途端に口をへの字に曲げた。訝しむ後ろの青年と違って、俺が言わんとしていることがわかっているんだろう。

「私が重きを置いているのは兄の生死のみ。故に経過は必要ありませんので、私は失礼させていただきます」
「おい竺丸、その言い方は……」
「事実を言ったまでですよ」

だからおれは言ってやった。父が予想した以上の言葉を。嘘は言っていない。もっとも、本当のことも言っていないけれど。まだ何か言おうとする父に頭を下げて立ち上がる。呆れたような溜め息にもすれ違いざまに向けられた鋭い視線にも気づかない振りをして、父の室を出た俺はさっさと自室へ戻るのだった。


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